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2006年9月13日 (水)

Photointro01 「弓」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。




今年のカンヌ「ある視点部門」のオープニングを飾ったおかげで公開前からかなり詳しく情報が入り、楽しみにしていました。公式のあらすじは、最後の最後を残して詳細なネタバレですが(笑)、せりふがほとんどなく(特に少女は一言もしゃべらないです)、あまり説明的な映像もないため、不安な方は映画見る前に読んでおくのも良いかもしれません。

 私がこの映画を見ようと思ったのは、何を隠そう大学の時弓道部だったからですが(笑)映画は中島敦の「名人伝」のような、伝奇物特有の虚々実々の物語展開で、そこがむしろ懐かしかったです。日本人はこういう「物語る力」を古事記の昔に置いて来てしまってるので肩透かしを食らったような気になりますが、日本以外の、ベトナムやタイ、インドネシアなどではごく自然に受け止められているメンタリティーです。この「おとぎ話」果たして欧米のガイジンにはどんなファンタジーに映ったのでしょうか。幼児性愛や人権保護団体が上映差し止めを叫んでいない・・・ところから考えるに、監督の真意は正しく伝わったと見ていいんだと思いますが(笑)

 私がとても身につまされたのは、弓占い、です。弓道の道場に行くと必ず「礼記」の抜書「射義」が貼ってあるんですが、孔子は論語でも「子曰く、君子は争う所なし。必ずや射か。」って言ってるくらい弓好きだったらしいです。何でかというと、争いといいながら弓の場合は戦う相手は常に自分、だからです。ちゃんとやらないから当たらない。ちゃんと引けば当たる、相手はまったく関係なく敗因は全部自分、というあたりが、常に自律猛省し君子たらんとする孔子にはおそらくとても好ましく思えたのでしょう。こんなにネクラなスポーツもないと思いますが(^_^;) 
 つまり弓において、何事か起これば、それは実は何事であってもすべて射手の掌の内で決まっていることなんです。老人は娘と若者の行く末を占います。占いの態を装っていますが、そこに現れた結果を見て初めて老人は、我知らず、自分の心の奥底を覗き込む。透明なガラスで硬く閉ざされた世界を、いつまでも守り続けたいと思いながら、破壊者は彼自身でなければならなかったという、その魂の深い淵の底。天命にも似た、わかっていた筈の「物語」に抗うように、老人は新たな物語を編み出し続けてきたわけですが、その過程で弓が敵を破り、弓が己が恋情をほとばしらせ、そして弓が、封印されてきたものを解き放ったのです。

 すべては外側から起きた事のように見えて、実は内側から起きてしまった事。まるで陰陽大極図のような彼らの世界は、やはりおとぎ話として描かれて初めてその煌きを取り戻せるのでしょう。この荒唐無稽なお話をここまでの高みに引き上げた、監督のゆるぎない「叙情性」に拍手を送りたいと思います。

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