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2008年9月

2008年9月28日 (日)

復活!ボキャプラ天国!!

もう夢のような3時間でしたよっっっ
あーもー今日は眠れないかも(笑)

やっぱりあらためてスゴい番組だったんだなぁと今更のように思います。
こう、要求しているレベルがもの凄く高いんですよね。
フリの部分の芝居がしっかりできないと、雰囲気だけでは到底ネタにたどり着けないし
持ってくるネタも、何となく思いつきで出来たものはすぐ底割れがして
削りに削った「この一発」というフレーズには勝てない。

番組放映時には出場者全員が文字通りしのぎを削っていたのでわからなかったですが
今日は最近超売れっ子の若手芸人さんたちにもボキャぶってもらっていたので
かわいそうですが本当にその実力差をまざまざと見せつけられました。
新人さんでは、友近さんとたっちは演技力が図抜けていましたが
逆に単に芝居の部分すらそこまでのレベルに達している人がもう後いなかった、
というのが悲しすぎました。一発芸では技術も何もあったモンじゃないんでしょう。
イワイガワさんは、芝居プラスさらにネタも本当に美しかった。いや下ネタなんですけど(笑)
久しぶりに「おおおおーーーー」と画面に向かって拍手しましたよv
そして往年のキャブラーたちは、みんなプライドかけて全力疾走してました。
最近は司会その他の仕事が多くてコントどころではないヒトタチまで、全力v
ネプチューンと爆笑問題のネタ見た時なんて、じわじわきて、くすくす来て
オチでスコーンとヤられた時、それがあんまりにも爽快で美しくて
なんかこう、涙出てきてました。笑いながら。

やっぱりこう、もちろん大爆笑もするんですけど、すっごく「感心」するんですよね
笑いながら「ああ、いいもんみたなぁ」っていう幸せvに浸る。
根がアホな私にとって、それはほんとに
いい歌舞伎や芝居や映画やコンサートの後と全く同じ、
「いいモン見た~」です(笑)

芸の力に打ちのめされる幸せ。

いや、やっぱり今日は眠れませんです。
大地真央さんの言うとおり、
こういう言葉の文化をもつ私たちは
ほんとにシアワセものですvv

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2008年9月25日 (木)

「ホームレス中学生」試写会

昨日試写会行って参りました。公式サイトはこちら

ここに書くのは本当にお久しぶりでございます(笑)
アノ古厩監督最新作、そして最新の動くイッセー尾形氏vというのが楽しみで、この夏ドラマ「シバトラ」で当然のように小池徹平氏のファンになり試写会チケットまで当てやがった子供につきあって、行って参りました。オダギリ氏の時の苛烈な経験を生かし、ここはやはり母は前日の昼から並んだ方がいいのかっ!とも思ったのですが、さすがにそこまではせずとも、当日昼に並んで100人くらいでした。最終的には会場いっぱい1500人でしたが。
で、なんというか「持って産まれたモノの力」というものを謙虚に思い知らされ今日久々に書く気になったワケです。多少長いですがおつきあい下さい。

試写会もですね、まぁ比べちゃいけないのかもしれませんがとても凝ってました。会場後ろのドア左右から池脇さんと西野さん、イッセーさんは自転車で登場、小池氏は背景突き破って本当にアイドルっぽく(笑)登場。普通に出ていらしたのは古手川祐子さんだけ。しかも背景をあげると映画で使われたセットが再現されていて、押し出されて出てくる茶の間には原作者本人(笑)。そのままちゃぶ台を真ん中に座談会のような完成披露インタビュー。これならオダギリ氏でも和やかに愛想よくたくさん話せるよなぁとちょっと思いました(笑)小池氏は積極的に、特に西野さん相手にバシバシツッコミます。その若い頑張りはちょっとずつずれてて正直まだイタいんですが、たった1人役者畑ではないところから引きずり出されて緊張しまくっていた西野さんは大いに助かってたでしょう。仕組んだ会話より「来てすぐ飲む!」と西野さんをからかったり、西野さんの振った手を止めさせながら自分もポッと手を振るような細かいやりとりが面白かったですが、あれは素なんでしょう。

