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2006年3月

2006年3月31日 (金)

スニークプレビュー

このブログを場所その他を貸してくれているniftyココログで、スニークプレビューの参加者を募っています。サイトはこちら

スニークプレビューというのは簡単に言うと
「映画が始まるまで見る人には詳細が一切隠された(sneak)試写会(preview)のこと。事前情報を持たず先入観無く作品を見ることができる、映画好きには好評を博しているイベントです。上映前の参考として試写後に簡単なアンケートを実施し、それらのアンケート結果により、実際に上映される映画の編集や宣伝に影響を与えたりすることもあるそうです」(上記サイトより引用)。


 

私が住んでいる地域でCATVに加入するともれなくniftyがついてくる(笑)のでまったくの偶然なのですが、くしくも今日を以って終わりとなる「パソコン通信」の時代から、niftyは映画ととても深く関わってきました。先だってここでご紹介したniftyブロガーだけの映画大賞が、投票者のコメントも含め図抜けて質が高く信頼できるのも、ある意味niftyが観客を育てる場を提供してきたからこその功績といえると思います。


今回は、

試写日時:2006年4月8日(土)
開場:17:30/開映:18:00
試写会場:明治安田生命ホール

で、当たったかどうかは4/4に連絡来るそうです。


このキャッチフレーズだけで「見てみよう」と思われるつわものの方v5月公開の感動大作っていったら”Bigriver”か”Broken flowers”しかないじゃない、と決めてかかっている能天気な私に付き合っても良いと思われる奇特な方、当選したら(笑)書きますので、このブログのどこかにあるメアドからご連絡下さいませm(_ _)m

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2006年3月28日 (火)

高倉健「世界遺産」で初ナレーター

「俳優高倉健(75)がTBS系「世界遺産」の10周年記念スペシャル番組(4月2日午後11時半)でナレーターに初挑戦することが25日、発表された。同番組は96年にスタート。4月は「世界遺産スペシャル」と題して放送する。その第1回は中国・万里の長城の空撮映像。高倉は「欲望と儚(はかな)さ、無常の宿命を背負った世界遺産。俳優生活50年目、美しい番組に参加させていただけることを誇りに思います」とのメッセージを寄せた。辻村国弘プロデューサーは「絶対無理と思いつつご相談してみたのですが…。ご本人からOKが来るまで半信半疑でした。何しろ、ご当人が文化遺産そのものですから、緊張しています」と手放しで喜んでいる。(日刊スポーツ)」


 記事文にもありますが、世界遺産が世界遺産についてナレーターするならこんなめでたいことはないですvv今からとても楽しみです。が、問題は、スペシャル版だけ、なんでしょうか、という事。微妙ですね・・・・どちらのファンにとっても(笑)。

 お誕生日繋がりなのか?と、埒もないことを考えるcontessaでした。

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たまごが来ましたv

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先だってKさんと代官山に行きました。 ブライスが欲しいというKさんにくっついてセレクトショップまで行ったのです。 行ったはいいものの、私はバランス的にヘッドが大きすぎるのと、目が大きくて隙間が怖いのとで、ブライスは今までずっと敬遠気味で、それでショップの奥で開催されていた展示会を眺めていました。 その日はプチブライスとアート作家のコラボで、卵形のイスをエッグアートのようにさまざまに飾る展示。そして色とりどりの卵を眺めながら、そもそも「プチプライス」って何だかを知らなかった私(笑)。
そうしたら、中にうっとりするほど美しい卵があって。 人形も持っていないのに心の底からその卵に惚れこんでしまい。 ついに購入してしまいました。それが今日やってきたたまご。この世に1個しかないたまご。 イスとして、中に座るDollの事を計算してある その引き算の仕方が乙女で可愛いです。

で、その卵のために、その場でプチプライスを買うことを決意vv(ええ~) それでうちに来たお嬢様が↓です。京都に連れて行ったのは、実はすでにして二人目(^_^;)

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ほんとのブライスと違って、プチはCD一枚ぐらいの値段なので「決意」と言うほどのものではないんですが(ついでに卵もそのくらいの値段だった・汗)何だかついにうちにブライス(の小さいの)が来たなぁと言う感じです・・・

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2006年3月27日 (月)

再び「ジョニー・デップにない良さを」

depp 今号のキネ旬は、ジョニー・デップ特集ですvこの人については良書がいっぱい出ているので、ファンの人には今更感が漂うと思いますが、そのファンの方達のために言うと、今回はジョニデ本の中では←レベルの記事でしたvv もし今回のキネ旬で初めて彼に興味の湧いた方には、手際よくすべてが盛り込まれているこの本、お勧めします(Amazonに飛びます)。








で、私がひっくりかえったのは、それに続く「俳優が語るジョニー・デップ」というコーナー。アル・パチーノが彼についてこう、言及しているんです。

「(前略)意外に思うかもしれないけど、僕は彼ら(注・ショーン・ペン、ラッセル・クロウとジョニデの3人)ととても気が合うんだ。なぜなら彼らの考えることは、僕と真逆だからね。僕らはお互いの考えを交換することを楽しんでるよ。彼らの知的な仕事振りを好ましく思っている。(後略)」

うわぁぁぁ言い切ったぁ~~~(^_^;)

というのが、私の正直な感想です。「真逆」。
あんまり引用すると怒られますので省略しまくっていますが、ここに出していない箇所ではアルはさらに、もう彼らのことをベタ褒めですv持ち上げまくっていますvvだからその流れの中で「真逆だから」とアルがぽつんとつぶやいても、読者にはそれはちょっとした謙遜ぐらいにしか思えないでしょう。
でも!アルのファン及び共演した諸俳優の皆様は、この砂糖菓子のような祝辞の裏の棘にに気が付かないはずがありません(笑)。「真逆」とは、つまり

「お前達、それじゃこの先何年やっても絶対俺にはなれないよ」

という空恐ろしい宣戦布告、なんですよ~~~キャ~~~~
いえ、アル・パチーノ様vなら、もっと上品で遠まわしな言い方をなさるに違いありませんがvv

↓は私が12/21に書いた文章ですが。
-----本当はアルのような役者は、個性俳優として脇で煌めいている・・・方が楽、だった筈です。でも彼は主役級に挑む。主役は、もてるすべてをさらけ出し、何もかも真っ向から「受けて立つ」のが仕事です。自分に出来ようが出来まいが、全存在をかけて「居る」事が主役の仕事。自分が大事だったら、心の内に土足で上がりこみ、すべてを粉砕して立ち去っていく奴らの相手など御免こうむりたい筈なのです。でもアルは、出る度毎に粉砕された自己をかき集め、さらに新しい自己を創生する事をいとわない。そこまで深く自分を愛し、信頼しているのです。だからこそ培われていく風格と大きさ。まさに身を切るようにして。ほんとうに、凄い、ことですが。--------
アルのコメントにある「知的な仕事振り」が、だから私には100歩譲っても皮肉にしか聞こえませんですよ(笑)幼少の頃から天才と呼ばれ、演劇学校でも比肩する者なく、誰もが手本としたがる演劇理論を確立しながら、そんなものを誰よりも信用していないのが、アル・パチーノというactorなんですから。

そこで隣に目をやると、若き日の純粋を"装った"、アルとおんなじぐらいしたたかな、オダギリジョーのコメントが(笑)。皆さんよくご存知の、以前のインタビュー記事の再掲です。オダギリ氏、ジョニーデップの仕事振りを褒めるばかりで、まるで俺が次にジョニー・デップになってやると言わんばかりですが(えーvv)いや、だから、ジョニー・デップは外野が何と言おうと、ただひたすら「ジョニーデップの完成」を目指しているだけですからvv
でも、こうやって見開きで並べられると、やはりアルはわかっているし、オダギリジョーも同じ事わかっているナと思わずにはいられません。そして良識あるファンの皆様は肝を冷やすに違いないその自信も、あながち根拠のない事ではないと、今は思います。

-------本人は、デップ同様自分が一番大切で、どこまでも自分だけを追及し、楽な映画、面白い映画に出て、それで映画の活性化に繋げようと思っているフシがあります。しかし彼が気づかずに、おそらく何度も粉々に砕かれた自分を人知れず拾い集めた結果手に入れた「ゆるぎない核」の部分、そこから巧まずしてにじみ出る力強さ・正しさ・美しさ・・・誤解を恐れずに言えば、これがデップにはなくて、アルにはあるものであり、映画という媒体にとって無くてはならない主役という「格」なんです。-------------

これは私がまだ「DVDの中のオダギリ氏」しか見ていなかった、上と同じ12/21の記事ですが、イロイロ気づいた(笑)今も、やはりオダギリジョーの真実は、映画の中にしかないと思っています。それを創り出したのが、オダギリジョー自身である以上。


以下はオタクの妄想として聞き流していただければと思いますが。
もし彼が世界を揺るがす一大スペクタクル映画(どんなだ・笑)に出て、アル・パチーノの目のすみを偶然かすめるような事があったら、こんな極東の最果ての地で、アルと同じ、地を這うようなやり方で自分だけの演技を模索し、なお日々のたうち回っている青年がいると知ったら、アルはなんて言うんでしょうね。






・・・「馬鹿だな」 って言うでしょうか。






あの、このうえもなくさびしく優しい目で、
一瞥、しながら。


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2006年3月26日 (日)

SWITCH

switch私が只今定期購読しているのが、キネ旬と、このSWITCHです。公式サイトはこちら バックナンバー買えます。

映画系の雑誌は、他にInvitation、Cutなどがありますけれど、この2つは、今話題になっているある特定の人物に(笑)興味がある時、たいへん役立ちます。Cutはインタビュアーに職人が多いので頼りになりますし、Invitationは他で見られない写真(「少佐」のようなv挑発長髪オダギリ氏とか)載せてくれます。

SWITCHが面白いのは、人がテーマなのは同じなんですが、その人選と取り上げ方で、映画その他の世界に「今どんな事が起きているか」がおぼろげながら透けて見えてくるところ、なんです。その他、といっても範囲は広くて、例えば先月号なんてドリカムと古田敦也と安藤美姫の特集でしたからね(笑) 今号なら、表紙の特集のほかに獅堂×ジミヘン、とか押井守×行定勲、なんていうのもありますvvオダギリファンの間では伝説のVol.21「だからあしたのジョー」もSWITCHです。「文芸春秋」という大正時代から営々と続く文芸月刊誌があるんですが、あれの現代版若い人ver.といった感じ。メインが小説から映画になっていますが、編集姿勢とか、踏襲されているものがあると思います。

