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2006年6月23日 (金)

親密すぎるうちあけ話

Shinmitsu_poster_s「親密すぎるうちあけ話」見てきました。公式サイトはこちら

 今年公開を楽しみにしていた3本の映画の、最後がこれでした。だから、というわけでもないと思うのですが、見終わって、最初に私の頭に浮かんだのは、残酷にも「新旧交代」の四文字でした・・・

 映像の美しさは、もういまさら私が何も言うことはありません。本当にル・コントらしい、やわらかくあたたかな光が画面全体にヴェールをかけていて、お話全体を、どこか非現実的な、それでいて童話のような、とても心地よいものにしています。昔は彼の専売特許だったこの美しいカーテンの向こう側は、今や彼にしか撮れないものではなくなってきていますが、彼の語るストーリーには欠かせない道具立てとして、健在、でした。

 その、話が、今までのどの作品よりも「わかりやすかった」。ル・コントの作品では、「女性という性に対する純粋な憧憬」が、神秘と不可思議の間を気まぐれに漂う生への「讃歌」としても描かれるので、結果的にその出てくる女性に重ねられるイメージが大変に重層的で(^_^;)寓話的、象徴的なものになる・・・しかもその生身の人間の象徴としての羽化を監督自身が楽しんでいるみたいなところがあって、ただ美しいでは終わらない「美しさ」は、つかみどころなく次々と軽やかに現れては消えていきます。でも今回は、その神秘性をそのままポンと「ミステリー」にしてしまった。ミステリーだから不思議、なんですね。理由がつきました。わかりやすい。アメリカではロングラン・ヒット、なんだそうですが。うーん、何だかそこをそんなに簡単にオチつけられてしまうと、ヴェールなんかいらなくないですか?っていう感じです。天邪鬼だとは思うんですが、私は、その「美しさ」に翻弄され、ただただ陶酔する、呆けたような時間が本当に好きだったんですけれどね。こういうのを、映画的完成度が高い、と言うんでしょうし、これを代表作、に推す人の気持ちもわからなくもないですが、何だか、手を触れた途端にすべてが金に変わる童話のように、これは金に変えてはいけない方の類だったんではないかと、金に変え、美しい「ただの置物」にしてしまったら食べられなくなる、りんごのようなものだったのではないかと、そんな風に思いましたね。

 そして、相変わらず電車男のような(笑)気の小さいまじめで一途な愛すべきおじさんが出てくるのですが、今回そこにあの「かわいらしさ」がなかった。そして映画のキャッチフレーズは大人の恋愛、ですが、誰も恋などしていません。何でそんな風に見えるかというと、視覚的にも性格的にもよくあるつまらないタイプのおじさんの、いったいどこに魅かれたのか、そのポイントが最後までわからないからなんですよ。差し出された手でも、ふせがちな瞳でも、そこに女性が何かを感じとって心が動く。その内側にきらりと光るものを繊細に感じ取りいとおしく思う。その豊かな包容力こそが彼の映画を掬い上げ男女を問わず多くの人の共感を呼ぶのだと思いますが、客観的に見ても、心情的に辿っても、この男性にはそういったきっかけとなる「可愛らしさ」が何もなかった。それを女性の側が見出した形跡もまるでない。ですから、ただの言葉のやり取り以上に気持ちが踏み込んでいくことは一切なく、お互いに自分の妄想に浸って楽しんでいるだけです。それを「大人の恋愛」と言ってしまえばそれまでなんでしょうが、妄想ごっこは恋とは呼ばないと、私は思います。


今までの彼の映画と、どこが違うんだという向きもあるでしょうし、その映像美には変わらぬ心からの拍手を送りたいと思いますが、私は監督が、この作品で、いい意味でも悪い意味でも「殿堂入り」しちっゃたような、そんな感想を持ちました・・・・・。

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