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2006年8月

2006年8月30日 (水)

「蟲師」公式ブログ始動

大友克洋監督、オダギリジョー主演 映画
『蟲師』の公式ブログが、

「蟲師」~ベネチア国際映画祭の旅 

と題して稼動し始めたようです。こちら


 たぶんファンドの関係だと思うのですが、この映画は事前に情報がほとんど公開されてません。映画祭のサイトにちらりと上がった写真も速攻撤収されてしまうし、公式サイトは表紙だけだし(これもきっと「ゆれる」と同じく、公開が近づけば大々的に変化するのでしょう)、そんななかで、唯一更新があるのが(^_^;)この公式ブログ、のようです。
 当分はヴェネツィア国際のレポになるみたいで、「蟲師」の
公式の上映は現地時間9月8日。受賞発表は、9月9日

とありますから、その頃また行って覗いてみて下さい。

 全然余談ですが(^_^;)、私はこの元の漫画の主人公、ギンコの、内に抱える心象風景がオダギリジョーにかなり沿うところが在るような気がして、実はとても楽しみにしています。アニメのギンコは結構頑張りやさんでそれも良かったのですが、外界をひっそりと拒絶する、静かで奥暗い沼のような閉じた世界を、映画でじっくりと取り出して魅せてくれたらなぁと思います。 
 ビジュアル的に説得力があるかどうかも気になりますが(笑)、昨今の邦画のCG技術は少なくとも「SHINOBI」の時よりは格段に進歩しているようですから、その精髄を、この映画で是非世界に見せつけてほしいです。

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2006年8月29日 (火)

照柿

406275245x01_scmzzzzzzz_v60183209_「照柿」(上)(下) 高村 薫

# 文庫: 382ページ
# 出版社: 講談社 (2006/8/12)
# ASIN: 406275245X

左の写真からどうぞ。


 
 只今夏休みの宿題が最後の追い込みで(笑)子にPCを取られるので、横で本を読んでます。で、出てすぐ買った待望の文庫をようやく読み終わりました。

 高村さんは、今までに出した単行本を今少しずつ少しずつ文庫にしています。どうしてゆっくりかというと、その度ごとに大幅な加筆訂正大改正が入るから、です。ファンはそれをよく知っているので、単行本を暗記するほど読んでる人ほど(笑)まるで新刊を待ち焦がれるような気持ちで文庫化を待っているのです。

 で、今回改めてネットを巡ってみて、実はこの「照柿」が高村作品の中では一番人気がない(!)事を知りました。がーーーん・・・だって2,3年前には、ちゃんとテレビドラマにもなってたのに~カッコよかったのに・・・「暗い」「重い」「救いがない」「暑苦しい」・・・確かにその通りなんですが(泣)。

 「暑苦しい」は本当にその通りです。今年のような夏に読むにはうってつけ、読んでいる限りクーラーつけても全然涼しくなりませんという(笑)、真夏の東京郊外の工場地帯が舞台です。そして重くて暗くて救いがないのは(笑)、主人公合田の「徒労」と「挫折」がこの話の主題だからです。いわば「負の部分」だけで成立している話ですが、そこでは合田が作者が都合よく動かす駒、ではなくむしろ「人間」になっていて、そのどうにもならなさ、重たさ、やりきれなさに、いやおうなく引きずり込まれます。たぶん、この前後の作品を書くために、一度合田という人を徹底的に書き尽くす必要があって生まれた作品だと思うのですが、そして私は、このシリーズでは実は合田の義兄加納氏のファンなのですが(笑)、この話で合田という人物が確かな存在感をもって頭の中に立ち上がり、作者の筆力を堪能しました。

 そして今回の文庫化に当たって、本文は本当に削除削除の嵐となってました。組長ファンにとってはアノせりふがないのは「許せない!」かもしれません・・・いや、ほんとに(^_^;)。でも私は読了して、高村さんが最初これを書いた時、あれもこれもと逡巡しながら書き込んでいた一つ一つの事柄に、今はそれぞれ答えが出たのだと思いましたし、その結果としてのこの「削除」だと思いました。男しか出てこない話の中で、合田が出会う一人一人の男との関係を通して「合田」を描くのではなく、「この人と会っている時のこの合田を描く」というスタンス、つまり高村さんの中でそれだけ焦点がはっきり定まった結果が、貫かれていると思います。萌えという名の可能性(笑)は俄然低くなったかもしれませんが、作品としての成熟度、精緻さは数段上がったんではないでしょうか。

 私がこの作品で一番好きなのは、実は合田と加納が夏の夜更けの縁側で語らうシーンではなく(笑)、達夫という主人公が女の絵を描くシーンです。そこに限らず絵に関する描写は、高村さんはもう自家薬籠中のもの、といった感じがしますが、ここは特に、絵の中に表れているはずの2人の心の交流が、見事に言葉で浮き彫りにされ、そのまま「絵ではないもの」にまでなっていて、読んでいて胸が熱くなります。そして展開上、話の引導を渡す事にもなるこの大事な場面を、ここまではかなくも気高い「絵」に託すところに、高村さんの、この作品への熱を感じます・・・それが同時に合田の恋を粉砕し尽くす刃となるように。

 今読めば、ものすっごい臨場感が味わえると思います(笑)。よろしければ是非、秋風の立つ前に。

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2006年8月28日 (月)

パビリオン山椒魚初日舞台挨拶

パビリオン山椒魚初日舞台挨拶

9/16(土) 11:45上映後
      14:10上映前

ゲスト:冨永昌敬監督、オダギリジョー、香椎由宇ほか
(ゲストの詳細が決まり次第追加お知らせ致します)

9/10(日)10:00amより劇場窓口にて整理券を配布いたします。

※お1人様4枚まで。いずれかの回のみ。
チケットをお持ちでないお客様には、その場でお買求めいただきます。
前売券をお持ちの方は、枚数分のチケットを必ずお持ち下さい。


ということだそうです。詳細はこちら

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チェリー・ザ・ダストマン(2)訂正

Main  以前ここでご紹介した、「Sony Music Online 」の携帯サイトが更新しています。10/16(月)まで、スペシャル待受画面をプレゼント!携帯でここをご覧の方はこちらからどうぞ。
カラーバージョンは初めて見ましたvv

Escl2866_1 PCからご覧になっている方は、「Sony Music Online 」で明日8/26(土)正午まで、「チェリー・ザ・ダストマン」のPV、フルコーラスとメンバーのみのコメントが見られます。
またこちらで、「9/20・勝手にしやがれプレミアムライブ(野音とは別です)」にご招待!フォーマットから応募できます(応募〆切が9/12(土)24:00)。このページから9/15(金)まではメイキング映像が、9/4(月)までは壁紙とスクリーンセイバーがもらえます。お早めに。

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2006年8月27日 (日)

街頭宣伝v

Dcf_0199_1 先日、葉書で呼ばれて渋谷の献血ルームに行きましたら、ビルの改装が終わって正面にアルタみたいなでかい画面が取り付けられていました。sbyTVというMC専門局みたいだったですが。
  そしたら、献血中に私の携帯にメールが入って、曲は当然♪チェリー・ザ・ダストマ~ン(笑) それを聞いた看護婦さんやお医者さんが一斉に「何だっけ、これ知ってる、知ってるよ」 えー!!!!
   よく聞いたら、表の大画面で「その曲のPV」が日に何度も流れているからもう耳タコ、なんだそうで。
  帰りに見上げていると、何と15分に1度くらいの頻度で、アノPVがしっかり流れてきてました。最後には画面のようなお名前までキッチリ。長短二つVer.ありますから、皆様献血のお帰りに是非vv御覧下さい。
 それにしてもどなたかの新曲のプロモにこんなに熱心にお付き合いするのは初めてです(笑)その前には、やはり渋谷で「チェリー」のステッカー配ってましたしね(通常版CDの写真)。タワレコでCDお願いしていた私はダストマン君のステッカーも貰っていたのですが、それでもちょっと驚き。ティッシュかと思ってよけた(!)私にまで渡してくれたお兄さん、本当に有難うv

先日届いたバァフアウト133号には、「山椒魚」の監督×菊地氏対談と、「チェリー」PVのメイキングの様子が出てましたが。後者の取材記事でオダギリ氏について

「・・・目の下には一晩飲み明かしたような、真っ黒な隈が描かれ、『時計仕掛けのオレンジ』の暴漢を連想させながら、捨て犬のような愛すべき瞳を覗かせる。『PVって初めてなんですよ・・・』と彼は言うと、なぜこんなことに関わってしまったのかとも取れる溜息を漏らしながら、同時に何でも来ればいいさという力強さも感じさせる。」

と書いてありまして。
 とりあえず左目だけ隈描いてたわけではないにしろ(^_^;)、悪い冗談のようなお伽話、という意味では確かにアレックスに雰囲気似てたかもしれません。そしてそのいつもと同じ、立ち位置の確かさに、「いい仕事してますね~vv」と、どこかの鑑定士のようにつぶやいて(笑)嬉しくなってしまったのでありました。



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2006年8月26日 (土)

号外「パビリオン山椒魚」

0825

・・・というものが、公開予定の渋谷のシネセゾンに置かれております。タブロイド版見開き4Pで、本当に「号外」みたいで素敵です(笑)。中ページはコメント一覧で、公式に、コメントを寄せた各界の方の名前が全部出てますので、詳しくはそちらを御覧下さい。






さてそれではここで問題です。
「部分痩せって言った?今。
       そうそう 頭蓋骨の内部だけどね。」

というコメント(これで全文!)を寄せて下さったのはドナタでしょう。正解は映画館に・・・行かなくてもわかると思いますが(笑)。

有難いのは、今まで各所でバラバラに発表されていた「パビリオン山椒魚」関連のお知らせが4面でまとめられているところ。
詳しくは、各サイトで是非ご確認下さい。

携帯サイト
メニューリスト・着メロ・J-POP・「M-ON!TV」モバイルサイト内です。
携帯から、試写会9/6(金)にご招待!9/1(金)24:00〆切

<記念レイトショー>9/9~9/15
「亀虫」「京マチ子の夜」「テトラポッド・レポート」
映画PV(映画主題歌のもの)   テアトル新宿

<記念イベント>
9/2(土) 「パビリオン山椒魚」公開記念スペシャル"トーク&ライブ"
チケットまだまだあります!!!

<出版・リリース>
「実録パビリオン山椒魚」 DVD 発売中
「パビリオン山椒魚」サントラ 9/16発売
「パビリオン山椒魚」小説  9月中旬河出書房より
「パビリオン山椒魚Annex」 9月中旬河出書房より

<コラボ>
Tシャツ ・・・シアタープロダクツ渋谷パルコ店限定
          白5.800円 灰7.800円 サイズSとL
                *原寸大の大山椒魚を総天然色でプリント
                   両目がラインストーン(!)仕様もあり
  →→キャンペーンを9/8~21 パルコPart1で開催
           詳細は、こちら
帽子・・・CA4LAとコラボ。 詳細は近日こちらから

<カフェ>
西郷山公園の"GreenCafe saigoyama"で
9/30(土)まで写真展・orgメニューもあり

<MTV>
「パビリオン山椒魚」音楽メイキングスペシャル
*監督との対談、菊地氏へのインタ、キャストの証言ほか
9/10(日)22:00~23:00  再9/15(金)21:00~22:00   9/16(土)20:00~21:00

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2006年8月25日 (金)

実録「パビリオン山椒魚」

Dcf_0195_1  「実録 パビリオン山椒魚」届きました~ 写真はケース裏側です。このsceneはオダギリ氏本人も気に入っているみたいですが、映画の中ではストーリーに関係ないのに(笑)すごく心にしみるいい世界でした。裏を飾ってもらえて嬉しいです。

 えー、これはたぶん普通ならDVDの特典映像に当たるものだと思います(^_^;)。映画観る前に見ても予告以上のネタバレはないかわりに、何の参考にもなりません(笑)。映画見た後でも、自分が見たのとはまったく違う世界を提示されるので(笑)どちらにしてもかなり楽しめると思います。その、ちゃんと紹介しているようでいて実は全然アナザーワールド、というトコロが私は個人的にとても好きです(笑)。
 一応、ストーリー解説、冨永昌敬監督インタビュー、キャスト紹介、メイキング&インタビュー、もあるのですが、それが高田純次氏となぜか映画には出ていないのに狩り出された河合美智子さんの(笑)のコメンタリーで、高田さんは自分の話しかしてませんv  でも高田さん視点で見たキンジローが、たぶん一番タダシイんだと思います(笑)。あと、栄光の製作発表舞台挨拶、オダギリ氏のアノ一言をわざと取り出して「ヒィーーーーーッ!」で伏せてますよっ サイトーさんと二連発で「ヒィーーーーーッ!」(笑) ・・・だったら映像使わなきゃいいじゃないですか(大爆笑)