で、そのSWITCHで、今西川美和監督が連載持っているんです。「ゆれる」について、台本「以前」からのメイキングノートです。監督の人となりと映画は切り離して考えるべきだ、という人もいますが、この監督とこの映画に関しては、むしろ監督の人となりを知るために読んどいたほうがいいかもしれません(笑)。監督が映画で表そうとしているものも、回を追うごとにあらわになっていきますし、一方でオダギリジョーを初対面一発で見抜いた眼力とか、「撮影が始まった時点で台本は別物」といった生々しい告白も全部ひっくるめて「監督自身」が楽しめます。これから方々で出てくる映画紹介記事は。きっと映画の中で起きる事象がメインになるんだと思いますが、夏公開までに読んでおくなら、できたらこちらのほうをお勧めします・・・とにかく監督、あんまり可愛くてファンになりそうです。オダギリ氏が嫉妬するのも無理はないっ(って、いやダカラそーじゃないからw)



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2006年3月25日 (土)

マンダレイ

mandaley マンダレイ、見てきました。公式サイトはこちら




 

 この作品は先年発表された「ドック・ヴィル」に続く第2部です。あの映画の中に舞台を造る独特の設定も、舞台を意識したライティングが印象的な映像も、そのままです。ただ、話自体は独立していますし、主演女優も変わっていますので、単独の作品としても楽しめます。
 話の内容は、南部の農場を舞台に展開される、人種差別に関する寓話、です。監督はデンマーク人。アメリカには行った事がないそうですが、この問題に関しては、ひょっとしたら行って取材したほうが良かったかもしれません。「舞台」という設定も、「寓話」仕立ての話運びも、問題の枝葉末節をそぎ落として「核」のみを暴きたて抽出するには、たいへんよい作法だと思うのですが、その切り落とし方、焦点の当て方を間違えると、なまじ抽象的であるだけにステロタイプに陥ってしまうからです。手垢にまみれた課題だからこそ、実はそういう装置をを介して「彼岸の火事」にしてはいけなかったのではないか、と「クラッシュ」を観た今はそう思います。最終章の「奴隷的民主主義」の誤謬、など、もしこれと当時の「WASP的真理」の共通点に「寓話的に」焦点を当てれば、その根の深さはおのずと浮かび上がり、寓話は「普遍」となったかもしれません。そういう切り口の甘さ、簡単さは、ひょっとするとこれが3部作の1つでしかない、民主主義の不毛だけを描きたいわけではない、という監督の意思の表れかもしれませんが、今は、第3部に期待しますとしか言いようがありません。

重畳なナレーションが、登場人物も背景も逐次説明してくれます。事実認識に多少温度差を感じるかもしれませんが、彼の国にあふれる情報を知識として自分の中で整理つけられずお困りならば、目録として、たいへんすっきりさせてくれる映画だと思います。

そしてこの映画は、ここのブログでお声かけ下さったYukoさんとご一緒して頂きました。オダギリ初心者ファンの私に、本当にいろいろ懇切丁寧にお教え下さり、また好きな映画の系統もとても近い事が判明。これからも是非ご一緒させて下さいv 有難うございましたm(_ _)m

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2006年3月24日 (金)

「ゆれる」試写会

「ゆれる」何度目かの試写会の1つに、昨日行って参りました。
公式サイトが出来ています。こちら
先日子供と「ウォレスとグルミット」見にシネ・アミューズCQN行きましたら、早くも予告が上映されてまして。それと同じものが↑この公式でも見られます。

 重く厚くどっしりとした映画です。無駄な間や、観客に下駄をあずけるシーンなどひとつもなく、明確な意思を持って、現すべきものがすべて過不足なくきちんと表現されています。その隙のなさ、正攻法で王道まっすぐな「正しさ」が、映画全体をとても端正で重厚なものにしています。考えさせるのは最後だけ、そこまでは実に丁寧に、説明責任は製作側がすべて完璧に果たしています。ですから観客は、暗喩を探したりマニアな符号にひそかな喜びを求めたりする必要は全然なく、ただ見たままに感じるだけでいいのです。そういう意味では、大手製作会社がロードショーにかける大作映画と似たところがあるかもしれません。「どんな人にも開かれた」話でありながら、重くずっしり残る手ごたえ。普段単館映画など見ない人の方が、ストレートに感動できるかもしれません。
 あるいは見たままに感じようとすると衝撃で吹っ飛ばされる事もあるかもしれません。ある明確なきっかけを境に、まるでブラックホールに吸い込まれるかのように、目の前の画面の質量がどんどんどんどん重くなっていき、抗えず瞬きもせず見守っているそのこちらめがけて、いきなりバズーカが撃ちこまれてきます。その時の、その登場人物の心情がそのまま等身大の重さでいきなりこちらの心に撃ち込まれて来るのです。バズーカ砲、バンバン来ます。ここで私の個人的な感覚を言っても比較にすらならないと思いますが、それはもう「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」という映画で「音」で受けた衝撃を、「映像」で受けた、そんな感じでした。そしてそのバズーカまでもが、実に正しくしっかりと真正面からまっすぐ、撃ち込まれてくるのです。
 奇を衒わず、斜にも構えず、悪びれることなく正面突破を試みた結果、白日の下に晒されるのは、人の心の奥の奥です。真っ暗で底なしで、たどり着いたらそのまま逃げ出したくなるような闇。その闇には残酷な事に生き血すら通っていて、でもだからこそ、どこかにぬくみが残っていて。映画は、そこにかすかな希望を照らして終わります。

 役者話をすると、映画の中では香川さんとオダギリ氏の関係は兄弟で、それも関係してるのかもしれませんが、常に香川さんが球を投げてオダギリ氏が打つ、という感じです。それもオダギリ氏、凄いのは、「ここではセンター前にポテンヒット」とか「ショートは抜くけどサードが取れるゲッツーコースで」とか、普通では考えられないような監督の注文を(笑)次々にこなしてヒット打ってます。舞台挨拶で20代の集大成と言ってましたが、確かにその飛ばしているヒットの中に、五代クンも西島刑事もタケシもテツも里見先生も春彦も、斉藤一も(!)みんな居ます。<余談ですが、このオヤジしか出ない絵面を少しでも軽やかにしようという意図なのか(え)ファンから見ると 映画的必然性とは別次元で、特に前半、無駄に(笑)美しいショットが多いです。明らかにそう、撮っています。もうオダギリファンはオロオロして映画に集中できないくらい美しい。DVD絶対買いです(笑)>・・・で、そうやって、映画の間中、投げ込まれてくる球を持てる力のすべてを出し尽くして変幻自在に打ち返し続けるオダギリ氏は、最後に特大のホームランをかっ飛ばします。それはもう目の覚めるような、花火のように大きくて力強いホームラン。ところがそれをゆっくりと見送る香川さんが、最後に振り返って、オダギリ氏を見るんです。それがもうその一瞬に、40年間生きて来た香川さんのすべてが出ている。最後の最後に、ああ、この映画の主役は香川さんだったんだと痛烈に思わされる。ほんとに凄い一瞬。確かにそこまでの「関係性」はオダギリ氏のいうとおり、この二人でなければ構築できなかっただろうと思うほどに。



ネタバレは決してしないつもりだったのですが最後に一言だけ。
この予告の叫ぶオダギリ氏のシーンと、それから事前にさんざん取材されていた裁判のシーンは、実は 映画の中での扱いは結構あっさりしています。 大変な質量でずっしりとこちらに襲い掛かってくる、 凄いとしか言いようの無いシーンがその前にいくつもあって、 予告のシーンはその当然の帰結、として扱われているからです。山場というより〆。 ですからこのシーンだけを楽しみに見に行くと、ひょっとして肩透かしを食らったように思う方もあるかもしれません。できたら頭の中まっさらにしてお出かけ下さい・・・もちろん↑も是非忘れてv

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嫉妬の香り(11)

 見てから一週間も経ってしまいました、最終回。もうここまで来ればコワイモノなし(笑)、オダギリ氏、パワー全開でしたvv 何だろう、オダギリ氏は河原さんが好きだと言いながら、結局愛情が裏返らない。好きだ~のまま自分のほうが崩壊していくvvこれだと見目麗しいのも相俟って(笑)普通のストーカーほど怖くないんですね。むしろ可哀相に思えてくるからファンというのは恐ろしいv最後記憶をなくした後の病室での笑顔は、私の中では十指に入る美しさ、でした。狂気が斯くも人を曝け出す、その無防備な美しさ。本当に最後まで観てよかったです>ソコなの?(笑)

 堺さんは、本当に好演していたと思います。あまり幅のある人ではないですけれど、芝居を転がしていく側にも転がされていく側にも回れる人で、これだけ叙情的な雰囲気をかもし出せる人は貴重だと思います。山南さんも本当に素敵でしたが、これも堺さんの当たり役の一つに数えていいのではないかと思いました。

<主な出来事>

入院したので、河原さんのお腹の子の父親が寺脇さんと判明し、事態は収束に向かいます。癒しの庭プロジェクトも完成し、披露当日のクリスマスに「雪が降ったら結婚しよう」と本上さんと堺さんが約束していたのを知っていた河原さんは、実家に戻っている本上さんに「東京は雪よ」をと嘘をついて呼び寄せます。そこで堺さんと再会した本上さんはようやくよりを戻します。寺脇さんと河原さんは離婚。病室に忍び込んでまでしてもはっきり断られるオダギリ氏は、「あなたは本上さんが幸せになる事だけは許せない筈だ。それなら僕がっ!」とサンタの格好で待ち伏せして本上さんを刺しに、行きます。ところが路上でトラックに激突し意識不明の重体。通りがかった河原さんに助けられますが、そのまま記憶喪失者になります。

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ツィゴイネルワイゼン

chigoineru 1980年、鈴木清順監督作品。
この作品は公開の仕方が大変特殊だったんですが、そのあたりの事情が"tender"というサイト様のこの ページに大変詳細に残されています。良ければ是非、ご参照下さい。





