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2006年10月

2006年10月31日 (火)

不在にします

11/8まで、ここは不在にします。
国内なので、ネットできないわけではないのですが。

久しぶりに一家眷族でのんびりして来ます〜

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北九州 ファンの集い(笑)

061028_165011 10/29(日)九州歯科大で行われる冨永監督とオダギリジョーのトークショーを見に、今回は前日から小倉入りしました。

東京にいる時から、現地にお住まいのオダギリファンのとある方が、実に懇切丁寧なメールを何度も下さって様子を詳しくお教え下さり、また地元テレビに出たオダギリ氏の映像まで下さって、おかげで何の不安もなく当日を迎えることが出来ました。会場でお会いして、整理券を取った後もお付き合い下さり、当然のようにおしゃべりに花を咲かせまして(笑)、楽しかったですv 今回は何から何までお気遣いいただき、本当に有り難うございましたm(_ _)m


061028_171822 そして写真はその前日。小倉から新幹線に乗って、何とこことリンクしていただいている小次郎さんに、お会いしに行ったんですよ。お忙しい中、小次郎さんは3名の大馬鹿者を錦帯橋という景勝地をわざわざ案内して下さいました・・・それよりも、おしゃべりに夢中になってしまったのは言うまでもありませんが(^^;)。
初めて見たのですが、この、釘を使わない橋の精巧な造りにも驚きましたが、山又山を抜けていった先にある谷間で、この河原のあたりだけがすこんとぬけたように実に広々と開けているんですよ。で大きな公園にもなっていて、山のてっぺんにはお城もあり、季節になると花見や花火大会も催される由、観光スレてなくて、それでいて時代の雰囲気も残されていて、本当にいいところでした。そして何故かソフトクリームが名物で、お茶に入ったところでもメニューとは別に「ソフトクリームリスト」なるものが出て来ましたよ・・・小次郎さんは、まるで幼稚園ママのように若くて元気なお姉様、でしたv

今回はそういうわけで、いつもなら徹夜している時間に、お世話になっている方にお会いしたり、のんびりご飯食べたり呑んだり(^^;)して、実に心豊かに過ごすことが出来ました。翌朝大学に行ったらもうかなりの方が並んでいて、座った席も真ん中あたりでしたが、楽しかったですvv

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九州歯科大トークショー(1)

最初に、舞台降りて左側に設置された大型プロジェクター(階段教室の講義で使うようなでっかいモノ)で「実録パビリオン山椒魚」が流されました。予告編も流れ、これで30分使ったら許さんぞオダギリっ(山頂にある体育館までの坂があまりにも心臓破りでした(^_^;)・・・と思い始めた頃、司会の方登場。続いて呼ばれたオダギリ氏登場。ところがとたんにものすっごい悲鳴と歓声で、つい、監督が出て来られなくなりました。そしたらそれをまるで手下を呼ぶように手を下ろしたまま指先でクイクイと招くワルギリ、操られるようにするすると登場する監督(笑)・・・後述しますが賢い学生さんたちには、もうこの2人の力関係は控え室の段階でとっくにわかっていたようです(笑)
舞台にはソファセット(シングルソファ3つ)とセンターテーブル。その上にはなんとキンジロー君が乗っかっていまして、腰を下ろしたオダギリ氏はさっそく手にとっていじり倒しています。服装は、福岡の帽子(笑)と、以前前からよく着てるグレーのソフトボートネックTシャツ(山椒魚のぢゃないです)に、キャメルのダブルフェイスのロングコート、ブラックテンセルのパンツにブーツ、でした。今回私の座席は体育館の半分より少し後ろだったのですが、先ほどのプロジェクターにドアップで映してくれていたので様子はとてもよくわかりました。そして監督は、こないだの初日舞台挨拶の時のスーツ・・・監督、毎回おんなじの着てるとワルギリになんか言われますよ(笑)

司:(まず映画について丁寧に紹介してくれました)で、今回は九州歯科大のイベントということで、この体育館でトークショーなわけですが、いかがですか?
オ・冨:・・・・・・・・(2人で黙ってお姉さんを見つめています)
(ちなみに2人ともまだ「こんにちわ」のご挨拶も言ってません)
司:あ、えっと、体育館でトークショーとかって珍しいですよね、オダギリさん!(お姉さんは早速ひとつ学習したようです)
オ:(ハンドマイクを手に)そう、ですね・・・あんま、ないですね。
司:ですよね、芸能人の方でこういう感じのはあんまりね・・・監督はいかがですか
冨:うーん、広いわりに舞台が狭いですね!(思いついて嬉しげ)
司:あ、そうですね~(あっさり流して)では監督は学生の頃大学祭には、何か思い出がおありでしょうか
冨:いや、僕はあんまりイケてない学生だったもので、学祭がいつやってたかもわからないぐらいのもので・・・(エーッ栄光の「亀虫」デビューの舞台じゃないっと全員が突っ込んでましたが、お姉さんはスルー・笑)
司:オダギリさんはいかがですか?
オ:あ・・・ぼくは大学生はやっていないんですよね。留学とかしてて。だから日本の大学生には憧れがありますね。
この後司会者が「実録山椒魚」の説明をしながら「ご覧になった方どのくらいいらっしゃいますか」と会場に挙手をお願いしますと、ちらほらと。監督とオダギリ氏、壇上でひそひそ話・・・オ「少ないですね~」冨「東京から来た人かな」オ「んな感じでしょうね~」
司:有難うございます~ で、何故監督は山椒魚を撮ろうとお思いになったんですか?
冨:まあ山椒魚が面白いから、なんですが(と、ここからいつものシーボルトのお話をして下さってました)
司:オダギリさんは北九州は初めてですか?
オ:そうですね・・・福岡は何度か来させて頂いているんですが、北九州は・・・ねぇ、空港も出来たばかりで・・・たぶん・・・初めて(笑)だと思います。
司:では北九州について、何か聞いていらっしゃる事とか
オ:北九州って・・・小倉ですよね。小倉出身の方とか・・・光石研さんも確か小倉ご出身なんですよね。あとは映画でもよく舞台になっていたり・・・
司:監督は?
冨:映画だと、監督で青山真治さんとかご出身ですよね。常浦さんとか。あと舞台になっているのでは「仁義なき戦い」の続編とかですかね。
司:今日はここに実はキンジロー君も連れてきていただいているんですが。
富:あ、それはメカキンジローっていって、作り物です
司:え?(見るからにツクリモノですから、お姉さんどう返していいかわからないっ)
冨:いいんです、作り物ですから(オダギリ氏下向いて笑ってます)
司:えー・・・映画の中ではオダギリさんの役は、最初レントゲン医師でそれがドンドン変化していくんですけど、監督はどうしてこの役をオダギリさんに?
冨:レントゲン医師がですね、えーと最後(オダギリ氏を見る→Goサインが出る)山賊になっちゃうんですが(笑)、そのレントゲン医師でありながら山賊っていうのを面白く演れる人っていったらオダギリさんしかいなかったんですね。まぁそれを演じているオダギリさんを見たいっていうか。僕はオダギリさんって昔のアメリカの俳優さんみたいだな、と思ってよくご本人にもそう言うんですが、そのたんびに「そうですか?」で終わっちゃうんですが・・・(監督fade out・笑)
司:ではオダギリさんの方は。
オ:うーん、脚本って、面白いのとつまらないのとあるんですよ。でつまらない脚本っていうのはもうどうしようもなくて、たぶんとんでもない台本と監督持ってこないとうまくいかないんだと思うんですよ。で、冨永監督の脚本は、最初読んだ時にすごく面白かったんです・・・だからどうなんだ、という感じですが。
司:(^_^;)ではお互い最初にお会いになった時の第一印象は。
冨:僕はすっごく緊張してましてですね。第一印象って言うか、ろくに何も話せなかったですね。オダギリさんは・・・なんかとても飲み方のめんどくさいお茶を飲んでました(監督、ふつーの紅茶だったら怒りますよっ・笑)
司:そうだったんですか?
オ:いや、覚えていないですね・・・どんなお茶飲んでたか、までは覚えていない、程度には僕も緊張していたという事で。
司:ではその後印象は変わられましたか。
冨:2回目はそんなに緊張してませんでしたから、だいぶかわった・・・あれ、2度目は呑んだんだっけ
オ:そう・・・でしたね。某ホテルの。
司:あ、では撮影が始まったらお2人で飲みにいかれるとかそういう機会が増えましたか?(解説しますと、この2人どう見ても普通に遊び友達にしか見えない(笑)んですよ。プライベートでも仲いいのかな、と司会の人が思っても不思議はない位くつろいでまして(^_^;)。しかし当然のことながらこの質問の意図は監督には伝わらなかったです)
冨:いえ、衣装合わせとか、本読みとかでお会いしたくらいで、もう、すぐに撮りに入ってしまいましたからね。
司:・・・ではオダギリさんのほうは、このどんどん暴走していく役なんですけれども、役作りはどういった感じで?
オ:別に・・・(笑)何も。
司:ではこう、監督の意を受けながら・・・
オ:その辺もある種適当、でしたね(笑)
司:監督、そうなんですか
冨:ええ、適当にやってくださいと言いましたので。
司:では違うところはディスカッションをして詰めていくという感じですか
オ:別にディスカッションというようなものはなかったですよ
冨:ディスカッションという感じではなく、ああいう感じ、ああなるほど、みたいな。僕達、年近いんですよ。で見ていたテレビとか共通のものが多くて、それで具体的にはこう、って名前を挙げて説明する事が出来たんですね。
司:では、特にここはこうして下さいみたいな要求とかは。
オ:強い要求、というものは出されなかったですね。
司:オダギリさんは、いろんな俳優さん出ていらっしゃいますけど、特にこの人とは是非、というのはありましたか。
オ:僕は高田純次さんとは嬉しかったですね。仕事以外でも、僕趣味で写真撮っているんですが、高田さんも撮らせて頂きました。
司:あの。レントゲンバスを正面から撮ったシーン、私大好きなんですけれど、長いですよね。ワンカットで。大変でしたか
オ:タイヘン、というより楽しかったですね~
冨:まあ撮影は5分か6分、通しで撮りましたけどね・・・高田さんって、何してくるのかわからないところがあって、(オダギリ氏に向かって)警戒・・・してたんだよね(オダギリ氏、そうそうと頷く)そしたら案外直球ど真ん中で。
オ:何が来てもいいようにいろいろ考えていたんですけど、案外大丈夫、でしたね。だって僕がNG出すわけにはいかないじゃないですか。だからそれだけはならないように頑張りました。
司:香椎さんはいかがでしたか。
オ:ん・・・清楚な・・・(と、すぐ監督に顔を向ける)
冨:(引き取って)賢い人だなぁと思いましたね。あの時はまだ18ぐらいだったと思うんですが。
司:ではあづきちゃん役を香椎さんにと思われたのは?
冨:あれは女子高生の役ですが、それっぽい人ではなく、どこかよくわからない人がよかったんですよ。彼女はいかにも映画女優っぽく美しくて、そこがとても妄想をかきたてられてよかっだてす。彼女の存在によって妄想を触発されて、っていうそういう映画ですから。
司:妄想、ですか(^_^;)
冨:ええ、そうです。彼女、香椎さんによって妄想をふくらませていく、妄想のための映画ですから。
司:・・・実は私今日こちらにうかがう時にバスに乗っていましたら、後ろの方で今日のトークショーの話題になっていまして話し声がするんですよ。「ねえパビリオンってどんな映画?」「んー何かレントゲン技師が出てきて、恋に落ちて、香椎さんのいろんな所をレントゲンで撮る話」(場内大爆笑)そうしたらもう一人の方が「ちがうよ、そのあと山賊になって、なんかよくわからないデタラメな映画」と訂正していましたが、訂正になっているかどうかよくわから・・・
冨:あ、デタラメではないですよ(きっぱり)

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九州歯科大トークショー(2)

冨:あづきはずっとぶれずに存在しているんですよ。そういうシリアスな役どころなんです。映画の中には最低一人筋の通った人がいないとおかしくなるんですがその役があづき。
それ以外は(オダギリ氏のほうをむいて)活躍する、ちょっかいを出す、などの存在が目的になるわけで。一本の映画で二つの映画の雰囲気が楽しめたらいいなと思っているんですけど。
司:オダギリさんは、すきなキャラとかありますか。
オ:笛午村の兄弟・・・ですね。でも、わかんないんじゃないですかね(客席を向いて)
司:まぁ、見逃せない役っていうことですよね
冨:あの、レントゲン医師が山賊になるわけですが、それで山奥の村に行くと、すでに山賊になっている兄弟がいるんですよ。
で、それを芳一は家来にして、なんか、凄く気に入ってましたよね~オダギリさん。撮影の合間もずっとなんかしゃべっていて。あれ、何話していたんですか。
オ:んー・・・とね、ボク、けっこうS気なんですよ
司:な、なんですか、いきなり?
オ:いやいやいや・・・で、ちょうどいいM気の2人、だったんで(笑)いたずらしてましたね~
司:あの笛午弁は、難しかったと思うんですけれど
オ:あれはもう、丸暗記でしたね。監督しか分からない言葉ですから。大変でした。
司:今でも覚えていらっしゃいますか
オ:?
司:ちょっとやってみせてくれませんか。
オ:いや、ああいう記憶は一過性のものなんで・・ええ、もう忘れました(きっぱり)
司:では監督、最後に、この映画はどう楽しめばいいのか、その楽しみ方についてお話しいただけますか。
冨:ま、どうご覧頂いてもいいわけですけれども。そうですね、なるべく幼い人を連れて最前列で見ていただきたいですね。小さい子には、この(キンジローを指さして)こういうのは結構トラウマになると思うんですよね。
それで物心がつく前に見て貰って、タフな大人になって欲しい(会場笑)。子供にとってはこれはものすごい怪獣みたいに見えると思うんですよ。あとは・・・日本に全く耐性のない人とか。
司:どういう反応が返ってきたら嬉しいですか?
冨:「2回見たよ」と言われたら嬉しいですね
司:オダギリさんは
オ:そうですね・・・ま、皆さん歯医者さん、ということで・・・麻酔でも打って見ればいいんじゃないですか(笑)
司:どこに、ですか
オ:・・・打てるところに(笑)いろいろ考えずに感じて貰った方がいいかと思うんですけれど。
司:まぁほんものにせもの、というのを越えて、とんでもない方向にデタラメに・・・
冨:いや、デタラメとは言っていないですよ(笑)とんでもなくもないです。
司:あ、では、収まる方向に収まる、という感じで
冨:ほんとの話ですからね・・・まぁにせものですけどね(笑)庭で飼うとか無理なので。
司:でもほんと、良くできていますよね~ほんもののお話のように「小さい子には間違っても見せないでください」とかなりそうです。
冨:まあやっぱり、大人の人が来るのがいいんでしょうね(笑)