 圧巻は『聖地探訪 キンジローを探して』と『笛午弁講座』 前者は監督がたった一人で手持ちカメラでv撮影した、地味でなヨロコビに満ちた貴重な探訪映像です。タイヘンためになります。山椒魚のこともよくわかりますが、たぶん、冨永監督という方自身について、より、理解が深まるのではないかと思いますvv それから後者は、笛午弁の特徴についてごく言語学的に簡単に(笑)考察しています。接尾辞と尊敬・丁寧語に特に顕著な特徴が見られるあたり、まさしく「普通の日本の山奥の里」という感じです(笑)。こういうどーでもいーよーな事にも網を張っちゃうのがこの映画の掟なのかなぁと思いつつ、でもやっぱどう見ても大風呂敷広げすぎです(笑)。好きですけどねvv

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2006年8月24日 (木)

マイ・シャローナ!(涙)

ザ・ナックの元ドラマー ブルース・ゲーリー、死去

掲載日:2006/08/24  

 

今でもTV-CM曲に使われる大ヒット曲「マイ・シャローナ」で知られる、ザ・ナック。そのザ・ナックの元ドラマー、ブルース・ゲーリー(Bruce Gary)が8月22日、癌のためロサンジェルスの病院にて死去した。享年54歳。  
  ブルース・ゲーリーは米カリフォルニアに結成されたザ・ナックの一員としてデビュー。シンプルでストレートなギター・ポップで注目を集め、世界的な大ヒットとなった「マイ・シャローナ」などを含むアルバム『ゲット・ザ・ナック』を79年に発表。  
バンド以外でもレコーディング・アーティスト、ライヴ・メンバー、プロデューサーとして活躍しており、これまでにジョージ・ハリソン、ボブ・ディラン、ロッド・スチュワート、シェリル・クロウらと共演していました。  
今回の訃報を受け、自身もつい先日に脳腫瘍の摘出手術を終えたばかりのザ・ナックの元フロントマンDoug Fiegerは“彼は偉大なドラマーであった”とコメントを発表しています。
心よりご冥福をお祈りします。 http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=12590


あなた達のおかげで
数え切れないほどの若者が音楽に歩み寄り、音楽を楽しみ
さらにその中でも極めつけのお馬鹿な若者が
ふれる事さえなかったギターを手にし、歌う事を始め
今のこの音楽シーンを、創り上げてきました。

本当に、有難う。
ご冥福を、心よりお祈りします。

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2006年8月23日 (水)

CHERRY THE DUSTMAN

「勝手にしやがれ」さんとオダギリジョーのコラボCD、ついに手元に届きました~(拍手)

 実は先日ファンクラブライブで配られたこのCDのチラシに、すっごい衝撃的なことが書いてあって、その時からCD全曲通して聴くのをものすごくものすごくタノシミにしてたんですよ。曰く
『この「チェリー・ザ・ダストマン」、歌詞のモチーフとなったのは、映画「未来世紀ブラジル」でのロバート・デ・ニーロ演じるちょっとこっけいなダクト修理工だという』
『オダギリくんとは、わかりづらいかもしれないけれど、前衛というもののわかりやすいところを引き出して《未来世紀ブラジル》っていうテーマを上手く表現できたかな』


「未来世紀ブラジル」!
同じテリー・ギリアムでも、モンティ・パイソンやバンデットQじゃなくて
「ブラジル」なわけですか!!
そりゃあガンバって聴こうじゃないの、って普通思いますよ!普通!!
少なくとも誰が見ていなくても
オダギリジョーだけはこの映画見てるだろうし、
デ・ニーロが曲のモチーフとまで言い切っているんですからね。
ギリアムが小耳に挟んでもGJ!くらいの出来、ではあるんだろうと、
いやが上にも期待は高まるわけですよ!!
昨日「ローズ・イン・タイドランド」のレビュー書いたのも
そこで監督の話ほとんどしなかったのも、
きっと今日書くこといっぱいあるだろうと
とって置いた(^_^;)からなんですが。

結局、DUSTMANもCOWBOYも、もし「ブラジル」をディズニー監修で家庭向近未来アニメとして撮っていたら、こんなBGMがついたかなぁ、という感じの、かわいらしい口当たりのいい曲でした。実際ギリアムは最初は優れたアニメーターであったわけですし、三人いるお子さんに、ジョージ・オーウェルの「1984年」読ませるよりはイイカモ、ぐらいな事は考えて・・・ないかな(^_^;)
 ちなみにこの、アルプスの少女ハイジ2人(笑)が箒を持っているのが初回版限定ジャケットなんだそうで。ダストマン君はこんな感じv

 私的には、意外な事に "RISE&FALL"(「座興の皮」) が一番面白かったです。これはブラジルまで行かなくても(笑)、そしてNYのジャームッシュなんてかすりもしなくても(笑)、とりあえず音はきれいにするすると耳に入って来たので、心地よかったし愉しかった。武藤氏は「最初にオダギリ君のデモ音源聞いた時、曲にするのは不可能だと思った(前述のパンフ)」そうですし(笑)、「勝手」さんのつけるアレンジを聴いていても正直もてあまし気味でして、少し指向が違うのかもしれないとも思ったですが、それでもこれがメインなのか、というくらいに、存在感ありまくりでしたvv 好きです、こういうのvv

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ローズ・イン・タイドランド

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「ローズ・イン・タイドランド」見続けていますv去年の「メゾン・ド・ヒミコ」と同じく、また新宿某映画館で顔を覚えられつつあります(笑)公式サイトへは写真からどうぞ。




 ツボにハマった、としか言いようがありませんが、私はこの映画の「美しさ」がとても好きです。癲癇の少年も「荒地の魔女」もかわいそうな(^_^;)パパとママも、出てくる人は皆、少女特有の残酷なまでにストレートな「眼」で裏も表も無く(夢の世界に居てさえ!)容赦なく暴かれ続けるのですが、それでもなお、というかその事によって、それがまるでひとつの記号かモチーフにまで昇華したかのように、敢然として美しい。それを美しいと思わる監督の美学は本当に突き抜けて強烈で、見る人を虜にせずにはおかないと思います・・・全員とは言いませんが(笑)。

 というのは、たぶんですが、童話独特のシュールさや象徴的な耽美、自己完結でしかない(笑)論理、といったこの手の世界特有の「符号」に慣れていないとこの映画はワケワカランと思うからです。西欧の近現代音楽、舞踊演劇、キュビズム以降の現代絵画、日本で言うと能や謡に慣れた人なら、見飽きるほどしょっちゅう出てくる主題だと思いますが、それ自体、そんなに人気のあるジャンルぢゃないですしね(^_^;)。ラベルとシェーンベルグを足して2で割ったような「遠くで感じるおとぎ話」、エゴン・シーレとカンディンスキーを足して2で割ったような「砕け散った淫靡と衝動」、"葵上"や"野分"のような「自在な死と生」・・・そんなものがぎっしり詰まっていてなお、映画はアリスやマザーグース(「女の子って何でできてる?」)にあるような、心臓に悪いくらい生身の(笑)ワクワク感とドキドキに満ち溢れています。そして何を隠そう私も子供の頃、ほんとにコンナ世界に住んでいたので懐かしくてたまらない、とか言ったらヤバい、ですかね、さすがに(笑)

 主演の女の子はホントにかわいいです。まるで麻生久美子さんを子供にしたような、存在で語る演技。彼女を見ていると、女の子って、本当に「すてきな何もかも」で出来ているんだなぁと、まるで年老いた魔法使いのような(笑)イジワルでシアワセな気分に浸れます。
・・・自分には魔女の因子がある!と思う老若男女の皆様、あなたならきっと大丈夫です(笑)是非どうぞv

 

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2006年8月21日 (月)

水の花

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第15回PFFスカラシップ作品。この賞は、園 子温さんや李 相日さん、荻上直子さんのように当時既に「できあがっちゃってた」即戦力監督にも与えられるかと思えば、今回のように「その意欲を買う」監督にも与えられる、面白い賞です。出品作品のみで選んでいるのがよーくわかりますが(笑)。

私は個人的に、このように静謐で硬質な世界を描く映画はとても好きです。たいへんインパクトのある主題(^_^;)が低層で鳴り続けますが、それでも奇をてらうことなく一つ一つの絵はじっくりと重ねられていきます。妹役のひまわりちゃんは本当にかわいい(攫いたい・笑)し、姉の寺島さんは、刻一刻と変わるこの時期の少女特有の表情をこれ以上ないほどくっきりと見事に魅せてくれてます。しかも、この監督の面白いのは、それだけじっくりと丁寧に絵を作っていきながら、どこかでふっと箍を緩める(笑)ような事をするんですよ。そのおかげで映画全体が地面からほんの少しだけ浮き、どこか童話のような寓話のような非現実的な空気にふわりとつつまれる。叙情という視点、詩情というものが映像の儚さを下から支えるものだとすれば、この監督の確信犯的「すかし」は映画を上からつり上げて、その重さを感じさせもし、同時に不思議な浮遊感をも見せるものです。笑いをとらないボケ、とでも言いますか(^_^;)、その不思議な力の抜き方は、実は今まで小劇場や商業演劇がずっともとめてやまなかった「自然体」の対極にある「冒険」なのだ・・・とわかったのは映画見終わった後でしたが。

 異空間に現実を切り出して自在に再現する「芝居」というものに、宿命的に並存する「あざとさ」「わざとらしさ」を、逆手にとったセンスそのものがとても面白いです。次はどんなボケを有効活用してくれるのか(笑)今からとても楽しみですvv


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2006年8月20日 (日)

真昼の星空

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とっくにここに書いたと思っていましたが(^_^;)東京は実はもう上映が終わっています。大阪・神戸の方はこれから公開されますので機会があれば是非ご覧下さい。公式サイトは写真からどうぞ。

 人を殺す道具でしかない若い男。残りの人生を無為にしか感じられない女性。自分の日常に空しさだけが詰まっている若い女性・・・が、それぞれの「空白」を抱えてふと、つながります。沖縄を撮り続ける中川監督3作目。香椎由宇さんの初出演映画、でもあります。

 ヒットマンのつかの間の休息、という設定だけで強烈に魅かれてしまう私は、この映画を冷静に語る資格は無いかもしれません(笑)。でもそのようなヒトタチが出てくる香港映画やマフィア映画にはおよそ感じられない、突き抜けた、ひどく明るい開放感がこの映画全編を覆っています。事件らしい事件が起こるまで映像は丹念に各々の心の襞を追い続けていくのですが、それが決して内へ内へ篭っていかない。彼らは、たとえて言うならひどく大きな空間の中に置かれたたった一つの点。その、周りの、あっけらかんと白々しいまでに明るい空気の中で、「点」の所在なさ、むなしさ、無力感はイタいほどに伝わってきます。その中心にあるヒリヒリとした孤独。ホストのようなヒットマンは立ち止まる事すらなく、女性は遊びなど必要としない程生きる事から距離を置き、若い女性は「今」の先にある未来に目を閉じてしまっている・・・のに、そのまわりにどうしようもなく拡がる茫漠とした空虚。決して逃れられない切り立てられたような空虚。この映画独特のこの感覚・・・これは、いったいどこから来るのか。
 私は沖縄に行くと、人のあたたかさや自然の豊かさという事以前に、自分の存在のむなしさや捨て置かれたような頼りなさを、漠然と、しかしひしひしと感じてしまうのですが、そんな私にとっては、この映画も「沖縄」を描き出しているように思えてなりません。あの明るすぎる高い空とむやみと広い海には、人の孤独を殊更に際立たせる有無を言わせぬ残酷さがある、様な気がするんです。監督が、この映画を、およそハードボイルドなどとは無縁の筈の、ひたすら豊かで美しい沖縄でわざわざ撮ったのも、そのもう一つの沖縄の姿を描きたかったからなのではないかと、そんな風にさえ思えます。

 映画は切ないラブストーリーです。3人はそれぞれの「空白」を抱えたまま、一瞬火花を散らして燃え上がります。それはまるで線香花火のように、あとに広がる闇のいろどりでしかありません。それでも、そうせずにはいられずに、突き動かされるように飛び込んで行く彼ら。その衝動。それはまるで自分の事のように、心に刻み付けられていきます・・・都会の、クーラーのきいた映画館に、たった1人で、座っている事も、忘れて。

