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2007年3月25日 (日)

「東京タワー」

いつもお世話になっていますYukoさんにお誘い頂いて、試写会に参加させて頂きました。試写会の後には監督のティーチ・インがあり、そのお話も面白かったです。

 先に監督への質問の話からすると、内田也哉子さんと勝地涼さんをそれぞれ起用した理由を問うもの、岩松了さん「声の出演」の謎(笑)、寺島進さんの演じた男の意味合い、松尾スズキさん脚本について、あとは雑誌にも出ているオダギリ氏起用のエピソードご披露などがありました。岩松さんは実は「葬式の最中に電話で原稿を催促して来た男」だったのだそうです。声が若くて失礼ながら全くわかりませんでしたよ(笑)。

 で、私の感想も、実は観客からこういう質問が出るのは仕方ないかな、というのが正直なところであります。たいへんに詩情豊かな監督で、監督ご自身が原作をお読みになって感動したシーンはここだったのだな、ということが手に取るようにわかるほどに、大切なシーンの1つ1つがとても美しく深く描かれています。ただし映画は時間の制約があり、原作のすべてを映像化する事が出来ない以上、どこをその大切なシーンとするかについては異論はつきものです。そしてすべての男はマザコンだそうですから、それでいくとこの映画の大ヒットは間違いないのでしょう(笑)。しかし演技者はともかく、監督と脚本までもが自らの感情に埋没しそれに酔ってしまうと、観客が放擲され映画が映像の羅列になってしまうのは自明の理です。山場ばかりで裾野がない、といえばもっとわかりやすいでしょうか。とりあえず御覧になる方は絶対に原作もテレビドラマもきちんと見ておきましょう。4番目に書いた質問は、決してこの人がぼんやりしていたからではありません。原作の印象的なシーンが次々と鮮やかに立ち上げられていきますが、それがまるで絵本か写真集を眺めているかのようなのです。そこへ至った過程やその時の人の気持ちの裏に流れていたものなどはむしろ邪魔ものです。ですから母を恋うる男の甘い感傷を共有することこそがこの映画の醍醐味なのであり、たぶんその他の要素は気にする方が間違っているのでしょう。それが映画と呼べるかどうかはともかくとして。
 それから松尾脚本は細かい笑いを地道に積み上げていく作業を要求しますが、あの、難波花月の間(ま)で東京の乾いた地口を潤すという独特の笑いは、やっぱり余人には理解の及ばぬ希有の才能であることを再確認しました。親亀の上に何十匹子亀孫亀を乗せても「親亀コケたら皆コケた」・・・キビしいもんです。その笑いの意図がハズされてしまったせいで、ただ重く深刻で見ているのがつらいだけの、逆の意味でウスい映画になってしまったのも、本当に惜しいと思いました。

 写真集で思い出しましたが、リリーさんの大学生時代を演じるオダギリ氏が、まるで春彦の再来かと思うほど、惜しげもなく色気大放出で必見です(笑)。髪型が似てるというのもあるのですが、この人生最底辺のグダグダの生活の中に「素」の自分が共鳴するらしく(ええーっ)、実に無防備で構えていないところが本当に素敵でした。原作読んでいるとここであまりにもリリーさんがダメダメなのでお母さんが可哀想になってくるのですが、オダギリ氏はたぶんこういう時今までもさらっと愛嬌で流して来たのでしょう。それが演技の裏ににじみ出ていて、なぜか憎めません(笑)。そして実はここで見せつけられる、この母子関係独特の生々しさ、関係としての未成熟さが、あとの深刻なシーンの連続を裏からしっかりと支える力となってます。
 それから、松尾脚本を介して松尾さんとオダギリ氏はカタくカタくムスばれているのがよくよくわかりますよ~(大爆笑)。公開時期が、同じく新しい笑いを追求してやまない「時効警察」と重なるので、是非多めにvvお楽しみ下さい・・・

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