 これも京都に行く前に見てました(^_^;)。清順監督作品の中ではこれが1番好き、あるいはこれが1番わかりやすい(笑)と評判の作です。話は、破天荒なドイツ語教師原田芳雄と、友人ドイツ語教師藤田敏八が、大谷直子さん、大楠道代さん(藤田妻役)を巡って思いを残し続けていくもので、最後までちゃんと破綻せずに終わります。鈴木清順監督の代わりに暴れているのは原田さんかなぁ(笑)大正末期の耽美なエロティシズムを、人間の内側からの必然として描き切った佳作です。
 藤田さんと原田さんが旅先で遊んだ女郎と、そっくりの女がご大家から原田さんの所へお嫁に来ます。遊び女に似ていると言われ、野卑な(汗)原田さんにぞんざいな扱いを受け続けたそのお嬢様は、やがて女の子を残してスペイン風邪で亡くなります。と、乳母にと雇われてきたのがいつかのあの女郎(大谷さん一人二役)。その頃、妻の病んだ妹から、大楠さんと原田さんが一緒に見舞いに来て、相思相愛の様子だったと告げられた藤田さんは、普段が普段だけに原田さんが信じられず(汗)、そのうち持ち前の放浪癖が首をもたげた原田さんは、気ままに旅するうち、旅先で野垂れ死にます。残された大谷さんを藤田さんは気にかけ、大谷さんも、生前原田さんが貸した本にかこつけ藤田邸へやってきますが、そこにそれ以上の進展はなく、原田さんと大楠さんの話も妹の妄想だったと後でわかります。

 そりゃあもうこの映画をタダモノではなくしているのは、タダモノではない原田さんです(笑)。清順監督の実写メタファ?!に敢然と立ち向かえる存在感はそれは凄いものがあります。この人は映画がない時どうしているんだろうと(笑)余計な心配してしまうほど「日常」からかけ離れています。そして清順さんが1番嫌ったのは、日本の私小説の伝統余波とも言うべき、映画の中に「日常」を持ち込む事、だったのかもしれません。リアリティとか、現実の重みなんていうこざかしい道具立ては、わざわざ映画の中に興さなくていい。ここは別世界なんだし、これがこの世界の「現実」なんだから、と事あるごとに「つまらない映画」に反発しているように見えます。それ面白いです・・・か?なんていう凡人の戯言には耳も貸さず(笑)、人が入った後の玄関をずらして中を見せ、そのまま玄関ではなく「さっきは壁があった場所」を突き抜けて人を帰したり、人を小ばかにしたように(笑)似た女が偶然何度も現われたり。でもそういうことをやっても全然薄っぺらな感じがしないんです。そこに、リアルに近づけようとか、逆に何かを壊してやろうとかいった、浅薄な意思が微塵もない。荒唐無稽であるからこそ、「これはこれでいいんだ」というその一言だけがまるで天地創造のような重みで掟となり世界を作る。ストーリーとして納得し、目で追って楽しめる分、端々に現われるそのご託宣の一々が鮮やかに映像世界に際立ちます。

大楠道代さんの演技には、もうぞくぞくしっぱなしでした。
この人の名前を見ると、大塚楠緒さんを思い出すのですけれどね(笑)。この映画で見た大谷さんがまさにそんな感じでした。






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好きだ、

sukida
公式サイトはこちら



 この映画を撮ったのは、石川寛監督です。長くCF畑で活躍されていた方で、「tokyo.sora」に続き本作が二つめです。そしてこの作品は2005年ニューモントリオール国際映画祭で最優秀監督賞を受賞しています・・・と、まぁいつもならレビューに関係ないコウイウ事は私は書かないのですが。
 唐突ですが、私がこの映画を見て一番深く思ったのは「ああ、オダギリジョーはこの映画には出られない」という事、でした。オダギリ氏がその年に似合わず体現している、何百本のビデオと共にためこんだ「古い映画」その製作者達のテリトリーから、これほどきっぱりと決別している映画はないからです。これは実は当のオダギリ氏自身が出ている「ゆれる」を撮った西川監督にも感じることです。
 正確に言うと、こういう映画を撮れる「まっとうな生活をしてきたまじめな人」が映画を撮る時代になったと言うことです。アウトローや「でもしか」映画人では、こんな映画は撮れません。だからこの映画に出られるのも、演技手段の積み重ねで自分を化かし続け、その虚像を競ってきた人たちではありません。卑小も過称もせずただまっとうに自分の大きさだけで生きてきた、その人生の積み重ねだけで勝負する「ごく普通の」西島氏であり、永作さんであり、宮崎さんであり、瑛太くんのような人、なのです。そういう人が、つまり井筒監督の世代の映画人の対極にある人が、映画を撮るようになってきた、のです。

 そうすると映画の作法としてどう変わるか。まずこの監督はCF出身ですから「凝縮」の手法に長けています。30秒間のフィルムに盛り込める情報量が、今までの映画監督と桁違いに凄いです。もちろん商業フィルムだったわけですから自己満足とは無縁の世界、丁寧に、きちんとこちらを向いた絵が切り取られていきます。ですから、30秒30秒が、まるで今までなら一本の映画になったくらいの質と濃さで現われてきます。トータルすると映画何百本分になるのてしょうか・・・・それがこのたった1本に収まっているのです。
 それだけの仕事量をこなせる人は、それだけの仕事を今までに成し遂げてきた人だけです。たとえが悪いですが、夏休みの宿題を毎度毎度8/31にやっていた人には、7/20から営々と宿題に取り組んできた人の完成度は想像すらつかない。それは努力でカバーできる範囲をはるかに超えた、そもそもの出来が違う仕事量なのです。で、ぶっちゃけそういう人は今までなら映画畑なんかに流れて来ないで、就職したり企業家になったり家を継いだりして社会を動かす原動力となり、その能力を発揮してきたわけですが、今30才前後の人って大学卒業の頃、大変な就職難で「大学出てもすぐは就職しない」というのが、選択肢の一つとして出てきた人達なんですよ。だから「そういう」人も映画に自然に流れてくることの出来た貴重な世代。彼らは最初から、人生投げてもいないし斜めに見てもいないし、映画という表現方法に正面からまともに挑んでいるし、それもあっという間に消化し尽くして自分のものにしていってます。さて、今居る監督の何人が「束になって」かかればこの世代の映画人に勝てるのか。メンバーは慎重に選ばなければならないでしょうね。

 この映画に関して言えば、「日常の些細なでき事に意味と喜びを見出していくことに人生の意義がある」という主題そのものは、旧態依然としたものです。特に、単館映画が好きな人にはお馴染過ぎるくらいお馴染の主題です。でもそれが映画においては「たった1本」ですみからすみまで描きつくせてしまう程度のものであるということを提示して魅せた、あるいはこの映画を、つらい現実に対する逃避所ではなく、むしろ今居る自分の現実を誇らしくまぶしく見つめる事が出来る人の為の場所として提示して魅せた、という意味で、今までとは決定的に違う映画、なのです。

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2006年3月23日 (木)

「ゆれる」舞台挨拶(2)

<続き>

◎香川・西川監督は、「蛇イチゴ」という作品から約4年、もちろん観せて頂きましたしお名前も存じ上げていましたが、ねぇ、もしそういう事を何も知らずに街で会ったら「かわいいなぁ、ちょっと付き合ってみようかな」という感じですよね。もうこんな、こーんな本を書く人だと誰がわかるでしょう!(笑) でこの、女性で、こんなかわいらしい外見の内側に隠された、どす黒くとぐろをまいた何か、を見てしまったわけですよ、ぼくは(笑)。そしてこの、こういう外見と共に歩まれてきた人生に対する解答の仕方として、自分の中のさらに深いところにあるものを掴み取るために作品をお作りになっているのだ、という所を僕はとても尊敬します。そしてもうこの役はホントに僕自身そのもので、それを演じられる事に僕も喜びを感じました。まぁ生きていく上で、こんな風に僕も普段はいい子にしていますが、それはもう、これから映画ご覧になると出てくるこの役と同じ、頭の中ではすごい、もうほんとスゴイこと考えているわけですよ(笑)。それがどうして監督、わかるんですかっっ(指差しっ)(爆笑)とにかく監督に対しては尊厳と、憧れを感じます。
オダギリ君に関しては、えーと僕はこの映画を試写で1度見せて頂いているんですが、それが12月の終わりで、撮影が終わってからあまりにも近すぎたんですよ。で、映画を観てもまだ、自分の弟が、おいおいそこで何やってるんだ、見たいな感じで(笑)。今日は5カ月経ってますからもう少し客観的に見られるかな。ええ、僕も弟のように接していました。オダギリ君の雑誌やテレビの番組、生の肉声、という意味ですが、そういうのを見ていて共通点があるんではないかなと思っていたんですが、それがやっばりあったんですね。語らずにわかる部分もあったし。そういう意味ではこのキャスティングを有難いと思いました。

◎西川・身に余るお言葉を頂戴しまして、もう穴があったら入りたい気分です。脚本で描いた世界を今回お任せすることになり、お2人が共演なさったことがない、というのを聞いていました。また私もお2人ともお仕事させていただいた事がありませんでした。ですからそこでぶつかって、いい意味でけんかしてくれることを期待していました。それが、兄弟のシビアなストーリーを経ていますが、日を増すごとに本当の兄弟のように見えてくる、んですね。撮影の合間に、お2人のあり方とか客観的に見ていると、ジーンと来るものがあったんです。私そういうのあまり無いほうなんですけれど、今回はそこに感じるものがありましたね。で、それが必ずスクリーンに出ていると思っています。血の繋がりだけだけれど、お互いの存在から逃れられない関係。それがいったん壊された後でもそこに可能性を見つけることが出来るのか。兄弟をモチーフにしていますが、兄弟にとどまらず、人間と人間が係っていく上でお互いの内をあらわにした上で、また繋がることが出来るのかという事、そこに希望を見出せるか、という事ですね。お2人にはご自分の役をホントに育ててもらいましたし、もともとのイメージが更にふくらんで素晴しいものになったと思います。ここまで長い間ずっと協力して下さったスタッフの方々にも、深く感謝しています。


今回、せっかくお教え頂いたのですが、何しろ西川監督と香川氏はオダギリ氏と違って(笑)立て板に水のように滔々とお話になるので、メモと記憶だけではとても追いつけません。主旨は間違っていないつもりですが、言葉遣いが違っていたり、あと文が抜け落ちていたりは多々あると思います。お含み置き下さい。本当に申し訳ありません。

画像つきの詳しい記事はこちら からどうぞ。



 

