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2006年10月18日 (水)

ワールド・トレード・センター

325029view002 「ワールド・トレード・センター」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。
 あらかじめ断っておきますが、私は見た映画でも、つまらなかったりくだらないと思ったらここには書かない事にしています。でもこの映画は、大変ネガティブな意味で書かずにいられないので、書きます。ですのでこの映画がお気に召した方は、以下をお読みにならない事を強く希望します。

 まず、これは子供と一緒に見ました。最後2人とも助かるのがわかっているし、子供にはまだ人類の未来に夢と希望を抱いていてほしかったからです。彼は劇的な救出劇を本当に喜んでいました。そして新潟中越地震の時、がけ崩れの車内から救い出された「小さい赤ちゃん」の事を思い出して「あの子もたいへんだった?」と聞いてきました。私はあの赤ちゃんは3日もたった1人で暗闇で生きていたのだ、とだけ答えておきました。

 私がまず当てが外れたのは、この港湾警察の2人は、避難民を必死で逃がしてその結果自分達が取り残されたのだろうと思っていた事です。嘘でもいいから、ほんとうにそうやって死んでいった消防士やレスキュー隊の身代わりとして、そのぐらいのドラマはあってほしかった。映画では彼らは自分達のためのボンベを探していて取り残されただけで、避難民には誰1人会わず、1人も助けてはいませんでした。それから彼らは生き埋めになった後、生存を確認されていました。不確かながら無線が感知されたからですが、これも本来の目的とはまったく逆の「彼らだけが救われる」重要な条件となりました。実際警官は20人も救出されているそうです。彼らも、生き埋め後、1日で救出されています。家族の元へ無事帰り、手厚い保護を受けて今は元気で生きているのです。

 彼ら2人が助けられた瓦礫の下には、彼ら以外に2000人以上の死者がいました。その中の、なすすべも無くただ粛々と死んでいったごく普通の人たちの事を思うと、そのあまりの数の膨大さに、いったい警官が2人救われたからといってそれが何になるのか、という暗澹たる思いに捕らわれます。また、単に救出劇としてみても、確かに大変だったでしょうけれど、それを描くなら地震で被災した国などに行けばもっと劇的なドラマがたくさんあったでしょう。そして私が今回くだらないを通り越して怒りを覚えているのはまさにそこで、つまりこの映画は結局「壊れたビルの下敷きになった不運な人を救う話」しか描いていないのです。

 9.11は、「不幸な事故」だったのでしょうか。「事故」?あれを単なる「ビル倒壊事故」として捕え「救出劇」というお気楽な切り口を思いつくその鈍感さに、私は本当に殴りかかりたくなります。9.11は「事件」なのです。天災ではなく人災です。「何故あのビルは倒壊したのか」という事を描かなければ、瓦礫の下の人の生死は、全く意味をなさないのです。ぶつかって来たのは、人為的に操作されたジャンボ旅客機であり、それはアクシデントですらなかったのです。9.11で注目すべきは「ビルが倒れた事」ではなく「ビルが倒された事」なのです。どうしてそこから目をそらしつづけていられるのでしょうか。それでどうして「ワールド・トレード・センター」を舞台にしたと言えるのでしょうか。

 

 「ユナイテッド93」のほうが秀作であったのは言うまでもありません。しかし他の映画がどうこうより、私はこの映画を企画立案した人たち、監督脚本は言うに及ばずこの映画の製作に関わったすべての人に、まずグラウンドゼロに立ってほしいと思います。この映画に「ワールド・トレード・センター」という題をつけるなら、そこに立ってあなた達がこの映画で描かなかったすべての人の肉声を聞いてほしい。彼らのうち、誰がこれを「不幸な事故」などと思うのか、真剣に考えてほしい。そして自分を心から恥じてほしい。話はそれからだと思います。

 

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