司:ではここからは学生さんからのご質問にお答えしたいと思います。
歯:えと、オダギリさんにお聞きしたいんですが、オダギリさんは歯医者というものについてどういったイメージをお持ちですか。
オ:うーん、難しい質問ですね・・・ボクは、昔から「対歯医者」的な立場を貫いてきていてですね(笑)最近は大分歯の大切さが分かってきたんですけれど
あの、虫歯になると、治療して神経を抜くじゃないですか。あれ、最初から全部抜いちゃえばどうなんでしょうね(笑)そうしたら虫歯になっても痛くないし入れ歯の苦痛もないし。
もうね、日本の医療もこれだけ技術が進んでいるんですから、この中のどなたかに是非頑張っていただいて、グローバルスタンダードに(笑)推し進めていっていただければなとそんな風に思います。
歯:今後のご予定とかお聞かせ下さい。
冨:今後、ですか?うーん・・・サスペンスとかやりたいですね。いや、これもそのつもりだったんですけれど(笑)もう少しちゃんとした形で・・・
(この間オダギリ氏はマイクをオモチャにしてまして、懐に入れては雑音轟かせて(笑)慌てて持ち直してました。その様子がいかにもワルギリでかわいかったです)
犯人がわかっているのかわかっていないのか、どっちでもいいようなものをやってみたいですね
司:監督、それはいつ頃メガホンを取って・・・
冨:あ、あれって、実際にメガホンなんて使う人いないですよ。
司:いえいえ(汗)いつ頃撮ろうと決めてらっしゃるんですか
冨:決めておかなきゃいけないですかね。まぁいつか、やりたいことはやりたいですね。
司:その時はオダギリさんは・・・
冨:オダギリさんとはもう今度も是非やりたいですね。次はもう三つに分かれる位の役で。レントゲン技師から山賊やってますから、もう大丈夫ですね。
司:では続編も?
冨:いや、幸いにというかなんというか・・・(オダギリ氏がちらっとガンをトバす)あ、これネタバレになっちゃうか。とにかくこの映画は一応終わっているので、えと、続きというようなものはないです。
次、ダルメシアンとか出てくるようなのどうでしょうね<すみません、ここよく聞き取れませんでした・・・>
司:ではまたでたらめで楽しい映画になりそうですか
冨:いや、デタラメじゃないですって(笑)
司:監督は、小さい頃どんなお子さんだったんてすか(笑)
冨:いや、どんなおこさんって言われても、ボクは普通に旅館の息子でして。想像力があったというか妄想癖?って言うんでしょうかね。そういうのはあったかなぁ
で、大学入ってから一応映画とか撮り始めて・・・(fade outしかける監督)
オ:(いきなり横から)あ、この辺はあんまり突っ込んでも面白くないですよ。
司:(ホッとしたように)そ、そうですか?では、次の質問お願いしましょうか。
歯:あの差し支えない範囲で結構なんですが、オダギリさんが特に親しくしていらっしゃる方とか、教えてもらえませんか。
オ:友人ね・・・ボクね、友だちいないんですよね・・・(笑)・・・・待って下さいね、今、考えてますから・・・うーん・・・
皆さん、歯医者さん、ですよね
司:の卵、ですね
オ:(無視)ボクは学生時代の友達、っていうかボクの場合俳優養成所時代の友達なんですが、その友達はいても、芸能界の方とは一人として友達にはなれてないですね。
それはまぁ僕の側の問題というか、ボクの人間性の問題でそうなってしまうわけなんですが、まぁ、学生時代はイイゼェ!っていうことで
歯:えー、映画に音楽にと、マルチに大活躍(ここでオダギリ氏苦笑してました)しているオダギリさんですが、今後の展開はどのようになっていくんでしょうか
オ:以前から音楽は好きで、ずっとやっていたんですけれど、メジャーになるつもりはなかったですね。何故かああいう形になってしまって。
司:ヴォーカルのつもりではなかった?
オ:自信がなくてですね ・・・ギターとかで参加するつもりだったんですが、勝手さんも商売なんで何もなしではいけないんでしょうね・・・不本意ではないですよ。お互い承知の上ですが
まぁあんまり、つっこまないほうがいいですよ(と自分で〆る)
司:で、今後の展開は・・・
オ:音楽は、地道にやっていこうとは思うんですが、時間がない、んですよね。まぁここにいらっしゃる方は歯医者さんということですが、先々の仕事って、こう、決められていくものなんですよね。
で次から次へと決まっていて、間に時間がないんですよ。だから音楽的な展開、というのは今のところ遠い、ですね。役者としては、北九州出身の監督、青山真治さんの作品に次に出ます。そのくらいで後は内緒にしておきますよ。
司:お二人はこちらでお気に入りの場所とかありましたか
オ:こないだ行ったチャーハンの店が、よかったですね。博多の中州のラーメン屋さんで、おいしかったんですよ。
司:え、ラーメン屋さんで?
オ:ええ、チャーハン食べました(笑)あの、小松政夫さんがご推薦ということで光石さんが紹介してくれたんですが、分かりにくいとこで、タクシーも知らないんですよ。何かこう中へズーーっと入っていくようなとこで、連れて行って貰いました。
あと、別の店で、おいしいうどん屋さんっていうのも教えていただいたんですが、そこにも小松さんのサインがドーンと。
司:そこはどんな雰囲気でしたか
オ:居心地良かったですね。何かの合間に行ったんですけれど。
司:しかしラーメンではなくチャーハンというのは。そこでお二人サインしていらしたんですか
オ:いえ、それはしませんでしたね。あ、さっき控え室で出前とってもらったんですが、そのチャンポンもおいしかったですね(笑)
司:北九州って、名物って何なんでしょうね(会場から、いろいろ声が上がっていましたが)
会:焼きうどん!
司:あ、焼きうどん!そうそう、ここ焼きうどん発祥の地、ですもんね
オ:マッタァーーーーー!(嬉しそうにデカい声出してましたよ)
司:監督、こんな話つまらないですか。
冨:いえ、つまらなくはないですよ
司:監督は、ちなみに何がお好きなんですか。
冨:ボクは、チャーハンです
オ:エッ、監督チャーハン好きなんですか
冨:うん
オ:アーッハハハハハハハハハハハハハッ(胸のすくようなデカい声で大爆笑してました)
司:どうしたんですか
オ:いやさっき楽屋で出前頼んだ時に、ボク強制的に監督にチャーハン注文しちゃったんですよ。監督チャーハンがいいですよって。そしたら、ホントに好きだったんですね~(笑い続けてる)
冨:(後を引き取るように)いや、そのさっきのお店でも、チャーハンって頼んだら「焼きめし一丁」って店員さんが言うんですよ。何かこう、本場ならではの奥深さっていいますか、感動しましたね。
司:焼きめしってチャーハンとどう違うんですか。
冨:炒めると焼くの違い、でしょうね
オ:(復活してきて会話に参加)チャーハンは違いますよ。
司:オダギリさんは・・・
オ:ボクは、チャーハンです。
司:そろそろ〆たいと思ってるんですがでも最後がこんなチャーハンの話では・・・
オ:でも今までで一番盛り上がりましたよ(まだクツクツ笑ってました)
冨:もうあの店分かんないかな
オ:いや、あれはわかりやすいですよ。ど真ん中だし。
冨:でも誰かに連れて行って貰わないと
オ:わかんないですね。うん。わかんない。

司:・・・こんな終わり方でいいのかという感じもしますが、監督、これからご覧になる方に一言
冨:今日はこれ、何人くらいいらしてるんですか
司:え、五千人?(学生さんの声がよく聞こえなかったようす)
冨:いやいや主催者発表じゃなくて実数で。(監督なにげにスゴい事ゆってます)
司:800人くらいだそうです
冨:800・・・大ヒットですね(笑)もう、ほんとにどうも有り難うございます。
オ:監督は、ご覧の通り、とても面白い方だっていうのが今日はわかっていただけたと思います(そんな紹介の仕方もどーかと思うが)。
で、こんな面白い方が作る映画なんですから絶対面白いんですよ(笑)どうか是非チケット二枚、買って行っていただきたいと思います。
司:そうしたらもう、ヒット間違いなしですね。冨永監督がこの映画で一番言いたいことって何なんでしょう。
冨:本当のところはどうでもいい、そういう事です。
司:有り難うございました。では、これで〆ということで、ご異議御座いませんでしょうか
オ:・・・(露骨にヤな顔しましたよ)
司:ご異議・・・なければ、オダギリさん、一言「異議なーし!」と・・・(これには会場が固まっちゃいました)
オ:・・・(下向いて、見るからに相当キてまして、正直どうするんだろうとハラハラしてましたら)
冨:いや、それはネタバレですよ。やめときましょう。(監督がこの日一番すてきに見えた瞬間でしたvv)
司:そうですか。それではお二人とも、今日は本当に有り難うございました。

最後まで読んで下さって有り難うございました。
今回は監督もオダギリ氏もほんとによくしゃべって、書くのが追い付かなかったところが多々あります。申し訳ありません。
でも特に後半、学生さんの質問を受けているあたりの2人はホントに楽しそうで、久しぶりに見たオダギリ氏の楽しそうな大笑いに、こちらまで幸せな気持ちになりました。
オダギリ氏、私を小倉まで連れて行ってくれて有り難うv
そして私が必死で書き取っていた紙が無くなりかけると見るや、だまって横からスッと紙を差し出してくれたMさん、本当に有り難う!
嬉しかったですよ~

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2006年10月30日 (月)

HAZARD 舞台挨拶っ!

以下、HAZARD公式ブログからの転載です。


皆様お待たせ致しました!
11/11(土)『HAZARD』公開記念初日舞台挨拶を予定しております。
チケットは4日よりチケットぴあさん他にて販売開始になります。
さてさて、気になる初日を記念した舞台挨拶の登壇者(予定)は……

園子温監督
オダギリジョーさん
ジェイ・ウエストさん
深水元基さん(以上予定)

監督、出演者3人集まって頂き本当に嬉しい限りです。
是非、お楽しみにしてください。 公開まであと12日です。


*チケットの販売方法をご確認下さい。

【チケット販売方法】
11/4(土)よりチケットぴあにて、11/11(土)の初日舞台挨拶チケットを発売開始いたします。初日舞台挨拶にはこちらのチケット以外は一切ご利用いただけません。
●料金:2,000円(税込)
●座席:全席指定席
●日時:11/11(土) 10:40の回終映時/ 12:55の回開映時
●枚数制限:お1人様、2枚まで
●11/4からの販売方法:  
電話予約 0570-02-9999(音声認識予約)  店頭直接購入      
・電子チケットぴあ店舗にて10:00より発売   
・ファミリーマート/サークル K・サンクスにて、発売初日は 12:00より発売。   
(2日目以降は10:00より)  電子チケットぴあにて10:00より発売
●チケットに関するお問合せ:0570-02-9111 (10:00~18:00)発売は4日です。




昨日九州歯科大から帰ってきたばっかりなのですが
また激戦か~(^_^;)
歯科大のトークショウの模様は今晩あたり頑張ります。。。


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2006年10月28日 (土)

百年恋歌

Top_1 「百年恋歌」<最好的時光>"Three Times"見てきました。公式サイトへは写真からどうぞ。

 1911年、辛亥革命前夜の台湾から、2005年の台湾までの約100年の時の流れの中に浮かぶ、3組のカップルの「想い」を描いた作品。同じ俳優が演じていますが役柄としての関連はありません。侯監督最新作です。

 原題が日本語、英語、中国語と3つあるんですが(^_^;) 中国語の題「一番良かった頃」がやはり一番しっくり来るように思います。一話目(1966年前後)と二話目(1911年前後)は特に、画面のこちらでそのシーンを懐かしく思い出している「第三者」の存在を強烈に感じさせる、独特のカメラワークです。誰かの頭の中にだけ残る映像を美しく取り出して魅せたようなショット。その恋をしていた時にはわからずにいた、でも今も強く心に焼き付いてはなれない何気ないしぐさ、ふとした表情、そしてこちらにまっすぐに向けられていた瞳・・・取り出されて来る一つ一つのシーンの、その完成度の高さにはため息しか出ません。それを見て、状況も設定も全く違う自分の中の「一番良かった頃」が切々と思い出される人も、いるかもしれません。そしてこの二つの話を監督は、小気味良いほど確固たる姿勢で迷うことなく撮っていて、そこに少しの迷いも不安もなく、観客は何も考えずすべてをあずけてその世界に酔いしれる事が出来ます。特に第二話、まるで川端康成の小説のように、硬くひそかに閉じられた世界の中に繰り広げられる、この上なく繊細で美しい人の心の綾なす織物。手をふれたと見る間にはかなく脆くくずれさっていったその錦紗は、彼らの身の内を焼き滅ぼすかのような激しく強い想いによって、さらにその残像を輝かせていたのでしょうか・・・あの胸かきむしられるほど激しい「恋歌」に応えて余りある、青年の「絶句」。私は自分がこっちの世界に帰って来れなくなるんじゃないかと思うほど(^_^;) 陶酔しました・・・

 でもたぶん、この映画の中で一番高く評価されるのは第三話、でしょう。映像の美しさでは今更何も言う事はない侯監督の、もうひとつの魅力、「火事場の馬鹿力」とでも呼びたくなるような(^_^;)突発的な、たぶん監督も意識していないとてつもない底力が、この話では映像のそこここからぶぁーーーっと溢れ出て来ているからです。何となくイメージで、静かな穏やかな監督・・・とか思っていると、時々こうして後頭部をグワンとしたたかに殴りつけられるのですが(笑)、侯監督の凄さはまさにこっち、なのでしょう。どうしてこんな絵が撮れるのか。っていうか、どうしてこのシーンが「こんな風に」見えてくるのか。ふっつりと切られた映画の最後同様に、監督は「まだ続く」、は、本当に嬉しくもありますます楽しみでありました。

