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2006年8月20日 (日)

ガーダ パレスチナの詩

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「ガーダ パレスチナの詩」見てきました。公式サイトへは写真からどうぞ。UPLINK Xという、こじんまりとソファでくつろげる映画館その2(笑)で見てきました。5月の連休から、異例のロングランを続けています。

 今年3本目のドキュメンタリー映画。今年はこの分野に秀作が多いようです。事実が小説よりも奇、というより、昨今は人間の想像力が到底現実に追いついていない、という事なんだろうと思いますが。映画の、レバノン・難民キャンプで炸裂している砲弾は、このひと月ほど、更にパワーアップしてかの地に降り注いでいます。あのニュースに出てくるピンポイントミサイルの下で、今日もこの映画と同じ暮らしが営まれているのだと思うと、今見ることこそ意味がある映画なのだと思います。

 映画に出てくる主人公の女性、ガーダは、どちらかと言うと私たちと同じような現代感覚の、因習や伝統にはあまりとらわれない(笑)生き方をしています。その彼女が結婚し出産する人生の合間には、いやもおうもなくパレスチナの戦いが描かれていきますが、この橋渡し役の彼女のおかげで、私たちは戦いの後ろに今も受け継がれているパレスチナの平和な「文化と伝統」をだんだんと理解していきます。そして、キリスト教はユダヤ教(イスラエル民族)とは一線を画していますし、さらにイスラム教とは何の共通点もないのですが(笑)、それでも私にとってそこに繰り広げられる風景は、まさしく旧約聖書に描かれている世界そのもの、でした。羊やヤギを追い、作物は豊かに実り、労働の合間には歌垣をかわす。きっと2000年前の人たちも同じようにのんびりと豊かに暮らしていたのだろうなぁと思ったら、胸が熱くなりました。紛争当事国がその豊かな文化の中心にすえていたはずの生活。今ではすっかり忘れ去られているもの。もしこの紛争が、たとえば単に、丘の上の豊かにオリーブの実る地を巡っての争いなら、まだ救われる気もするんですが。

 私はクリスチャンでユダヤ教徒ではありませんが、旧約聖書の部分はほぼ一緒なので、彼らイスラエル民族がカナンの地にかける思いは痛いほどよくわかります。約束された地。彼らの先祖はただその約束だけを信じて40年も荒野を彷徨い続けたのであり、後世国を追われ世界に散らされた後は、カナンの地だけがイスラエル民族の目的であり存在意義であり精神的支えでした。でも、その「旧約」が、現実にそこに住んでいる人を蹴散らしてまで自分が住む理由になるとは私にはどうしても思えない。あるいはこのあたりは、先住民族を蹴散らして国を作ったアメリカ人には他人事でなくよくわかるのかもしれませんが。イスラエル建国時の武勇伝・決死の戦闘の数々はまるでその信仰の証であるかのように今に至るまで語り継がれています・・・。

 しかしそんな血なまぐさい事情を抱えこんでいる筈のこのドキュメンタリーが、凄いのは、実に実に細心の注意をはらって編集作業をしている所。家長と戦うフェミニズムからも、シオニストからも、驚く事にインティファーダからさえ、一定の距離をぴちっと保ち続ける。そこから政治的イデオロギー的メッセージを取り去ることの難しさは、N○Kのドキュメンタリーを見ていてさえよくわかりますが、この編集者は目の前の家族の物語の真実だけをブレずに描くという座標軸を最後まで守りきり、それを通してこの混乱の世を見事に解き明かしていきます。「客・中・公」などとっくの昔にどこかに置き忘れてきてしまった新聞・メディアには、求めても得られない「感覚」であり「職人技」・・・それだけでも、ご覧になる価値は充分にあると思います。

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