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ガーダ パレスチナの詩

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「ガーダ パレスチナの詩」見てきました。公式サイトへは写真からどうぞ。UPLINK Xという、こじんまりとソファでくつろげる映画館その2(笑)で見てきました。5月の連休から、異例のロングランを続けています。

 今年3本目のドキュメンタリー映画。今年はこの分野に秀作が多いようです。事実が小説よりも奇、というより、昨今は人間の想像力が到底現実に追いついていない、という事なんだろうと思いますが。映画の、レバノン・難民キャンプで炸裂している砲弾は、このひと月ほど、更にパワーアップしてかの地に降り注いでいます。あのニュースに出てくるピンポイントミサイルの下で、今日もこの映画と同じ暮らしが営まれているのだと思うと、今見ることこそ意味がある映画なのだと思います。

 映画に出てくる主人公の女性、ガーダは、どちらかと言うと私たちと同じような現代感覚の、因習や伝統にはあまりとらわれない(笑)生き方をしています。その彼女が結婚し出産する人生の合間には、いやもおうもなくパレスチナの戦いが描かれていきますが、この橋渡し役の彼女のおかげで、私たちは戦いの後ろに今も受け継がれているパレスチナの平和な「文化と伝統」をだんだんと理解していきます。そして、キリスト教はユダヤ教(イスラエル民族)とは一線を画していますし、さらにイスラム教とは何の共通点もないのですが(笑)、それでも私にとってそこに繰り広げられる風景は、まさしく旧約聖書に描かれている世界そのもの、でした。羊やヤギを追い、作物は豊かに実り、労働の合間には歌垣をかわす。きっと2000年前の人たちも同じようにのんびりと豊かに暮らしていたのだろうなぁと思ったら、胸が熱くなりました。紛争当事国がその豊かな文化の中心にすえていたはずの生活。今ではすっかり忘れ去られているもの。もしこの紛争が、たとえば単に、丘の上の豊かにオリーブの実る地を巡っての争いなら、まだ救われる気もするんですが。

 私はクリスチャンでユダヤ教徒ではありませんが、旧約聖書の部分はほぼ一緒なので、彼らイスラエル民族がカナンの地にかける思いは痛いほどよくわかります。約束された地。彼らの先祖はただその約束だけを信じて40年も荒野を彷徨い続けたのであり、後世国を追われ世界に散らされた後は、カナンの地だけがイスラエル民族の目的であり存在意義であり精神的支えでした。でも、その「旧約」が、現実にそこに住んでいる人を蹴散らしてまで自分が住む理由になるとは私にはどうしても思えない。あるいはこのあたりは、先住民族を蹴散らして国を作ったアメリカ人には他人事でなくよくわかるのかもしれませんが。イスラエル建国時の武勇伝・決死の戦闘の数々はまるでその信仰の証であるかのように今に至るまで語り継がれています・・・。

 しかしそんな血なまぐさい事情を抱えこんでいる筈のこのドキュメンタリーが、凄いのは、実に実に細心の注意をはらって編集作業をしている所。家長と戦うフェミニズムからも、シオニストからも、驚く事にインティファーダからさえ、一定の距離をぴちっと保ち続ける。そこから政治的イデオロギー的メッセージを取り去ることの難しさは、N○Kのドキュメンタリーを見ていてさえよくわかりますが、この編集者は目の前の家族の物語の真実だけをブレずに描くという座標軸を最後まで守りきり、それを通してこの混乱の世を見事に解き明かしていきます。「客・中・公」などとっくの昔にどこかに置き忘れてきてしまった新聞・メディアには、求めても得られない「感覚」であり「職人技」・・・それだけでも、ご覧になる価値は充分にあると思います。

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2006年8月19日 (土)

ジョルジュ・バタイユ  ママン

Maman 「ママン」見たのは少し前になります。公式サイトは写真からどうぞ。

 主演のイザベル・ユペールとはなぜか最近ご縁があって(笑)、写真展も行きましたし、アンリ・カルティエ=ブレッソンの映画の中では真摯な語り手として素の彼女が熱く語るのも見ましたし、今月号のキネ旬ではちょっとびっくり黒澤明監督と対談v・・・そしてこの対談読んで私も、なんというか遠慮なく(笑)レビュー書く気になれました。よかったです、彼女が「サソリ」で(笑)。

 私はこの原作(3部作のひとつです)が映画化されるとチラシで読んだ時、「ああビジュアルで選んだのね~」と思いました。あまりムツカシイ事考えなければ、この話には母を慕う若者、南の楽園、頽廃的な母・・・とまるでヴィスコンティやルコントのような美しい映像が撮れる条件が確かに揃っていたからです。ところが、この映画はなんとそのムツカシイところを前面に押し出してきていまして。それにまず瞠目しました。もちろん映像は美しいし母も息子も美形vですからぼんやり見ていても楽しめますが、気楽に見ていると途中からその重さlまじめさに辟易するかもしれません。稲垣足穂や夢枕獏の描く世界を何の暗喩もメタファもなくむき出しにさらけ出す、そのドライな感じが、苦手な人もいるでしょうし、そうなると単に汚く猥雑な絵にしか見えなくなると思うので。

 私がムツカシイな、とバタイユを読んでいつも思うのは、彼の哲学(?)の根底にある「堕ちていく事への後ろめたさ」です。カトリシズムという強烈な足枷とエディプス・コンプレックス(^_^;)は、バタイユのどの作品にも影を落としていて、それはこの映画にも強く刻みこまれています。だから堕落によって神との訣別とを諮ったり、自身の解放を求めたりするといった、自分自身に対するひどく高尚な「いいわけ」をすわけです。だから堕ちていく事にいつも葛藤と逡巡が付きまとう。そしてそれでもそうせずにはいられないのが「生」である、と喝破しつつもバタイユは悶え苦しむのです。その見た目激しくドロドロで徹底的な堕落vの向こうにある精神の崇高さたるや、人智のたどり着ける範囲を越えています。
 映画では、たとえHをしていてもそこに感じられるのはエロスではなく「結果としての動作」であり、葛藤の具現としての肉体です。そして絵のように見事に頽廃の表れとして人が存在しています。それを単に汚い性とみるか(いや、ホント汚いです)、それをも丸ごと生としてうけとるかという事で悩めば、それがそのままバタイユの世界です。このあたり、私は映像に出来るとはまったく思っていなかったので、驚きと共に心の底から愉しみました。そしてユペールの思索に満ちた目の輝きも、その底に流れる原初的なエロスとの皮肉なせめぎ合いを終始一貫力強く見せてくれていました。先にあげた対談で、彼女が自分を「わにに乗って河を渡るサソリだ」と語ってくれているのを聞いてホッとしたのもまさにこの部分です(^_^;) それを自分のうちに認めているからこそのあの演技だ、と何だかとても腑に落ちたので。

 しかし!バタイユが思いもよらない地球の反対側の小さな島国には、堕落ということに「何の罪悪感も感じない」何にもとらわれず最初から一切を捨てきっている不真面目きわまりない(笑)人生哲学が、一方で神性も失わず、脈々と受け継がれているんですからスゴイですvvそこにあってはそもそも「何で苦しんでいるのか」すらわかりにくいかもしれません。
・・・だいたいそんな事でいちいち悩んでいたら誰ともH出来なくなっちゃうしぃ、それで誰に迷惑かけているわけでもないしぃ・・・渋谷辺りのお姉さま方には正しく一蹴されそうですよね、マジで(^_^;)。

 

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2006年8月18日 (金)

「山椒魚」サントラ&Podcast!

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「パビリオン山椒魚」のサントラが、ついに9/16発売!
予約はこちら。公式へは写真をクリックして下さい(このシーンすごく好きなので嬉しくてうっとり・・・)。
菊池成孔って誰!という人にこそオススメしたい強烈なアルバムです。
曲もさることながら、各々につけられた題名に大笑いしてしまいましたvv

オンライン価格¥2,200(税込)
国内盤 CD 発売日: 2006/09/16
レーベル: ewe records  組枚数: 1  規格品番: EWCD-0127

1『コンラート19 take1/Conrad19 take1』
2『コンラート19 take2/Conrad19 take2』
3『コンラート19 take3/Conrad19 take3』
4『オメルタ/omert?』
5『映画女優は体操服の夢を見る/Her Visionary Gym Suits』
6『夜と蟹/Night and Crabs』
7『ストランゴラーレ/Strangolare』
8『女子高生は橙色の列車を見ない/Her Invisible Orange Trains』
9『麗人アンナ・ベルタ/Frau Anna Bertha』 10『Can you X-Ray me?』
11『すばらしい生命の息吹/Un souffle merveilleux de "KINJIRO"』 
12『妖婦ユスティーナ/Signora Ustina』
13『グラン・パレの日本人/Le japonais de Grand Palais』
14『モンテ・ヴェリタ/Monte Verit?』 
15『癇癪テレビ、吃音テレビ/Hot-tempered TV, Stammering TV』
16『ろろろ六ぽピ本木の阿片窟/Opium den in rororoROPopiPONGI 』
17『トゥーリと彼自身の更新物語/Salvatore e la sua propria storia di rinnovamento』
18『イル・カメラータ/Camerata di“Tierra Del Fuego”』
19『ヴェンデッタ/4 for Vendetta!』
20『ケネスの知らない百万円/1 Million yen which Kenneth Cooper doesn't know』
21『風船騒動/Der Luftballonkampf』
22『シャンプーボール/Incredible Shampoo Balls』
23『KEEP IT A SECRET』

横文字を是非じーっくりお読み下さい(笑)

それからここでこっそり切望していたオーディオポッドキャストもついに配信開始です!第一回は菊池氏の生声が聞けますっっっ!!(どんな宣伝だ・笑)

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2006年8月17日 (木)

ジム・ジャームッシュ/アーリーコレクション

ジャームッシュファンの皆様、朗報ですvv
プラチナDVD、ジャームッシュの初期三部作がBOXになってついに発売されます!!現段階で予約できるのは TOWER RECORD 宜しければここからどうぞ。

ジム・ジャームッシュ/アーリー・コレクションDVDBOX
<初回限定生産>(4枚組)
オンラインセール価格¥9,056(税込)
オンライン価格¥12,075(税込) 今なら¥3,019(税込)OFF!
国内盤 DVD 発売日: 2006/11/22 組枚数: 4 規格品番: KIBF-90401

■詳細 <封入特典>
★36Pオリジナルブックレット
★劇場公開時のパンフレット・チラシの縮小版
★DVD4枚組仕様 <収録内容> 
【DISC-1】:「パーマネント・バケーション」
【DISC-2】:「ストレンジャー・ザン・パラダイス」
【DISC-3&4】:「ダウン・バイ・ロー コレクターズ・エディション(2枚組)」

特に「パーマネント・バケーション」はまだDVDになっていなかったファン待望の一枚。
バラ売りもしてますので、正価で買えるうちに(笑)是非どうぞ。

ああ、待っててよかったぁ~~~~~~(涙)

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チェリー・ザ・ダストマン(1)

 昨日まで、実は実家でPCと無縁の生活を送っておりました。いい機会なので、記事を日時を指定して公開、してみました。毎日携帯からちゃんと上がっているか見てたんですよ~(笑)もう端末は携帯の方がメインになりつつあるかもしれませんね。

 で、そのPCなしの生活をもうひとつ和ませてくれたのが、行く前に小次郎さんの所で教えていただい「Sony Music Online 」の携帯サイト。ここで「チェリー・ザ・ダストマン」の曲とPVの一部が携帯にダウンロードできるんですよ~PVそのものは見たのですが、携帯に落とせるとどこでも見て楽しめるのでうれしかったvv

携帯でここをご覧の方はこちらからどうぞ
(URLはhttp://www.sonymusic.co.jp/j/Arch/Katteni-Shiyagare/)
PCから詳細をご覧になりたい方はこちらへ。
↑ページのvodafoneの説明は
「vodafone live!」 → 「メニューリスト」 → 「芸能・映画・音楽」 → 「音楽」 → 「Sony Music Mobile」 となっていますが
「vodafone live!」 → 「メニューリスト」 → 「芸能・映画・音楽」 → 「レコード会社」 → 「Sony Music Mobile」 の間違いのようです・・・

 コンテンツは3つです。
  1.チェリー・ザ・ダストマン(イントロ~一番ver.)
  2.同 (2番サビver.)
  3.着信ムービー チェリー・ザ・ダストマン