 そしてこの映画を背負って引っ張っていっているのは確かに舒淇さんの方で、彼女はその重責を見事に果たしていましたが、私はもう張震氏に目が釘付けでした(^_^;) あの「ブエノスアイレス」で忘れられない「不思議な青年」が、何と素敵な俳優さんになった事でしょうか。こんなに美しいのに、衒いも気負いもなくまっすぐに「市井の人」を演じきる、その性根の座った役者魂にはびっくりです・・・うっとり。今度彼が、囲碁界の革命児「呉清源」を描いた映画に出るんですが、きっと、まるで仙人のような「普通の若者」を、存分に魅せてくれることでしょう。楽しみです~~~


<追記>
10/29まで、ここはお留守にします・・・出先からは投稿はできても、TBもコメントも受け付けられません。申し訳ありませんm(_ _)m

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2006年10月26日 (木)

こおろぎ

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チケットを求めてTOHO携帯サイトに日参し、今日になってやっとゲットできた端っこ~の席でようやく見て参りましたっ
「こおろぎ」 公式サイトの紹介ページへは写真からどうぞ。

脚本 岩松了
監督 青山真治
出演 山崎努 鈴木京香 安藤政信

私なんかもうこれだけでもう「見なくちゃ!」という気になってしまいますが(^_^;) 会場には、ガイジン含め関係者、映画評論家さんたちが多数つめかけていて、ここまでに見た他の作品とは明らかに違う、期待度の高さがそのまま熱気となって現れていました。

 言いたい事はたくさんありますが、まず本当に久しぶりに「監督が仕事している」映画を堪能しました。青山監督は見る度に作風が全っ然違うので、これもとても楽しみにしていたのですが、今回も、今までのどの作品とも違うスゴさがありました。何よりも、一段高いところから全てを見渡す監督がはっきりと指し示すその方向に向かって、全てが、まるでそこに吸い込まれていくかのような不思議な力で、抗いようもなく流れ込んでいくのが凄い。岩松さんの脚本ですから、どこかトリビアな上に、日常の表と裏の合間をついてくるような妙な強引さで話が進むんですが(^_^;)、その面白さを生かしつつ「隙間」はきっちり映像で埋めるという、監督の、投げ出しているように見えて実は緻密なv仕事ぶりには、ただただ感嘆させられるばかりでした。

 それから、やっぱりもう、何をおいても山崎努氏、であります。油淋鶏をむさぼり喰らう男の、その口元。テーブルを挟んで同じく鶏を食べている植物のような鈴木京香が、見つめるうちに抗いがたくその欲情を引きずり出され無理やり開かれていくさま。いきなりのように指をなめとられ思わず自分の指をも舐めあげてしまう彼女の、その赤面するほどあからさまな淫靡。それを引き出しているのが、何も見えていない筈の山崎努、なのです。盲目でしかも話せない、という男の役なので、行動と表情が全てなのですが、監督が切り取る一つ一つのショットの中で、その肩は、手は、背中は、これ以上ないほど雄弁に「男」を語っています。 飼ってみたいとも思い弄ばれてみたいとも思う「男」。この男の目に空いた暗い穴は、京香さんにとってのブラックホール・・・そんな存在に、現実の肉体と血肉を与える事が出来たとしたら、それは本当に、役者冥利に尽きるといってもいいのではないでしょうか・・・男が彼女を必要としているのではなく、彼女が男を必要としているのを、わかっていないのは彼女だけ、なのですから。

 そして京香さんは、この映画の目指す「二律背反の刷り合わせ」という部分を実は一人で背負い込まされています。彼女だけで映画が成立すると言っても良いくらいな大車輪の役どころ。それをしかし実に見事に破綻なく演じきっていました。語り手と聞き手、植物の女と生身の女、外界と村の内、ハレとケ、現世と異界、といった対立軸の真ん中に立って、自分は微塵もブレずに双方を自在に手繰り寄せては、次々と解き放っていく様子は、そのまま神話の巫女。鈴木さんだからこそ表せる、不思議な存在感でした。


 今回は女性が見て共感するところの多い映画でもあると思います。公開される日を楽しみにお待ちしております・・・






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オダギリジョーin九州

061026_095012_m2

けさ、オダギリ氏、九州の地元テレビに出演したんだそうで、ご覧になった方が、動画と写真をお送り下さいました~有難うございますm(_ _)m
以下、レポートつきお写真ですvv



「いつものアンニュイな風情なオダギリさん、基本は『目線は下』 いつにも増してハイに喋り倒す司会のお姉さんと地元ネタで盛り上がる光石さん、映画の内容に関 して一言喋りを与えられた監督、それらの話題にスローなペースで絡むオダギリさん!でした。」


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「冒頭の『おはようございます!オダギリです』

さすがにこの時は、カメラ目線でしたf^_^;」












舞台挨拶で「体調悪そうだった」と感想書いてる方がいらしたので心配していたのですが、とりあえず元気で仕事しているみたいでホッとしましたv オダギリ氏、おすぎさんの「映画評」読んでたんですね~(笑)
日曜日、九州歯科大のトークショーには馳せ参じるつもりでおります。お近くの方、どうぞ宜しくお願い致します m(_ _)m

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2006年10月25日 (水)

グラフィティ

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「東京国際映画祭」今年はなかなか盛況のようです。かくいう私も「グラフィティ」見てまいりました。公式の紹介ページへは写真からどうぞ。

 ついこの間、画学生中心の「ハチクロ」見たばかりなので、この話の主人公も何だか伊勢谷氏演じる森田と重なり、それもまた楽しかったです。この人も卒業がアブナくて(笑)ネタを探しにスケッチ旅行に出るんですが、ど田舎で「文化の香りにあこがれる」町の実力者に見込まれ、壁画を描くことになります。注文は町の幹部たちの肖像を中に入れる事。ところが「死んだ身内も一緒に描いてくれ」という要望をひとり受けたら、あとからあとから次々に村人が現れ、だんだんタイヘンな事に(笑)なって行きます。
 主人公の画学生、この写真のイケメン兄さんは、モスクワの街でもストリートペインター?として体を張って(笑)街中の壁に描き散らしています。最初に出てくるこの場面は、実に強烈に雄弁に、彼の心の内を語っています。「俺は何がしたいんだろう」「俺はいったい何なんだろう」。彼自身にとっては鬱屈とした、しかし世界のどこにいる若者も抱く悩み。その彼がモスクワで描いていた壁画は、表現者たる彼の作品であり、彼の「絵」です。一方でこのど田舎で彼が頼まれた壁画は、同じ壁に描いたものであっても、彼にとっては「こんなものは絵じゃない」筈です。似せて描くだけですから。
 そういえば、この映画にはオダギリジョーが演ったらきっと面白いだろうなぁというような、個性的で切れ味鋭い、っていうかもう既にキレちゃった(笑)人がたくさん出てきます。ちょっとアキ・カウリマスキの笑いを髣髴とさせるような、トンデモ人間ばかり。でもとても愛着のわくいとおしい人ばかりです。それぞれが「俺はいったい何なんだろう」と模索し続けている、という点では若者です。

 で、私がこの映画をとてもとても気に入ったのは、「とにかく撮りきる」という監督の姿勢です。長い(笑)。長いんですよ~興行というイヤラしい視点で見れば、「ここでENDにすれば盛り上がるのに」「ここで終わりならキリがいい」というポイントが途中いくつもあるんですが、まだ先へ行く。ひょっとして途中ちょっとダラダラしちゃっても(^_^;)更に先を撮る。そして出てくる人たちのすべての物語を最後の最後まで撮りきる。彼らのそれぞれが「自分は何であるか」ではなく「自分には何ができるか」という問いをつかみ、それに向き合い、それぞれの「自分」から一歩足を踏み出す所までを、全部撮る。画学生が、自分の壁画に涙する人たちを見て心奮わせる、その様子がどんなにありきたりでもベタでも、それが画学生にとっての真実なら、映画としての効果構成はそっちのけで、撮る。汲み取りバキュームカーのデートも、ダチョウの憂鬱と逡巡も、どれもこれもネタとしてはひょっとしたら既視感満載のありふれたもの、かもしれなくても、衒う事も逃がす事もせず、撮り切る。全部、撮るんですよ。ひとつ残らず。そのおかげで、大笑いし涙を流しながら見ている観客の中で、小さなど田舎の村の半年は、「1800円で感動をもらう」といった類の商業的やり取りを乗り越え、確実な重さと厚みをもって「そこにあった」半年になる。自分の心の内に「自分とは何か」といった無意味な迷路を作り出し自虐的に「文化の香りを楽しむ」、救いようのない暗愚に陥った人たちから見れば、映画の中の「若者」と同じく「今、自分にできる事」を着実にやり遂げている監督は、監督として本当にまぶしく映ると思います。

 グルジア生まれのアルメニア人である監督のイーゴリ・アパシアンは、国際的にも評価の高いベテランであるそうですが、現在を模索中の若い監督ではなく、映画の何たるかを知り尽くした監督がこういう映画を撮る、ことに驚嘆します。これが日本で公開される日を、心待ちにしております。。。。終映後の記者会見の模様はこちら

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2006年10月24日 (火)

サラバンド 

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「サラバンド」見て来ました。公式サイトへは写真からどうぞ。

 名匠ベルイマンが最後の作品として(と自分で言ってました)選んだのは、人生の終焉についての考察、でした。死にゆく御大とそこへたまたま訪れた元妻が、御大の息子と孫の確執を抜群のチームワークで解きほぐし、難が終わった後は再び何事も無かったようにばらばらの生活に戻る、という、見ようによってはとても不思議な寓話のような物語。しかし描かれているのは紛れも無く、現代の人間関係の中に浮かべられた「老い」のひとつの姿です。

 私はまず、世代としてとても近いこともあり、御大の息子の物語、チェロを教える父と娘の確執、厳格な御大と息子の確執、の話にとても引きつけられました。父は、妻を亡くした悔恨から立ち直れないまま、娘の才能により固執し妄執し、異常なまでに執着します。その不器用というにはあまりにもゆがんだ愛の形は、彼自身が父(御大)から拒絶され続けた孤独を克服できないでいる「弱さ」から来るものです。人によってはこの「息子」に全く感情を寄せる事が出来ないかもしれないくらい、世間的にはまさに「危険な父親」ですが、でもその「弱さ」を、主に死んだ妻アンナの目を通して、監督は実に繊細に注意深く庇護しています。これがなければ、ほんとうにこの映画は薄っぺらな、通り一遍の、音楽家デビュー物語に成り下がる所だったことを思えば、監督の期待に応えこの人間の闇を一手に引き受けた息子役のポリエ・アールステッド(カールおじさんの人です)の怪演にはまず心からの拍手を送りたいと思います。

 そしてその「音楽」ですが。音楽を通じた2人の人間の確執を描くとなれば、どれだけの旋律が入り乱れる事かと、古今のこの類の映画を見た人なら相当身構えると思いますが。・・・一切、無いです。「サラバンド」だけ。映画は音楽に語らせるのではなく映像に語らせなくては反則、だと思いますので私はこの点でも監督に賛成です。たとえば昨日見た某映画はラストに小田和正の「言葉に出来ない」を流して観客を泣かせていましたが、それがやりたいなら、明治生命のCMを見るまでもなくぶっちゃけ写真一枚で事足りるのです。音楽の力は、それを「借りて」しまえば何だって出来てしまいますが、そのかわり当然の権利として賛辞をもすべて奪っていくものなのです。「借りた」が最後、その映画が表現したものはすべて音楽に乗っ取られてしまう。言いたいことを映像で表さず歌にこめてしまうなら、それは最早映画ですらなく、せいぜい長い長いプロモーションビデオ(笑)でしょう。音楽は「使わ」なくては。
 でこの映画で使われている「サラバンド」という曲は、美しい名前がついていますが、チェリストやバッハ好きならともかく、それほど一般の人が耳にする曲ではありません。とても地味で、堅実で、深い内省を誘うかのように所々に挟まれる七度の音が、いわゆる教会音楽の華やかさとは別次元の哲学的な「崇高さ」をもたらしている・・・のは確かなんですが(笑)、正直見る前は、バッハのチェロ曲なら他に使えるのがいっぱいあるじゃない、とまで思っていました(^_^;) ところが監督は、コノ曲に、この映画で今までどんな演奏家も音楽評論家も思い付かなかった新しい解釈を施しているんですよ。その「崇高さ」を逆手に取った「手の届かない遠く」というイメージ。残されたものの側の寂寥と、その荒漠とした心象風景。どのシーンで使われているのかあえて伏せますが、いや、そう来たか~と私は映画見ながら感動ついでに監督に土下座したくなりました。ゴッドファーザーⅢのラストシーンで、それまでほとんど注目されていなかったイタリアオペラの小品「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲が一躍世界的な脚光を浴びた時と同じ。音楽は映画に「使われて」初めて生きるのです。 
 ついでにいうと、財産だけはある偏屈者の御大が別荘に引きこもっている時、聴いているのがブルックナーっていうのは、これから山場という時に「運命」の「ダダダダ~ン」が流れてくるのとおんなじくらいベタでがっくり、だったんですが(笑)、この日ご案内させて頂いた監督と同じ生まれ故郷のガイジン紳士ははじめて聴いた、いい曲だとおっしゃってましたから、あれが耳タコなのは一部日本のマニアだけなのかもしれません・・・私はワーグナーとブルックナーはコワくて手が出せてません(笑)

