« 「ゆれる」初日舞台挨拶動画 | トップページ | 「パビリオン山椒魚」初日決定 »

2006年7月13日 (木)

資料を引き当てるために

 この間から中世カトリック史についての分冊をちまちまと訳しております。今回私と組んでくれたのは中世史専攻の史学科の学生さんで、英語が堪能なので助かっています(^_^;)よくある話で、彼はそのかわりキリスト教全般、だいたいお手上げです。何がわからないかも本人自身がわからない。わからないと言うことをわかるためにある程度の知識がまず必要なんです。こういう時教えるのは神学でも教会史でもなく、カトリックならまず典礼です。どんな宗教でもそうだと思いますが、その特殊な思想世界を形作っているのは結局特別な用語の山、なのであり、その祈祷文の言い回しや出てくる物の名前を覚える事が、山に分け入る一番簡単な糸口なのです。私たちは神学書を書くわけではありませんからなおさら、意匠に忠実であることが重要です。
 そうしてまず大体必要な用語の1/10ぐらいが頭に入る。で、実はそこから先が難しい。いきなり専門書になるわけですが、専門書って要するに各学者が恣意的に解釈を施すからこそ存在意義があり議論が発展していくわけなので、どんな本でも必ずどちらかに振り子が振れている(今までの説をなぞっていては書く意味がない)。当然全く同じ資料の読み解き方も扱いの仕方もバラバラ。それを何冊も読んで「これはこのセンセの妄想部分」「これはこの説を採用した時の共通理解」という風により分けながら頭に叩き込んでいかないと、いわゆる「偏った訳」になっちゃうんですよ。どちらかの陣営に少しでも傾くと、あとで鬼の首でもとったようにクレームが殺到する(笑)。何が中庸なのか、をわかるのは実は結構大変なことなんです。
 で、さらに、そのための資料を引き当てるために検索をする。繰り返しますが知識を引き出すにはこちらにも相応の知識がないと、引き出しの取っ手が何なのかすらわからないんですよ。で、今回典礼を咀嚼した彼に「引き出しの取っ手」として私が次に渡したのは実はマンガ、でした。「修道士ファルコ」と「サラディンの日」。ついでに「キングダム・オブ・ヘヴン」のDVDも(笑)。 この3つには、そうした専門書を何十冊も読んだからこその「中庸」が細心の注意を払って描かれ、書かれています。用語の使い方も的確です。これならば、その言葉の用例を目で見た背景と共に具体的に覚えられます。この「具体的」「的確」というのが大事で、これを手がかりにすれば検索の範囲をあまりブレずに素直に広げていく事が出来ます。ここまで来たら、あとは1人で気の済むまで調べものに没頭して大丈夫です。

 そして、この何十冊もの本を読み合わせ編み上げていく緻密さに関しては、青池保子氏はたぶん歴史小説家以上だと思います。小説はある意味専門書の集大成ではありますが、ぶっちゃけ調べの及んでいない所、自分の史観に合わない所は書き落とせる。でも青池さんは、服を着せたら服の模様を描かないわけにはいかない。騎士に懺悔させようと思っても、絵を間違うと懺悔しなくて良くなってしまうわけです。それに小説だと、ディテールにこだわると全体の流れや心理描写に支障が出る事がありますけど、マンガは調べれば調べるだけ、描きこめば描きこむだけ絵が良くなるんですね。青池さんは真っ正直にどんな些細な描写でも物凄いこだわりを持って丹念に調べてる・・・のが、絵を見てわかるし、その世界に詳しくなればなるほど学術的裏が取れてきて仰天します。むしろ専門的になればなるほど頼りになるかも。

 

こういう意味での「一級価値の資料」は最近では本当にマンガの方が素晴しいです。中古文学専攻の学生に必携なのは、いまや岩波の「大系」や学燈社の「必携」ではなく「あさきゆめみし」なのかもしれませんvv




|

« 「ゆれる」初日舞台挨拶動画 | トップページ | 「パビリオン山椒魚」初日決定 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/103190/10920744

この記事へのトラックバック一覧です: 資料を引き当てるために :

« 「ゆれる」初日舞台挨拶動画 | トップページ | 「パビリオン山椒魚」初日決定 »