私はvodafoneなのですが、各々210円かかりました。
対応機種一覧以外でもダウンロードできるものもあります。失敗した場合は課金されない筈ですので、もし宜しければ一度お試しください。

こうやって歌詞の一部だけ聴いていると、オダギリ何だかやんちゃな「魔女の宅○便」みたいでかわいいんですよ~(笑) 声もやっぱりやさしいですし。続きが売り出されるのももうすぐですからどうぞお楽しみにですvv  こちら から予約できます。


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2006年8月16日 (水)

夏アニメ(3)時をかける少女

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 とても失礼な言い方をさせてもらえば、正直コンナに大ヒットするとは思っていなかった作品。往年の大林宣彦監督作品をご存知の方も、最近アニメはほとんど見ないという方も、よければこの機会に久しぶりに「劇場の熱気」というものにふれてみるのもいいかもしれませんです。

 私は、この映画は久々にうなるほど感心しまくりだったのですが、それは話の運びのうまさ、驚異的な職人技、観客をひきつけて離さぬキャラの勢いとその魅力といった、いわばアニメとしての完成度の高さに惚れ惚れしてしまったという、マニアックな感動でして(笑)正直凄くいい映画なんだけど主人公が女子高生と言う事もあり、これはオタクな兄さんたちにしか受けないだろうなぁと(^_^;)思っていました。

 ところがその丁寧な仕事ぶりはストーリーを緻密に丁寧に支え、またそれがこの監督の持ち味「見ている人に是非わかってほしい」という熱い双方向指向との相乗効果で、すごくストレートに見る人の心を打つんですね。話自体はベタでいかにもありがちですし、主人公もいかにもイマドキの(笑)女の子で、はっきり言って目新しい事は何一つないんですけれど、緻密に計算されつくした「普通」が、見る人すべてに共感を抱かせる。オタクは、その「普通」が、一切の無理と無駄を排し流れるように話を運ぶからこそ出来る事で、それが何でも描けるアニメでは実は至難の業だという事を知っているから、唸っちゃうわけですが(笑)、その「普通」は、ほんとは普通の観客も(笑)欲していたものだったのかもしれないんですね~ もちろん監督は「普通の観客」にもそれが届くに違いないと思って職人気質を押し通したに違いないんですが、それがほんとに人の心を揺さぶるものになっている今の現状は、本当に凄いと思います。

 現在、「かもめ食堂」に続く口コミヒット第二弾となっています。こういう映画の評判が良いというのは、何だか嬉しいようなこそばゆいような不思議な気持ちですが(笑)、きっとそれ以外にもいろいろな好条件が重なったのでしょう。幸せな映画、だと思いましたvv

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2006年8月15日 (火)

夏アニメ(2)ブレイブ・ストーリー

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 これは、原作とは別の意味で、かなり子供にお薦めの映画でした。原作読んだ事のない大人の方にも是非お薦めします。公式サイトは写真からどうぞ。

 原作は作者の宮部みゆきさんが、ゲームにのめりこむ子供達に「ゲームより面白いものがある」と見せたくて書き始めたものです。ですからのっけから子供達になじみの深いゲームの世界がこれでもかと出てきます。そこだけでも本当に並のゲーム小説にはないさすが!と思える迫力なのですが、宮部さんはその最後にもう一つ別のテーマを提示します。「では何でゲームやっちゃだめなのか」という事です。そしてそれについて実に真摯に考えた部分を特に取り出したのがこの映画です。

 スクリーンの向こうはゲームという異世界。一般のゲーム世界の理屈をなぞって描き出されたこのゲームの「不思議なルール」によって、子供はいつもの感覚でゲームをしながら実は「現実世界の実態」をいやおうなしに見せ付けられていきます。さすがに大人は途中でその寓意に気づきますが、それでもこのあたりは原作でもかなり骨太なところなのに、全く説教臭くなく「ゲーム」という設定をうまく生かしていて、映画の言わんとしているところがよく伝わってきます。ほんとうに世界は願えば変わるのか。それは実はボタンを押せば先へ進める都合のよいゲームと同じく、自分をなぐさめる為の都合の良い想像でしかないのではないのか。しかも実際に願いがかなわない事もある。願いが叶わなかったその時、ゲームならリセットすれば終わってしまうが、現実にはその自分を投げ出すわけにはいかない。最後に自分を引き受けるのは自分しかいない。その時「それでも生きていこう」と思える事が、本当は一番大事な事なのではないか。それが「勇気」なのではないか。
 大人の側から言えば、「君達がこの世を変える」と教え続ける大人自身が実は、いずれはわかる現実に蓋をしてしまっていて、実際の現実とのギャップにぶち当たった子供から真っ先に勇気と希望を奪ってしまっているという事実に気づかされます。ほんの少し前まで、右肩上がりに願いをかなえて「行かなければならない」という大人世代の共通認識だったものが、いまやゲームの世界同様片手落ちの一面的なものとなっている。その中では想定外だった、今までは蓋をしていた「叶わなかった時」を生き抜く力、それこそが今や現実の人生にはとても重要なものとなっている。しかしそれについて語る言葉を大人は果たしてどれほど持っているでしょうか。明るい未来は子供に託して、後は野となれ山となれ、なのでしょうか。

 原作の宮部ワールドからは割愛されてしまった部分が多々あります。しかしテーマを原作の第四章に絞り込んだことで、この深遠な主題をきちんと子供の世界に送り届ける事が出来ていると私は思います。一緒に見ている大人は更に更に考えさせられる事が多いでしょう。そういう意味で、大変お勧めの映画です。

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2006年8月14日 (月)

夏アニメ(1)ゲド戦記

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子供と一緒で無ければ見に行かなかったと思うので、今回は夏映画3作を母親の視点で感想書こうと思います。

最初は「ゲド戦記」。公式サイトは写真からどうぞ。
 これは原作がよくナルニアや指輪と並び称されるので各所推薦図書にもよく挙げられていますが、私は自分が実際に小学生の時に読んだ経験から、自分の子供に薦めるのは最後までためらいました。この本が投げかけてくるテーマはかなり難解ですし、ある程度の人生経験が必要です。
 映画は、名前はゲド戦記ですが実際はゲドの弟子、アレンの物語となっています。その分子供には親しみやすい話になっていますし、シビアなシーンも描かずにすんでいます。ただ脚本の段階で2つミスがありました。一つはこの物語全体の中核をなす光と影の融合シーン。これは100の言葉を尽くすよりアニメの独壇場だと思って期待してたのですが、なぜかそれを絵にしてあらわす事がありませんでした。そのため、原作を知らない人には更に難解な話になってしまいましたし、子供にとってもなかなかイメージが膨らまなかった事と思います。それから、この映画が原作から取り出したテーマとその答えが、単に文章で説明されてしまっている点。「死から目をそむけた生」と「死に向き合った生」の違いは、その類の共通認識や経験がなければ、言葉という抽象的な記号だけではなかなか伝わらないと思います。子供にしても、そこをせりふだけで済まされてしまっては学校の授業と同じ事で(笑)、それならわざわざ映画にしなくてもよかったとさえ思います。絵そのものの雄大さは、さすがに本の理解を助けて余りある美しく緻密で素晴しいモノでしたので、その二つがないために盛り上がりに欠けた、というのは本当に惜しかったと思います。

 良いと思ったのは、原作ではあまりパッとしないキャラだった(笑)アレンがとても繊細な魅力的な男の子になっていたところ。こういう静かで芯の強い子が主役となる映画は今までありそうでなかったと思いますし、今の子供達にとってはどこか親しみのわく人物像でしょう。単純な勧善懲悪映画ではなかったからこそ生きたキャラかもしれませんが、宮崎アニメの新しい主人公像として期待が持てました。


































 









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2006年8月12日 (土)

旅芸人の記録

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「BOW30  映画祭」の、私的最後の〆は、やはりこの作品でした。写真クリックすると映画祭公式ページに飛べますが、そこにも書かれている通り、意外にもこの作品が日本でのBOW映画人気の嚆矢だったのです。そして作品に優劣をつけることはもとより到底出来ませんが、それでもこれを越える映画はもう作られる事は無いだろうと、それだけは言えると思います。「旅芸人の記録」です。

 日本で言うと大河ドラマかNHK特集のように、ある旅芸人一族のたどった道をギリシャ激動の時代と絡めて静かに語った作品です。限りなくドキュメンタリーに近く思われますが、監督はこの重厚長大な歴史と人のかかわりを前にして尚それに呑みこまれることなく、一段高いところからしっかりとすべてを俯瞰し、慈愛に溢れた眼差しを細部にわたって向け続け、神の様に透徹した目と哲学をもって映像を組み上げて、映画と言うひとつの「作品」に仕立て上げました。人の一生を題材として人類普遍の真理を解き明かすという物語の形式は古来数多くありますが、それは、作家の手を通して、その実人生をその人と共に一生歩む以上のものを昇華した形で得られる事に意義があるのであり、この映画もそれと同じで、記録が記録に終わらず、経験と記憶として人の心に残る事の意味を、最後のひとつまで見事に掬い上げ取り出して魅せてくれます。なんという、映画、なんでしょうか。

 この、テオ・アンゲロプロスという人が持つ、胆力と知性を兼ね備えた鋭敏な感性と、強力な生命力が作り上げた骨太で厳格な哲学は、もう大地を離れて久しい現代人には到底望むべくもありません。私たちがこれから撮っていくのはもっと別の映画であるはずです。ただ、この映画やそれに類するものが運んでくれていた「時を愉しむ」ひとときというものが、これからは贅沢なものとなるのかもしれないと思うと、それが少し寂しい気がします。一日つぶしてマーラーの交響曲聴きとおす、とか、四鏡を飛ばさず読み通すとか、「時」を愉しむよすがとなるものは世に数多あると思いますが、映画こそ、その使命を果たすのにふさわしいのだと教えてくれたのが、この監督だったのでした。







 


 

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2006年8月11日 (金)

キングス&クイーン

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「キングス&クイーン」見てきました。公式サイトはこちら


今日実は「旅芸人の記録」見てきたんですが、どうにも話が大きくて感想がまとまらないので(^_^;)先に最近一番「うまさに感心した」映画を紹介させて下さい。

 これは、何というか「映画ならでは」の人物描写でした。題の通り、キング(父)とクイーン(長女)の人となりがメインで描かれていくのですが、いわゆる説明的なせりふや描写には一切頼らず、そのかわり情景から点描に至るまであらゆる映像を駆使してじっくりとその内面をあぶりだしていきます。なので、まるで実生活で人とだんだん知り合いになっていく時のように記憶が積み重ねられ、そこに現実的な大きさが感じられます。映画の長尺としてはとても長いんですが(二時間半)、この不思議なエキセントリックさを内に秘めた2人の行動に何とかして意味を見出そうとして(笑)どんどん彼らの内側に踏み込んでいくのです。抽象的な映像はひとつもないのに、それが彼らのメタファそのものに見えてきてしまうくらい。その過程は生半可なミステリーより余程面白かったし、最後に父が突きつける最後通牒と、それを呑みこむ長女のしたたかさは、彼らをそこまで見てきたからこそ、本当に圧巻、でした。

 そして唯一言葉で説明されるのが「エピローグ」なのですが、これが長女の2番めの夫の真の姿を垣間見せている・・・ようでいて実は映画全体の主題を言葉にして出してしまっているんです。そういうものは普通、感得して下さい、と観客に放り投げる事が多いのですが、そしてこの映画なら放り出されても(ここまで長かった分・笑)誰も文句言わないと思うのですが、監督が隅から隅まで文字通りきちんと「監督」している証拠に、最後に実に鮮やかな詞書が映画を締めくくります。これも、昨今では珍しく丁寧なつくりだと思いますし、お馬鹿な私にはたいへん好ましい(笑)映画でした。ぶっちゃけ、これだけ年をとってくると目新しい事件や事象なんてそうはないので(おいおい)、取り上げられている題材そのものよりも撮り方、その裁き方の方にどうしても目が行くんですよね。そういう意味では、描きたいものがきちんと決まっていて、描きたいように自在に描いて描き尽くす事が出来るこの監督は、ありそうでない、ほんとに凄い実力の持ち主だと思います。あんまりいい例えではないかもしれませんが、島崎藤村や井上靖、大岡昇平などのような、地に足の付いた作風に素直にとてもこころ打たれました・・・出てくる人物がもっと現代的に「洗練」(笑)されていますけれどね。