 そして最後になりましたが、上の写真は映画のワンシーン、ではなく撮影中の一こまです。公式に行くとこんな写真がいっぱいあります。そして最初のタイトルロールではこの映画は監督の4番めの奥様に捧げられていますが。映画の中で御大の元妻を演じているこの写真の女性は、何を隠そう監督の元愛人、なんですよ~(^_^;)御大が彼女に向けるまなざしと、カメラのこっちで彼女を見つめる監督の目が時々重なって、それを彼女自身が楽しんでいるようにも見えます。役だから演技だからと肩肘張らない自在な出し入れ。阿吽の呼吸。確固たる歩み。刻まれていく共同作業。互いをパートナーとして尊敬しつつも、自分は自分として引き受ける。それがお互いに出来ている限りは・・・社会の中の個、ではなく、個人的な結びつきの中に自分の存在を見出す現代においては、こんなたよりなくものどかな(笑)老いが、生きる知恵であるのでしょう。 
 映画は、切り立てられたように容赦なく残酷で、2人はむしろ老いてなお人生から逃げずに真正面からぶつかっていっているのですが、それでも、その行く末には今まで感じた事のないような穏やかで静かな明るさを感じて、私はほんの少し、心安らぐ思いがしたのでした。

 




 
 

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園監督"HAZARD"を語る

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シネマトピックスで、園監督がインタビューに答えてイロイロ語っておられます。元記事へは写真からどうぞ。以下抜粋。

―衝動的なものの中にも、なにか反社会性みたいなものを感じたんですが、やっぱりそれは9.11の直後ということであの事件がこの映画に影響を与えていたりしたんでしょうか?
うーん・・・逆に邪魔でしたねぇ。反社会性というか、僕の大好きな『明日に向って撃て』とか、『俺たちに明日はない』とか『タクシードライバー』とか僕の中の大好きなそういったアンチ・ヒーロー型のアメリカ映画みたいなものをやりたかったんですね。確かにアンチ・ヒーローということは反社会的かもしれないけど、もうすでにファンタジーですよね。僕が同じものをつくりたいっていうなぞり方をしたんですよ。だから、ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンがどっかの銀行強盗するみたいな、ああいう感じでやりたいなっていう。だから反社会的って言えば、反社会的かもしれないけど、ディズニーランドのカリブの海賊と同じで、カリブの海賊も反社会的な存在ではあるけど、でも今ああいうことをやることはファンタジーになるじゃないですか。それと同じですね。今やってるジョニー・デップのあれ(パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ)だって、反社会的なことやってますけど、ノリはそれと同じですよね。だから、反社会的なことやっているようで、反社会的なことをやろうとしている映画ではないんですよね。
―オダギリさんをキャスティングしたのもそういったところですか?当時オダギリさんて、今ほど知名度はないですよね。
ないですね。素朴でウブな田舎の少年でした。泥がついてましたね、靴に(笑)。田んぼのあぜ道歩いてきたみたいな(笑)
―(笑)。
そこがよかったんじゃないかな。垢ぬけてない感じがあって、主人公にそっくりじゃないですか。で、なおかつこれからハザードを歩みたい顔をしてたんで、そういうとこもそのままなぞれるというか。彼はアメリカ生活もあるしね。だから全部事前的なものになれる、そう思ったんですね。
―オダギリさんとはこの後の『夢の中へ』と「時効警察」でも一緒にお仕事されていますけど、やっぱりオダギリさんには一緒に仕事をしたいという何かがあったんでしょうか?
ないです。
―えっ?(笑)。
全然ないです。ただの飲み友なんで。しょうがないなぁって感じで。出してやるかぁみたいな。
―じゃあ「時効警察」とかも?(笑)
まぁ、オダギリくんが呼んだからしょうがないなって。
―あぁ、そうなんですか(笑)。
毎回オダギリ君もインタビューで僕のことひどいこと言ってるんで、僕も仕返ししてやるってつもりで今言ってますけど(笑)。だから今の・・・ちょっと嘘でした(笑)
―先にも出た、オダギリさんのオープニング曲の『HAZARD』ですが、それはもともと使う予定のものだったんですか?
いや、彼が撮影中に、「音楽決まってんですか?」って言うから、「いや、決まってない」ってなりまして、「ちょっと作ってきちゃったんで、聞いてください」って言われたんですね。・・・その頃「聞いてください」なのに今は「聞いてよ」だけど。


園監督、いつの間に田代ま○しになっちゃったんですか~(笑)
うーん、船橋監督の時も思ったんですが、日本の映画畑出身の監督って、どうしてこう「映像で表す」のが下手なんでしょうね。映画について監督が語っているのを聞いて「そんな風には撮れていないです、全然!」と突っ込んだ事が今まで何度あったでしょうか・・・出てきた映像を自分に都合のいい記号としてしか捉えられないのか、対観客というコミュニケーションの中で自然発生的に湧いてくる映像の輻輳的な意味について、思いが至らないのか、管理する能力が無くて責任を放棄しているのか、それとも、そもそもご本人にコミュニケートする力がないから「映像に語らせよう」としているのか・・・そこを「深い味わい」「重層的なメッセージ」と好意的に解釈して監督を育てて「あげる」ことももちろん大事ですが、CM畑出身の石川寛監督、中島哲也監督の撮る、内包するメッセージの「出力技術」に長けた、監督と観客を結ぶ媒体として類を見ない完成度の高さを見ていると、いいかげん、「未来への投資」をするのは嫌になってきますね・・・

詩人の路は隘路、と相場が決まっているようです。

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2006年10月22日 (日)

Dear Pyongyang

Dpsub 「ディア ピョンヤン」見てきました。公式サイトへは写真からどうぞ。

 今年秀作続きのドキュメンタリーで、またひとつスゴい作品に出会ってしまいました。この写真の方、いかにもな笑顔を向けてくるごくふつーの「大阪のおっちゃん」(笑)ですが、実は恐れ多くも朝鮮総連の元大幹部さんで、これは何とそのお嬢さんが老いた父と母の日常をそのまま撮った映画なんです。こう書くと、只今ニュースの渦中にある国、朝鮮総連そのものもたいへん厳しい選択を迫られている昨今、さぞやご両親の生活からは在日の、あるいは北朝鮮の、政治的歴史的背景がイタイタしく浮き彫りにされるか・・・と思いますが。えー、断言します。そんなワザトラしいものは一切ありませんっっっ(大爆笑)。ひとたびおっちゃん、おばちゃんとなれば、やはりどこに住もうと誰といようと基本は同じ、その「わが道を行く」姿勢(笑)は、もう万国共通どこへ行ってもおんなじですvv しかし実はそれが、本当に、この映画の超弩級にスゴいとこ、なんです。

 このあいだ麻生外務大臣が、北朝鮮の核実験は失敗だと(大臣が)考える根拠は何ですか?と聞かれて、にこっと笑って「うーん、だってもし成功してたら、いつものあのおばさんがパーンと放送しそうなもんじゃない?」 場内大爆笑だったそうですが、いや、「おばさん」って、あの方は北朝鮮国営放送にたった2人しかいない、超エリートアナウンサーですからっ大臣っっ(笑) でもその場の「無意味な警戒感」「疑心暗鬼の闇」を払拭するのに「おばさん」の一言は強烈な効き目がありましたし、もちろん大臣はそのあたり折込済、なんでしょう。

 イデオロギーや独裁者という壁の隙間から中を覗いて見ると、北朝鮮は世界の流通貿易に乗せる駒を持たない「取り残された産業国」であり、近年不運な凶作に三度も見舞われた国であり、今は強大な政治力で押さえ込んでいるものの、いったん内乱でも勃発すればいつ難民認定されてもおかしくない貧窮のどん底にあえぐ国民を抱えた国、です。そこへ息子を送り込んだ父の気持ちは、遠くは満州にブラジルに息子を送り込んだ父親のそれと同じ筈ですし、近くは自分の信じた会社・銀行に裏切られだまされ慙愧の涙に明け暮れる父とまったく同じ涙です。父は、間違う。その永遠のテーゼが、一見どう扱ったらいいかわからないほど大きな舞台装置・独裁者国家北朝鮮と在日朝鮮人世界を背景に、いとも鮮やかに目の前に立ち上がります。そこにあるのはもはや記号と化したイデオロギーでも政治的偏向を糾弾される施政でもなく、ひたすらに生きていくべく放り込まれたのっぴきならない舞台。それは今、世界中の父親が立たされているのと寸分変わらぬ、生きる悲哀と悔恨をにじませた舞台なのです。

 ひょっとしたらこのアボジが苦しんでいた「悔悟」は、しなくてもいいものだったのかもしれません。それ以前にそもそも悩む事自体が間違っていたのかもしれません。悪の片棒を担いでおきながら今更何を言うかと、映画を見て鼻白む人もいるでしょう。しかし父は、間違うのです。間違うものなのです。それを真正面から辛辣に強烈に(^_^;)暴き出して尚、暖かいまなざしを向け続ける監督に、観客はひとつの答えを見出せる・・・かもしれません。

 拉致も核実験もまったく出てきませんが、人類普遍の「おっちゃん」の後姿を描いたドキュメンタリーとして、お父さん達には特に見てほしい映画、でした。渋谷シネ・ラセットで大好評ロングラン中、宜しければ是非どうぞ。

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2006年10月20日 (金)

ブラック・ダリア

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「ブラック・ダリア」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

 いや、びっくりするほど見ごたえのある掘り出し物級の映画でした。面白かったですよ~小さな事実がパズルのピースとなってある日突然事の全容が一挙に解明されるという、ミステリーファンが最も「作者との勝負」に燃える展開vvで話が進みます。最初から全神経を集中し、出てくるヒントを1つも見落とさなければ絶対勝てますから(笑)これからご覧になる、腕に覚えのある方は、 是非ミステリーの醍醐味を堪能して下さい。私はある人物の裏切りだけは早い段階で気づく事が出来ましたが、犯人候補者が次から次へと(笑)出てくる中で、そのヒントを一つ一つ積み重ねて最後に導き出される(見せられる)あまりの結末に、正直吐き気と、同時に涙が止まりませんでした。何気ない会話、クローズアップされるさまざまな小物、見慣れた方なら「え、これは?」とひっかかるような箇所、そのすべてがことごとく重要な「ピース」となってきます。ひとつの無駄もありません。くれぐれも見落としなさいませんようにv

 ところが、これがまた集中力を持続するのがホントに難しい映画なんですよ・・・映像が優美で華麗で、思わず陶然となってしまう。そんなとこでうっとりしてちゃ絶対ダメなんですが(笑)もうため息出るくらい美しい。デ・パルマ監督独特のあの優雅で大胆なカメラワークも見事に健在で、ショットのひとつひとつに、いちいちグワンと胸倉をつかまれ、胸かき立てられてしまいます。実は今朝、ワイドショーでおすぎさんがこの映画の美しさを絶賛してました。当時の風俗としてレズ関係というのは外せないので,おすぎさんにとってはたぶん見るに耐えない唾棄すべきシーンがてんこ盛り、だった筈(実際見たら相当強烈でしたし ^_^;)なんですが、それでも褒めちぎらずにはいられない巧緻を極めた映像美・・・ええ、もうその足で、見に行きましたともvv 役柄で普段朴訥なジョシュ・ハートネットがソノ場になると(写真)一転してどきどきするほど扇情的な色気を惜しげもなく「打ちこんで」いて、ポイント高い原因の1つは絶対これだと私は確信していますが(笑)、それ以外にも、昔のハリウッド映画のように華麗なアップを重ねられていく女優陣、あの「アンタッチャプル」を髣髴とさせる見事に計算されつくした色彩とトーンの連続、耳奪われるスゴイ歌唱力の歌手、もはや独壇場ともいえる「ストップモーション」・・・うっとりするなというほうが無理ですvv うっとりしてちゃダメなんですけど(笑)


 監督の術中にハマって何がヒントで誰が誰をだましたのか全部見落としてしまった方(^_^;)、それもある意味この映画のよさを満喫した事になると思いますvv 最近の映画だと「インサイド・マン」と「親密すぎるうちあけ話」を足して2を掛ける、くらいの緊迫感と濃厚さ。2時間で映画2本分の頭を使い心が揺さぶられますので正直疲れますが(笑)、宜しければ是非。

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2006年10月18日 (水)

ワールド・トレード・センター

325029view002 「ワールド・トレード・センター」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。
 あらかじめ断っておきますが、私は見た映画でも、つまらなかったりくだらないと思ったらここには書かない事にしています。でもこの映画は、大変ネガティブな意味で書かずにいられないので、書きます。ですのでこの映画がお気に召した方は、以下をお読みにならない事を強く希望します。

 まず、これは子供と一緒に見ました。最後2人とも助かるのがわかっているし、子供にはまだ人類の未来に夢と希望を抱いていてほしかったからです。彼は劇的な救出劇を本当に喜んでいました。そして新潟中越地震の時、がけ崩れの車内から救い出された「小さい赤ちゃん」の事を思い出して「あの子もたいへんだった?」と聞いてきました。私はあの赤ちゃんは3日もたった1人で暗闇で生きていたのだ、とだけ答えておきました。

 私がまず当てが外れたのは、この港湾警察の2人は、避難民を必死で逃がしてその結果自分達が取り残されたのだろうと思っていた事です。嘘でもいいから、ほんとうにそうやって死んでいった消防士やレスキュー隊の身代わりとして、そのぐらいのドラマはあってほしかった。映画では彼らは自分達のためのボンベを探していて取り残されただけで、避難民には誰1人会わず、1人も助けてはいませんでした。それから彼らは生き埋めになった後、生存を確認されていました。不確かながら無線が感知されたからですが、これも本来の目的とはまったく逆の「彼らだけが救われる」重要な条件となりました。実際警官は20人も救出されているそうです。彼らも、生き埋め後、1日で救出されています。家族の元へ無事帰り、手厚い保護を受けて今は元気で生きているのです。

 彼ら2人が助けられた瓦礫の下には、彼ら以外に2000人以上の死者がいました。その中の、なすすべも無くただ粛々と死んでいったごく普通の人たちの事を思うと、そのあまりの数の膨大さに、いったい警官が2人救われたからといってそれが何になるのか、という暗澹たる思いに捕らわれます。また、単に救出劇としてみても、確かに大変だったでしょうけれど、それを描くなら地震で被災した国などに行けばもっと劇的なドラマがたくさんあったでしょう。そして私が今回くだらないを通り越して怒りを覚えているのはまさにそこで、つまりこの映画は結局「壊れたビルの下敷きになった不運な人を救う話」しか描いていないのです。