で、映画も実は、演技している小池氏よりも素の小池氏が何倍もよかった。これで褒めていることになるのかどうか(笑)でも古厩監督がプロダクションノートでそれを狙ったと書いているのでまぁご勘弁下さい。中学生として演じようとしているのはわかるんですが、小学生や中学生相手に絡む時、特に些細なシーンに本人の大人としての気遣いが全面に出てきてしまって、これが本当に興ざめでした。ぶっちゃけ中学生として演技している場面の成功率は50%ぐらいです。でもそういう演技をしていない時、1人でいる時、たとえば背中だけ、脚だけ、横顔だけを撮ったショットは本当にそのまま中学生の背中で、脚で、顔で、しかもそれがもの凄く雄弁に、その心の内を語るんですね。ドラマと違って、映画はオヤジが没落していった過程も描いていないし 思春期の男の子にとって親がいないと人格形成上何がタイヘンなのか ということに話を絞っているので、ここはとても大事なんです。で、この子が大きくなったと考えると 今の田村から出てくる欠落感、根無し草風体に見事にすっとつながっていきます。小池氏  本人はキモチでなりきっていて何も考えずそこに映っているだけですから、よく考えたらただの22才の男、なんですが(笑)、そのただの22才の男がそこにいるだけで人を画面に引きつけその心情を見事に語る。たぶん田村本人は気づいていないとこまで映画では暴かれているはず。しかしそれも、本当に申し訳ないですが、何かをしている小池氏より何千倍も雄弁に語っています。それはやっぱり「天性の役者」で在ることとは真逆のものなんでしょうけど、それと同じくらい、凄いことなんじゃないかと思います。

それは古厩監督の映画の持つあの独特の叙情性ともきれいにシンクロしていきます。監督ファンのためにネタバレしますがお金払っても見に行った方がいいシーンが3つ、あります。
1.笑福亭 松之助さん演じるハトの餌やりおじさんに、空腹に堪えかねた小池氏が餌のパンの耳を分けてもらいます。その場で必死に食べ始める様子を見た松之助さんがだまってパンの袋を地べたに置くと、吸い寄せられるようにそこに跪く小池氏。それまで笑いのネタにすぎなかった「空腹」がぐさりと胸をえぐるその一瞬。ハトが一斉にパァァァァッと飛び立ちます。まるでそのパンの耳を天からのマナであるかのように思わせる鳩の祝福。おまえは1人ではない、というこの映画に込めた監督の思い。地に叩きつけられるような惨めさとつらさの中それを受け止める小池氏。他では一切泣けなかった私も、ここは本当に監督にヤられました。

2.浜辺に座り込む小池氏を右隅に置いて、大きく海を見せるシーン。その小池氏の姿が、そのまま、見ている人の心の内の「子供の風景」にすうっとリンクしていくよう細心の注意が払われたショットです。ここの小池氏は、次と合わせて本当に、この人を起用「しなければならなかった」理由として上げていいと思います。監督が小池氏の中に見て、映画に必要だと思ったのはたぶんこれなんだと思います。

3.その小池氏を前から撮ったシーン。手足を投げ出し座り込んで、ぼんやり海を見つめる小池氏の姿は少し引いて撮られていて、そのせいかとても抽象的な、まるでクマのぬいぐるみのようなただの「存在」になっています。目の前に愛らしい形をとってあらわれる「子供」。見ている人は、前のシーンと相まって、自分の中にまだそういう「子供」がいる、事を改めて思い出させられます。このシーンに来るまで子供を引きずったままの小池氏をもどかしく思わされていた観客が、自分の心の淵を覗く瞬間。特異な経験をした特異な少年が、見る人の心の中の存在としても「在る」瞬間。それを理屈でなく存在で感得させる小池氏。映画として構成上必然なシーンを覗き、純粋に観客の感性の流れだけで考えると、たぶんここが一番の山でした。

でもその古厩監督を以てしても、裕を演じている「中の人」を消し去ることは出来なかった。上にあげた3点のように、中の人を利用する、くらいのつもりで腹を括るか(そうすると「KIDS」のようにおんぶにだっこ映画になっちゃうかもですが)もっと徹底的に塗りつぶすかしないと、こういうモノをもった人を役者として使うのは難しいのでしょう。とりあえず小池氏の側は出来ないのかしないのか、消す努力は全くしてません(笑)。しかしそれならたとえベタでも、もう少し周りが塗りたくってもよかったかなと思うんですが、事務所がいろいろ難しいんでしょうか。家がないんだから裸足でボロズック履いてたほうがリアルですし、毎日洗いざらしの真っ白なTシャツをとっかえひっかえ着るより、一枚キリのTシャツをだんだんボロくしていくくらいの工夫はあってもよかったのではないかと。公開前から話題になっていましたが、映画を見ながらどう客観的に見ても「このまま売り飛ばされる」としか思えないw展開が何度もあり、もとは田村君だから絶対そうはならない(笑)とわかってはいても、だからこそよけいに、その美しさは本当にとても邪魔でした。いっそ美少年設定にした方がヨカッタかと思うくらい(汗)

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