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2006年10月10日 (火)

ルードヴィヒ

Ludwig_main

ヴィスコンティ生誕100年祭」の「ルードヴィヒ」行って参りました。公式サイトは写真からどうぞ。

 大変典雅で華麗な映画なのに、のっけから庶民的な話で恐縮ですが、今回は完全版、の公開でした。完全版・・・240分、4時間なんですよ、間に1度15分休憩を挟むだけ!もう朝から友達とお弁当と水筒持って、出かけましたよ・・・遠足か花見かという騒ぎですが、単に映画見るだけです、すみません(笑) そして昔「ルードヴィヒ/神々の黄昏」というもう少し短いver.を見た事があるのですが、その時と大きく違うのは「周囲の人々の証言」の数のようです。ようです、というのは、つまりその時は途中でちょっと寝ちゃったからで(^_^;)、今回は気合を入れて最後まで映画の世界に浸りきる事が出来ました。

 映画界ではヴィスコンティといえばルキノ氏ですが、クラシック界では彼のおじいさん、グイド氏も有名です。あのイタリアが産んだ史上最強の名指揮者トスカニーニをスカラ座から世界へ送り出してくれた恩人、だからです。トスカニーニがいなければ、戦後のクラシック界はひょっとしたらフルトヴェングラー1色になっていたかもしれない事を考えると、個人的には足を向けて寝られないくらい、本当に感謝しておりますm(_ _)mそしてルキノ氏本人もオペラ監督で、あのマリア・カラスと組んでミラノ・スカラ座の黄金時代を築き上げたのはあまりにも有名です。つまりこの映画でルードヴィッヒがワーグナーにしていた事を、監督の家も代々やってたわけですよ・・・王のように国家財政を逼迫させるほどではなかったにしても、ヴィスコンティ家は侯爵家ですから庶民が「音楽が好き」というのとは全然桁が違います(笑)

 で、そのルキノ・ヴィスコンティ氏がこの映画で採用しているのは(たぶん)5曲。トスカニーニが発見した、ワーグナーの遺作と呼ばれる「最後のピアノ曲」(これがタイトルバックです・おそらく版権はヴィスコンティ家)、ワーグナーの「ローエングリーン」第一幕の前奏曲、同じく「トリスタンとイゾルデ」の"愛の二重唱" 、同じく「タンホイザー」の"夕星の歌"、あとシューマンの「子供の情憬」からNo.15「見知らぬ国から」も何回か。それぞれピアノ版だったりオケ版だったりしますが(歌唱ver.はなし)、4時間5曲って案外少ないですよね。しかも、ルードヴィッヒが1人で登場する時は「夕星の歌」、エリーザベトが彼のもとを訪れる時は「愛の二重奏」と、この2曲はまるでテーマソングのように繰り返し繰り返し出てきます(リンクにMIDIつけましたから宜しければお楽しみ下さい)。私に言わせると、「徹底的にロマンチックで」「何もよせつけないほど甘美な」曲、ある意味もっとも「ワーグナーらしくない」選曲なんですが、監督の描く世界にはものの見事に合っていると思います。そういえば「ベニスに死す」でもマーラーの数ある楽曲の中から5番のアダージョが選ばれていて、耳タコでしたが(笑)、やはりあの旋律なくしてはあの映画は成り立たなかったでしょう・・・私はこれ、以前見た時には「愛の二重唱」ばかり耳についたのですが、今回は「夕星の歌」を、こんなに使ってたかな~と驚きました。っていうか陛下、そのReuge製オルゴール、今でも売ってますけど庶民に取っては高嶺の花なんですから蓋開けて「手で」ストッパー外すのやめてください(T_T) 「トリスタンとイゾルデ」は今秋映画が公開されますので、オペラあまり好きじゃない方は宜しければそちらをご覧下さい。

 映画のセットも、ノイシュバンシュタイン城(白鳥城)、リンダーホフ城(鍾乳洞みたいな人口洞窟があるとこ・「オペラ座の怪人」はここから)ヘレンキームゼー城(ヴェルサイユ宮殿式の庭や「鏡の間」がある)全部本物!ヴィスコンティ家が貸してくれと言ったから撮影許可が下りたんだそうですが(^_^;)今でもこのお城はバイエルン・ロマンチック街道のメイン収入源ですから映画の力恐るべしです。映画の中でお城にかかっている絵も、皇妃の肖像画、音楽家のカメオ、ルードヴッィヒ子供時代がモデルの「太鼓を叩く少年」、あの白馬に跨ってアルプス越えする「ナポレオン」まで、当然、当時バイエルン公国の所蔵だったものばかり(今は各地の博物館所蔵)。美術史お詳しい方ならDVDでコマ送り状態かもしれませぬ。

 そして、何をこんなに長々書いているかというと、この一般人には「無駄」にしか見えない監督のこだわりが、まさしくルードヴィッヒにはすべて、だったのであり、私たち凡人がそこに寄り添うためには、王の心の継承者たるヴィスコンティ監督の出現を待たなければらならなかった、という事です。映画の中で、王を最後まで敬愛していた大佐がいみじくも言ったとおり、「義務を果たして自由を謳歌できる」のは人類普遍に与えられた自由ですが、「果たすべき義務に終わりのない」ノブレス・オブリージュを背負って生まれた「王族」には「金で買える自由」以外は望むべくもない。「人に生かされる」という底なし沼。そこに自ら呑み込まれ木偶となるか、自分の影を追って狂気の淵に身を落とすか、船を浮かべて享楽にふけるか。ニーチェの警句ではありませんが、その底なし沼をのぞく時、底なし沼もまたこちらをのぞいているのです。その孤独感、寂寥感、無力感たるや、そのまま人生に背を向けてしまうにさえ、充分な理由となるほどに。

 おそらくルードヴッィヒの周りで、その「与えられた」人生に真っ向勝負を挑み果敢に立ち向かっていったのは、エリーザベトただ1人、だったのでしょう。映画見ているとつい、「そんなに熱心に求婚しても、彼女の心はトート閣下のもの」とか馬鹿な事を考えてしまいますが(^_^;)、そうでなくても、きっと彼女はルードヴィッヒにも自分の人生に立ち向かっていってほしかったのだろうと思います。私はこの映画で描かれる意志と気品と知性にあふれ、自分を知り尽くしたエリーザベトが、他のどの芝居・舞台で描かれる彼女よりも好きです。エリーザベトという人にはこうであって欲しいとさえ思います。しかし彼に必要だったのは、「共に」人生に立ち向かうべく、差し伸べられる手、だったのです。

・・・そしてそれを我が身の痛みとして感得出来る、位階と知性と教養を兼ね備えた監督だからこそ、4時間ものフィルムを使って、ルードヴィッヒの人生そのものを愛する事が出来た。監督は天涯孤独なこの王の、時空を超えた「共犯者」なのであり、同時にこの世に王を迎え入れようと魂魄を尽くす心優しい無上の友だったのでしょう。たとえ100年以上経っていても、この映画が撮り終えられたという事は、王と監督にとって、本当に素晴しい事だったに違いありません。

私たち部外者は、そのおこぼれに預かるだけ、だとしても。


 文中のMIDI、"愛の二重唱"の方は「珈琲茶屋」様から(この方の「トリスタン語り」は三読vvの価値あり)、"夕星の歌"は「オルゴールのMIDI素材集」様からお借りしてきました。是非お立ち寄り下さいm(_ _)m

 

 

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