 9.11は、「不幸な事故」だったのでしょうか。「事故」?あれを単なる「ビル倒壊事故」として捕え「救出劇」というお気楽な切り口を思いつくその鈍感さに、私は本当に殴りかかりたくなります。9.11は「事件」なのです。天災ではなく人災です。「何故あのビルは倒壊したのか」という事を描かなければ、瓦礫の下の人の生死は、全く意味をなさないのです。ぶつかって来たのは、人為的に操作されたジャンボ旅客機であり、それはアクシデントですらなかったのです。9.11で注目すべきは「ビルが倒れた事」ではなく「ビルが倒された事」なのです。どうしてそこから目をそらしつづけていられるのでしょうか。それでどうして「ワールド・トレード・センター」を舞台にしたと言えるのでしょうか。

 

 「ユナイテッド93」のほうが秀作であったのは言うまでもありません。しかし他の映画がどうこうより、私はこの映画を企画立案した人たち、監督脚本は言うに及ばずこの映画の製作に関わったすべての人に、まずグラウンドゼロに立ってほしいと思います。この映画に「ワールド・トレード・センター」という題をつけるなら、そこに立ってあなた達がこの映画で描かなかったすべての人の肉声を聞いてほしい。彼らのうち、誰がこれを「不幸な事故」などと思うのか、真剣に考えてほしい。そして自分を心から恥じてほしい。話はそれからだと思います。

 

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2006年10月17日 (火)

HAZARD 壁紙

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HAZARDの公式サイトが動き出してまして、公開劇場とかブログとか見られるようになっています。壁紙も、先日ここに貼ったタイプと、↑のタイプと2種ダウンロードできるようになっています。写真から公式サイトへ飛べますので、宜しければ是非どうぞ。

そして今日初めて気がついたんですが、HAZARDのロゴの中には、オダギリジョーという文字が刻まれているんですね~ホントに主役なんだぁ(コラ)。いや、今までここまで特別アツカイしていただいてるのは見た事なかったので・・・これからこの映画関連の資料には、本人写ってなくても(^_^;)名前は載るわけですねvv もうそんな事でヨロコンでいる場合じゃないほど、「4年前」からは想像もつかない、雲上人になっちゃいましたが。

プロフィール、に載せられている当時のオダギリ氏の横顔には、どんなに若くても戸惑っていても、確かに今に通ずるものが見え隠れしている、ような気が、します。こちら。

Joe

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メンテナンスはありません

左下のココログからのおしらせに

ココログフリーメンテナンス実施のお知らせ:
2006年10月17日(火)16:00-2006年10月19日(木)16:00

とありますが、私のは「フリー」というタイプではないので
明日も明後日も通常営業しております。
この書き方だと「ただでメンテします」と読めますが
そうではありません。

って、それと更新は別の話ですが(涙)

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2006年10月16日 (月)

「パビリオン山椒魚」Annex

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リンクしていただいている「オダギリアリスティック」さんで紹介文に「オダギリさんの写真も満載?」と書いてあり、その一言で買いました(笑)
クロモモさん、有難うございます、これ大正解でした~vv

 山椒魚関係はメイキングDVDもCDも小説も出ていて、正直もういいか、っていう感じだったのですが、普通に(笑)写真集なんですよ。それもふつうは映画のショットを別角度で、とか終わった瞬間の顔を、とかだと思うんですが、全然関係ない、歩いて移動中とか、別室でぼんやり、とかを映画のワンカットのように丁寧に撮ってるんです。その構えないふとした表情やしぐさは「こっち使えばよかったのにっっっ」(殴)と思うくらい美しいです。オダギリ氏も、香椎さんも。良かったら、まだ在庫あるようですから写真からどうぞ。

 あと、この本でものすっごい久しぶりに「アホロートル」見ました・・・えーと、そのまんま地域住民を小馬鹿にした差別用語と取られかねませんが(^_^;)魚の名前で、サンショウウオの仲間として中で紹介されています。ウーパールーパーという名前ならご存知かもしれません。あれはこれのアルビノ種に限った名前なんだそうです。リンクから写真つきwikiに飛びますので宜しければごらん下さい。

そしてふと思い付く・・・

「パピリオン・アホロートル」


・・・却下_| ̄|○

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2006年10月15日 (日)

BOW映画祭アンコール上映

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こんなものを見つけてしまいました・・・行くしかありません(笑)   本当に今年は嬉しい悲鳴続きですvvバナーから詳細ページに飛びます。

フランス映画社配給:BOWシリーズ30周年記念
BOW映画祭 アンコール上映
2006.11/4(土)─11/17(金) 吉祥寺バウスシアター

11/4(土) 11/5(日) 11/6(月) 11/7(火) 11/8(水) 11/9(木) 11/10(金)
霧の中の風景 11:30 ゲームの規則 11:30 霧の中の風景 11:30 秘密と嘘 11:30 ゲームの規則 11:30 まわり道 11:30 パリ、テキサス 10:00
ゲームの規則 14:00 ピアノ・レッスン 13:30 秘密と嘘 13:50 ゲームの規則 14:15 ピアノ・レッスン 13:30 ベルリン 天使の詩 13:40 さすらい 12:45
ピアノ・レッスン 16:00 霧の中の風景 16:00 ゲームの規則 16:30 ピアノ・レッスン 16:15 秘密と嘘 15:45 まわり道 16:15 パリ、テキサス 16:00
霧の中の風景 18:30 ゲームの規則 18:30 ピアノ・レッスン 18:30 秘密と嘘 18:30 ゲームの規則 18:30 ベルリン 天使の詩 18:30 さすらい 18:45
11/11(土) 11/12(日) 11/13(月) 11/14(火) 11/15(水) 11/16(木) 11/17(金)
さすらい 10:00 ベルリン 天使の詩 11:30 はなればなれに 11:30 サクリファイス 11:30 はなればなれに 11:30 恋ごころ 11:00 サクリファイス 11:00
パリ、テキサス 13:15 まわり道 14:00 ウィークエンド 13:30 はなればなれに 14:30 ウィークエンド 13:30 サクリファイス 13:50 恋ごころ 13:45
さすらい 16:00 ベルリン 天使の詩 16:00 サクリファイス 15:30 ウィークエンド 16:30 サクリファイス15:40 はなればなれに 16:35 はなればなれに 16:40
パリ、テキサス 19:15 まわり道 18:30 ウィークエンド 18:30 サクリファイス 18:30 はなればなれに 18:30 恋ごころ 18:30 恋ごころ 18:30

上映期間    2006年 11/4(土)より11/17(金)まで
当日料金  一般・学生1.300円均一/シニア・会員1.000円
                前売り券 前売3回券 3.000円 
当劇場窓口・チケットぴあにて発売
BOW映画祭アンコール上映 
Pコード476-816 
11/4 ~ 11/17  バウスシアター(東京)     
10/17(火)発売


ついでに(^_^;)
BOW30th映画祭in下高井戸シネマ
Pコード476-808 
12/16 ~ 12/30 下高井戸シネマ(東京)
10/19(木)発売

こちらはまだ詳細未定のようでサイトがありません。

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2006年10月13日 (金)

第19回TIFF

Kokakukidoutai

 今年も東京国際映画祭が10/20(土)~10/29(日)まで、都内各所の会場で行われます。今年は話題作が多く
Opening・Closingの
父親たちの星条旗
犬上家の一族
武士の一分
王の男
を始めとして
阪本監督の「魂萌え!(たまもえ)
パプリカ」のほか
コンペ部門の
クロイツェル・ソナタ
ドッグ・バイト・ドッグ
アート・オブ・クライング
など、人気のようです。
私は上映日時の関係で、「グラフィテイー」「松ヶ根乱射事件」「手紙」の3つを見に行くつもりでおります。いや、パプリカも行きたかったんですが瞬殺でした(^_^;)

そしてさらに、びっくりするようなニュースが飛び込んできました。それが↑のイラスト(リンク先に飛んで下さい・笑)。

animecs TIFF 2006 緊急上映決定!
「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」

「アニメ作家主義」をテーマに掲げる東京国際映画祭のアニメ上映企画「animecs TIFF 2006」に、Production I.G制作の超話題作「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」の上映が急きょ決定致しました!
大ヒットテレビシリーズから2年、全世界待望の長編オリジナル新作がanimecs TIFF 2006に登場します。

©士郎正宗・Production I.G/
講談社・攻殻機動隊製作委員会

「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」
2006年製作/カラー/108min./HDCAM‐SR/日本語 
※英語字幕なし

日時:10/23(月) 20:30~
会場:TOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen2

【STAFF】 監督:神山健治   原作:士郎正宗  総作画監督:後藤隆幸  音楽:菅野よう子  
声の出演:田中敦子/大塚明夫/山寺宏一

【STORY】 西暦2030年。情報ネットワークが進展し、犯罪が複雑化の一途を遂げる社会情勢の中、犯罪の芽を探し出し、これを除去する攻性の組織が設立された。公安9課、通称「攻殻機動隊」の誕生である。 公安9課から草薙素子が去り2年の歳月が経過した西暦2034年を舞台に、新生公安9課と「傀儡廻(くぐつまわし)」と呼ばれる超ウィザード級のハッカーとの対決を描く。

チケットは10/14(土) 10:00より、チケットぴあにて発売。
@電子チケットぴあ 電話番号 0570-02-9999
Pコード 560-022

※ 発売初日のみ コンビニエンスストアでの取り扱いは12:00からとなります。



そりゃもう、いくら草薙嬢がいないとはいえ開始3秒でチケットなくなるのはわかっています!わかっていますが(笑)、とにかく頑張るしかありませんvv
これ、夜中のアニメでしたので、ご存じない方のほうが多くて当然なんですが、もし劇場公開された暁には、日本が世界に誇る「アニメ」という産業は今やココまで来ているのだという事を、是非ご自分の目でお確かめいただければと思います・・・・

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2006年10月12日 (木)

雨月物語

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 「溝口健二の映画」祭で、「雨月物語」見てきました。ポスターから、あらすじ含む詳細な作品解説に飛びます。

 昔の日本映画って、ガイジンには絶賛されるんですけど、今の日本人の目で見ると、正直あんまりピンと来ないものが多いと思います。やたら早口で何言ってるかわからないし、キンキン声で怒鳴りまくるし、芝居は大げさで見ているほうが恥ずかしくなるし。そうかと思うと、間の抜けた妙な「空白」があちこちに空けられたままだったり、音楽も感情表現もぶった切りでいきなり次の場面に切り替わったり・・・これは、日本映画の前身となった「新劇」「舞台芸術」がそのまま持ち込まれているからこういうことになっております。そして当時の観客は、そういうのは、歌舞伎や狂言と同じく「我慢してみるものだ」と躾けられていましたから(^_^;)だれも文句なんか言わなかったんですね。
 さらに、肝心の日本の伝統文化や時代考証の部分がどれもこれも突っ込みどころ満載です。食うや食わずの生活だったから?かもしれませんし、それを「新しい日本」と勘違いしていたのかもしれませんが、当時、お金が無くて新劇や映画に出ていた歌舞伎役者が一様に「情けない」といってまるで都落ちでもしたかのように泣いていた、その悲惨な現場がそのままスクリーンに残っています。実際もし今これを名前を伏せて公開したら、もうヒナンゴウゴウ間違いなし。私は、中ではこの「雨月物語」はまだ見るほうなんですが、それでも、あの近所の老人会の余興か、というようなヘタレな謡や、マジでうちの子供とさして変わらぬとってつけたような仕舞、貴人とされる女性陣の立ち居の雑駁さ、客人を案内し、歩きながらおもむろに小袖を脱ぎだす(!)仕え女、その正座の仕方、立ち上がり方、足裁き、袖口の裁き、裾の扱いは言うに及ばず・・・もう居酒屋のバイトのお姉さんでももう少し気を使っているゾと涙が出てきます。しかし、映画が「三流芸術」と呼ばれ、下に見られ資金もなくて素養も知識もない人たちしか来てくれない、そんな時代に一生懸命作ったんですから、まぁその意気込みだけでも買って下さい、というところでしょうか。

 私は個人的に溝口監督とはどうやら相性がいいらしく(^_^;)いくつかちゃんと最後まで見たものがあります。そして「舞台芸術」からは脱け出て映画独自の「リアリティ」を確立し始めているという点で、私はこの「雨月物語」は他の作品とは違う評価を受けていいと思います。カメラで撮るんですから、観客に聞こえるようすぐ隣の役者に向かっても「叫」ばなくていい。ふだん話すように落ち着いて小声で話してかまわない。逆に舞台の時にはどうせ見えないから適当でよかった顔や手先の表情にこそ、細心の演技を込めなくてはならない、痛くてもカットが入れば休めるんだから、必要とあらば骨が折れんばかりに突っ転んで大丈夫・・・そのあたりを役者も最初から心得ています(端役の人たちはあいかわらずトンデモナイですが)。演技の技巧もまだ模索中でほとんどはただイキオイだけ、いくらかは素のままですらあるんですけど、現在の「先輩の遺産」に絡めとられて身動き取れない大根役者たちに比べれば、よほどおおらかで生き生きとして自然に見えます。それを役者の力量として評価するかどうかは置いておいても(^_^;)見ていて気持ちはいいです。

 各国の超有名監督がこぞってミゾグチの影響を受けたと言っていますが、よく聞くと「日常を芸術の域にまで高める」技が目新しかった、というような事をまず最初にあげています。日本の常識は世界の非常識(笑)残念ながらそれは、監督独自のものではありません。のちに別の監督たちから同様の賛辞が今村昌平監督にも鈴木清順監督にも与えられていますが(笑)それはそもそも日本の伝統的な「芸の存在意義」、その延長線上に映画もあると考えれば、世界から見て非常識(笑)なのはある意味当然です。で、「影響を受けた」と名乗りを上げている監督の中で、本当に本来の溝口監督独自の部分をきちんと取り出して理解し、その影響を受けているのは、たぶん、アキ・カウリマスキだろうと思います。あの「面白うてやがて悲しき」かわいた笑いのセンスは、まさしく監督のものですし、力技で(笑)映画を推し進めるその歩みの力強さには、ミゾグチ監督作品と同じ清々しさを感じます。私はそれが今年「かもめ食堂」に見事に受け継がれていると思って、ひそかにとても嬉しかったんですけどね。いや、荻上直子監督がどう思っていらっしゃるかは知りません(笑)。



