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2008年3月

2008年3月31日 (月)

MY BLUEBERRY NIGHTS

1024_2「マイ・ブルーベリーナイツ」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。王家衛監督に思いを抱く方、必見です。

私にとってこの映画は、良くも悪くも映画単体として鑑賞する対象ではありませんでした。王監督の行き着いた先、今彼は何を考えどんな風にアメリカ「と」過ごしているのか、を逐一私に語りかけられているような、まるで手紙を読むような気持ちで、ずっと映画を見ていました。

 感想は、監督、ほんとによかったですね、の一言につきます。
 監督は、自分がアジアの叙情と信じて疑わなかったものを、ようやく「人種のるつぼ」と言われるアメリカの中にも見つけたと見えます。もっとつっこんだ言い方をすれば、監督にとって「どこの国の人でもない人々」の中にもそれはあった。確実に、しかしようやく、それを見いだすことの出来た監督の、真の安らぎ、居心地良さが映画全編から伝わってきます。監督は、この国にもやっと居場所を見つけたのです。それはコスモポリタンとはほど遠く、映画の普遍性などとは更に無縁のことかもしれない。でもあれだけの作品群を私たちのために紡ぎ続けてくれたこの偉大な監督の、ようやくたどり着いた「着地点」として、私は心からの賛辞を送るとともに、見終わったあと、我が事のように安心し、安らぎを感じています。
 監督の居場所といえばもう一つ。監督がこの映画を通してずっと送り続けているメッセージは「人はわかりあえない」という事実です。監督の周りではきっと、同じような窮地・悲劇に立ち会った人たちは、同じ経験を持つ同士、慰め合い、癒しあっている事と思います。乱暴な言い方をすれば、彼らはキリストがそうしろ、と言うのでやっています(笑)。やめるわけにはいきません。まぁ同じ理由でアメリカの世界に対する「おせっかい」は続いているわけですが。閑話休題。
でも他人が何を感じているか、思っているかなんて、本当はわからないはず。監督はそのシーンになると「わからなさ」を、コマ送りのギクギクとした映像で表しています。私はこれが寓話的な示唆としてとても面白かったしわかりやすかった。例えば妻に去られた男を自分と重ね合わせわかった気になって安易に慰めていたら、相手も自分も「自分」を見失ってしまう。そしてそこで安易の方に流されないのは、勤勉でも、もちろん諦念でもなく、「違うだろッ」という、ツッコミにも似た、でも穏やかな(笑)条件反射。そういう映像の積み重ねが最後に「鏡」という言葉に収斂され、すとんとおさまる。その最後に至るまでの「伝え方」が、今までの王監督に比べて何倍も丁寧でフォローもちゃんとたくさんなされていて、わかりやすかった。監督はついに「人に自分を伝える方法」を手にしたんだなぁと思って、そこでも私は感慨深いものがありました。

私は映画を見ながら、監督が「これ」を見いだすよすがとなったものは、ジャズなんだろうと思っていました。でも監督が橋として恃んだのは、やはり「夢二のテーマ」でした。監督ファンの方の間では、もう「溶解・融合」を表す独立したテーマとなっているものでしょう。私はこれ聴くとどうしても沢田研二を思い出してしまいます(笑)。そして、鈴木監督のメタファを乗り越えられないというそしりに敢えて甘んじてなお、このテーマを恃む監督の、心の内を思います。日本に生まれ淡々と外国文化に親しみ続けた歴史の上に、悩みもせず、まるで息をするように他国の文化をあっさり「取り込む」私たちに、監督の心中がわかってたまるかと、私自身思います。

よかったですね、監督。ほんとうに。


蛇足ながら。ジュード・ロウが出てくる映画を続けて見たわけですが(笑)。ジュードファンの方にはこちらをお薦めします。「スルース」より、すこし老けて見えるかもしれませんがw ファンとしての夢を見させてくれるのは、たぶんこちらですv

 

 
 

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2008年3月29日 (土)

SLEUTH

329519view003 ここをお休みしている間にも、実は何本か見ていたのですが、久々に「書きたいな」と思った映画がこちら。公式へは写真からどうぞ。

SLEUTH とは「探偵」という意味です。わりと古めかしい語をわざと使っています。それが実はこの映画を見る「鍵」でした。
公開してからかなり経っていますので、感想もさまざまに出ています。特にオチを「あっけない」と思い、つまらなく思った方が多いようですが。この老獪な紳士から妻を寝取った若者の方に気持ちを沿わせて見ていると、この映画はワケワカランになるかもしれません。主人公は、あくまで老人の方。evenですらありません。これはカネもヒマももてあまし、人生に倦んだ男が、馬鹿で粗野で意気地がなく、下品で「美しい」男を、いたぶり尽くしもてあそぶ映画なんです(以下ネタばれ)

