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2006年8月20日 (日)

真昼の星空

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とっくにここに書いたと思っていましたが(^_^;)東京は実はもう上映が終わっています。大阪・神戸の方はこれから公開されますので機会があれば是非ご覧下さい。公式サイトは写真からどうぞ。

 人を殺す道具でしかない若い男。残りの人生を無為にしか感じられない女性。自分の日常に空しさだけが詰まっている若い女性・・・が、それぞれの「空白」を抱えてふと、つながります。沖縄を撮り続ける中川監督3作目。香椎由宇さんの初出演映画、でもあります。

 ヒットマンのつかの間の休息、という設定だけで強烈に魅かれてしまう私は、この映画を冷静に語る資格は無いかもしれません(笑)。でもそのようなヒトタチが出てくる香港映画やマフィア映画にはおよそ感じられない、突き抜けた、ひどく明るい開放感がこの映画全編を覆っています。事件らしい事件が起こるまで映像は丹念に各々の心の襞を追い続けていくのですが、それが決して内へ内へ篭っていかない。彼らは、たとえて言うならひどく大きな空間の中に置かれたたった一つの点。その、周りの、あっけらかんと白々しいまでに明るい空気の中で、「点」の所在なさ、むなしさ、無力感はイタいほどに伝わってきます。その中心にあるヒリヒリとした孤独。ホストのようなヒットマンは立ち止まる事すらなく、女性は遊びなど必要としない程生きる事から距離を置き、若い女性は「今」の先にある未来に目を閉じてしまっている・・・のに、そのまわりにどうしようもなく拡がる茫漠とした空虚。決して逃れられない切り立てられたような空虚。この映画独特のこの感覚・・・これは、いったいどこから来るのか。
 私は沖縄に行くと、人のあたたかさや自然の豊かさという事以前に、自分の存在のむなしさや捨て置かれたような頼りなさを、漠然と、しかしひしひしと感じてしまうのですが、そんな私にとっては、この映画も「沖縄」を描き出しているように思えてなりません。あの明るすぎる高い空とむやみと広い海には、人の孤独を殊更に際立たせる有無を言わせぬ残酷さがある、様な気がするんです。監督が、この映画を、およそハードボイルドなどとは無縁の筈の、ひたすら豊かで美しい沖縄でわざわざ撮ったのも、そのもう一つの沖縄の姿を描きたかったからなのではないかと、そんな風にさえ思えます。

 映画は切ないラブストーリーです。3人はそれぞれの「空白」を抱えたまま、一瞬火花を散らして燃え上がります。それはまるで線香花火のように、あとに広がる闇のいろどりでしかありません。それでも、そうせずにはいられずに、突き動かされるように飛び込んで行く彼ら。その衝動。それはまるで自分の事のように、心に刻み付けられていきます・・・都会の、クーラーのきいた映画館に、たった1人で、座っている事も、忘れて。

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