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2006年10月11日 (水)

カポーティ

20060201002fl00002viewrsz150x「カポーティ」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

 うーん、これは申し訳ないんですが、どんな日本人にもよく理解できる、ようには作られていません。カポーティ、と題されているわけですから、少なくとも彼が作家である事、「ティファニーで朝食を」を書いた人である事・・・ぐらいは知っていて観にいらっしゃるのだろうと思いますが、もしこれからおいでになる方は、それにプラス以下に書いた事ぐらいはぼんやり思い出してから行って下さい。「冷血」も読んでおいたほうが、目の前で「何が問題となっているのか」を理解する助けとなると思います。

 まず、アメリカで今30代後半以降の人は、TVで「生カポーティ」をしょっちゅう見ていました。だからまずこの映画の観客は、本人の事をとても良く知っている想定になっています。作家なんですが、この人は例えばノーマン・メイラーみたいに、作品はもちろんの事、その私生活の華やかさとゴシップでも有名だったんです。悲惨な境遇の生まれですが、上流階級に憧れ、あの妙な声としぐさと(^_^;)天才的な話術により社交界の中枢に入り込み寵児となります。いや、映画でもやってますが、上手いですよ、ほんとに。何を隠そうこの私まで、英語のジョークなのに大爆笑させられましたから(笑)その話術たるやものスゴいもんです。しかも、すっごい「ヤな奴」v 粘着質で薀蓄豊富で、独自の世界を知的裏付けのもとに築き上げてしまっている。一見慇懃無礼で如才なく、自分のすべてを自虐ネタにして笑い飛ばしながら、絶対人とは相容れようとはしない。まるでおすぎとピーコ(本人もゲイ)と司馬遼太郎を足して3で割ったような人・・・まぁ最後のは余計ですが(^_^;)、ここまでは、もう観客の頭の中のイメージとして折込済で、それを「覆す」ところからこの映画は始まるんです。

 「覆す」と言えば、映画のコピーでは、彼はこの「冷血」という作品のせいで以降書けなくなった事になっていますが、実際のところは、未完作となった「叶えられた祈り」で、彼が社交界のスキャンダルをフォーカスよろしくすっぱ抜きまくったので、書きかけの第一章を発表した段階で、社交界出入り禁止、になったから、というのももはや定説です。それは彼にとっては死よりもつらい仕打ちだった事は想像に難くありませんが(だったら書かなきゃいいんですが)、そのせいでアルコールに溺れて心臓発作で亡くなっています。そしてその既成事実を覆すだけの説得力が、この「新説」に在るかどうか、というのもこの映画の眼目です。「冷血」は"ノンフィクション・ノベル"という、実はそれ以降誰にも書けてない「ジャンル」を打ち立てた作品としても有名ですが、本読んでる人は、その犯人像が映画の中でものの見事に覆されてしまって、それにもほんとに驚くと思います(ノンフィクションじゃなかったかもですよ・・・)。

  で、それを踏まえて(笑)、映画を見ると、正直私なんて「何でカポーティなんか映画にするんだろう」とまで思っていたんですが(いや、作家としてはとっても尊敬してますよ~^_^;)、でもそんな私でも最後には、映画のフィクションとして描き出されたこの「誰も知らないカポーティ」に、ほんとに胸締め付けられる思いがしたんですから、ファンの人なら号泣してたかもしれません。彼が自ら積極的にさらけ出し「利用」していた「自分」。あるいは場を沸かせるために、あるいは「取材」のために自在に出し入れしていた筈の自分。自分と似た境遇の「犯人」から事実を引き出すために、シンパシーを感じ友情を育むのも、ある時点までは「計算のうち」だった筈です。でもその合間にちらり、ほらりと彼の心にほころびが生じます。「僕らは同じ家に生まれたんだよ。ある時彼は裏口から出て、僕は表玄関から出たのさ」。この言葉は最初気の利いた説明に過ぎなかったはずなのですが、その「家」が抱える闇に気づいて、そこで初めてそれを共有している犯人に「心が動き」ます。ここからはネタバレですが。最後の最後まで引っ張る、犯人が「その夜した事」。カポーティが取材している相手は実は主犯ではなく共犯で、殺しはむしろ止める側だった。自分が強引に止めれば相手も殺らないだろうとまで思っていた。ところが。地下に繋がれたそこの家の主人の縄をほどいてやり、殺さないから、と告げると、その主人が心の底から安堵した顔をする。安心しきっている。この男のいう事をいともたやすく信じている。つまりこの主人は、いわゆるほんとうに「善良な人」だった、んです。紳士であり温厚な人柄で、人付き合いも良く誰からも愛され、きっと生まれた時から「人を疑わずにすむ」生活を享受してきた人。これからもきっとその明るく豊かな人生を、疑う事すらせずに甘受し全うするに違いない人。それは、彼自身が努力して得たものではないのと同じように、犯人にも、カポーティにも、どれほど努力しても決して得られないもの、だった。生まれが違うから、育ちが違うから。そして彼らがその事を「なんとも思っていない」証拠に、無防備な笑顔を向けてくるから・・・その反吐が出るほどの善良さに、越えられない壁と、憎悪と嫉妬と憎しみと・・・殺意を感じても、それは当然のことだったのかもしれません。少なくともカポーティは社交界を自在に泳ぎ回る自分の中に、全く同じ「殺意」を感じたからこそ、涙を流した。それは犯人に心の底から共感したと同時に、我と我が身を哀れむ涙でもあったのです。そして、その生涯でたった一度の「友情」を信じる事が出来た犯人の心は癒され、生涯でたった一度の「友情」を利用してしまったカポーティは地獄へと落とし込まれることになります。

 何度も言うようですが、それがアノ「カポーティ」だからこそ信じられないし凄いんですよ。この人がきっと後生大事に心の奥の奥底にしまいこんでいた、最も「見てはいけないもの」を見てしまったような、そんなつらさがあります。そしてその涙が、彼の書く文章と全く同じ、繊細で傷つきやすく儚げなものだからこそ、余計に真に迫ってくる・・・ 「叶えられた祈り」を書き始めたのも「そこ」からかと思うと、確かにこの「冷血」は筆を折るきっかけとなった、と言えるんじゃないかとさえ思います。

 彼の立てた金字塔が"ノンフィクション・ノベル"なら、この映画は"フィクション・ドキュメンタリー"かも知れません。カポーティという人に興味のある方、ちょっとだけ予習してから(^_^;)是非どうぞ。

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東京タワー公式サイト

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何?とお思いになるかも知れませんが、この愛くるしいうさぎさんが「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」公式ページのトップにいらっしゃいます(写真から公式へどうぞ)。えーーっと、こういう、ふわふわウルウル女子向サンリ○路線の映画なんでしょうか・・・うーーーっ、お涙頂戴は嫌なんだけどなぁぁぁぁ、と原作でひとつも泣けなかった私がシンパイしても仕方ないですが(笑)。

オダギリ氏は、今のところ「キャスト・スタッフ」のトコと「物語」のトップを飾っています。この後者の写真が、見事にオダギリがぬけてリリーさんになっているので、必見です。今生きてあちこちで顔を晒している人に成るのはほんとにタイヘンだと思いますが、似てる似てないじゃないんだなぁと、今更ながらひどく感心させられました。

撮影日誌と称したブログで、ひと月前の撮影風景、それも撮影裏話ですらない個人の日記がだらだら続いていたり、サイトの隙間を埋めるかのように会社関係のリンクが縷々並べ立てられてあったりして、いろいろヘキエキするかもしれませんが(笑)、公開まで気長に通って見て下さい。

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「蟲師」公式サイト

公式サイトが、動き出したようです。こちら。

以前お話した、あの不思議なちょうちんの字体は(笑)使うのやめたみたいです。蟲っぽくてイイと思ったんですが、まぁ映画の内容をゴカイされても困りますしね(笑)

サイトでは、只今各所で話題沸騰の「鬼太郎」オダギリギンコ氏が、トップを飾っております・・・ひよひよと飛んでいる蟲が、何かもう、かわいくてかわいくて(笑)。これから写真など増えるといいですね。

あ、普通に「蟲師」で検索かけると今はアニメの方が凄いイキオイですから、お間違いのないようにvv

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Life Card 新CM

新しいVer.がWebで配信されています。

TVCM    (中身だけ)  に続いて
カードをめくる場面

カードをめくった後は

転職
独立 →  続き
昇進


つくづく顔芸の達者な人です(笑)
私は「昇進」のハチメンロッピがお気に入りvv

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2006年10月10日 (火)

ルードヴィヒ

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ヴィスコンティ生誕100年祭」の「ルードヴィヒ」行って参りました。公式サイトは写真からどうぞ。

 大変典雅で華麗な映画なのに、のっけから庶民的な話で恐縮ですが、今回は完全版、の公開でした。完全版・・・240分、4時間なんですよ、間に1度15分休憩を挟むだけ!もう朝から友達とお弁当と水筒持って、出かけましたよ・・・遠足か花見かという騒ぎですが、単に映画見るだけです、すみません(笑) そして昔「ルードヴィヒ/神々の黄昏」というもう少し短いver.を見た事があるのですが、その時と大きく違うのは「周囲の人々の証言」の数のようです。ようです、というのは、つまりその時は途中でちょっと寝ちゃったからで(^_^;)、今回は気合を入れて最後まで映画の世界に浸りきる事が出来ました。

 映画界ではヴィスコンティといえばルキノ氏ですが、クラシック界では彼のおじいさん、グイド氏も有名です。あのイタリアが産んだ史上最強の名指揮者トスカニーニをスカラ座から世界へ送り出してくれた恩人、だからです。トスカニーニがいなければ、戦後のクラシック界はひょっとしたらフルトヴェングラー1色になっていたかもしれない事を考えると、個人的には足を向けて寝られないくらい、本当に感謝しておりますm(_ _)mそしてルキノ氏本人もオペラ監督で、あのマリア・カラスと組んでミラノ・スカラ座の黄金時代を築き上げたのはあまりにも有名です。つまりこの映画でルードヴィッヒがワーグナーにしていた事を、監督の家も代々やってたわけですよ・・・王のように国家財政を逼迫させるほどではなかったにしても、ヴィスコンティ家は侯爵家ですから庶民が「音楽が好き」というのとは全然桁が違います(笑)

 で、そのルキノ・ヴィスコンティ氏がこの映画で採用しているのは(たぶん)5曲。トスカニーニが発見した、ワーグナーの遺作と呼ばれる「最後のピアノ曲」(これがタイトルバックです・おそらく版権はヴィスコンティ家)、ワーグナーの「ローエングリーン」第一幕の前奏曲、同じく「トリスタンとイゾルデ」の"愛の二重唱" 、同じく「タンホイザー」の"夕星の歌"、あとシューマンの「子供の情憬」からNo.15「見知らぬ国から」も何回か。それぞれピアノ版だったりオケ版だったりしますが(歌唱ver.はなし)、4時間5曲って案外少ないですよね。しかも、ルードヴィッヒが1人で登場する時は「夕星の歌」、エリーザベトが彼のもとを訪れる時は「愛の二重奏」と、この2曲はまるでテーマソングのように繰り返し繰り返し出てきます(リンクにMIDIつけましたから宜しければお楽しみ下さい)。私に言わせると、「徹底的にロマンチックで」「何もよせつけないほど甘美な」曲、ある意味もっとも「ワーグナーらしくない」選曲なんですが、監督の描く世界にはものの見事に合っていると思います。そういえば「ベニスに死す」でもマーラーの数ある楽曲の中から5番のアダージョが選ばれていて、耳タコでしたが(笑)、やはりあの旋律なくしてはあの映画は成り立たなかったでしょう・・・私はこれ、以前見た時には「愛の二重唱」ばかり耳についたのですが、今回は「夕星の歌」を、こんなに使ってたかな~と驚きました。っていうか陛下、そのReuge製オルゴール、今でも売ってますけど庶民に取っては高嶺の花なんですから蓋開けて「手で」ストッパー外すのやめてください(T_T) 「トリスタンとイゾルデ」は今秋映画が公開されますので、オペラあまり好きじゃない方は宜しければそちらをご覧下さい。

 映画のセットも、ノイシュバンシュタイン城(白鳥城)、リンダーホフ城(鍾乳洞みたいな人口洞窟があるとこ・「オペラ座の怪人」はここから)ヘレンキームゼー城(ヴェルサイユ宮殿式の庭や「鏡の間」がある)全部本物!ヴィスコンティ家が貸してくれと言ったから撮影許可が下りたんだそうですが(^_^;)今でもこのお城はバイエルン・ロマンチック街道のメイン収入源ですから映画の力恐るべしです。映画の中でお城にかかっている絵も、皇妃の肖像画、音楽家のカメオ、ルードヴッィヒ子供時代がモデルの「太鼓を叩く少年」、あの白馬に跨ってアルプス越えする「ナポレオン」まで、当然、当時バイエルン公国の所蔵だったものばかり(今は各地の博物館所蔵)。美術史お詳しい方ならDVDでコマ送り状態かもしれませぬ。

 そして、何をこんなに長々書いているかというと、この一般人には「無駄」にしか見えない監督のこだわりが、まさしくルードヴィッヒにはすべて、だったのであり、私たち凡人がそこに寄り添うためには、王の心の継承者たるヴィスコンティ監督の出現を待たなければらならなかった、という事です。映画の中で、王を最後まで敬愛していた大佐がいみじくも言ったとおり、「義務を果たして自由を謳歌できる」のは人類普遍に与えられた自由ですが、「果たすべき義務に終わりのない」ノブレス・オブリージュを背負って生まれた「王族」には「金で買える自由」以外は望むべくもない。「人に生かされる」という底なし沼。そこに自ら呑み込まれ木偶となるか、自分の影を追って狂気の淵に身を落とすか、船を浮かべて享楽にふけるか。ニーチェの警句ではありませんが、その底なし沼をのぞく時、底なし沼もまたこちらをのぞいているのです。その孤独感、寂寥感、無力感たるや、そのまま人生に背を向けてしまうにさえ、充分な理由となるほどに。

