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2008年3月29日 (土)

SLEUTH

329519view003 ここをお休みしている間にも、実は何本か見ていたのですが、久々に「書きたいな」と思った映画がこちら。公式へは写真からどうぞ。

SLEUTH とは「探偵」という意味です。わりと古めかしい語をわざと使っています。それが実はこの映画を見る「鍵」でした。
公開してからかなり経っていますので、感想もさまざまに出ています。特にオチを「あっけない」と思い、つまらなく思った方が多いようですが。この老獪な紳士から妻を寝取った若者の方に気持ちを沿わせて見ていると、この映画はワケワカランになるかもしれません。主人公は、あくまで老人の方。evenですらありません。これはカネもヒマももてあまし、人生に倦んだ男が、馬鹿で粗野で意気地がなく、下品で「美しい」男を、いたぶり尽くしもてあそぶ映画なんです(以下ネタばれ)

見ている最中、私は漱石の造語「高等遊民」を思い出しました。もっと人生に疲れてると、谷崎や太宰のように耽美に走ったり死すらつまらなくなったりしますが、この人はそこまではいっていない。映画の中で、この紳士は3度だけ、本心をむき出しにします(後は全っ部寝取り男に対する演技なんですよ~ん)。「妻は私のものだ」と叫ぶところと、第2ゲームの終わりで死を覚悟する時と、最後におもちゃを始末した後の、虚無をむき出しにした顔と。その生々しさのおかげで、この紳士をかわいいとさえ思えるから不思議です。鬱屈した魂のあてどもなさは高等遊民と同じでも、もっとずっと深い人間性が感じられ、人としての厚みが感じられます・・・だからこそそのイケズさに震えが来ちゃうんですが(笑)。
字幕の斉藤氏は今回本当によく頑張っておられたと思います。この紳士の投げつける言葉のヤラシさ、エグさに比べたら、2ちゃんの煽りなんて可愛いモンでしょう(笑)人の感情を文字通り自在にもてあそぶ、その言葉の奥底に流れているのは、若者が必死で求めている「人生」そのものへの「軽蔑」と「憐憫」です。退屈しのぎの格好のおもちゃに使う「だけ」しか存在価値の見いだせない若い男。日本の高等遊民には「神」という敵はいませんでしたが、この紳士にすれば、こんな若者を生かし自分をも人生の「生殺し」に捨て置く神なんて、唾棄すべき存在以外の何者でもないかもしれません。だから「生きて」いられるのかも。若者が命乞いに「神」という語を発した時、「おまえが言うな!」と言わんばかりに発砲する、アノ時の紳士の気持ちは私には痛いほどよくわかりましたです・・・

若い男は、もしゲームに勝ちたいのなら、明らかに第2ゲームの終わりで紳士を殺すべきだった。しかしそうしなかった。宝石さえも盗らなかった。紳士はその「小市民」ぶりに反吐がでるほどがっかりしたでしょうし、こいつは「おもちゃ」以外に用途はない、と見限った一瞬でもあったでしょう。おもちゃにはおもちゃなりの幸せな人生というものがありますし、それはひょっとしたら紳士の人生にもささやかな刺激と彩りを添えてくれたかもしれない。しかしこの若者は、おもちゃ「以下」だった。人間誰しも完璧におもちゃを演じきることは出来ません。どこかでそれと知らずに踏み外し破綻する。「こいつもか」という諦念と虚無は、引き金を引く前も引き金を引いた後も、「微動だに変わらず」紳士を覆い尽くしていたことでしょう。その顔が。もう、たまらなくせつなく、いとおしかったです。


最後になりますが。この紳士の住んでいる部屋の超現実的なvvインテリアは、本当に素晴らしいもので、映画の中ではそれをデザインしたのは「妻」ということになってますが。こんな知的で洗練されたデザインをする女性が、ここまでスカタンな男に引っかかるか?という余計な疑惑がわき起こりますので(笑)、素直にケネス・ブラナー監督の卓越した芸術センスを楽しんで下さい。うちにもほしいかも・・・あれ(笑)。


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