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「ゆれる」舞台挨拶(1)

yureru *今回の試写会は、黒桃さんから情報を教えて頂きました。この場を借りて心からお礼申し上げます。
本当に有難うございましたm(_ _)m

舞台上手から、西川監督、オダギリジョー、香川照之の順で登場。オダギリ氏はラペルをサテンでパイピングしたブラックスーツにノーネクタイのホワイトシャツ。ヘアスタイルはSHINOBIかスクラップヘブンかというぐらいサイドをタイトに固めて流し、とさか立ててました(笑)

司会:それではお三方に一言ずつ、ご挨拶を頂戴いたします。

◎西川・本日はこんなに大勢の方にお越し頂きまして本当に有難うございました。2年半近く発表までかかりましたが、卵を大事に大事にあたためてきて、ようやく孵ったという感じです。今日はどうぞ宜しくお願い致します。
◎オダギリ・こんにちは、オダギリです。西川監督から脚本を頂いて、撮影まで1年、1年半・・・はなかったですか。でもその位ありまして、そういうのは初めてだったんですよ。その間にだから1年かけて本を読んで、で、もうやれるだけのことはやりました。僕はこの間30才になったんですが、ですからこの映画を撮っている時は20代最後で、あとはコメディが1本残っているだけでそっちはもう芝居はどうでも良かったので、本格的な芝居はこれが最後だったんですよ。それで、僕ができる芝居を、20代で出来るすべてをここにかけました。ですからそれが映像の中に残っていればいいなと思いますし、映画も楽し・・・くはないですけれど面白い映画になっていると思いますので、どうぞ宜しくお願いします。
◎香川・こんにちは、香川です。僕も本を頂いてから1年くらい間がありました。撮影が2005年10月で、弟役はオダギリジョーだという情報だけ頂いてまして。で、久しぶりに、本を読んで驚きました。この本を書いた時、監督は20代の終わり、いや30?(笑)とにかくそんなうら若き女性が、こんな本を書いたという事に驚いたんですよ。そんな若い女性が男の、兄弟の話なんて書けるわけがない(笑)・・・で、まあやがて撮影をして今日に至ったわけですが、先ほどオダギリ君が奇しくも「20代のすべてをかけた」と言ってましたが僕も、12月に40才になったんですよ(笑)。ですから僕もこの映画に「30代のすべてをかけた」と(笑)これはもう、声を大にして言いたいと思います。そして、オダギリ君が20代をかけ、ぼくが30代をかけたというその意味が、2時間後にきっとわかっていただけると思います。


 

司会者:では映画についてと、共演の方について一言ずつお願い致します。

◎オダギリ・本に関しては、よくこんな話が頭の中で組み立てられるな、というようなすごい台本で、監督は僕より1つ上?なんで、まぁ同世代なんですが、正直嫉妬しました。嫉妬・・・っていうか、うーん、もう僕の手の届かない場所にある才能そのものが、くやしかったですね。だから僕に出来るのは、与えられた役をどれだけ広げられるかという所で勝負するしかなかったです。西川監督の印象は、演出家としても映像作家としても、嫉妬とというかねたみというか、もうなんだか遠すぎて。実はさっきも楽屋で3人でお話させて頂いていたんですが、今朝起きた時、あぁ今日監督と香川さんと3人で舞台挨拶だ、お2人にお会いするんだと思ったら、もうそこでむちゃくちゃ恥ずかしかった、ですね。何かむかーし香川さんと奪い合った女に会う、みたいな(場内大爆笑・監督気の毒なくらい赤面)そんな気持ちになりまして。いや、ほんとにそんな感じに似てました。香川さんには、初日からとても優しく接して頂いて、僕はコミュニケーションを取るのが苦手で、話してもらわないと話せないんですが、それを理解して下さってました。香川さんとの共演は、役者としての意識や芝居に対する考え方に共通点がいくつかあって、それがどんどん見つかっていくうちに本当の兄弟のように感じられて来て。普段から兄だと信じる事が出来ましたし、それは香川さんとでなければ成立しなかった関係性だと思います。その2人の空気が映っていればなと思います。

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2006年3月21日 (火)

京都ドルパ(4) オトコ前ナイト

26祇園で呼んでもらったタクシーの運転手さんが映画好き、っていうか元俳優さんで(汗)「京都みなみ会館」も一発でわかってくれました。みなみ会館は昔ピンク映画専門だったのを、経営者が変わってから、「面白い映画」を選んでかける、市内ではとても貴重な映画館に生まれ変わったんだそうです。行くとわかりますが、そういうわけで観客席側が前上がりにせり上がっていて、その上に下から見上げるような形で(汗)スクリーンがあります。イベントもよく打つそうで、次週予定の王家衛オールナイト(ブエノスアイレス・花様年華・2046)は私も行きたいくらいでした。



25会場で隣になったお嬢さんたちは、この映画館のオールナイトによく来るという友達同士。ここはスタッフのほうからお菓子一袋くれる事もあるそうで、もちろんいろいろ持ち込み可。反対隣の人も始まる前から楽しそうです。むかーし友達の家で夜中おしゃべりしたりビデオ見たりして過ごした時の事を、私も思い出しました。そしてこうして普段映画見ない人の間で「夜の遊び場のひとつ」として、定着しつつある感じがすごいと思いました。今日はオダギリ効果でいつもより人が多い、と笑っていましたが、彼女達はいわゆるサブカル映画も本当に良く見ていて、それもここのおかげである由。タクシーの運転手さんが行き先を告げただけでヨロコンでくれたわけが何となくわかりました。




23普段映画館で周りが全部オダギリファン、という経験は無かったので、映画に対する反応もいつもと少し違って楽しかったです。例えば私が東京で見た時、「イン・ザ・プール」でオダギリ氏が情けなさそうにズボン下ろし始めるともう大笑いだったのですが、今回はなんかこう、ソコはかたずをのんで見守っているという感じvvで、笑うポイントはまた別で(笑)。あと、正直言って眠いのですが、うとうとして起きるとすぐ目の前にオダギリ氏の顔があるというのは、何とも幸せな錯覚にひたれます(殴)。
それと、お嬢さんたちに笑われたんですが、私はスクラップ以外は家にDVDがあるので「何しに来たの」状態でしたがvそれでも運転手さん一押しの「狸」はやっぱり映画館で見て良かったです。それとスクラップヘブンは2度目ですが、ポテトチップのところでボロボロ泣いてしまって、今回あたりをはばからなくていいのは助かりました。オダギリ氏が「父親」というものに自分の中で存在感を見出せないまま演じていて、それが顔に出ている。でもそれを李さんは多分本人には何も言わないまま、そのまま撮っているんです。そのせいで普通の役者では出せない現実離れした空気が「喪失」の形で見ている側を襲う。ある意味この残酷な撮り方が、この映画の鍵の1つだったんだと改めて思ったことでした。




24夕べから今日にかけて、続オトコ前ナイトがあり、GWの4/29 と5/2にもあるそうです。正直東京の映画館には無い、映画館の原点的な楽しさで、もし都合の付く映画好きの方は、ラインナップにかかわらず是非一度行って観られたら良いと思いました。












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翌日は、眠かったんですが、昔お世話になった牧師先生の礼拝に出て、ドルパにもちょっとだけ顔出しして、錦市場で桜御飯の元とグジをv買って帰りました。

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ものすごく眠かったのに、帰りの新幹線では韓国×日本戦が気になってずっと携帯見つめていたのは内緒ですv

ALLJAPAN、世界一おめでとう!!!

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京都ドルパ(3) 花灯篭

DSCF0021 今回皆でとても楽しみにしていた花灯篭。雨はますます強くなってきましたが、鍵善でおやつを頂いて平安神宮から出発です。






DSCF0022石畳の坂の両側に灯篭が置かれています。雨のおかげで道に映って、夢のように幻想的な道行






DSCF0023 ひとつひとつ、こんなに繊細な灯篭です。






DSCF0024境内は至る所ライトアップされています。
この八坂塔の下には大仕組の生花も。









DSCF0028坂の上から見た八坂塔。

写真スポットらいしのですが、下手で申し訳ない・・・






DSCF0031DSCF0035枝垂桜も青竹林も眺めているとため息しか出ないのです。高台寺はトレッキング寺(笑)で雨でさらに大変でしたが、行って良かったです。








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DSCF0025 DSCF0027 DSCF0026 そして今回なんと、普段は門の開かない「御陵衛士屯所跡」の中にvv入る事が出来ました。ここで斉藤さんが死ぬまで忘れられなかった仕事をしてたのかと思うと、感無量でした。成瀬さん教えて下さって有難う(涙)

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歩いて祇園に下りていく道も、こんな灯篭が置いてあり、家並みのつくりや石畳にも独特の風情がありました。Shigaさんはギリシャの、Conさんはイタリアの、古い街並を思い出して懐かしそうでした。




DSCF0038十三段や隣、や満文さんで宴(笑)
生駒さん、至れり尽くせりで本当に有難うございました。





image1 うちのと、Conさんちのロイ君ハボ君。










21 お膳のつまにとって食べそうな大きさですが(笑)






19 お兄さん、遊んでくださいvv









22おひとつどうぞ、ってグラス大きすぎ(笑)






53闇夜にぼんやり浮かぶ中庭。
仲居さんが良く気働きのする素敵な方で
小ぢんまりと風情のある、ほんとによいお店でした。
また行きたい~~~~




で、宴たけなわを抜けてvv
私は京都みなみ会館へ向かいました。
「オダギリジョーオトコ前ナイト」と銘打たれた、オールナイト映画4本立てを見に、行ったのですvvv  つづくっっ




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京都ドルパ(2) 壬生

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東寺まで乗ったタクシーの運転手さんと大河話で盛り上がり、あれよという間に(笑)大門まで連れて行ってくれました。武張った風情が島原らしいです。













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DSCF0012 現在も営業中の「輪違屋」1人5~7万は東京よりずっと安い気もしますが、嗜みがないと遊びにならないでしょう・・・












DSCF0009DSCF0006角屋。1000円で説明付き拝見できます。一番広い座敷は小火がおきて新しく、唯一入れますが、ここで鴨を酔いつぶした由v斉藤さんの辺りに座ってみました(恥)




