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2006年6月 5日 (月)

家の鍵

Top「家の鍵」見てきました。公式サイトはこちら


 人に薦められて見に行きましたが、たいへんに力強い「ほのぼの」に溢れた良作でした。くすくす笑って、見た後心の深いところが穏やかに安らぐような気持ちになれます。家に男の子さんがいる方は特に、声出して笑っちゃうかもvv

 見る人によっては、これのどこがほのぼのなんだ、カワイソウな話じゃないか、と言うかもしれません。話は、出産時の事故で20歳にもならない彼女を亡くした少年が、15年経ってその時の子に会う、というものなのですが、その子が障碍児だからです。でも私がこの映画を見て真っ先に思ったのは、「男ってホントしょうがない(笑)」というものでした。
 それはまさしく今、我が家でも日々展開されている景色そのものでした。うちの息子と旦那の、傍から見ると突っ込みどころ満載の、でも本人達は楽しくてしょうがない「遊び」。たいへんに大雑把な言い方をさせてもらえば彼らには「仲間意識」が働くらしいんですね。それが転校生でも、新入社員でも、とりあえずエイリアンが来れば撃退するか仲間にするか、なんでしょう。そして、その感覚で行くと、原因と結果の間が乖離しすぎて、はっきり言って「よくわからないまま」生まれてくる「自分の子供」も、同等にエイリアンであるわけで(笑)。最近やっと「庇護の必要な生き物」から「人間」に昇格したうちの息子と父親は、まるで新しくクラブチームに入ってきた先輩後輩のような関係です。っていうか、男同士だとそんな関係しか結べない・・・らしい(大爆笑)。でもそこではちゃんと旦那はいわゆる「少年の心」に戻って、一対一で遊んでいますし、たぶん男の子を育てるのには「少年になれる大人」が必要なんでしょう。だから、そういう男性を(半分本能で)女性は許容してしまうんでしょうが、許し過ぎると「嫌われ松子」になってしまいます。 閑話休題。

 とまぁ、そんな事をごく自然に考えさせられてしまうほど,この15年ぶりに出会った2人が仲良くなっていく過程は、素敵でした。この男の子の場合はそれが生まれ持った障碍ですけれども、それがもし無くても、やっぱり少年の人生には少年にとっての「苦難と障壁」がうずたかく積まれているわけで、そしてそれを乗り越える時に差し伸べられる手も、越える壁の高さ大きさとは関係なく「そこにあるもの」であるはずで。誤解を恐れずに言えば、映画という形で視覚に訴えてくるこの子の障碍が「壁のひとつ」にしか見えないほど、実に細やかな、ごく普通の人間らしい、男同士らしい(笑)心の交流が、そこに育まれているところが、ほんとに素敵だったんです。ワクワクするほど。ネタバレになっちゃいますが、2人で男の子の彼女に会いに行くんですが、日曜なので女の子は学校に来ていない(親父、何故調べていかない・笑)。持っていったケーキが無駄になる・・・と男の子が「ね、半分でもおんなじ事だよね」親父、目がキラーン☆「だよね。半分でもあればいいよ」「そうだよ」「食べようか、今」にっこり~vv・・・って包み開けて手づかみですかお父さんっっっ(大爆笑)。その2人でケーキをほおばる様子が、友達同士のようでもあり、厳粛な儀式を執り行うマスターと弟子のようでもあり(笑)、なんとも分かちがたい結びつきを感じさせるものでありました。何なんでしょうね、あれは(笑)。

 ここまでのところでお察しいただけるかと思いますが、障碍児役の子は、実際に障碍を持ったお子さんが演じています。役の上では脳機能障害と高機能アスペという設定のようですが、私は医者じゃないので、このお子さんの普段の障碍の程度がどのくらいなのかはわかりません。ただ、明らかにわかるのは、せりふを覚え指示通り動くことはしても、時々「本人自身」が出てきちゃうこと(笑)。舞台じゃなく映画なんだから撮り直せばいいと思うんですが、父親役のキム・ロッシ・スチュアートvvvも監督も、そのアドリブを見逃さずにドンドン芝居を付けていきます。そのあたり、ちょっと「スジナシ」というTV番組に似ていまして、スチュアートは、大変高度な演技力を惜しみなく駆使して、丁寧なあたたかい父親像を最後まで崩しませんでした。実際にも2人が仲の良い「同士」になっていたからこそだと思いますが、その、役を離れた二人の親密さもエンドロールで堪能できます。

 というわけで最後になりましたが、キム・ロッシ・スチュアートはやっぱり凄いです。今回考えようによってはたいへん難しいパートナーと組んで演技しなければならなかったわけですが、映画が決して息子にだけ焦点が当たる「難病お涙頂戴もの」にならかったのは、この人が、父親自身の成長を、もうひとつの主題として見事に演じきったからだと思います。ラストシーンの涙の意味が、見ている全員に確実に伝えられる役者はそうはいないと思いますよ。彼ほど着実に名優への階段を上っているイケメンvvはいないでしょう。「アパッショナート」という映画で全世界の有閑マダムのハートを撃ちぬいた・・・と思ったのですが(笑)思ったほど知名度が上がらず、現在に至ります。この映画の中でも、とても繊細な感情を本当に美しい瞳に乗せて、こちらの心にクゥ~と訴えかけてきます。「カラテキッド(日本未公開映画)」で名を馳せた後、質の高い映画に絞って出演するようになったらしいんですが。パパはジャコモ・スチュアートです。


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コメント

家の鍵を求めているのは父親のほう、という解釈は面白いですね。

コメントありがとうございました。

投稿: マダム・クニコ | 2006年6月 7日 (水) 23時19分

マダム・クニコさま

わざわざのお越し、本当に有難うございました。
見た人がそもそも少ないのでレビューも少なかったのですが、
そんな中でマダム・クニコさんの文はとても独特な感じがしました。
対象からの反射を利用して自分の空間を活写する事に主眼が置かれた、
小林秀雄式「評論文」という表現手段に久しぶりにお会いしました。
やっぱり面白いです。廃れさせたくないですよね。

また通わせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。

投稿: contessa | 2006年6月 9日 (金) 01時11分

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受信: 2006年6月 6日 (火) 21時34分

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