 それと私は、今までどちらかというと苦手なタイプだった長女の2番めの夫(笑)にこの映画ではどういうわけか物凄く心魅かれました。それだけ深く、掘り下げて描かれていたのだろうと思います。彼に関するエピソードは、キングにもクイーンにもゼンゼン関係ないようでいて、実は彼ら2人が自分の座標を定めるために、とおりいっぺんの男では到底なしえない特別な座標軸を提供してくれてます。それは映画としてとても上手いと思うし、そのやり方も(他人事だからかもしれませんが)とても素敵でした(笑)。

 長編小説が好きな方には、なじみのある世界なんではないでしょうか。映画より読書、という方にお勧めして、感想を語り合ってみたくなるような映画でした。

 

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2006年8月10日 (木)

ハードキャンディ

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「ハードキャンディ」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。

 これはおこちゃまには見るのつらい映画だと思います(笑)が、私的には今年一番のお勧めです。ネタばれせずにはいられないので以下は反転にしますが一言だけ。人は、他人の痛みにはどこまでも鈍であると、今回身を以って体験しました・・・予告で話題のアノシーン、私、思わずガッツポーズしてましたよ(^_^;)

 友人がロリコン写真家とその仲間にもてあそばれ殺害された女の子が、周到に用意して復讐を遂げる話です。出会い系サイトで男を釣り、会う約束を取り付け、そのまま彼の自宅へ行きます(注:アメリカではこの時点で少女の意思にかかわらず成人男性の側が法律違反)。父からくすねた薬を入れたスクリュードライバーで男を昏倒させ、イスに縛りつけ、まずこの自称風景写真家の「秘蔵写真」を証拠品として家捜しします.少女の力ですから縛る力にも限界があり、男のほうは実に知的に言葉巧みに女の子をだまそうとしますが、彼女が本当に終始一貫冷静で、しかも(ここが大事なのですが)男をモノとして扱う視点がずっとブレない。男性諸氏はこの彼女の姿勢にとてもむかつくと思いますが、ロリコンの男もこれには平常心を保っていられません。そのせいで男の怒りは常に一触即発状態、異様な緊迫感が続きます。このあたり、ものすごく見ごたえあってほとんど会話劇なのにぐいぐい引き込まれます。
 証拠を押さえた彼女は逃げ出そうとする男を再び昏倒させ、手足をテーブルに縛りつけて「手術」に取り掛かります。どんなに泣いてもわめいても「嫌だ」「やめて」は聞き入れてもらえない・・・お分かりと思いますが、女の子は実に周到に、少女でありながら犯されると言う事が、精神的にも社会的にもそれからその子自身の人間形成的にもどれほどのダメージを与えるものなのか、「同じ理屈」「同じ手口」「同じ残酷さ」できっちり男に体験させているんです。そこが実に半端じゃない。ただの「復讐」ではないところが凄いんです。そして私なら女性がレイプされる映画なんてすすんで見ようとは思いませんが、驚いた事に当日客席の半数以上は勇気ある男性諸氏で、その「切る」シーンでは客席が異様な緊迫感に包まれました(笑)「切った」あと、タマをフードプロセッサーにかけちゃうんですが、そのゴリゴリという音ではほんとに小さく悲鳴が聞こえてきましたからね。
 ただ、ほんとにすりつぶしたらただの猟奇事件。やっとの事で縄を外した男は、自分のタマがでかいクリップで挟まれていただけと知って、余計に逆上します。私がこの映画を凄いと思うのはまさにここで、男は怒りにまかせて刃物を振り回しながら、いつしか女の子の代わりに女性の写真をめった打ちにします。そして自分が何故ロリに走るのか自分で気づくんです。女性にもてあそばれる事に耐えられない自分。その臆病で幼稚な自尊心に蓋をするために、「強い自分」を作りださずにはいられない自分。つまりそうしないと実は自分は今にも崩れ落ちしてまいそうに崩壊寸前の情けない男なのだということを、ここで男ははっきり思い知らされるわけです。そして女の子の復讐の目的も実はそこにあった。そのあまりにもむなしい動機を改めてつきつけ、男に自身を悔いて絶望してほしい。そんな幼稚な人格しか持たない人間が、成熟した体を持っているという理不尽さと恐怖を自身で感得し、、それを自分のものとして引き受けて自分で社会から葬り去ってほしい・・・彼に犯された多くの少女たちが思ったようにそんな人は「もはや人間ではない」のですから。
 男はそれでも何度も言い訳を試み脱走を企てますが、そして実は女の子の友人に実際手を下したのは男の友人だ、とまで打明けますが、その実行犯である男の友人すらもこの女の子に「自死」させられていた事を知り、犯された少女達と同じくここから先の自分の人生も闇でしかないと知ってついに自ら首に縄をかけます・・・証拠隠滅を条件に。この屋根から脚を踏み外す瞬間、男は人生で始めて心の底から悔いた、でしょう。でももう遅いのです。どんなに泣き喚いてもフードプロセッサーの中身を元通りにすることができないのと同じように、彼女達は元には戻らない。悔い改めて赦してくれるのは神だけです。
女の子も屋根の上でつぶやいています。証拠隠滅?大丈夫、しといてあげるわよ

・・・なんちゃって。


 人間は同じ人間と共に生きているということを、常に真摯に受け止めて生きていかねばならないようです。何が起きても、不思議はありません。そしてだからこそ、互いに愛し合えと言ったんだとしたら、神様はなかなか頭がいい・・・とは、思いませんか(笑)

 

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2006年8月 9日 (水)

ライブ!れぽ

 今日川崎チネチッタで、オダギリジョーファンクラブ主催、会員限定ライブなるものがありまして、年も考えず(^_^;)行って参りましたv いや、すーごく面白かったです!特にインストはもっとずっと弾いててほしかったし他の曲があるならもっと聞きたかった!!ホント良かったです~本業じゃないんでしょうし周りの方々も大変でしょうからあまり無理は言えませんが、こんな大がかりじゃ無くて良いから、どっかのクラブあたりでこれからもこっそり暴れてほしいです(笑)

 今日は事前の話では全員着席で、チケットにも席番しっかり書いてあったのですが、開場前にそれが自由席とスタンディングの2種に変更になりまして。チケット番号順に入った後は早い者勝ちだったので、舞台下にカフェ形式で広げられた100席ぐらいの机と椅子は、チケットでA~Cが当たった人、でも先に入った人でも若い人は、最初からカフェ席後ろのスタンティングの真ん中好位置をしっかりキープしてましたね(笑)
 どうして「演出上の都合」で急遽そうなったかというと、客席上手の小さいステージの上で、アラブ系の扮装をした怪しげなおじさん(多分ですが、関根祥一氏)がヤクの量り売り?をしてるんですよ。会場全体が、どこか異国の路地裏のヤバそうなバーに迷い込んだという設定。そこに座っている観客も当然雰囲気の一部。で、更に観客下手にはお立ち台がひとつあって、このあやしげな店の正面舞台でずっとライトを落としたままのバンド(オダギリ氏たちですvv)の演奏にあわせ、煌々とスポットライトを浴びながら男性のダンサーが踊りはじめます。それが上半身裸で、パンチパーマにアフログラスで海パンの、山田君、なんですよ~あーもーびっくり(笑)。客はバンドの演奏を聴きに来ているわけですが、お店(笑)的には今日の主役は山田君です~vvなので正面舞台はずっと、赤と青を貴重とした暗いライトが当てられているだけで顔の判別もつかないくらい。そのなかで更にオダギリ氏は、黒いソフト帽にラメワイヤーのグラス、黒いジャケットに白ワイシャツ、黒いネクタイにジーパンに裸足(笑)で、譜面台の後ろに隠れるように腰掛けたまま弾いてます。なかなか面白い趣向でしたv
  曲は、最初にインスト3曲、私は普段こっち系は全然聞かないのでお許しいただきたいのですが、最初店の雰囲気にぴったりの(笑)怪しげなラグタイム系のブルース「のような感じ」の曲。ところが、ここから先ははまるっきり私の想像なんですが、どうもリハで開場が遅れたというのはほんとだったらしく、チューニングが2つ、合ってないままだったんですよ。キーボードとベースギターとドラムと、それからウッドベースにアンプつけたのとオダギリ氏のギター、なわけですが、後者2人がなんともヤバかった。ウッドベースの方はたぶん立ち位置のせいで合わせが聞こえてなかったんじゃないかと思うんですが、オダギリ氏のはギターそのものが合ってなかった。最初押さえる位置間違ってんのかと思ったです(殴)。で、そのギターはその後紆余曲折の末後ろへ引き取られ、最後に復活して登場してきましたから(笑)たぶん本人一番お気に入りのものだったんじゃないかと思います。そのあたり本当に私の想像通りなら、ちとかわいそうでした。で、そのせい、ではなく多分最初から予定していたとは思いますが(笑)、2番目の少しノリのいい曲ではピアニカ吹いてたり、次のアフリカンな感じの曲のでは客席に半身に背を向けて(笑)コンガ叩いてたり、ほかにもスチールギターとか出してきてましたね。それと、普通のギターを弾く時も、舞台の上でじっと座ってこつこつ丁寧に弾いてまして、それが何だかまるで職人さんのようでしたvv楽器を演奏中に取ったり置いたりする手つきが丁寧で、ああ、オダギリ氏だ、とヘンなとこで感心したり(笑)。それと、今日は全部そうだったんですが、ジャズセッションのように、曲と曲の間を空けずに次々流していくんですよ。ですのでオダギリ氏のおしゃべりは、アンコールも含め一切ありませんでした。
 その後、英語で1曲、日本語で3曲歌ってました。オダギリ氏は声がシャウト系じゃないので(^_^;)バックがハードでも歌がなんとなくやわらかくポップス系になってしまいます。曲想も、"t"と違って、まとめよう、形にしようという意志が強く働いて、あまり突き抜けたところがなかったです。意匠に凝ってみたいのかな、という感じ。あと、その間も本人弾いているわけなので(ついでに言うと譜面台も決してフェイクではなく、真剣に、手元と譜面と首っ引きで歌ってましたv)どうしてもテンポ落ちるんですよ。中森明菜とかが出始めの頃の、J-POPのロック系にそのあたりちょっと似ていました。
 で、私的には、この次に演った長い長いインストの曲が、ほんとによかった。凄かったし熱かったし、弾きたいようにどこまでもスライドしながら、実はちゃんと計算づくで積んで積んで上げて上げていっている。そしてもちろんバックは凄い迫力で好きなだけ暴れてたし、オダギリ氏も存分に叩いて全然負けてなかったし。月並みな言い方ですがホントに火花散るようでカッコ良かったですよ。こういうのはジャズと一緒で、もう一回、って言っても決して同じにはならないんでしょうが、これだけはもう一度聞きたいなぁと思いました。オダギリ氏は、フランク・ザッパがこういう風に好きなんだ~とちょっと意外な(!)面が聴こえてきたのも面白かったです。次はI don't know で(これもCMより声がパーンときれいに抜けていてう、こう歌いたかったんだぁとうっとりv)その後もう一曲インスト流してくれて、前半終了。
 っていうかひょっとすると、いったん幕が下がったのでこの後はアンコールだったかもしれないんですが(^_^;) 今度は山田君は海パン脱いでサポーター一丁で登場ですv オダギリ氏、今度はすらりと立って、日本語と英語で3曲歌ってくれました。立ってたほうがスタイルが良くてかっこよくて決まってしまうのは当然ですが(笑)、オダギリ氏本人のノリもすごくよかった。テンポも乗っかってましたし声も伸びて、歌ってる本人も心なしか楽しそうに見えましたよ。ひとつキーが少し低めの英語の曲があって、渋い声で投げ出し気味に歌ってたオダギリ氏、むちゃくちゃ上手くて突き抜けていてカッコよくて良かったぁ(はぁと)。ファン的にはガラガラ声のオダギリ氏なんて許せない!のかもしれませんけど、私はこれを聞いて、オダギリ氏は、やりたい音楽に彼自身の声を沿わせていくのが一番いいんじゃないかすらと思いました。
 その後何と"t"を元版よりアップテンポなもっとハードめのアレンジでがなってくれて!これも、おお、上手くなったジャン(笑)という嬉しい悲鳴vv  しかしオダギリファンの皆様は本当にお上品でおとなしいです。ここまで椅子に座った方は微動だにせず、スタンディングの方も定位置から前後に体をゆする程度で、後は曲の切れ目に拍手するだけ。私は今日は自分の中では相当に盛り上がっていたのですが、頑張って声を飛ばす程度に抑えましたよ(笑)皆様、素晴しい・・・。
 最後はもう一度"I don't know" この曲の最中、山田君がご注意をうけてお立ち台から下ろされるというハプニングもありました(決してサポーターより先へはススんでいなかったんですがね)。