DSCF0008DSCF0007お客玄関の脇の刀傷。嗜み云々より支払いで(汗)揉めたそうです・・・









DSCF0014DSCF0015壬生寺。GWの狂言興行、真剣に検討中。





DSCF0017DSCF0016御馴染前川邸と屯所跡






DSCF0019DSCF0018

光縁寺。成瀬さんのお薦めで初めて行きましたが、隊士のお墓もさることながら、お寺の雰囲気がとても良かったです。






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「天使の里」フェアで嵐山に居る皆さんと嵐山線で合流。嵐山駅で足湯も楽しみ、生駒さんのきもいりで「西山草堂」でゆっくりお昼。小雨混じりで冷え切った体には至福の時でした。
この後、夜に備えて宿でひと休み。帰る途中の錦市場で見た魚の名前がとてもとても懐かしかったです。





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2006年3月20日 (月)

京都ドルパ(1) 京都御所

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というわけで、京都ドルパと「天使の里」フェアに参加するShigaさんご一行様にくっついて、京都に行ってまいりました~まよるなさん、成瀬さん、Conさん、りうせいさん、そして現地でお世話になった生駒さん、本当に有難うございましたm(_ _)m
そして今回同行してくれたのは、うちの新顔プチプライス。涙が出るほど手のかからない親孝行者です(笑)

朝から里の抽選に並ぶ皆さんと同じ新幹線に乗せてもらったのは、京都御所の拝観が許可になったから。外国人はパスポートで当日OKなんだそうですが、私はネットで予約です。しかし朝9時の回に、前泊せずかけつけたのはキット私だけだったと思います~
↓御所内の配置に従い北から並べていますが、正確な位置関係は国語便覧等御覧下さい。見学は西から南へ入り、東から北へ回ります。



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ちなみにガイドさんのマイクが遠くて説明が良く聞こえない中、オタクかフェチかという勢いで写真を撮っていたのも私だけでした(恥)
コレがアノ滝口、ですvv北東の隅。↓南へ行きます。






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こんな風に学問所から段差つけられた地べたです。






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8その南隣が蹴鞠所→反対側が御池






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御常御殿(おつねごてん)
普段の生活の場ですね。




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更に南に清涼殿。
向かって右に「呉竹」v
アノ呉竹寮の呉竹っっきゃ~~~w






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清涼殿(ドキドキ)
天井高いですが平屋です。









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向かって左に漢竹。

ちなみに御所内は写真撮り放題です。




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紫宸殿

←「右近の橘」「左近の桜」→







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←「月華門」   「日華門」→

下は、月華門から見た中庭の様子です






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41←「承明門」(紫宸殿正面)と

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←「建礼門」(承明門に向かって背中)

「お花畑」はさらにさらに外で見えもしません(泣)





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紫宸殿の右「春興殿」





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紫宸殿に行く参内者控えの間。三つにランク分けされています。容保公は当然虎の間でしょうか~





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梅の手入れをしていました。

大変な作業・・・





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杉戸に描かれた絵。吹きっさらしなんですが(^_^.)絵柄もタッチも独特の面白いものでした。



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御所を出て、晴明神社へ。いつもは、ここへ行こうとすると他へ行けなくなってしまうので(笑)通るだけなのですが、今回は割りと近かったのでじっくり。


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新装成って、何だかありがたみが薄れたというか(^_^.)入りやすくはなりました。地元の方の命名依頼は繁盛してました。一条戻り橋の「模型」が在りましたが(笑)本物は信号ひとつ先です・・・


そしてこの後、東寺近くの某映画館に電話しましたら「当日券あと少しだけあります」との返事!もう一も二もなく都大路をタクシー飛ばしました~自分の行動に自分が一番吃驚(笑) 詳細はこの日の夜に。





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2006年3月17日 (金)

そうだ、京都行こうvv

・・・というわけで、この土日に京都に行ってきます。
この時期花燈籠が見事で、実は学生の時も仕事してる時も子供が小さい時も、3月って何故かとてもとても忙しくてまだ一度も見た事ないのです。梅や桜の写真がたくさん撮れるといいなぁと思いつつ、その他はあまり人の行かないような所いくので、期待しないで下さい。いや太秦とか、上七軒とか行けば愉しいのはわかってるんですが(笑)。

それと。

実はさっき最終回見終わったんですが、私「嫉妬の香り」のオダギリジョー、ものすっごく好きです(照)
もう、あんなに上手いと思わなかったです。最後まで突っ走り切ったあの役者根性からして、心の底から尊敬します。それに私の目には(笑)どこまでも本当に美しいあの乱れ様、最後の最後までうっとり・・・しかし、誠君が好きだなんて誰に言ったらわかってもらえるんでしょうか(笑) 市販されていないので大事に見なくてはいけないのですが、正直、今のうちダビングしといたほうが良いかもな勢いで見てます。

かわいい五代クンや誰にも好かれる里見先生ではなく、誠クンloveなあたり、自分が思い切り××なオダギリファンだという事をものすごく自覚してしまった夜でした。
気を取り直してv帰ってきたら最終回の感想書きます。もう冷静には書けないかも(笑)。




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2006年3月15日 (水)

終わった~vv

7mar_hifi 今月分のお仕事終わり~vv 何だかここの所絶好調です。仕事部屋に行くのも、〆切の無い原稿はよい気晴らし。三寒四温、春ですね~





 気晴らしといえば、英語と日本語が狭い頭の中を飛び交っている時、一服清涼剤、になるのが意外なことに漢詩です。これは今まで結構な人数に薦めて、その度に喜ばれてきたので、自信あります(笑)。漢文は、英語と同じ構造なんですが日本語の書き下し文がついてる。原文と書き下し文は同じ事書いてますから、英語のような日本語のような中途半端なところで頭がぼんやり遊ぶ(笑)んですね。このいい加減さが、いいvv で、更に、ホントの漢文(史記とか紅楼夢とか文の長いヤツ)読み出すと止められなくなるので(笑)、漢詩あたりがちょうどいいんです。

 この時期、私が必ず思い出す詩に崔国輔という超マイナーな詩人の「長楽少年行」があります。この人は多分日本ではこの詩でだけ有名(笑)です。

 「長楽少年行」     崔国輔

遺却珊瑚鞭,   珊瑚の鞭を 遺却すれば,
白馬驕不行。   白馬は  驕りて 行かず。
章臺折楊柳,   章臺に  楊柳を 折る,
春日路傍情    春日の  路傍の情。

「新唐詩選」で吉川幸次郎氏は、こんな解説をつけてます。曰く
「たくましい白馬に乗っている。鞭は珊瑚を装った贅沢な鞭。それを道に落っことした。拾うのは業腹である。しかし駿馬は鞭がなければ言うことをきかない。
つと、手を伸ばしたかと思うと、引き寄せて折り取った柳のひと枝。時は春、場所は長安の色街章台。どこかの粋な姐さんが、道端でうっとり見とれているかもしれない。」

少年は、今で言う青年。珊瑚様の鞭はいかにも遊びなれた男の粋な手慰み物といった感じがします。だから玄人の姐さんの目を引くんですね。でもそれがたぶん全然眼中に無い(笑)この男の稚気と豪胆さ。柳を折り取る姿の、艶っぽさと爽やかさの同居した風情そのものがいかにも「春」という感じがして面白いです。

そして、あくまで詩の情景として好きなので、実際にどんな感じの男かと考えると、今までなかなか想像できなかったのですが。

いや、居ましたね~(笑) 

ぴったりですvv

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2006年3月14日 (火)

ナルニア国物語/第1章ライオンと魔女

20051121009fl00009viewrsz150x「ナルニア国物語/第1章ライオンと魔女」見てきました。

公式サイトは こちら


 子供がそろそろ春休みなので、そっち系の映画がこれから続きます。で、これは正直ここに書くつもりは無かったのですが(笑)、あんまりにも良かったので一言。

 まず、満を持して作った、という製作スタッフの意気込みが伝わる、細部まで行き届いた細やかな神経に拍手です。はっきり言いますが、指輪やハリーの轍を踏まないよう、その失策を研究し尽くしています。ファンタジーの文法もわかっているし、原作とのすり合わせも慎重、映画としてのリアルも世界を壊さずはめ込まれているし、何より「挿絵」という、映画企画段階から背負わされている一種独特の存在意義について、役者も含めたスタッフが最初から割り切って、理解して、そこに誇りを持っている。そして、これが1番スゴいと思ったのですが、挿絵という宿命を甘受する決意の表れとして、あえてC.S.ルイスの宗教哲学、あの独特の歴史観には踏み込んでいないのです。

 ナルニアを読んで、ルイスを知った大人ファンには、自分の愛する物語が子供だましになったようで失望させられるかもしれません。でも、それは別の映画を待つべきだと私は思っています。今「ローズ・イン・タイドランド」という映画をアノ、テリー・ギリアムがvv撮っています。ですからサイコです(笑)。「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」を貫く、ルイス・キャロルの非情な神学を映画にしようと思ったらやっぱり「視覚に訴える」のが1番だ、と私も思いますのでモノスゴク楽しみ、です。でも、それを子供に見せようとは思わない。それはある程度世間についての知恵も着き、哲学にも宗教にもおぼろげながら自分のスタンスが出来てきた頃に「アリス」を読んで初めてわかることであって、そうでない、もっと小さい時は「アリスという記号」に親しんでおくだけでいいのです。その2つを1本の映画で撮ることには全然意味がない、と私は思うんですけれどね。

 それと、昨日ここに書いた「陽炎座」と表裏のような話になりますが、このナルニアは原作読者の頭の中の世界に、ですからもう溢れんばかりに血肉を注ぎ込んでいきます。特に出色の出来だったのが、「雪の女王」と「タムナスさん」と「戦闘シーン」です。ファンタジーにリアル感を与えるのは、実は主役の役者ではありません。主役は読者が感情移入して読んでいるので、どんな姿を当てはめてみても実は明確に像を結ばないんです。でもその主人公を支える、あるいは敵対する人物は、話を理解するための「事象」としてある程度正確に「セッティング」されるものなので、ですから映像でも、彼らが見事立ち上がれば、物語世界は枠組みが与えられ、動きと流れが生まれ、そのおかげで人(その他)の営みが現実のものとして「あぶりだされて」いくという仕組みになっている。そこをこの映画の監督スタッフは物凄くよくわかっていました。↑2人の役者がこの映画を引っ張っていたといっても過言ではないくらい、ハードな高度な演技ばかりが立て続けに要求されていましたが、2人ともよくその「掟」を理解して、要求以上の迫真の演技で見事映画の質を引っ張りあげてました。それはもう、これ以上は望めないというくらい素晴しい女王とタムナスさんでした。
それと「戦闘シーン」は「戦闘のリアルさ」ではなく「臨場感」に明確に的を絞ったのが良かった。物語世界、という立脚点から考えても、ビジュアルとして戦闘が与えるインパクトの限界から考えても、映画の世界を崩さずに奥行きと重さを与えるには思い切った、良い選択だったと思います。だからこそ、「結局すべては灰燼に帰したのだった」というありがちな簡単な結果には終わらず、一つ一つのシーンに意味が生まれ、うちの愚息にも「ロンドンの空襲」と「砕石投下」が繋がっているのがわかる(笑)ように撮れる。撮ってる人は大変だったと思いますが、私としてはカップヌードルのアノ30秒CMと比肩する緊張感と緻密さに大拍手、でした。