 おそらくルードヴッィヒの周りで、その「与えられた」人生に真っ向勝負を挑み果敢に立ち向かっていったのは、エリーザベトただ1人、だったのでしょう。映画見ているとつい、「そんなに熱心に求婚しても、彼女の心はトート閣下のもの」とか馬鹿な事を考えてしまいますが(^_^;)、そうでなくても、きっと彼女はルードヴィッヒにも自分の人生に立ち向かっていってほしかったのだろうと思います。私はこの映画で描かれる意志と気品と知性にあふれ、自分を知り尽くしたエリーザベトが、他のどの芝居・舞台で描かれる彼女よりも好きです。エリーザベトという人にはこうであって欲しいとさえ思います。しかし彼に必要だったのは、「共に」人生に立ち向かうべく、差し伸べられる手、だったのです。

・・・そしてそれを我が身の痛みとして感得出来る、位階と知性と教養を兼ね備えた監督だからこそ、4時間ものフィルムを使って、ルードヴィッヒの人生そのものを愛する事が出来た。監督は天涯孤独なこの王の、時空を超えた「共犯者」なのであり、同時にこの世に王を迎え入れようと魂魄を尽くす心優しい無上の友だったのでしょう。たとえ100年以上経っていても、この映画が撮り終えられたという事は、王と監督にとって、本当に素晴しい事だったに違いありません。

私たち部外者は、そのおこぼれに預かるだけ、だとしても。


 文中のMIDI、"愛の二重唱"の方は「珈琲茶屋」様から(この方の「トリスタン語り」は三読vvの価値あり)、"夕星の歌"は「オルゴールのMIDI素材集」様からお借りしてきました。是非お立ち寄り下さいm(_ _)m

 

 

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2006年10月 9日 (月)

非情城市

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 シネマヴェーラ渋谷で行われている、侯孝賢監督特集で「非情城市」見てきました。映画館のサイトへは写真からどうぞ。

 もう何回見たか、という映画ですが、掛かっていれば行ってしまうんですよね~、私にとっては特別な作品です。
 トニー・レオン演じる林家の四男の美しさは言うまでもありませんが、昔見た時にはわからなかった長男の「生き様」が、中国とも韓国とも、もちろん日本とも違う彼らなりの義理人情の切り方・通し方が、今はとても目を引きます。それと、劇中で彼らが「上海語」と呼ぶものを昔は北京官話だと思っていたのですが、別にそういうものがあると最近知りまして、今回は福建とあわせて3種の言葉の「使い分け」にも耳動かしてみて、なるほどと思うところがいくつもありました。

 でも見る度にこちらの居住まいを正させるのは、侯監督がこの映画で世に問うた「物語る方法」です。四人兄弟のうち三人が登場し、四男の友人も登場し、それぞれが過酷な運命をたどり、そのどの人生の主にも「言いたい事」があるのにそれはあえて描かれない。描かれていないけれども「何が言いたかったのだろう」と一歩踏み込む観客のためにはきちんと道標が置かれている。つまり描かない事で観客を突き動かし、揺さぶるんですね。ちょうどこの四男が、何も聞こえない、しゃべらないのに、人々の方から彼に聞き入り、彼に語りかけてくるのと同じように・・・自分の言いたい事もわからないままに、饒舌に、思いついたままを積み重ねる映画が多い中、この監督の「把握しきる度量」と「描くための哲学」は本当に独自のものだと思います。そして侯監督は小津安二郎を敬愛していて、このアジア独特の「引き算の美学」も小津から学んだと言っているらしいですが、私は申し訳ないのですが小津さんにはそれほどの感興は覚えないんですね。侯さんの方がよほど肝が据わっていて思い切りがよく、見ていてわかりやすいし気持ちがいいです。ガイジンから見たら十把一絡げで、同じ「アジア映画」、なんだろうと思いますが。

 トニー・レオンの「子犬のような瞳」がもっとも良く生かされた作品だと思います。現在の中台関係の濫觴となった、台湾の「激動の4年間」を凝縮した佳品としてもお薦めします。

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2006年10月 7日 (土)

フラガール

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「フラガール」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

「三丁目~」見ても全然ピンとこなかったという友人が、絶対お勧めだというので行って来ました。確かにこれは似て非なるもの、子供と一緒に見に行ったのですが、見終わった後その足で誰かに勧めたくなりました。

 もう一人別の見に行った方とお話したのですが、私とその方がウッと胸を衝かれたのは、映画始まってすぐ、のことでした。最初に「昭和40年」と字幕が出るのですが、その後繰り広げられるいわきの町の風景が、見れば見るほど目を疑うようなものばかりだったからです。昭和40年なら、今上陛下のご成婚はとうに過ぎ(カラーテレビ普及)、東京オリンピックも終わって(首都高完備)、我が家でもさすがに洗濯機も車もテレビもありました。父の転勤で私は小学校に上がるまでに5回、上がってから3回引っ越していますが、その間に巡った関西・九州の各都市でも、お友達の家はどこもみんなそんな感じでした。ヤクルトおばさんも自転車じゃなくてスクーターで配ってくれていたし、幼稚園に行くまでの道に、土がむき出しの道路なんてなかったし。だから、その「クラブ進駐軍のセットか」とみまごうばかり、戦後20年経ってもまるっきり戦後のまま置き去りにされている町の様子を見た時、たぶん登場人物より何倍も切実に「このままじゃダメだ」という危機感を感じていました。外の世界が、どれだけスゴい事になっているか、知らないから暢気に炭鉱に固執していられるのだとしか思えなかった。いくら命がけの仕事と言われても、そこまで採算度外視ならもう趣味としかいいようがない、それほど非現実的な貧乏でした。李監督が何でこんな楽しい映画を撮るのか見るまでは分からなかったのですが、この「置き去りにされた人々」の、それでも生きていくしかないその切実さは、確かに監督でなければ描けないものでした。

 フラガールたちは、家のため、自分の活路を開くため、という切実な事情でこの世界に飛び込んできた子ばかりです。しかしいったん練習に入れば単純に、きれいな服が着られて嬉しい、踊りが楽しいとキャーキャーいいながら笑いあう、そのあたりが実に素直なんですよね。その若い女の子らしい喜びが、だからこその力強さが、見ていて嬉しかったです。義理と意地では世の中は変えられない、という李さんのメッセージは、後半冨司純子さん演じるお母さんの口を通して語られますが、そこに至るまでの彼女達の、欲も得も無い、ただ「踊りたい」というだけのキラキラした瞳は、本当に世の中を変えていく力を持つものでした。南海キャンディーズのしずちゃんは、「ゆれる」を見に行くたびに強烈な(笑)予告編見せられるので物凄いインパクトありましたが、本編でも、綺麗な女優さんが多い中、1人だけ強烈にリアリティがあり(笑)、その朴訥さが「ああ、本当にこういう子がいたんだろうな」と後半涙を誘います。そして李監督、そのあたりは遠慮なく容赦なく暴ききりますから救いようがないんですが、最後の最後に、鳥肌の立つような華やかな舞台で、主人公の蒼井さんが、その全てを解き放ちます。それまでふれられる事のなかった、この舞台を作らなければならなかった人たちの思い。そして今彼女達を支えつつ消えて行く運命にある人々の思い。それらを全てうけとめて「やってやろうじゃないの」と火を噴くような目で、時代の波にくらいついていく、その顔。たった一瞬のその顔。その後は明るく華やかな彼女たちの懸命のステージが繰り広げられ幕を閉じますが、私にはその顔が、その蒼井さんの顔が、忘れられませんでした。李さんがこの映画で撮りたかったのはこれなのだと思って、後から胸が熱くなりました。何の邪心も無い「ただ踊りたい」だけだった彼女達を「死と再生の女神」に変容させたのは、積み重ねられ積もりに積もった人々の「思い」、李さんの祖国の言葉でいえば「恨」であったのだと、思い知らされたからです。

 彼女達の、屈託のない楽しそうな笑顔にはほんとうに癒されます。常磐ハワイに行った事のある方もない方も(笑)ぜひどうぞ。

 

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記憶の棘

325267view004 「記憶の棘」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

 題名見た時、島尾 敏雄の「死の棘」思い出しました。そして、棘という言葉の持つ意味は、この映画でもまさしく同じものでした。最初ちくちくと、気になりだすと次第にその存在感を増し、最後には抜かずにはいられなくなる・・・今回はネタバレだらけですので、未見の方はご遠慮下さい。



 自分の愛した夫が、よみがえってよその子供に乗り移った・・・かもしれない、という話です。ストーリーとあんまり関係ないですが、私はまず登場人物の「クラス」がとてもしっかり描かれているのに感嘆しました。字幕は例によって平坦ですが(っていうか日本語はあそこまで細かく使い分けないですよ)、主人・客人の身のこなし、親子の会話から召使の言葉遣いにいたるまで、尊厳を保ちつつ必要以上には丁寧にしない、ある程度以上の教養を身につけた人特有の、バランスの効いた節度が保たれ、本当に見ていて心地よかったです。で、だから、なのかもしれませんが、私は、そこへ飛び込んできた「生まれ変わり」の男の子が、とてもこの彼女のフィアンセとは思えなかった。子供である事以上に存在そのものに違和感を感じて、最後までなじめませんでした。少なくとも男の子の中の人(笑)がこのクラスの男性なら、子供に乗り移った時点でこんなに卑しい振る舞いは恥ずかしい筈だし、この年なら立ち居にももっと躾のよさ、洗練された身のこなしが備わっていてしかるべきです。その点で、私も他の登場人物と同じく最後まで「この子は違う」としか思えず、かなり損しました。ヘンな話ですが、最後に子供が一人ずつ写真を撮るシーンがあるのですが、その時、この少年の2人前に撮った男の子なら、見るからに育ちがよさそうで笑顔も美しくて動きもしなやかで、背筋もすっと伸びていて目線も大人のように知的で、ものすごく説得力あったんですが。出てきていた子は子供としては可愛いし、むしろ好きなタイプの子なんですが、私はミスキャストだったと思います。

 そして、10才にも満たない子供のうちに亡き夫の影を見てそれに取りすがるほど、夫を愛していた主人公の女性ですが。それほど愛していた、と言われればそれまでですが、先にあげた子供の「違和感」とあいまって、どうも、これだけの女性が何故?という疑問が付きまとって離れません。ところが彼女の棘は、そんなものではなかった事があとでわかります。この女性の夫には愛人がいた。夫は、妻からもらった手紙を丸ごと愛人に投げてよこしすほど妻に対しては冷めていた。そしてその手紙があとで少年が「なりきる」原因となったとわかった時、少年への怒りもさることながら残された妻はもう「自分の手紙を呼んだ第三者の存在」に蓋が出来なくなってしまいます。たぶん生前もうすうす気づいていたのでしょう。そして夫の愛を信じられなかったからこそ、自分のもとに「帰ってきてくれた夫」に、子供の形だろうと何だろうと取りすがるしかなかった・・・というスゴイ棘。蓋を開けてしまった彼女は実に美しい狂女となります。10年以上も押し込めてきた夫への憎悪と嫉妬と怒りと悲しみが、ついに制御不能なものになって終わるわけです。
 
 死んだ夫の両親が出て来ます。彼等は確かに丁寧な人ではありますが、まったくクラスの違う人です。だからひょっとすると、死んだ夫も、この男の子に感じる違和感そのままの「彼女にはふさわしくない相手」だったのかもしれません。彼女が選ぶ2人目の夫も、粗野で自制心の効かないただの成り上がり者、懸命に取り繕ってはいても、いったん事が起これば彼女の親戚一同がヒイてしまうほどの卑しい男です。で、一方で、そういう夫ばかり選んでしまう女性、というのも確かにこの世にはいるんです。今回その結末が狂気として閉じられた事に、私はむしろ幸せを、感じてしまったのでした・・・・

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日本以外全部沈没

325391view004「日本以外全部沈没」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

題名からお分かりと思いますが、この夏2度目の映画化成った小松左京の長編小説『日本沈没』のパロディです。ホントに(笑)日本列島以外の陸が全部沈没してしまった世界を舞台として、唯一の陸、日本にに殺到する人たちの悲惨さとたくましさ、突然世界で一番偉い人種となってしまった日本人の戸惑いと悲哀などを、面白おかしく描きだしたブラック小説です。
 有名な話ですが、これなんと小松さんご本人の許可を得て書かれていますv日本沈没のヒットを祝うSF作家たちの集まりで、星新一が題名を思いついて筒井康隆が一週間ほどで書き上げたらしいんですよ。 そしてこの年の「星雲賞」は、長編は文句なく「日本沈没」だったんですが、短編は「日本以外全部沈没」(笑)、話題になりました。国家主義や人種差別に対する強い批判や、人は自然に対しては無力であるという世界観は、私はむしろ「日本沈没」よりも、こちらのほうがよりストレートに力強く押し出しているように思います・・・もう、何から何まで徹底的に笑いトバしてますからね(笑)

 映画はパロディですから、もとネタをどのくらい知っているかで笑撃度は違ってくると思いますが、私はとりあえず休む間もないほど笑いっぱなしで頬がイタくなりました(笑)。写真はブルース・ウィル○と現カリフォルニア州知事「らしい」んですが!他にも、安泉純二郎とか、石山防衛庁長官とか気象予報士森田良純とかデーブ・スペクターとか(^_^;)ヤマのように出てきますvvええ、もう中韓の首相はおろか北の首領サマまで出てきますからね。「大丈夫なのか、コレ!」と思った方は決して口外しないように!(笑) それと、日本人夫婦と国際結婚をした夫婦、ハリウッドスター夫婦のそれぞれのおかれた境遇の違いから来る悲喜こもごもも、この手の映画としては丁寧に描きこまれていて好感が持てます。

 私はこのミギもヒダリも徹底して笑いとばす映画を翻訳仲間のガイジンたちと見に行ったのですが、外国人を叩きのめして快哉を叫ぶ場面で大笑いする、私を含めたふつーの日本人を見て、「初めて親近感が湧いた」と嬉しそうにニコニコしておりました。まぁ自虐史観などというものは、彼らにはただキモチワルイだけのものでしょうし、タタカイの果てにヘイワが来るのだと、まるで小学生の喧嘩のようなことを真顔で言っている連中ですから(笑)、日本人の「薄ら笑い」の向こう側にも「叩く」ファイトがあると知って、「仲間」を感じたのでしょう。 いや、石山防衛庁長官、かっこヨカッタですよっっっ!!!

