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2006年10月26日 (木)

こおろぎ

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チケットを求めてTOHO携帯サイトに日参し、今日になってやっとゲットできた端っこ~の席でようやく見て参りましたっ
「こおろぎ」 公式サイトの紹介ページへは写真からどうぞ。

脚本 岩松了
監督 青山真治
出演 山崎努 鈴木京香 安藤政信

私なんかもうこれだけでもう「見なくちゃ!」という気になってしまいますが(^_^;) 会場には、ガイジン含め関係者、映画評論家さんたちが多数つめかけていて、ここまでに見た他の作品とは明らかに違う、期待度の高さがそのまま熱気となって現れていました。

 言いたい事はたくさんありますが、まず本当に久しぶりに「監督が仕事している」映画を堪能しました。青山監督は見る度に作風が全っ然違うので、これもとても楽しみにしていたのですが、今回も、今までのどの作品とも違うスゴさがありました。何よりも、一段高いところから全てを見渡す監督がはっきりと指し示すその方向に向かって、全てが、まるでそこに吸い込まれていくかのような不思議な力で、抗いようもなく流れ込んでいくのが凄い。岩松さんの脚本ですから、どこかトリビアな上に、日常の表と裏の合間をついてくるような妙な強引さで話が進むんですが(^_^;)、その面白さを生かしつつ「隙間」はきっちり映像で埋めるという、監督の、投げ出しているように見えて実は緻密なv仕事ぶりには、ただただ感嘆させられるばかりでした。

 それから、やっぱりもう、何をおいても山崎努氏、であります。油淋鶏をむさぼり喰らう男の、その口元。テーブルを挟んで同じく鶏を食べている植物のような鈴木京香が、見つめるうちに抗いがたくその欲情を引きずり出され無理やり開かれていくさま。いきなりのように指をなめとられ思わず自分の指をも舐めあげてしまう彼女の、その赤面するほどあからさまな淫靡。それを引き出しているのが、何も見えていない筈の山崎努、なのです。盲目でしかも話せない、という男の役なので、行動と表情が全てなのですが、監督が切り取る一つ一つのショットの中で、その肩は、手は、背中は、これ以上ないほど雄弁に「男」を語っています。 飼ってみたいとも思い弄ばれてみたいとも思う「男」。この男の目に空いた暗い穴は、京香さんにとってのブラックホール・・・そんな存在に、現実の肉体と血肉を与える事が出来たとしたら、それは本当に、役者冥利に尽きるといってもいいのではないでしょうか・・・男が彼女を必要としているのではなく、彼女が男を必要としているのを、わかっていないのは彼女だけ、なのですから。

 そして京香さんは、この映画の目指す「二律背反の刷り合わせ」という部分を実は一人で背負い込まされています。彼女だけで映画が成立すると言っても良いくらいな大車輪の役どころ。それをしかし実に見事に破綻なく演じきっていました。語り手と聞き手、植物の女と生身の女、外界と村の内、ハレとケ、現世と異界、といった対立軸の真ん中に立って、自分は微塵もブレずに双方を自在に手繰り寄せては、次々と解き放っていく様子は、そのまま神話の巫女。鈴木さんだからこそ表せる、不思議な存在感でした。


 今回は女性が見て共感するところの多い映画でもあると思います。公開される日を楽しみにお待ちしております・・・






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