 子供向け映画で、大人の領域には踏み込んでいませんが、それでも大人も、大人として楽しめると思います。宜しければ是非。

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2006年3月13日 (月)

陽炎座

 鈴木清順監督作品、1981年発表です。
  私が「嫉妬の香り」でいつもお世話になっている(笑)CATVで先週放映があって、やっと録画して見ました。これは私が学生になってからも、何度かその手の映画館にかかっていたので、それで見た記憶があります。
 泉鏡花が原作で、もちろん読んではいたのですが、当時映画を見ながら物凄い既視感に襲われ続け、アノ映像を見てソンナ風に思う自分に1番びっくりしました(笑)。で、笑い事ではなく、それが実は、私にとってこの映画の世界に遊ぶ為の鍵だったのでした。後の時代にこの面白さが伝わっていくのか、私にははなはだ疑問ですが、ちょっと書いてみようと思います。

 主人公の松田優作がある人妻(大楠道代)と恋に落ちます。ところが彼女は、瀕死の妻を持つ松田氏の恩人(中村嘉津雄)のお妾。本妻はもともと恩師が留学先で知り合った金髪碧眼の外人女性(春婦)で日本での苦労の末に床に伏せっているのです。さらに大楠さんは「三度お会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません。」と松田雄作に心中を誘う手紙を金沢からよこします。行く汽車の中で「妾が心中するらしい」と嘯く中村氏に、この夫婦にたぶらかされているのかと松田氏は疑念を抱きます。金沢へ着くと、もう死んだはずの本妻が大楠さんと一緒に夜船に乗って遊ぶ幻。「陽炎座」という小屋で中村氏と大楠さんに出会っても、松田氏はもうすっかり恋心はさめています。ところが本妻の心の内が子供田舎歌舞伎で暴露されるうち、大楠さんがまるで後追い心中のように身を水桶に沈め、歿します。一人残される松田氏・・・あらすじはこんな感じです。

  で、どのあたりが既視感を覚えさせるのかというと、ふんだんに出てくる伊藤晴雨ばりの緊縛絵図や、他の映画で使っていたそのままのセット(笑)ではもちろんなく、「この話ではないけれどこういう映像は見た事がある、よく知っている」という、いわば映画全般のトーンとか、テンポとか、人物像の描きこみ方に対する「既視感」だったのです。
で、それをどこで見たか。それが実は、漱石や鴎外、鏡花を読む人が、読みながら頭の中に思い浮かべるその、映像だったのでした。
私達は、生まれた時から物事は映像で見せられ映像で撮られ、映像作家も自分が見た「映像」を元に絵を作り出しています。でも清順さんが青年だった頃は、まだ観る人の情報源は活字がメインで、小説ももっと普通に娯楽として読まれていて、「文化」の髄にはブンガクが位置していたんですね。だから清順さんが映画を作るにあたって意識したのは、当然のように観客の頭の中に在る「本から出た映像」だったんです。

それはもう、読んでる人にはわかりすぎるほどわかる「漱石」であり「鴎外」。特に漱石は、私に言わせると書きたいテーゼが先行しすぎて小説としては癖がありすぎる人です。人物描写や背景などはまるで現代劇の真っ白な舞台のように書き飛ばしたまま、人物の会話も、道にヌッと立っている電信柱が電線で繋がれているようです。確かに骨太で哲学的で示唆に富んだ繋がりではありますが、だからってその電柱を「道で話し込んでいる2人」と思えといわれても、それは言うほうがムチャです(笑)。でもそれを「イイ」と思う人がいて、今もそう思う人がいるので、監督も映画の中ではたくさんの「電信柱」を出現させているのです。そのすかすかした感じが自分の頭の中の映像速度としっくり来る、という人も昔は多かったわけです。
そして鹿鳴館で踊るステップにあわせて靴の先の刺繍がきらめく、そのかすかな光の様子まで美しく思い浮かべられるような鴎外の「小説」は、確かに小さな説でしかない。もう一人の恩師の妾加賀まり子さんと松田雄作さんをメインとして展開するこちらは、映像文化で育った人にもわかる部分があるかもしれません。でもわざわざ自分を古来の土壌から切り離し「創生した」美のもつ胡散臭さ、不確かさ、まつろわなさがそこにある。それが時にどうしようもなくあざとく、作り物っぽく安っぽく見えるわけです。でも今様のリアリズムはひとまず置いて、監督は観客の頭の中の絵に対して戦いを挑む。私が見た事がある、と思ったのも、「門」や「うたかたの記」を読んでいる時に私の頭に流れていたのと同種の映像が、まさに目の前で映画になって組まれていたから、なんです。

映画全体が「読書のペース」で進む。漫画のカットのように、悲しい部分になると「何ともいえない」という記号をあらわす横顔が出現するのではなく、きちんとそれが言葉で示され、あるいは言葉で裏打ちされた動作が入る。そして「本の挿絵」のような絵が入り、映画観る人はいつものように、その絵によって自分に頭の中の絵を補完する、わけです。

漫画に代表される、言葉はすべて内包されているという「約束」だけで成り立つ映像を見せられ、実際には言葉を取り上げられながら育った人には、この清順さんの映画は映像として意味を持たないと思います。その人たちにとって、言葉を介在しなければならない映像は映像としての存在意義がないからです。「見てすぐわかる」のでなければ意味がない。

でも。それでわかることなんて、
はっきり言って、たいしたことじゃない、です。

そうやって
映像の利点に、映像の力にだけ頼っていると、

そのうち

「だから映画なんてくだらないよ」と、

言われるように、
なるんじゃないんでしょうか・・・・ね。



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2006年3月12日 (日)

韓国で舞台挨拶

kp1_2060311s2657明日、芸能ニュースに出ると思いますが、翻訳友達が「韓国のネットニュースに出ていたよ」とURLを教えてくれました。
こっちで言うと、ゲンダイとか東スポのような、芸能専門誌ではなく、産経あたりの「ちょっとそっち系も詳しい一般紙」が主に扱っているそうです。
日本人にはわかりにくい感覚なのですが、「どこがメインで扱ったか」というのがそのまま韓国国内での彼らの格付けとなるので、韓国ファンも気にする(らしい)んですよ。




で、友達の言によれば、対日本は妻夫木氏の時に比べても今、更にスゴい逆風なので、今回イベントそのものにソノ筋の「お手盛り」感が否めない。載った場所も紹介も妙に硬いのは、そのせいだと思う、ということでした。とりあえずあちらのファンは何も考えず手放しで喜んでいるらしいので(笑)良かったです。

kp1_2060311s2707





韓国語読めない私がいつも使う、翻訳済のほうの記事を貼っておきます。

こちら
こちら から、ごらん下さい。

この「YONHAP NEWS」という文字さえ外さなければ、韓国ニュース記事に関してはお持ち帰りは自由です。もしここから更にどこかに掲載する時は、↑でいいので、記事のURLを貼って下さい。










200603130000321insert_1 おまけ  
↑ここは日本人記者がいて、いつも記事見ています。これもとてもいいインタビューだと思いますv









200603130000322insert_2





 




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2006年3月11日 (土)

ウォーターズ

watersウォーターズ、本日見て参りました。
公式サイトはこちら



  何と公開初日の第1回目にわざわざ前売券までゲットしてv行って参りました。しかもここのブログでいつも大変お世話になっているmiriさんとご一緒v(初デート感謝・笑)・・・何でそこまで気合が入っていたか、というと・・・・つまり、この映画にアノ「一条刑事」が出ていたからなんですよ~葛山信吾氏vv
 何だかいつもビミョーにオダギリ氏と関係あるようなないような話題ばかりでたいへん申し訳ないですが(笑)私はクウガ放映当時一条刑事は相当好きだったので、今日はン年ぶりに見られてとても懐かしく嬉しかったですvv
 いや、全然変わってなかったんですよ~オダギリ氏の今の変貌ぶりと比べると、もう驚異的に昔のままvv更に言うと役柄も、むちゃくちゃをする年下たちにどれだけハラハラさせられても、どこまでも真面目に皆の事を考えてるよきお兄さんvvそのままトレンチコート着て「○○っ!」と叫んで走り出しそうで(笑)、その錯覚をむしろヨロコンで見ていました。時々「葛山さんを探せ!」状態の時もありましたが(汗)でも行ってよかったです。

 映画としても、結構面白かったです。特にオチの部分が(笑)。実はCATVで今週鈴木清順監督の「陽炎座」「ツィゴイネルワイゼン」と立て続けに見たものですから、原田芳雄さんが出てきただけで身構えて見てしまいましたが、その期待に十二分に応える(笑)怪演でした。それから、中村うさぎさんの「さびしいマル、くるしいマル」という本がとても好きで、しばらく本当に読み込んでいたので、どちらかと言うと真中さん達ホストに入れあげる女性の側の視点で見ていたのですが、そこも(限界はあるものの)かなり丁寧に描かれていて好きでした。イケメンはみんな同じ顔に見える(笑)私には、なかなかハードルが高くてmiriさんの解説が頼りでしたが、彼らのファンの若いお嬢さんたちは、相当楽しめたのではないでしょうか。俳優カタログとしても成功していたと思います。

 そして残念、というかもったいなかったというか、唯一監督のカタログとしてだけは成功とは言えなかったかも知れません。お話が、大雑把にいって「山場」と「裾野」に分かれるとしたら、この監督は「裾野」を埋める手立てをあまり持たない人です。ですので山が高く見えない。昨今は山よりも裾野に重点を置いたような緻密な映画が増えてますので、それに比べるとこの監督はちょっと幅がないかな、と思います。何が撮れるのか、自主でも良いから是非1回遊んで撮ってみてほしいと思いました。


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時効警察(9)