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紀子の食卓

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「紀子の食卓」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

 これ、すーごく長い(笑)んですが、長さを感じさせない、最後まで一気にのめりこんで見てしまう、そんな力強さがありました。「自殺クラブ」の顛末とその後が描かれた映画ですが、それを見ていない人はむしろ1本で2本分楽しめるからお得かもしれませんv園監督の映画の中では、相当言葉を尽くした丁寧でわかりやすい作品だと思いますので、一部スプラッタですが(^_^;)宜しければ是非どうぞ。

 園さんの世代は、たぶん親が正しい日本語を自在に操った最後の世代です。そして園さん自身も詩人ですから、出てくる言葉がほんとうによく「操られている」。それがこの映画では本当に素晴しかったです。相手に届く距離や重さなど一顧だにせず「かっこいいから」「流行の言葉に」「乗っけてしまおう」式の大雑把な括りが一切なく、一つ一つが丁寧に「練られて」います。まるで台湾の古老の話すような、ゆるぎないどっしりとした言葉の数々。見ていて本当に心地よかったです。DVD出たら、自分の日本語のブラッシュアップのために時々見ようと思います・・・血糊はトバして(笑)。

 その内容ですが。親子という個人のすぐ隣にある関係の中に、いつの間にか「狐とウサギ」の関係性が巣食っている現代人の様相を、ロールプレイングによって個々に解きほぐしてこうとする人たちの話です。こういった話の周辺には、今やほんとうに手垢にまみれたコトバがゴロゴロしていて、もはや言い尽くされた感もありますが、そこは詩人の力、実に丁寧に活写していくので飽きないです。結末も、母が役目を終え父は壊れ長女が残り次女は去るという、まるでギリシャ神話か心理学の教科書かといった、真っ当でごく自然なものですが、最後まで安直なドラマに陥らず、ひりひりとした緊張感を持ったまま突っ走りきっていて、見た後むしろ爽快感、達成感が味わえます。

 そして園さんが、これを描きたかったのはとてもよくわかります。園さんの世代は、家族の崩壊が「始まった」年なので、まだ食い止めたい、何とかしたいという気持ちが人々の中に普通に残っていたのです。しかし今は壊れた家庭で育った子が親となり、その子供が映画を見ている時代です。この映画に出てくる「人材派遣会社」を必要とする人が果たしてこれからどれだけ出てくるか。この会社の「その後」を描くのが、きっと後の世代に託された課題、なのだろうと思います。

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HAZARD 初日 11/11(土)

Hazard













公開初日は11/11(土)に決まりました。シアターN渋谷のスケジュールはこちらからどうぞ。

なお、只今チケット売り出していますが。


●オダギリジョー主演「ハザード」前売り券情報!
今秋ついにロードショーが決まったオダギリジョー主演の「ハザード」。特別鑑賞券の発売が遅れておりましたが、いよいよ9/28(木)より発売が決定いたしました。
劇場窓口、SHIBUYA TSUTAYAでお買い求めの方にはオリジナルポストカード3枚から1枚をプレゼント!! どうぞご利用ください。
*ご注意*
この特別鑑賞券は初日舞台挨拶などが決定した際にはご利用いただけません。くれぐれもお気をつけください。尚、舞台挨拶などは今のところ未定ですが、実施されることになった場合はHP、劇場などで随時発表させていただきます。
公式ホームページ http://www.hazardmovie.com/

という事だそうですので、お気をつけ下さい。


 

実は先日「紀子の食卓」と言う映画を見にK's cinema に行きましたら、この予告をやっていました。サイトで写真は見たものの、繋がったのを見るのは初めてで、たった4年前なのにキリキリと若者らしい若者なのにはびっくりしました(笑) アカルイミライ、と雰囲気似てますね~

そしてついでと言ってはナンですが(笑)、これからの公開予定映画。
シネトピより>
HAZARD ハザード
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7383  
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7250

  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7372
サッド・ヴァケイション
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7562
さくらな人たち
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7565
転々
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7567
たみおのしあわせ
  http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7568

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2006年10月 5日 (木)

10月以降公開の映画

<映画特集>
9/9~10/20    溝口健二の映画
   @恵比寿ガーデンシネマ
9/30~10/20   侯孝賢映画祭
   @シネマヴェーラ渋谷
10/7~11/2     ヴィスコンティ生誕100年祭
   @テアトルタイムズスクエア

<公開予定・未定>
10/7~   チャーミングガール
   @シアターイメージフォーラム
10/14~サンキュー・スモーキング
   @シャンテ・シネ
10/21~  百年恋歌
   @シネスイッチ銀座
10/21~  サラバンド
   @ユーロスペース
10/28~  上海の伯爵夫人
   @ル・シネマ
10/28~   クリムト
       @ル・シネマ
11月~    麦の穂をゆらす風
   @シネ・アミューズ
11/11~    HAZARD
       @シアターN渋谷
11月~    キング 罪の王
    @アミューズCQN
12/9~    王の男
    @恵比寿ガーデンシネマ
12月~     長い散歩
   @渋谷Q-AXシネマ


<何とかして見たい映画(笑)>
9/30 ~ JAPONICA VIRUS
       @池袋シネマロサ・レイトショーのみ
*冨永監督が「役者」で出てるらしいんですよ・・・

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サランラップCM

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サランラップの新しいCM、「雪原篇」がWebで配信されています。こちら。旭化成さんのサイトへは写真からどうぞ。

もード~コ行って撮って来たんだ!というような、スゴい雪原ですが>石川県珠州市です
私を始め主婦のミナサマは、「冬になったらど~するんだろう」とひそかに心配していたと思います。何を、って、キャッチコピーを、ですよ・・・「新鮮」そのまま使ってまして、一安心しましたが。

 このCM、湯気がほかほか立ってて、あたかも「保温能力があるかのように」見えますが、宣伝しているのはあくまで「新鮮さ」です。サイトにも
<<「サランラップ」で食品を包むと、そのフィルム性能により食品の鮮度を保つので、電子レンジであたため直しをするとできたてのおいしさがよみがえる、ということを伝えるCMです。>>
と明記してあります。どうか、どうかお間違えのないように。

というのも、この「保温能力」に関して、ラップ各社って、実は毎年季節になると誤解と訴訟を免れるべく、ほんとに苦労なさっているんですよ。ラップしてても「冷めるのはあたりまえ」、冬でも「SHINSEN!」を合言葉に(笑)、時々思い出していただければと思います~


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2006年10月 4日 (水)

薬指の標本

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「薬指の標本」見てきました。公式サイトへは写真からどうぞ。

よかったですよ~ これは原作ファンの方にも是非見ていただきたい。私の知っている小川洋子作品って、「博士の愛した数式」ではなく、まさにこちら系統なんですよ。大変に硬質で静謐な世界、無駄のない緻密で真面目な文章の影から、まるで血のようにじわりとにじみ出て来る「異和感」。その、作者自らが静かに読者をそっと押し返してくるような、どこまで行っても決して縮まる事のない硬い距離感が、映画の中にも見事に掬い上げられています。小川さんと監督の対談を読んだのですが、監督も、東洋とか、女性作家とかいうことを越えたところにある、この不思議な距離に一番魅せられたようでした。

 映画には、原作にはない「普通の恋」も平行して描かれています。そのおかげで「標本技師」と「事務職員」の独特の交感が、より際立って感じられます。まるで性愛が先行しているかのような希薄な感情のゆれ。フランス映画だけあって、その体に繋がる描写が本当にただひたすら美しく描かれているので、余計に、彼らの心の置かれている場所が見えなくなっています。それがそのまま主人公の気持ちでもあり、物語を先へと進める力にもなっている・・・という原作の周到なからくりが映画にも生きています。そしてこの標本技師を、私は映画化するなら阿部定さんかなと思っていたのですが、ガイジンだったらアンソニー・ホプキンス・・・とそこまで考えて、それじゃ出てきた途端にネタバレじゃん(笑)と反省しました・・・映画では、この技師は、年恰好からも、たたずまいからも、表情からも、ほんとうに「読ませない」。それがストーカーなのか純愛なのか妄想の具現化なのか研究熱心なのか「アンソニー」なのか(笑)、映画見終わっても伏せられたまま、です。普通の人にも見えるし異常性愛者に変容するのかもしれないし・・・という異和感、緊張感は、最後の最後まで途切れない。手がかりは「標本」と「靴」。主人公が最後の一歩を踏み出したところで映画は終わります。

 原作の「鉱石」のような質感はそのままに、映画はそこに柔らかな光を当て、実に正しく豊かに広げて見せてくれています。私がハッとしたのは、原作で、和文タイプの活字を拾うところ。映画では雀牌セットになっていましたが、その拾う彼女の倦んだ様子が「捕らわれた」者の苦しさを全身であらわしていました。主人公の内的衝動がくっきりと描かれた数少ないシーンのひとつですが、ここから後、次々と提示される異常ともいえる展開が、おかげでまるであたりまえのことのように受け止められていきます。彼女は、もう、捕らわれているのですから・・・。

 ものすごく乱暴な言い方を許してもらえるなら、まるで矢野明子さんの音楽のような、この世の現実から見事に乖離したファンタジーです。その距離感を、最後までご堪能下さい。

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ウィダー in  ゼリー

Cimg_weider1新しいCMが、Webでも配信されています。こちら

森永のサイトへは写真からどうぞ。私はここの、CMを文章で説明するその語り口が、何だか牧歌的で(笑)いつもとても和ませてもらっていますv

なお、ウィダーinゼリーのサイトに行くと、CM撮影裏話が写真付で載っています。いや、エキストラって、すっごい緊張するんですよね~(泣) 役者と違って簡単なだけに、出来ない、というのが想定されていないですから、実はミスした時の周りの反応は結構シビアなモノなんですよ。笑って許すオダギリ氏、エラいです・・・v

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four years ago

R0221744以前ここに書いた写真集、本当に出るらしいです(殴)。

four years ago(フォー・イヤーズ・アゴー)
著者/訳者名 オダギリジョー/著 
         黒田光一/撮影 
         宮川隆/デザイン
出版社名 リトルモア (ISBN:4-89815-189-2)
発売予定日 2006年10月27日
予定価格 2,310円(税込)

写真からセブンアンドワイの画面に飛びます(写真をお借りしました)が、アマゾンでも予約始まっています。

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2006年10月 3日 (火)

奇跡の朝

20060825002fl00002viewrsz150x「奇跡の朝」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

久しぶりに「頭で見られる」タイプの映画でした。感覚や涙腺に訴える映画の多い中、思索・黙想の世界にいつの間にか誘われる心地よさも、なかなか捨てがたいと改めて思いました。映画は、ハコに入ってしまったが最後、終了まで、時空を画面に絡めとられるわけですが、そういった緩やかな物理的な縛りも、こんな時には却って有難いものかもしれません。「現実のある一面」をあぶりだすのに、不思議な浮遊感に満ちた視点を据えてくれていて、「彼我の世界」を行き来するのが本当に愉しいし、面白かったです。

 死者がゾンビのようにたくさん甦ってきたよ、というところからいきなり話が始まります。その蘇生者はミステリーでもホラーでもなく、映画の冒頭から「既にそこに居る人たち」として扱われています。一般人が甦る、という事は、少なくともキリスト教文化圏の人にとってはこの世の終わりまで取っておく最後のお楽しみ、相当に歓喜にあふれた出来事のハズ、なんですが(笑)、この映画の現実の「社会」にとってはそれは全く「予期せぬ余剰人員」でしかありません。人は個人として死を受入れるために、宗教を編み出し哲学を編み出してもう四千年近く(笑)呻吟しているわけですが、ソレが現実には実に「機能的に」粛々と片付けられていくわけです。そして市の役員達はこの大変な不測の事態に対して本当に真面目に取り組んでいるのですが、それだけで彼らは実はいとも軽々と「神を越えた存在」「神無き里の新しい神」となっているのです。そのモンスターぶりには、リヴァイアサンもびっくり、いっそ爽快感さえ漂いますvv この社会においては甦りすらも形而上の対象にはならない・・って、ああ、思い知ったかキェルケゴールっ(笑)
 そしてその、まるで「降って湧いた移民」(笑)のような扱いを受ける蘇生者たちは、個人のレベルではもちろん「いとおしい人」です。しかしそれは彼らが蘇生者に対して勝手に思っていることで、その点でもこれは正しく「死者への思い」に他ならないのです。その個人としての蘇生者がいかに「死者」であるかを端的にあらわしているモノの一つに、彼らの「言葉」があります。私は個人的にはこれがホントに面白かった。彼らは生前の「記憶とルール」に従って単語を並べ文章を編み出すだけ、なんですよ。ソシュールの言語学でいくとパロールは合っているのにラングが「無い」状態。でも言語活動の死、というのはまさしくこういう事ですからね。いや確かに。
 そしてまるで風に乗って現れたかのような彼らは、お互いだけで相談しながら、誘い合ってまたどこかへと消えてしまいます。その時、死ぬ間際にこの世に思いを残した男は、夫がシンパイでたまらない妻は(私はこの人の気持ちがイタいほどよくわかりましたよ・笑)、それぞれつれあいを連れて行こうとする。それはしかしまったくの「個人の事情」。あれほど社会的にはカンタンな事である死が、ひとたび個人にまかされると身動き取れなくなるあたり、その違う位相の間を自由に行ったり来たりしている観客は、いつのまにか「死の意匠」をも自在に眺め渡す事になるのでしょうか。

 最初から最後まで重低音に鳴り響く不協和音がこの映画の世界観を見事に掬い出し、同時になぜかこの世界を「そう遠くない話」として感じさせます。死という事象に関して考えるヒントのたくさん詰まった映画ですから、じっくりと図書館にでも行くつもりで是非どうぞ。

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