 2階席には、遠目でよくわからなかったんですが「勝手にしやがれ」の皆様がいらしていたように見えました。違っていたらゴメンナサイ。ロビーにはお花が。
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ポスターもvv発売が今から楽しみです

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2006年8月 8日 (火)

お知らせv

前回うっかりしてましたので今日はしっかり告知vv

今晩日付が変わる頃から明日の昼近くまで

ここを借りているココログの機能が

メンテナンスのため止まります。

その間、更新書き込み一切出来ません。

コメント・TBも受け付けられません。

そして今までのメンテから類推するに

時間延長になる可能性が大きいです(^_^;)


神様、明日ライブから帰ってきたら
メンテナンス終わっていますように・・・・・

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「星のような物語」

Alaska3
今日やっと我が家にも到着しました。

もちろんナレーションがオダギリジョーだから買ったのですが(^_^;)





Alaska2何だか映像を見ていると、
その雄大さ繊細さよりも
このカメラのこちら側に立っていた人は
もう居ないのだ、ということが
そのからっぽな感じが、
妙に胸に迫ってきました。



Alaska1

生前の星野さんの、
あの寡黙な大きな手がふっと消えて
でかいごついカメラが
そのまま宙に浮かんでいるような
そんな所在ない感じが、
見ていてせつなかったです。





そして 写真を指差しながら、愉しそうに語っていた

星野さんのあの声・・・・の代わりに

聞こえてくるオダギリ氏の声は

「いない」という現実を

ゆっくり、時間をかけて教えてくれているようで

そのあたたかく柔らかな声が

今日はとてもとても、有難かったです。。。

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2006年8月 7日 (月)

Colors

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「Colors」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。
 これを今掛けてくれているのは渋谷のシネ・ラセットという映画館です。ここは左下の写真のように客席がとてもユニークです。大小さまざまなソファやイスやビーズクッションが、フロアに座る、というのも含めて(笑)高さだけでも5段階くらいあり、2人にひとつぐらい小テーブルもあって、好きな場所で見られるんですよ。まるで友達の家にいるみたいにくつろげます。まぁファシリティーも友達の家クラス、なんですけどね(^_^;) 私はずーっと同じ姿勢で座っていると脚が痛くなるので、実はここと、あとUP-LINXという映画館は、本当に有難く利用させてもらっています。そしてここで掛かる映画を見て、見る映画の幅を広げてもらいました・・・・いろんな意味で(笑)。

Dcf_0175

 今回のこの映画ははっきり言って、出ている役者さんの名前だけで見る気になりました(笑) そして期待にたがわず、っていうか期待以上に痛快でよく出来た映画でしたし脚本でした。柿本ケンサク監督、すごいですvvだいたい何が面白い、って今ちまたで流行っている「自分の心を覗いてみよう」だの「壁をぶち壊して一歩踏み出そう」だのといった、まさに監督世代の若い人が金科玉条にし後生大事に抱え込んで人生わかった「ような気になっている」お題目を、ことごとくシリアスなギャグにして吹き飛ばしているところv  どこかで聞いたようにせりふ、雑誌で見たような歯の浮くような決まり文句がたくさん出てきますが、それが単なる符丁でしかない、というところがすごい。映像が示すものはその一つ奥にある。だから大どんでん返しが3回くらい(登場人物によってはもっと)起きます。エンドクレジット終わっても、まだ席立っちゃダメ(笑)。その示唆するところは、何でこんなに若い監督がと思うほど、達観し老成した境地です。星占いやカウンセリングが大好きな若い世代は、ひょっとしたらこの映画を理解することを拒否するかもしれません。でもそれにしがみついていても先へは進めない、というこの映画の示す所に私は諸手をあげて大賛成です。この世で一番大事なのは「それでも(^_^;)生きる」というところだと思うので。

でさらに、この小劇場的(笑)芝居で一番大事なフラットな部分を、映画らしく実に自然に演じて冴え渡っていたのが、松岡・村上・光石のお三方、でした。それがあるからこそ、あの叫び声が、あの背中が、あの嗚咽が生きてくるというのを、いまさらながら見せつけられましたです。ホント凄い。見終わった後も、このままずっといつまでも見続けていたいような、そんな気分でした。久々に口コミで広げたくなった映画です。もしお時間許す方は是非。

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2006年8月 6日 (日)

サクリファイス

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タルコフスキー監督の遺作でもあり、彼の難解な(笑)作品群の中でも私が一番素直に好きだと思える作品。大変に詳細なストーリー紹介と考察がこちらにあります。

 主人公の教授が頭の中で考えている深く重い思索の内容と、描かれる景色の息の止まりそうな美しさという、一見何の関係も見出せない二つの要素が最後に見事に互いに相関しあう、というところがこの映画のすべてだと私は思っています。古代ギリシャの昔から哲学を具象で現そうという(私から見れば)無謀な試みは延々と続けられているわけですが、それに応える、というか、ひとつの決着をつけて見せたという意味では、私は映画という枠を飛び越えた偉業だとすら思っています・・・それでも難解であることには変わりはないんですけれどね(笑)

 今回、DVDも含めてン十回目の鑑賞で(^_^;)、郵便配達夫のニーチェ語録にも、「不思議な話」にも消化不良を起こさなくなった目で(笑)改めて見てみると、当時は身近な問題であった「核戦争の恐怖」がひとつのシンボルにしか過ぎなくなった今の方が、映画全体の寓話的な意味を、より素直に受け止められる気がします。今はあのジェット機の轟音が、核爆弾を搭載した戦闘機の音にも聞こえるし、どこかのビルに突っ込む旅客機の音にも聞こえるし、戦地へむなしく飛んでいく国連軍の輸送機の音にも聞こえるからです。そうすると、以前にはたいへん唐突である意味呑気にすら思えた「犠牲をささげる」という行為が、むしろとても自然な感情の発露として、私自身にとって、納得できるものになってくる。教授は無神論者と言いながら、ちゃんと神と語り合う術を持っていたわけですが、今はそれに矛盾を感じるより安堵感を覚える方が大きいです。どんな形ででも自分の中で神と「決着をつけられる」人は現代社会ではとてつもなく「運のいい人」であるわけだし、少なくともその人は自ら「平和の破壊者」とはならないからです。そしてそんなピンポイントでも、そこに平安があるなら感謝したい、というのは、私に限らず今この世で生きている人の偽らざる気持ちなんではないでしょうか。


 今は、現実が映画よりも更に深刻になったおかげで、やっと現実が映画に追いついた、ような、そんな気がします。そうして年を経るごとにこの映画から組みだされるものがますます増えていく・・・10年経ったら又、見てみたい映画です。

 

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2006年8月 5日 (土)

「彰義隊後日譚」@め組

Assassin 劇団め組公演「ASSASSIN(アサシン)彰義隊後日譚」見て参りました~公式サイトは写真からどうぞ。






 ファンの皆様ほんとーにすみません!えー、実家の父と何故か懇意に「して下さっている」方がお一人中にいらっしゃるのですが(^_^;)、その方が今回私の分までチケットを押さえて下さいまして、何と父と2人、労せずしてスゴイ良い席を買えてしまいました。ほんとにすみません。でもおかげさまで久しぶりに大掛かりな生の舞台を堪能できました。そして私はともかく父は、戦後まもなく教科書を墨で塗りつぶした世代ですから、たぶん彰義隊と新撰組の区別すらついてないと思うんですが(いいよいいよ、だいたい合ってるよ~涙)、その父がとても面白そうに見ていたのが余計にオドロキでした。いや、良かったですv
 見慣れた人にとってはある意味セオリーなんですが、時代劇って、義理や立場や建前といった、今ではあんまり使われない理由のために人が斬られて死んでいきます。水戸黄門や桃太郎侍あたりだと勧善懲悪で済んじゃいますが、今回の本のように、死んだ者と生き残った者、役目を生かす者と捨てた者、恨みを持つ者と捨てた者、それを代わりに晴らす者、といった人情や恩義の絡んだ話だと、正直、何でその人が死ななきゃいけないのか、その人が死ぬ事で何の役に立つのか、誰の体面が保たれるのか、一挙にわかりにくくなるものなのですが、この脚本は、そのあたりの描写や段取りがとても丁寧で、それがすごくよかった。普通の商業演劇だったら「察してくれ!」といわんばかりにポンと客に預けてしまう所を、少なくとも二段階分くらいは(^_^;)放り投げずに舞台で引き受けてきちんと描き出していましたよ。だから何人も人が死ぬのに、それが各人の終わり方として、見ているこちらにすとんと収まって落ち着きがいい。結構特殊な背景でわかりにくい難しい主題だったと思うんですが、それが功を奏して最後までとても自然に流れて行ったし、よくこれだけたくさん書き込んだなぁと、途中からは感心しっぱなしでした。

 それと、これは最近の新進作家のお芝居全般に言えることですが、せりふの置き方や話の運び方、場面の切り方なんがいかにも漫画世代だなぁというところが今日もやっぱり面白かったです。それがいい悪いではなく、例えば、漫画だとここは2人の横顔アップvvという所で、後ろに所在無げに佇む役者さん達が嫌でも目に入ってきて、いや、でもまさかここでみんなを消すわけにもいかないしなぁと(笑)作者さんに同情しつつもついつい笑っちゃいまして。漫画は、コマに描いていない人物でもそこに居ます、っていうのはアリですから、そんな細かい事まで考えず、主人公達の感情の起伏そのままに話を組立てて流していくんですけど、芝居だと、舞台全部が常にお客さんに見えてる(笑)のでぶっちゃけタイヘンなんですよ。そんなの脚本のキホンじゃん、とか思われるかもしれませんが、確かに小説は、その場面にいる人については逐一何らかの形で書き込まなければ成り立ちませんが、漫画はその場に必要な情報だけ取り出して組立てて行くものですから、それで育った今の若い人には「その他の部分の処理」っていうのは実はモノスゴク難しいんです。ヤバいところは写さなくてもいいハズの映画でさえ、話に対して都合が良すぎて却って破綻している(笑)脚本にしょっちゅうお目にかかるくらいですから、舞台はなおさらもっとタイヘンです。これは若い人に頑張ってくださいというより、これからの演劇や芝居はそういうパッチワークの妙を楽しむものになるのだ、と、見ているこちらの方が気持ちを入れ替えたほうがいいんじゃないかと思うくらいですが。
 まぁ、それもまた愉し、ですvv



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2006年8月 4日 (金)

あこがれ美しく燃え

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当日急用で見られなくなりまして(^_^;)正確にはここのカテゴリに入れてはいけないと思うんですが、この映画は逆に今まで映画館でしか見たことがなかったので、見逃した悔しさのあまりDVDを買いました~ とてもとても好きな映画ですvv


 美しく力強い映画です。話の前半1/3は、いわゆる教師と生徒の性愛を美しく描いていますが、そこから先が、他の映画にない力を持っています。人間の一生のうち、女性の少女時代に、人類を救う力を見出す人は多いと思いますが、私はこの映画を見るたびに、私達を乗り越えてつき進んでいく人たちの力強さと正しさに救われる思いがします。つまり、そういう映画なんです。

 この美しい瞳で物事をまっすぐに見据える少年のまわりは、ダメな大人だらけです。それもそのはず舞台は1943年スウェーデン最南端の港町、これから始まる嵐のような2年間とそれに続く悪夢の日々を知ってか知らずか、大人はなすすべもなく運命の前に首うなだれ、あるいは自棄になり、あるいは刹那の人生を謳歌するだけの日々。少年の真摯な瞳はむなしくも無視され素通りされてしまうのです。14才の少年にまともに大人とわたりあえるだけの力が在るとしたら、それは彼の中でたった一つだけ成熟を遂げている器官を使う事にしかないと、私も思います。彼は(それを意図したものではないにせよ)そうやって女教師の瞳をこちらに向け、愛欲の世界の気高さと淫猥を同時に経験し、さらにこの奇妙な力関係によって女教師の夫からも、人生の気高さと悲哀を切々と示されます。皮肉にも、このある意味人生に背を向けた夫婦によって授けられた「人生」は、少年が自分の力で勝ち取ったものであるがゆえに、実に正しくまっすぐに彼の心を沃していきます・・・そして最後には、周りの大人が彼に掛ける言葉がまるで自己弁護にしか聞こえなくなるほど、彼の心と精神が力強く一歩高みへと踏み出しているのが見て取れるのです。