 最終回は第1回と同じ、三木さんが監督の回でした。第1回第2回で出てきたネタ繋がりのネタが、たくさん出てきて、その度にその元のシーンを思い出していました。なんか、間の回が毎回毎回とても濃かったので(笑)、ネタ見ても一年ぐらい前の話のような気がするんですが、たった2カ月前のこと、なんですよね。出演者、スタッフ、監督の皆様、たった3ヵ月でしたが1年分ぐらい楽しませていただきました。本当に有難うございました。

 先に、この間ココに書いたネタのたねあかしを。まず私達が行った日の時効課の撮りは前半部分に集中してました。タイヘンそうだったのは、実はタイトル前、時効のハンコ押すところまで。さらに三日月さんが「誰ですか私のかばん裏返したの!」って怒っているその白いかばんが,表に返すと「アマデウスかばん」になっているんですが(美術部さん謹製)、ビニールが硬くてその場で返して見せる、という事が出来なくて、放映のような別撮りになりました。見ていて充分そのつながりはわかりましたが、監督がそれにこだわっていたのも何となく納得しました。
 それからレール敷いて撮ったのは、三人並んで総務課脇の一段高い廊下を歩いて来るシーンです。正面に構えているカメラが顔を抜いていきますが、右へ曲がっていった3人をその後頭部から(つまり画面左から)カメラがぬ~っと出てきて、最後尾のオダギリ氏が頭の後ろを掻き掻き階段を下りてくるところを、主に撮っていたのです。が。・・・カットに!!!すっぱりカットに!!!なってました(><)いやでも一瞬、オダギリ氏の後姿映ったでしょうか・・・あんなに苦労して撮ったのに、というのはど素人の戯言、っていうか、そういう事の積み重ね、なんですね。見えないだけで。今更ながら恐れ入りました。

 十文字刑事のネタは「人」でした。愚息は実は昔ほんとによく「人」と「入」を間違えていたので、見てるそばから涙流して笑ってました。私も笑いたかったんですが、何だか思い出して胸が詰まりました。十文字刑事には本当に「日本警察界のホープとして、キラ星のごとくまばゆい光を放ち続け」て欲しいです。ブログ「刑事 の花道」も、もう更新はないんでしょうか。最新ページはこちら

最終回ということで、ゲストも特別多くてしかも凝っていたと思います。私がひっくり返ってウケたのは「さんまのからくりテレビ」というフジ系列の番組には欠かせない「加藤教授」がしれっと出てきたことでした(笑)。ほんとに偶然道で拾った素人の本物教授さんなんですけれど、タレントに、なってましたね、立派にvv 教授、頑張ってください教授v

 


 そして!あの最後のバスのシーンは、あの三日月さんはもう反則でしょう~一緒に泣きそうになりましたよ~
婚姻届もまた新しく書いてもらえたしvv三日月さんのあの届けを見つめる熱い眼差しが、忘れられませんvvv

続きを期待してもいいの?というような,最後まで「時効警察」な終わり方でした。

6月のDVD、楽しみにしています。


【商品仕様】 タイトル : 時効警察DVD-BOX(全5巻)

発売日 : 2006年6月23日(金)  ※レンタルも同時スタート
価格 : DVD-BOX(5枚組) 税抜19,000円/ACBD-10371
         DVD1~5(全5枚) 税抜各3,800円/ACBD-10372~ACBD-10376
発売元 : 株式会社テレビ朝日 販売元 : アスミック・エース エンタテインメント
販売協力 : 角川エンタテインメント (C)2006 テレビ朝日・MMJ


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2006年3月10日 (金)

嫉妬の香り(10)

 放送当時1番某所掲示板が盛り上がっていたのは、どうやらこの回のようです(笑)。オダギリ氏の変質者ぶりは本当に見事としか言いようがない。特に後半の、川原さんのホテルの部屋でおもちゃを並べるくだりは、画面のこっちでそれまで笑って見ていた人さえ一瞬凍りつかせるような、真に迫った狂気、でした。オダギリ氏が目当てで見ているのでなければ、まったく知らない俳優さんだったらその演技力はもう手放しで褒めちぎりたいところなんですけれどね(笑)。今見るとオダギリ氏ならむしろ当然、のように見えるからファンって残酷ですv でも掛け値なしに、このシリーズ中ココまでのところでは、1番演技に集中しその底力を見せ付けたシーンだったと思います。狂っているその背中に、同情を寄せ付けない、人の心の奥底をむき出しにしたような生な怖さがあるんですよ・・・ちょっとだけですが、私はショーン・ペンを思い出しました。賛否あると思いますが、私にとっては「人間の弱さ」をさらけ出す事にかけては右に出るもののない、この世で1番嫌な役が出来る、この世で1番スゴい役者さんです。今の段階ではそれは比ぶべくもありませんが、方向として、このドラマでヤッた(笑)事はオダギリ氏大事にして欲しい、と今回思いました。
 それと、本上さんが今回復讐の女神になるのですが、「どんな役でもできる人」ばかり時効警察のほうで見慣れているせいか(笑)、ここまで役者本人のキャラクターが役に色濃く出てしまう人はかえって新鮮でした。もう、全然コワくないvvでもこれで本上さんに次のお仕事が来なくなったらカワイソウですし、女優さんはイメージが大事ですから、あんまり本気で怖くならなくてもいいですよ、とか、途中から何だか同情してしまいました・・・こういう方は、元が美しくても怖い顔が美しく見えないので、損ですよね。
 堺さんはますます美しくけなげで儚い悲劇の王子様を、本当に微塵もいやらしさを感じさせることなく、張り詰めた緊張感を維持することに成功しています。「素に戻らない」強さ、は舞台で鍛えた人の特権ですね。オダギリ氏とは別の意味で、出てくる度に目が離せないです。

<主な出来事>
 寺脇さんに、パリオペラ座の設計担当という仕事が来ます。河原さん達が結婚する時の約束だったこの大仕事に、寺脇さんは本上さんを連れていくと言い、川原さんはまたも子供の話をしそびれます。一方オダギリ氏から衝撃の事実vを聞かされた本上さんは、堺さんとよりを戻そうとしていた矢先だっただけに、堺さんを奪った川原さんに対する激しい復讐心にかられ、寺脇さんを誘惑し、その姿を川原さんに見せ付けます。その川原さんに子の父親は堺さんだとはっきり言われ、さらに逆上した本上さんは、慣れない策を弄して寺脇さんを自宅ベッドまで引きずり込みます。ところが見せ付けてやろうと呼びつけた川原さんの代わりに現れたのは堺さん。川原さん一枚上手です、といいたいところですが、その川原さんも到底太刀打ちできないのがオダギリ氏v  彼にとことん追い詰められた川原さんは走って逃げる途中、階段から落ち、母子共に危険な状態となります・・・

*この回オダギリ氏は婚姻届まで持参するのですが、あと1時間後にテレビに出てくるであろう婚姻届とは天と地ほども違いますですよ、ほんとにvv
同じ人とは思えない、というのは古来役者に対する最大の賛辞ですが、そういう事以前に、素で(笑)、私はもう心の底からそう思いました・・・・



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一将功成って万骨も生きる

4167130025 「 一将功成って万骨も生きる」

これは、世界のホンダの社長、本田宗一郎を実務面からからずっと支えた藤沢武夫氏の言葉です。藤沢氏の言葉でもありますが、「一流中小企業」の名をほしいままにするホンダの、目指すところでもあります。←この写真の本に出てきますので、よければ是非お読み下さい。文春文庫です。






さて、元は晩唐の詩人曹松の書いた「己亥歳」という漢詩です。


沢国江山入戦図   沢国 江山 戦図に入る

生民何計楽樵蘇   生民 何の計ありてか樵蘇を楽しまん

憑君莫話封侯事   君に憑る 話す莫かれ封侯の事

一将功成万骨枯   一将功成って万骨枯る            (上平声 七虞)


中国では、この詩を「万骨の慟哭」よりも「一将の孤独」により重点を置いて解釈します。
共に戦う兵を失った将にとって、報候なにするものぞ、といったところでしょうか。






前置きが長くなりました。実は、 こういう事がありました。

http://www.gakeppuchi.net/












      「将軍」

          
一将功成って、万骨も生きる。

万骨に与うべきは安住の土

将軍は一人荒野を目指す




ふところを風になぶらせ

累々たる屍を踏みしめ乗り越え、



ばさばさと

ザクザクと

ザンザンと


将軍は荒野を目指す。





その姿を知る、

幾多の髑髏に見守られながら。








このひと月ほど、私は、今「将軍」がどんな顔をしているのか、一目見なければ気がすみませんでした。 とり憑かれたように、無理も偶然も恥も外聞も飲み込んで 、ただ、今、どんな顔をしているのかが、見たくて、走りました。 ・・・都合3度、見た事になります。 見る事の出来た幸運を、今はただ感謝しています。

この間、荒んだコメント、八つ当たりコメント、 多々ありました。この場を借りて、お詫びします。 黙って聞き流して下さった皆様、本当に有難うございました。

明日からはそういうのがなくなるかと問われれば 、全然自信はありませんが、元気出して、行きたいと、思いますvv


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2006年3月 8日 (水)

シリアナ

syriana
シリアナ、見てきましたvv

公式サイトはこちら



前評判で「難しい」「わからない」という声が高く、キネマ旬報の評価もエラく低かったのでとてもシンパイしながら見に行った映画。確かに誰にでも薦められるものではありませんが、でも物凄く物凄く見ごたえがあって面白かったです。年齢的には湾岸戦争がテレビに映ったのを覚えている人、あと、そこからこっち、年に1回ぐらいは中東関係の記事を目にしてきた人・・・なら全然大丈夫です。私のようにオイルといえばガソリンスタンドにしか行った事のない(笑)専業主婦が普通に知りえる範囲の知識でも堪能できます。登場人物がそれぞれある特定の利権団体や組織のシンボルとして登場している分、とても話が整理されわかりやすくなっているのです。字で読んだら頭痛くなるような難しい敵対関係も、人間をキーとして見るのですんなり頭に入ってきますし、さらにそこに携わる人々の内面もじっくりと追求され、人間ドラマとして見ても胸打たれるシーンがいくつもあります。ただし娯楽映画ではないです。NHK特集見たら3分で眠くなる人にはお薦めできません。同じ群像劇の「クラッシュ」は、カット割りや編集の仕方が図抜けて秀逸で子供にもわかるようになっていますが、この映画はさすがに中高生にもわかるようには出来ていません(笑)。でもあれだけの内容を良くここまで纏めた、とそちらのほうを素直に評価すべきだと思います。

