ようこそアムステルダム国立美術館へ
「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」見てきました。公式サイトはこちら
予告編ではかなりタノシイ人たちの心温まるヒューマンドラマ、といった印象を受けますが、実際にはかなり重たい映画でした。以下ネタバレ。
冒頭、外壁がガンガンと壊され内部に光が差し込んできます。つい先日、解体中の歌舞伎座の前にトラックが横付けになりあれやこれや運び出しているのを見たばかりだったので、思いがけなくひどく感傷的な気分になりましたが、そんな甘い気持ちに浸っていられたのは最初のこの五分だけ、でした
問題山積、ですw 日本と建造物の入札施工の方法が違うのかもしれませんが、コンペを通った建築デザインが原型をとどめなくなるまで改定されたり、申請が通らなかったり許可が出なかったり、工事入札が一社独占になったり、次々に難問が噴出します。一瞬、日本式のいわゆる「根回し」が足りていないだけなのではないか、と思える場面も多々ありますが、それぞれの立場の人(美術館下を生活道路として使っている人々・都市景観を大事にする人・展示の大胆な改革を目指す人etc)の言い分がよくわかるだけに、見ているうちに自分が当事者になったような気で真剣に「どうしたらいいんだろう」と考え込んでしまいます。
中でもとても印象的だったのは、あちこちで議論噴出する様を見て運営委員の人がつぶやいた一言。「民主主義っていうのはもっと崇高なもののはずだ。こんなのは民主主義ではない」それぞれが自分の立場で意見を述べることが保証されている様はほんとうに素晴らしいと思いますが、同時に、より良い案をお互いの間から立ち上げていく責任感、がなかなか持てないのは、この美術館関係者に限らず、どこにでもある「落とし穴」でしょう。風穴をあけるつもりで突飛な思いつきを提示したり、その自分の案を自分の自己実現であるかのように重大視する人は、実は「お手上げ」状態なんだ、ということがこの映画を見ているとよくわかります。それでも会議とあれば呼ばれるし一言言いたくもなる。「参加することに意義がある」の次には「参加しないことに意義がある」も考えられるべきではないかなと。世界が広がり人々のつながりはあっという間に想像を超えたところまで及ぶ昨今、自分の発した言葉がどのような影響を持つか、なんて想像し切るだけでも大変ですが、それでも思考停止し「何でも良いから言ってみる」と投げ出している場合ではありません。分かる範囲でできるだけ最善の道を探り、時には引かなくてはなくてはならない。誰でもが参加できるがゆえに負わされている構成員として責任の重さ、その内実というものが、この美術館のウラ話を通してずっしりと迫ってきます。事実を切り取っていきながら映画的な語り口を崩さなかった監督の力量が光ります。
続編構想中、ということからもわかるように、このオランダを代表するすばらしい美術館は現在ただいまも閉館中です。続編には、この美術館の改築落成式が撮られていることを、切に、心から、願っておりますw
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