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2006年12月10日 (日)

いじめっ子は英語が出来ない

 どうしたら簡単に英語の習得ができるのか。私の目下の最大の関心事はコレです(笑)。学生時代に浅学な私がぼんやり思っていた事は、例えば古典漢文も含めた日本語全般を習得するのが割と早ければ、言語学でいう所のパロールの部分がその分早期に体系づけられ、体系の違う言語を細部にとらわれず総体として見ることが出来、結果として英語を習得するのが早いかも・・・というものだったのですが(自分の経験から・(^_^;)。最近、日本人独特のもっと別な要因がある事に気がつきました。

 英語が出来ない、と言ってくる人の99%まで共通する特徴に「人の顔色をうかがう」というのがあります。別に数学やピアノを習う時だって先生の顔色はうかがうと思いますが、言語というのは最終的には自分の内面世界を表出するための道具ですから、使用目的は様々でも発信する時点では個人に帰するものです。それが相手に届いているかどうかという段階になって初めて「相手の顔色を見る」わけです。が、日本語は、膠着語という特殊な単語配列を使っているので(主語が出て、しばらくしてから述語が出る)、しばしばこの逆転が可能です。相手の顔色を見ながら途中で趣旨を変える、主語をあいまいにする、断定を推定・伝聞に変えることだって簡単です。ガイジンには「素晴しい言語だ!」と皮肉を込めてうらやましがられるのですが(笑)一方で、これでは自分の言語に対して個として向き合う、というメンタリティーがなかなか育ちません。それは、何事によらず「個としての責任は問われない」村社会のメンタリティーとぴったり合致していたのでますますそのように発展してきた、ということなのでしょうが。コミュニケーションのツールでありながら個性を表現するものではない、というのがごく普通の日本人の言語に対する認識なんだろうと思います。だから本当に妙な話ですが、日本人にとって英語で話すというのは、それが英語であるというだけで、自分を個として出さなくてはならない、いつもの自分の言語環境とはまったく違った、いわば「空手」の不安をむき出しにさせられるものなのです。

 お友達と一緒に仲良しこよしで英語塾に行ってもしゃべれるようにはならないのもそのためです。英語で話す、ということは多くの日本人にとっては「恥も外聞もかなぐり捨てる」作業であり、それは英語で話す限り延々と繰り広げられます。何でか。ガイジンにとっては「個性」として充分許容範囲のミスや発音も、「みんなの中で浮いていないか」という評価基準で自分自身を縛っている限り、もう百万年たっても合格点に達しない。文字通りしゃべればしゃべるほど「恥の上塗り」にしか思えなくなるからです。で、合格点に達するまで秘密練習に励むか、英語のしゃべれない日本人同士で英語でしゃべるかどっちかになるわけですが、それが言語であるがゆえに、ピアノや数学と違ってこの方法ではほぼ習得は望めないのもまた事実、なわけで。

 で、話がバーンと飛びますが、この「みんなの中で浮いていないか」という村社会の呪縛からいつまでも逃れられずにいる、という意味で特化した存在なのが、コンプレックスの裏返しである「いじめっ子」です。ネガティブな反応をするか、ポジティブに悪用するかの違いはあっても、それにとらわれ、他人の「目」から逃れられないでいる点では同じです。その場合、自分が「みんな」の方に入るかどうかは更にとても大切な事になります。しかし、英語という最初に結論を提示しなくてはならない(日本人にとっては)特殊な言語を介すると、語彙力や文章構成力以前に、話しながら「みんな」を探るという芸当が出来なくなります。これは繰り返しますが致命的に大変な事です。そもそも「個」としての存在が脆弱な人にとって、英語的構文で自分を表現するのは至難の業です。教員をしていた頃、よく「最初に『俺が』をつけて話して」と言っていましたが(そして最初に「俺」をつけても一人称にしなくてすむ逃げの手はいくらもあるのですが)、それで10分会話できる子は稀でした。不思議な事に、怒っている時は「俺が、俺が」を連発できるんですよね(笑)。怒りは突出したもの、一時的なものとして村では許容される唯一の「個」だったからかもしれません。怒っている時しか自分じゃないなんて「焼けたトタン屋根の上の猫」のような地獄絵図ですが、もし体力的に互角なら、そうやって海兵隊員とでも喧嘩しつつ英語を学ぶのも良いかもしれません(^_^;)

 閑話休題。つまり「英語が出来ない」というのと「いじめっ子になる」というのは日本においては同じメンタリティーの上に拠っている、という事なんですね。それなら、なかなか話せるようにならない、という事実をそれほど悲観しなくてもいいのではないかと私は思いますよ。皮肉でもなんでもなく、良くも悪くもそれが日本文化の骨子の部分なわけですから、多少のケアは出来ても骨抜きにはできない、そんな風に思う昨今です。

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