 私が個人的に好きなシーンは、女教師と少年のやりとり。愛情がそのまま何のためらいもなく性につながっていくところが本当に美しい。日本の義理と人情に縛られた「高校教師」や「いとしのエリー」に比べて、いっそすがすがしく崇高な感じがします。
 あと、彼女の夫が少年に音楽の翼を授けるシーン。女教師は「主人は帰ってくるとキッチンでいつでも決まってベートーベンをかけるからすぐわかる」と言っていたのに、実際帰ってきた彼がターンテーブルに針を落とすと「マタイ受難曲」が流れてくる(笑)ので、彼にはよき理解者がいないのがよくわかるんですが、ついでに今まで音楽についてあまり語り合ったことがないらしく、自分の興味の赴くままに、少年にいきなり難解な大曲ばかり次々に聴かせます(笑)いや、いい曲だし名曲だしある時期のクラシック音楽の完成形、ともいえる大曲ですが、でもやっぱり家でいきなりベートーベンの「大フーガ」が延々と流れ出したら、少年の親御さんでなくても辟易すると思いますね(^_^;)  
 そして私が見る度に涙するシーン。夫はある日、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を少年に聴かせながら、ナチスの非業を思い、そのまさしくドイツ語で語られる演説を思いながら、当時の世界中の人々と同じ涙を流すのです。あれはドイツではない、これがかのドイツ・リートを育んだドイツ語と同じ言葉である筈がない、と。そこに妄想にも似た望みを寄せてしまうからこそ悲劇は尽きないのだとわかっていても、私も今同じ曲を聴いて同じことを思い同じ涙を流すので、ダメな大人である事に変わりはありません。音楽が世界を救う事はあっても、世界を救うのは音楽ではない・・・その場になすすべもなく泣き崩れる夫の背中を優しく抱きながら、少年もうっすらとその事に気づいたかもしれません。


 

 この、何のためらいもなくカメラの前に自分をさらけ出す少年は、実はこの監督の実の息子さんです。そのまっすぐな瞳をカメラのこちらでしっかり受け止める監督がいたからこその、美しさなのだと今は改めて思います。そして残念ながらこれがこの監督の遺作となりましたが、少年は俳優となり「太陽の誘い」「ゴシップ」などの秀作でいずれも難役をつとめあげています。

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叫(さけび)

 まだ公式サイトは出来ていないのですが、ヴェネツィア国際の招待作品となった関係で、あらすじ等とても詳しい紹介記事が出ています。こちら


黒沢清監督からのコメント

「叫」はともすると差別されてもおかしくない難しいジャンルの映画です。こうした作品を堂々と特別上映作品として選んで頂いたヴェネチア国際映画祭の見識の高さと、すべての映画を公平に見ようとする姿勢に、大いに感謝しております。

役所広司さんからのコメント

この映画は、過去を消去し、逃げて生きてきた人間が徐々に真実を突きつけられるという、人間の心の中の恐怖を描いた映画です。映画祭でどんな反応が出るのか、とても楽しみです。

2006年/日本映画/カラー/35mm/ヴィスタサイズ/DTS/104分
監督・脚本:黒沢清 プロデューサー;一瀬隆重
出演:役所広司、小西真奈美、伊原剛志、オダギリジョー、加瀬亮
製作:エイベックス・エンタテインメント、TBS、日活、ENTERTAIMMENT FARM、オズ

■配給:ザナドゥー×エイベックス・エンタテインメント
2007年陽春、シネセゾン渋谷、新宿武蔵野館他にて全国ロードショー!

以上CINEMA TOPICS ONLINE からですが。
オダギリジョーは精神科医の役、なんですね。
役所さんと並んで座ると、どう見てもカウンセラーは・・・・(笑)
お正月後の公開、蟲師とともに楽しみです(こちらの情報はさっぱりですね)。

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冨永昌敬特集上映

公式からのお知らせですが。
テアトル新宿にて、映画公開記念ということで、冨永監督作品一挙3本立て大公開だそうです。個人的に、「京マチコの夜」をスクリーンで見たらどんな感じがするのか(笑)とても興味あります。詳しくは映画館のリンクからどうぞ。

9/9(土)~9/15(金)までレイトロードショー
タイムテーブル  連日21:20より

監督・脚本:冨永昌敬

『亀虫』 2002-3年/61分
杉山彦々・安彦麻理絵・木村文・尾本貴史・冴嶋園子・笠木泉

『京マチ子の夜』 2005年/10分
音楽:菊地成孔  斉藤陽一郎・不二子・木村文・杉山彦々

『テトラポッド・レポート』 2003年/15分
福津泰至・木村文・杉山彦々・尾本貴史・児玉百合香

短編シリーズ『亀虫』
東京都内を東西に横切り、はては関越道へと接続する「目白通り」。『亀虫』は「目白通り」沿いに繰り広げられる、ある「兄弟」の、「嫁」の、「妹」の物語である。 夫婦喧嘩の末、家を飛び出した「かー君」は復讐を誓って帰還するが、宿敵である妻の姿はなく、代わりに、上京してきた幼馴染みの「たかお」と再会することになる―。

『京マチ子の夜』
菊地成孔のアルバム「南米のエリザベス・テイラー」収録曲『京マチ子の夜』PV  

『テトラポッド・レポート』
伝説のクレイアニメーション映画「虚穴遊戯」の上映会場。最前列の座席で、ひと組の男女の死体が発見された。「心中である」「陰謀である」ふたつの説を巡るもうひと組の男女の途方もないやりとりは、獄中の<監督>から寄せられた肉声テープによって決着を迎えることになる―。

9/9(土)冨永昌敬監督&出演者による初日舞台挨拶開催! 
その他トークイベント開催予定!

だそうです(映画館のSHOW SCHEDULEより)。


公式のビデオポットキャストも何気にぞくぞくと増えていますので
環境の許す方は覗いて見て下さい。今はコンテンツ3つありますv

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2006年8月 3日 (木)

マリノスvsセルティック

マリノスvsセルティック


マリノスvsセルティック観に来ていますv
セルティックの選手、でかい〜


中村俊輔選手、ちゃんとスタメンだったのですが
アシスト一回、惜しい惜しい黄金の左足フリーキック一回
で途中交代になってしまいました・・・
会場にオシム監督来てたので、俊輔氏はもちろん
マリノスの選手もたいそう気合入ってました。
岡田監督も心得たもので、3点リードしてからは
バンバン若手に代えて、まるでお披露目のようでしたよvv


・・・というわけで携帯からの初写真投稿でしたvv

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トランスアメリカ

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「トランスアメリカ」見てきました。公式サイトは写真からどうぞ。






 ちょっと変わった親子(笑)の話です。性同一性障害のため段階的に手術を受けて女性になりつつある「まだ男」の人(ゲイではない)が、ある日、別れた妻の元に置いてきた我が子から連絡を受けます。男娼がバレ且つ薬所持で留置場に居るので保釈してほしいと。男性は、写真のようにほぼ変身し終わっている(笑)ので、父親宛の依頼であっても「父親」としては迎えにいけない。それで教会から派遣された福祉士を装って、彼を連れ出します・・・「父親に会いたい」とひたすら願う我が子を隣に乗せて。

 設定がとても面白かったので期待したのですが、全体にコメディー路線なのに肝心の笑いのポイントがちょっと個人的に合わなくて、もったいないことをしました(^_^;) 周りのおば様達は手を打って大爆笑してましたので、その点はどうか是非ご安心下さい。そして、二重三重に重たい題材ですが、それほど感動したり考えさせられたりする場面はありませんので、むしろ気楽な気持ちで見に行って正解だと思います。そのほうが楽しめますvv

 私が笑えなかったのは、「パパ」の中身が、「本来女性」ではなく「女性にあこがれている人」だったからです。女性ならではのしぐさや行動と「思われているもの」を追求してますし、そこがまた大爆笑、なんですが、そのなろうとしている女性が本当に旧態依然とした、ハンでおしたようなしおらしい女性で、元のパパの人格が全然出て来ていないんですよ。説明しにくいんですが、この手術を望む人は、自分を女性に「変える」わけではなく、自分の中の女性を表に出したいだけなので、出て来る女性像は千差万別、当然その人の人格を投影した「女性」である筈なんですよ。でもこのパパはそうではない。彼が目指す女性は、母親の願望の投影です。母親に愛されたいという抑圧の裏返しのようなゆがんだ愛情が生理的必然性以上に彼を手術に駆り立てる。実際に、彼の息子のほうは一緒に旅をするうちにその心根のやさしさや厳しさにふれて、パパの人となりそのものを愛するようになります。女性としてではなく男性としてでもなくトビーという名の人として。でもその、トビーの中の人を見つめているのは心理療法士と息子だけ、です。肝心の本人は自分を表に出すことを拒否している。これからは女性としての体が二重の意味でパパであるトビーの隠れ蓑になる・・・のがわかっていて、それでも本人が望めば手術は必要なんでしょうか。確かに性同一性障害は先天的なもので、後天的な環境その他の要素は関与しないものですが、このパパの抑圧状態の方を解くためには、手術よりもパパとアノ母親との関係修復が先、ではなかったかと思うんですがね。

 最後、息子と話すシーンで心なしか少しだけ、親父っぽく(笑)見えたのが救いのような気がしました。彼を中心に、この家族は再生されていく、のかもしれませんね。

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2006年8月 2日 (水)

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶

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 ある程度以上の年齢の人なら、特に写真が好きでなくても知っているくらいの著名人なんですが、若い方はさて、どうなんでしょうね。映画見ていて気がついたのですが、彼が撮った被写体自体が、もう過去の人たちになりつつあるようです。今年見た2本目のドキュメンタリー映画。これも、今上映中の映画をはるかに凌ぐ面白さでした。お客さんは写真学科の学生さんと思しき人が多かったのですが、おしゃれでかわいいおじいちゃんが、少年のように目を輝かせて自分の写真を見せびらかす(笑)映画ですから、むしろ一般の人の方が楽しめると思います。そしてその無造作に素手でむんずとつかまれて(写真参照・笑)披露される数々の作品の、一枚一枚に是非驚いてほしいと思います。

 「決定的瞬間」というのは、この方が戦後初めて日本で展覧会をした時に、その一瞬を切り取ったようなすばらしいショット(スナップショットなんですよ、実は!)の数々に日本側が冠した名前ですが、この人の代名詞のようになっています。あのロバート・キャパが仲間と作った写真家集団「マグナム」の創立者の一人ですが、本人は(映画見てるとわかりますが)大変に社会問題に対して意識の高い人なんですが、撮る写真は、市井の人々の日常の「決定的瞬間」が多かったようです。そして写そうとする対象と、その構図と配置の仕方が独特で、ぶっちゃけまるでネタのようなんですが(笑) それが本当に面白くて、そして笑っちゃった後で、すごいな~と唸っちゃいます。というのはつまりどれも、出会い頭の偶然を逃さず瞬時に「決めた」写真ばかりで、撮りなおしや事前の準備が出来るものなど一つもないんですよ。ご本人は映画の中で、写真を撮る、という行為を「短刀でスパッと切りつける」と表わしておられますが、私に言わせると、これは辻斬りです(^_^;) 凄いですよ~ほんとにいきなり現れて狙い過たず一刀のもとにパッサリ・・・だから「決定的」なんでしょうね。

 もう一つ面白いのは、この人はポートレイトの名手なんです。その各界有名人を撮った写真は、その人のファンであればあるほど驚愕する、本当に意外な素顔をその仮面の下から引き出して魅せています。マリリン・モンローやシャネルの写真は割と有名ですけど、それ以外の人も、その作品や人となりを知っていて見ると、笑えたり凄く納得したり出来ておもしろい。私は、ジャコメッティとか、ボーヴォワールとか、ピアフ、ベケット、ルオー爺さん、コレットあたりがほんとに愉しかった。あとバーンスタインが傑作で、アンリ氏に言わせると「あんなんで拍子取れるのか?」という事らしいんですが(笑) たぶん楽団員しか見た事ない筈のあの伝説の「王の咆哮」が、流れるような美しい腕の動きとともにしっかりと収められていました・・・うっとりvv   他にも、先日見た「ゲームの規則」の監督ジャン・ルノワール(アンリ氏は助監督だった)とか、マッカラーズ、マティス、ベーコン、ガンジー、サルトル、バウンド、カミュ、デュシャン、マンレイ、ボナールやカルダーなどのポートレイトが見られますので、ファンの方、期待して下さい(笑)