見ている最中、私は漱石の造語「高等遊民」を思い出しました。もっと人生に疲れてると、谷崎や太宰のように耽美に走ったり死すらつまらなくなったりしますが、この人はそこまではいっていない。映画の中で、この紳士は3度だけ、本心をむき出しにします(後は全っ部寝取り男に対する演技なんですよ~ん)。「妻は私のものだ」と叫ぶところと、第2ゲームの終わりで死を覚悟する時と、最後におもちゃを始末した後の、虚無をむき出しにした顔と。その生々しさのおかげで、この紳士をかわいいとさえ思えるから不思議です。鬱屈した魂のあてどもなさは高等遊民と同じでも、もっとずっと深い人間性が感じられ、人としての厚みが感じられます・・・だからこそそのイケズさに震えが来ちゃうんですが(笑)。
字幕の斉藤氏は今回本当によく頑張っておられたと思います。この紳士の投げつける言葉のヤラシさ、エグさに比べたら、2ちゃんの煽りなんて可愛いモンでしょう(笑)人の感情を文字通り自在にもてあそぶ、その言葉の奥底に流れているのは、若者が必死で求めている「人生」そのものへの「軽蔑」と「憐憫」です。退屈しのぎの格好のおもちゃに使う「だけ」しか存在価値の見いだせない若い男。日本の高等遊民には「神」という敵はいませんでしたが、この紳士にすれば、こんな若者を生かし自分をも人生の「生殺し」に捨て置く神なんて、唾棄すべき存在以外の何者でもないかもしれません。だから「生きて」いられるのかも。若者が命乞いに「神」という語を発した時、「おまえが言うな!」と言わんばかりに発砲する、アノ時の紳士の気持ちは私には痛いほどよくわかりましたです・・・

若い男は、もしゲームに勝ちたいのなら、明らかに第2ゲームの終わりで紳士を殺すべきだった。しかしそうしなかった。宝石さえも盗らなかった。紳士はその「小市民」ぶりに反吐がでるほどがっかりしたでしょうし、こいつは「おもちゃ」以外に用途はない、と見限った一瞬でもあったでしょう。おもちゃにはおもちゃなりの幸せな人生というものがありますし、それはひょっとしたら紳士の人生にもささやかな刺激と彩りを添えてくれたかもしれない。しかしこの若者は、おもちゃ「以下」だった。人間誰しも完璧におもちゃを演じきることは出来ません。どこかでそれと知らずに踏み外し破綻する。「こいつもか」という諦念と虚無は、引き金を引く前も引き金を引いた後も、「微動だに変わらず」紳士を覆い尽くしていたことでしょう。その顔が。もう、たまらなくせつなく、いとおしかったです。


最後になりますが。この紳士の住んでいる部屋の超現実的なvvインテリアは、本当に素晴らしいもので、映画の中ではそれをデザインしたのは「妻」ということになってますが。こんな知的で洗練されたデザインをする女性が、ここまでスカタンな男に引っかかるか?という余計な疑惑がわき起こりますので(笑)、素直にケネス・ブラナー監督の卓越した芸術センスを楽しんで下さい。うちにもほしいかも・・・あれ(笑)。


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怒濤の1年

Ma たいへんにご無沙汰となりましたが。
またちょこちょこと書こうと思います。

この1年のブランクの間に。
私は二足のわらじを履くことになり。
愚息は見事第一志望の中学に入り。
身辺は見事に一変しましたが。

とにもかくにもこうして
また映画の見られる日々を、本当に幸せに思います。


さて、再会するにあたって一言。感謝を。

愚息が、本当に愚かにも(笑)
「安逸な未来(本人談)」を振り切って、外部受験を志したのは
実はその学校の生徒さんの、本当にすてきなブログを読んだから、でした。
愚息は、その学校の厳しくも自由な「学問」の雰囲気に心奪われました。
そして私は、その生徒さんがブログに書きつづる文章の
まさにピンポイントの精度の高さに驚嘆しました。
不特定多数の方が読むことを十分に気遣いながら、
穏やかに丁寧に、しかし自分の言いたいことはきちんと相手に伝える「作法」を、
この生徒さんは鮮やかに身につけていました。
理科や社会で膨大な量のレポートを書いたのだそうですが、
それを読み添削し指導し、「一介の高校生」をここまでに育て上げた
その先生方の力量に、文字通り画面のこちらで平伏しました。


残念ながらご本人が大学受験で
去年の春にはもうそのブログは閉じていましたが。
今年一年、ともすれば投げ出したくなるような無機質な日々に
彼の書いた文章は希望の灯をともし続けてくれていました。
ご本人は知らぬ事ながら、うちの愚息にとっては人生を変えてもらった、
本当に幸せな出会いであったと、こうして合格した今も思います。




このようにやくたいもないブログの片隅から

今年受験を終えられた君へ

心からの、感謝を。



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