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2008年11月 9日 (日)

誰がために

神奈川テレビで放映されて久しぶりに見ました。公式サイトはこちら

公開当時、イメージフォーラムに別の何かを見に行って、時間が合わず、こちらを見た記憶があります。矢野顕子さんと浅野忠信さんという、願ってもない組合せを思わぬ形で堪能させてもらった事を、テレビ画面を見ながら思い出しました。

この映画を見ながら当時の私が何と比べていたかというと、前年公開の「誰も知らない」と、ひと月ぐらい前後して公開された「スクラップヘブン」です。少年犯罪、喪失というテーマが続いたので連想したんだと思いますが、今見ると、前半部分についてだけ感想書いて止めています。

前半はまさしく浅野さんと矢野さんの美しい映像コラボでした。結婚することになる彼女も、幼なじみの女の子も、見事に影を消した非現実的な存在。パレスチナで浅野さんが見たものが現実だとすれば、この、町の小さな写真館は浅野さんにとって安逸という「幻想」だったのかもしれません。現実からの逃避の末にたどり着いた桃源郷。この、どこにでもあるごく日常の風景を浅野さんの心象風景であるかのように撮る監督の手腕は本当に素晴らしかった。矢野さんの音楽世界もそこにぴたりと沿うていて心地よくさえありました。
ところがそれが理不尽な少年犯罪によって崩壊する。しかも時は、浅野さんの思いと心に頓着なく、非情なまでにドンドン過ぎていく。幼なじみとまわりの人の「善意」により無理やり押し流されようとさえする。そのどうしようもない「置き去り感」が「絶望」に変わり「少年」にぶつけられていく様が、浅野さんの口から、仕草から、重くこちらの心に響いてきます。

ここで私が感想を書くのを止めてしまった理由が、今ならわかります。それが、浅野さんの「妄想」を打ち砕く現実として浅野さんの前に立ちはだかった犯人役の少年の「存在」でした。映画の中ではこの少年は、人を殺せる手と小鳥を可愛がる可憐な指先と、折れそうに頼りなげな首すじと人を寄せ付けない閉じた瞳を、まるで同時に抱いてしまう、青年期特有の「まだバラバラな状態」を見事に表しています。が、それ以上に、この小池徹平という少年は、前年是枝監督が作りだした柳楽君の「崩壊してもなお在る生身の憂鬱」でもなく、スクラップヘブンでオダギリジョーが見せた「具現化した鬱屈」でもない、もっと底知れず「得体の知れない闇」を抱えていました。ふと見かけた赤いかわいい風船の中に、静かにひたひたと、しかしぎっしりとコールタールがつめこまれていたかのような、強烈な破壊力。悪意とすら呼べない、もっと無邪気なほど直裁的に抱え込まされているこの人の「闇」は、本人ももてあまし気味に、「とりあえず赤い風船でくるんでみました」的な幼い放擲と共に差し出されてくるだけに、余計にどう見てあげたらいいのかわからないのでした。それは見なかったことにすれよかったのか、気づかなかったことにすればよかったのか。弱冠19才の少年を浅野忠信を呑み込むほどの「現実」として存在たらしめた、この少年の持つ「闇」が、本人ももてあますような深い「闇」が、本人のモノとなって開花するのは、きっとまだこれからのことなのでしょう。3年経った今も、まだ兆しも見えませんし、その後、ドラマやテレビで見せる「笑顔」にも闇など微塵もありません。見てしまった者からすれば痛々しいことこの上ない「笑顔」ですが、あれはまだ見なかったことにしといてほしい、とでもいいたげです。きっと役者と違い、アイドルやタレントの世界で生き残っていくのは大変なことなんでしょう。もしこの人が8年後、30才過ぎてもまだこういう仕事をしていたら、その時こそ是非また映画でお目にかかりたいものです・・・

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