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美しい人

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 9人の女性の人生の1ページがそれぞれ切り取られていく、短編小説集のような映画です。どの女性も、抱えた問題の解決どころかその行く末すら見えないまま終わります。公式サイトはこの写真からどうぞ。



 「ブロークン・フラワーズ」を見て、この映画見ちゃうと、アメリカという国はどんだけ病んでいるんだとマジで心配になりますが(笑)、趣向が似ているという点で比べてしまえば、やはりジャームッシュの切り取り方、魅せ方の秀逸さに改めて気づかされる、といったところでしょうか。この映画はものすっごく重い、です。9人ともワンカット・ワンシーンで撮っていて、その独特の緊迫感もあるんでしょうが、1人ずつお話を見せてもらっていくと、正直5人目ぐらいで疲れてきてしまうんですよ・・・彼女達のどうにもならないくらい重い人生の切なさが、そのまま次々にどさっ、どさっとこっちに丸投げされてくる。仕事で一日に何人もカウンセリングを引き受けている人って、きっとこんな感じなんでしょう(笑) でも、見ている人は、何しろ9人もいるんですから、きっと誰かに共感しシンパシーを感じると思います・・・映画見ても一緒にため息つくだけですけど(笑)自分の姿を外から見るよすがにはなるのではないかと思うので。

 私は別に不倫はしませんが(笑)その不倫真っ最中でなぜか明るくラブラブなvvカップルの話が、何というか「ああ、そうだろうなぁ」と思って、ちょっとジーンと来ました。以下ネタバレですけど(^_^;)
 ・・・モーテルの廊下を、ふざけながらのろけながら(笑)帰ってくる2人。これからお部屋に泊まるご様子。そしたらパトカーがいきなり中庭に乗りつけてきて(ちょっとびっくり)右手突き当たりの部屋の住人を誰何しています。中から出て来たのは両手をあげた若い黒人女性がたった1人。早速部屋内捜索が始まるところで2人も自分達の部屋に入ります。女性だけでなく男性もかなりノリよく楽しんでいて、その2人のワクワク感がむしろ微笑ましく、あまり後ろめたさのようなものは感じさせません。ところが男性が氷を(?)買いに出た時、彼女もドアの外に出てみます。黒人女性は連行されて行ったあとらしく、部屋では係官が部屋の住人の私物をパッキングしています。ヤクでずっと追われて逃げていたこと、仲間がいたはずなのに1人だった事(フケられた?)など話すのを聞きながら、彼女は部屋にいた女性の日常に思いを馳せる。係官は、そんな感傷にはお構いなくぱっぱと詰め込んでさっさと出て行きますが(笑)ふと彼女が見ると、靴が片方、落ちているんですよ。慌てて靴を握りしめて係官のもとへ走りますが車は出たあと。片方だけ残して去った女性はまるでシンデレラのようですが、ではいったいその女性にとっての「12時の鐘」はいつ鳴ったのか。こんなシンデレラはみじめすぎます・・・  部屋に入った彼女は、自宅に電話をかけ、障害者の夫と殊勝に留守番をしている娘と話をします・・・ そこで、彼女の鐘は鳴った、ようです。紙の金冠をかぶり、悪びれた様子もなく素直に逢瀬を喜んでいる彼氏を置いて、彼女は帰宅します。 
 シシー・スペイセク、せりふのほとんどないシーンで、熱く熱く語っておりましたです。さすが。

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ストレンジャー・ザン・パラダイス

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これも、観客がぎっしりで嬉しくなってしまった作品。ジャームッシュ監督作品では、むしろ「ダウン・バイ・ロー」とか「パーマネント・バケーション」の方が人気あると思うのですが、私自身はこれが1番好きなので、上映されてうれしかったですv それと、スキンヘッドや鼻ピアスのたのしそーな若いお兄さん達が(笑)たくさん見に来ていて、その人たちにすっごくウケてて、何度も大笑いが巻き起こっていたのも嬉しかった。この↑天然大ボケトリオは確かに突っ込み所満載ですv

 実は少し前、実家の父代理としてガイジンとご飯食べる席に同席させられまして、話題がないので映画の話をフッたんですが(^_^;)公開中の映画は見ていない人もいるので古い映画の話にシフトしていって、この映画も話題の一つになってたのを見ながら思い出しました。ネタバレになりますが、私はカノジョがクリーブランドに向けて発ったあと、野郎2人が賭けポーカーでお金をまきあげる(^_^;)シーンがイマイチよくわからなかったんですよ。そしたら、あれはアメリカ人が東欧の人々に抱くイメージが背景にあって、要するに純朴でまじめな堅物なので、たぶんあの太った眼鏡の男が、彼らをカモにしようと思って連れて来た。それを逆にカモられたので激昂した、というところなんじゃないかという説明でした。ソノ感覚は、明らかにレイシストのそれとは違うものでしたが、でも、というかだから余計に、海の向こうの黄色いおサルにはワカンなかったですけどね(笑) そのガイジンに言わせると(1人はジャームッシュファンでしたv) そういうまなざしは,この映画のあちこちに見受けられるそうで(室内で帽子かぶったままだったり、シアーズでワンピース買ってきたり、タバコの銘柄だったり)、それがとても突き放していながら something warmhearted なところが、ジャームッシュにしては珍しいんだと熱く語ってくれましたよ。そしてそういうビミョーな立ち位置をキープするのは、実はアメリカではとてもむつかしい事であるということも。
 ジャームッシュが、映画を観る側ではなく、むしろ撮る側の熱を掻き立てる理由が、その時何となく、わかった気が、しました。

 あの日、映画館で爆笑していたお兄さん達も、いつか一本、撮ってくれたらと、今は心ひそかに切に願っています。。。。

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ハチミツとクローバー

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原作が、テレビアニメになってたのすら知らなかったんですが(^_^;)公開をとても楽しみにしてた作品。最近は原作本のある映画が結構多くて、原作と切り離して映画として楽しむ術も大分上達しvv  おかげでとても楽しめましたです。
以下ネタばれ。


 原作の漫画では、私は一にも二にも真山クンが大好きで(笑)、だから加瀬さん、と聞いた時正直びっくりしたのですが、どこまでも自分を貫き通す力を持った、ある意味加瀬さんらしからぬ強く引っ張る側の役を、見事好演していました。あの少しもイヤらしさのないシュールなストーカーは加瀬さんならではだと思いましたし(原作とは別のイミで強烈なキャラ・笑)、あゆみちゃんをおんぶしてあげるシーンなんて、画面に地の文が書き込まれそうに二人の気持ちがイタくツヨく伝わってきてまして。そしてそれが、さらに奥行きと拡がりをもって、今切ない恋をしているかもしれないすべての観客の女の子達の気持ちまでも強く掬い上げる、普遍的な力をもったものになっていて。映画にして良かった、と思ったシーンの一つでした。
 もうひとつ、森田とはぐちゃんの話がほんとによかった。あの、同じキャンバスにむかって2人が描きなぐるシーンの美しさ。誰も踏み込めない、恋や愛すらも介入する事の出来ない、わかりあえる魂だけにゆるされた、お互いの人生をただひたすらに謳歌する瞬間。人と人が支えあうとか、助け合うだとかいったまどろっこしい人間の仕組が、すべてむなしく薄っぺらなものに思えてしまうほど、激しくも強く分かちがたい魂の結びつき。その大胆さ、力強さ、そしてそこに唯一介在すると思われる「運命の力」の恐ろしいまでの凄味は、やはり映画ならではだったと思います。伊勢谷さんは、ステロタイプな天才の枠を見事に吹き飛ばし、生身の天才だけが孕む狂気と熱情を自在にあやつり、文字通り熱演していました。原作読んだ時は勝手な男だとしか思わなかったんですが(笑)、私は映画観て森田のファンになりましたよvv

 原作がさらりとしまいこんでいた重い主題を、見事に取り出し力強く広げて魅せたという点で、これも「ハチミツとクローバー」だと確かに思える、そんな映画でありました。原作ご存じない方でも胸に迫るものがあると思います。続編を(つまりちゃんとオチまでいくものを・笑)期待したいと思いますvv





 

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2006年8月 1日 (火)

デッドマン

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今回の、BOW30映画祭人気投票で見事第1位に輝いた、ジム・ジャームッシュ監督、ジョニー・デップ出演作品です。2日間で計4回上映されたのですが、チケットも当日すでに残りわずかでした。
えっとですね、私が当日ものすごく驚いたのは、若いおしゃれなお兄さんが、彼女連れて見に来ていた事。女の子の方はとってもかわいくきれいにおしゃれしているし、明らかにデート、なんですけど。差し出がましい事を言うようですが、これははっきり言ってデートで見に行くような映画じゃありません。私は当時これをレンタルして気に入ったので、別の本屋のビデオコーナーで買ったんですが、もちろんアダルトコーナーで、しかもピンクじゃないので隅のほうに「食人鬼」とか「殺戮の森」とかいうオドロオドロしい題のキワモノと一緒に並べられていて、よく知る店員さんが、普段ホラーもオカルトも見ない私に「大丈夫ですか?」と念を押してくれたのを良く覚えています。有名な映画ですからネタバレしてもいいと思うんですが、そして私自身ももう暗記するほど見ましたから、今回初めてスクリーンで見るといっても心構えは出来ていましたが。それでも大迫力の画面で青姦ならぬ青天口淫を見せ付けられ、ギャグでも怨念でもなく、まるでただの障害物のように生きた人の首がグゥンと掻っ切られ、道端の小石ほどにも敬意を払われず無造作に死体の頭が踏みつけられ、こっちを向いた頭がぐちゃりと踏み割られて鼻から血が吹き出す・・・シーンを見た後、例えば連れて来てくれた男の子に「すっごく面白かった!!」とか言ったら、さすがに人格疑われませんかね(^_^;) この映画に出てくるジョニー・デップの演技は本当に素晴しいですが、ファン、という人を誘う時も一応「どのジョニーが好きか」確認したほうがいいかもです(笑)

 では何故私がこの映画だけはDVDでも持っているかというと、人格疑われようとなんだろうととにかく大好きvvである事の他に、実は資料として、なんです。私がボランティアでやっている翻訳の、元原稿を書いているアメリカ人は、(主にメソジスト系の)クリスチャンだという括りがあるだけで育った環境も教養も生活レベルもばらばらです。ところが不思議な事に、キリスト教の文章のはずなのですが、教義よりもさらに深く根付いている(^_^;)彼ら独特の行動規範、人生哲学みたいなものがどの階層にも共通してあって、そのキリスト教からの逸脱を、本部と連絡取りながら加筆訂正しないといけない。日本のクリスチャンは世界のクリスチャンに比べると、教義としてのキリスト教を自分達に都合よく書き換えたりは「しない方」なので、銃を持ち問答無用で隣人を撃ち殺すクリスチャンなんて想定外なんですよ(笑)。
 しかしそれがこの映画を見ると納得できる。都市生活を円滑に送る知恵としての「キリスト教」ともうひとつ、「荒野に一人で放り出された時のための教え」を彼らは常にしっかり抱え込んでいるんですが、この映画が描いているのは後者です。そしてその荒野の方は実はさまざまな形で現代人の心の中にも年々広がってきていて、最近はちょくちょくそれが発動するようになってきている。9.11の後なんて、今まで見た事もないくらい教会の活動が熱心に支持されていたんですが、それは彼らが、自分のうちに渦巻く衝動を必死で抑えようとしていたからにすぎない、と海外のクリスチャン達は見ていました。そうしないと本当に、一切の感情を排除した、単に自分が「生きるための殺戮」という、すさんだ乾いたつむじ風が発生する。そこには美学もロマンもエロスも偏執も一切なく、ただ大自然の災禍の一部分と化した人間が、覚めた目で、殺戮を行うだけ。どんな人間にも殺人の衝動はあるものですが、それがアメリカでは彼らの国民性、あの大陸での彼らの存在意義、というところにまで色濃く影を落としている点で、異様、なんです。自分のうちのつむじ風をまだ御しきれずにいる若い男性諸氏がこの映画に強烈に共感を覚えるのも、だからとてもよくわかるのですが、やがてそれが自分のうちにある一過性のものではない、およそ手に負えない類の闇だとわかって、その深さ重さにうちのめされると思います。

 でもアメリカ人はそれを抱えていく。
  まさにこの映画に描かれている通りの世界を、時々ふと覗き込みながら、首を振り振り前に進んでいく、のが彼らなんだろうと思います。


 

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