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2006年7月21日 (金)

ピアノ・レッスン

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先週の土曜から始まっております「BOW30映画祭」。おかげさまで幸せな映画漬の日々を堪能しております。
一応2004年には全作品DVDになっているのですが、DVDそのものがレンタルになっていない、入手困難、というものもありまして、連日補助椅子出動する盛況ぶりです・・・これ見て、もう一回DVD出してくれないでしょうかね。紀伊国屋書店さん。写真から、映画祭の公式該当ページに飛びますので、役者名などはそちらでご確認下さい。

さて、ピアノレッスン。
私の映画への入り口は、実は音楽でした。今ではそれは筋違いだというのはわかっていますが、もともと音楽を聴く事がとても好きだったので、音の良さに導かれるようにして見るようになった映画が多いんです。もっと前ならミュージカル映画全盛、だったんですが、私が「聴いた」映画は、なぜかこのフランス映画社のものが多かったです。で、この映画は、まさにそのピアノの音が凄かった。役者が本当に自分でピアノを弾いているんですが、ピアニストを生業としている人には到底出せない、逸脱した音の連続、とでも言いますか。かきむしられるような狂気と背中を焼かれるような熱が封じ込められ、しかもそれを知りながら解くすべを持たないもどかしくも稚拙な指・・・から流れ出る音は、そのまま、心の響きあわない夫と共に音楽の象徴する「世界」から隔絶された、主人公そのもの、でした。それは、当時の私にとってはどんな素晴しい演技よりも心に直接突き刺さる「表現」でした。その閉塞感に、二、三日、夢でうなされたのも良く覚えています。たぶん、程度ははるかに低いながら、私も自分のもどかしくも稚拙な「指」をもてあましていたからだろうと思います。この映画の感想でも、あの「演奏」が忘れられない、というのをいくつも読みました。

 それと、これを最初見た時感じた母性に対する「違和感」が、年を経てきれいに消えてなくなっていたのが今回一番印象的でした。当時の私は結婚すらまだでしたから、母親という役割を課せられている人の中に、女が居て、音楽家がいて、つまり「彼女」というものが居て、という輻輳的な存在が、頭ではわかっても、どうしても具体的に想像できなかったんですよ。でも今ならガンガンわかりますねvvむしろ自分の中に鬼が居る事に快哉を叫んでこその母なのだという、すべてに対して体当たりの真っ向勝負を挑み続ける彼女に、とてもとても共感しました。

 音楽の神は、才能と引き換えにすべてを要求する厳しい神です。人間の側は注意しないと、そこに共依存に近い犠牲的精神を強いられることになります。彼女も、平たく言えば人生を見据える支えを失ってピアノに逃げていた。しかもそういう熱と献身を、実は音楽は非常に喜ぶので、ついには自分がピアノ「でしか」なくなってしまう・・・その彼女がいくつもの岐路に立たされその度に決断を下し、ひとつひとつ人生を取り戻していった時、最後に、まさに彼女に依存していたピアノが怒る。そこで共に奈落の底に沈んでしまうのも人生、自らもやいを断ち切って海上に浮かび上がるのも人生、ですが。
 「そんなに音楽が大事か」と問われて「音楽も大事だから」と悠然と応えられる人だけが対等に音楽の神と渡り合えるのだろうと、私は思っています。

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