 合併工作の裏で戦う弁護士と検事。アメリカは司法取引が盛んですから、不正の事実を検事側に握られている担当弁護士は、トカゲの尻尾きりで逃げようと検事と談判します。ところがシッポがあんまり小さいと意味がないとはねられます。そこで。この弁護士は自分の上司を本人同席の場で目の前の相手にスケープゴートとして「差し出す」んです。事務所はつぶれますが合併は成功、弁護士も安泰・・・日本でもありそうな話じゃないですか。

 あるいは対立する2人の王子。兄は国を憂い、弟は兄を出し抜くことばかり考えている。正義感に燃え、秘めた怒りを静かに表す兄の哀しい瞳を前にすると、石油不足を煽り石油に群がるダークスーツのハイエナ達が本当に卑しい卑屈な人間に見えてきます。そして米国の傀儡政権の頂点にむしろ自ら座ろうとする弟も。

 この兄王子が目指すのは、現在投機の対象でしかない石油を公開市場で経済原理の管理下におき市場も自国で管理し(今は米英にしか市場がない)、この架空の国を経済的政治的に自立した国家とする、というものです。石油の需要と供給のバランスが取れた安定した生産性=安定した政治国家がそこに実現し、世界を牛耳られてしまうのは、アメリカにとっては戦略的にも過去の行きがかり上も(笑)絶対に許せない事・・・王子様は決して世界を石油で支配しようなんて思っていないんですけれどね。それでも今や誰も止められないアメリカの(笑)被害妄想はとどまるところを知りません・・・アメリカが後ろ盾をする弟に王位を奪われた王子様、最後にはありえないほど大掛かりな手段で爆殺、です。あの美しい王子様がっっっっ(涙)   

 このあたり、「シリアナ」という名はアラブ石油地帯の一部を漠然とさす言葉ではあっても、そこに渦巻く怨念と(笑)権謀術数は日々のニュースと直結しています。むしろステロタイプに整理されることで、リアル世界のあのニュースの意味が逆にわかってくる・・・そんな感じです。

 それから王子様とは別の視点で、自分の生活の延長として真摯に国を憂うイスラムの人々。私はアラビア語とペルシャ語が「違う」という事すら知らなかった大馬鹿者ですが(泣)、このパキスタンから流れてきた日雇い青年(とその父)の話にはとてもとても感じさせられるものがありました。アメリカはじめ他国の人々には、欲得の絡んだ利権の話は何とかわかっても、彼らの心がこちらに向ける、その刃の意味がわからない。イスラムの教えが彼らの心にともす火、その宗教指導者たちの説話。ここが丁寧に描かれているおかげで、見ている私たちにも、「シリアナ」とはまったく無縁の他国の一介のイスラム教徒が「特攻兵」となるまでの過程が、その心の暗部が手に取るようにわかります。映画が「机上の空論」ではなくなり、ニュースには出てこないけれども実際今この時も生きている青年達の「現実」に結びつきます。
 そしてこの、パキスタンの青年を勧誘しやさしく教え諭し死へといざなう(!)教導師が、これがまた本当にため息が出るほど美しい人。画面に出てくるだけで空気が一変し、悪魔のようにそれと気づかせぬまま人を魅了して離しません・・・青年でなくても、私でも、きっと付いていっただろうと思えるほどに(いりませんっ・笑)。


本人達はどう思っているのか知りませんが、9.11以降、CIAもFBIも「お間抜けな集団」なまま失地回復できずにいることは間違いありません。この映画も、そのお間抜けなCIA工作員が狂言回しとして語ってくれているので、その点でもわかりやすいし面白いです。「中東は知らぬ存ぜぬ」で寂しい思いをする前に、解説者の話を鵜呑みにしていつの間にかわけがわからなくなる前に、明日からのニュースの見方をちょっとだけ変えるためにも、一度見に行かれることをお薦めします。

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2006年3月 6日 (月)

アカデミー賞

 


              速報記事です。

「クラッシュ」が何とアカデミー賞受賞しました。
他に編集賞、脚本賞も取っています。

個人的に候補作の中で「ミュンヘン」よりは数段上だと思っていましたが
「ブロークバック・マウンテン」を超えるとは思いませんでした。
・・・エンターティメントとか娯楽とかいう、簡単な目線で捉えられると
ちょっとツラいところのある映画だと思ったので。

大変にエラそうな言い方ですが、
今日はアカデミー賞を見直しました(///)

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時効警察(8)

 今回、監督は、ケラリーノ・サンドロビッチさんです。この方も幅広くいろんなジャンルで活躍される方なのですが、特徴として、与えられている「枠(わく)」のこわし方がとても面白い人なんですよね。破天荒に思われているフシがあるのはつまりそこ、なんですが、「新しい切り口」なんていうありきたりの言葉では終わらない、天才肌の感覚を持った人です。
 で、今回は割りとおとなしかったのですが(笑)それでも、舞台のノリをわざとむりやり画面にねじ込んできれいにまとめちゃったり(多めv)心の声を字幕にしたりそれと会話したり(笑)なんて、らしいなぁと思いました。そういえば心の声は三日月さんが階段教室で語っていますし、その時黒板前で話す「かっこいい」方のオダギリ氏と、制服プレイを決意する三日月さんのBGMに、アノ曲が使われているあたり、裏のテーマは「サトラレ」?とか思ってしまいました・・・そんな余計な考え事をさせられちゃうのもケラさんならではです。

 それから。ヘンタイオダギリ氏vv珍しくフッ切れていませんでしたね~話としてはとても面白かったのに、ケラさんの演出なのか事務所が止めたか(笑)中途半端でした。いえ、ファンとしてはもうあれで充分なんですが。ふつーに物干し台に上がっていそうな十文字刑事(殴)の手前、もっと本格的に変質者にならないと、あとで彼の友情が生きないような気がします(ええ~っ)。あと、ここから先は下ネタですが。
以前岩井志麻子さんが雑誌の対談で、彼女が若い頃、同級生男子のほとんどが初体験の相手が「山羊」だったと書いてました。これは別に岡山限定ではないと思いますし、ケラさんの年代なら絶対知っている話、オダギリ氏に関しては・・・ノーコメントにしておきますが(笑)、あの羊の話を「戯れる」とボカさずにきちんと言っていたら、ちゃんと変質者として際立たせることが出来たと思うんですけれどね。やっぱり獣姦はさすがにOUTなんでしょうか。
そして我らが十文字刑事は、恋人の手に縄をかけてからというもの、大変まじめに働いています。今回は何と霧山クンの手を煩わすことすらなく、自力で☆を挙げていますvv凄いっっっ!!!その成長ぶりと義侠心にココロを打たれたあなた、是非こちら もご覧下さい。

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嫉妬の香り(9)

 えーと、堺さんとオダギリ氏の事をここでいつも纏めて「新撰組!」と呼んでいるのには訳があります。大河放映中、私はオダギリ氏は知ってはいましたが、むしろ小学生時代から続く「斉藤一おたく」だったのでそちらをメインに見ていたある日の某所掲示板で。この大河中最大の人気シーン直前、山南総長脱走の回です。山南さんが逃げたと知って、近藤局長以下幹部が「連れ戻せ」といきり立つのですが、その時、最初オダギリ斉藤に下った追っ手の指示が、局長の一言で沖田に代わります。で、ドラマ的には局長の万感の思いが込められた、とてもとてもいいシーンなのですが。ですが、無責任な掲示板では、そこで「きっと局長は『嫉妬の香り』見てたんだ~!!!」で大爆笑してましたvv「斉藤が行ったら、山南さんボコボコにされちゃう~(笑)」「回し蹴りだよ、回し蹴りvv」「局長、あれ思い出してヤバい、と思ったんだよ(笑)」「それ絶対説得力あるっっ!」三谷さんゴメンナサイ(笑)。私はその時まだこのドラマを見てなかったので、「え、斬るんじゃないの?」とか素で思ってましたが。
・・・それがこの回です(どんな回だ・笑)。川原さんのお腹の子の父親が堺さんだと勘違いしたオダギリ氏は、旅先にターミネーターのように登場し(これが今見るととても斉藤っぽい・笑)物凄い勢いで堺さんを殴りつけます。かつてクウガの時、クウガになる前の人(笑)自身の戦闘シーンはそんなに無かったように思いますが、オダギリ氏はカメラ位置とその魅せ方をよく知っているごく手馴れた蹴り突きで、これはちょっと感心しました。しかしそれに対する堺さんは、明らかに殴られ慣れていないんですよ。憔悴している演技、というのとは別の話で、例えば蹴りを胸で受けちゃったり、よけ方がとっさに真逆だったりして、もちろん寸止めですが、それでも筋の1本や2本は傷めていそう(汗)。改めて、局長の判断は正しかったと思いました(笑)
 堺さんは今回、別の場面で見せ場がたくさんあって、ストーカーオダギリ氏とはまた別の、透明な、叙情的な「堕落」を美しく創り出していました。この人が、詩人の中原中也をやるなら見てみたい、そんな感じです。私は、オダギリ氏に是非演ってほしい有名人が小林秀雄と白州次郎なんですが、その小林秀雄と中原中也の女を挟んだ確執なんて、メロドラマをはるかに超える(笑)凄い見ものです。誰か書いてくれないかなぁ~vv
 それと、今回は堺さんの場面を筆頭にとても撮り方が丁寧で、間も取れていたし全体に見違えるようによかったのですが、オダギリ氏だけ、一人はしゃいでしまっていてそれがとても残念でした。スタッフと仲がいいのが裏目に出ているというか、監督って、苦しい時には俳優に頼りたくなるものなんですが、それをやってしまうと、いざ自分の絵を撮りたくなった時にダメが出しづらくなるんですよね。言えば聞いてくれるとわかっていてもその一言が「ま、いいか」になる。画面のこっちで見ていて、今までオダギリ氏の演技に終始一貫しっかり「ダメ出し」出来ていたと思える監督は、黒沢さんと、北村さん、崔さん、犬童さん、李さんぐらいです。そのあたりオダギリ氏は自分で自分の首を絞めている・・・ところがあるかもしれません。

<主な出来事>
川原さんはいったん東京に戻って診察を受けます。診断は4カ月なので父親は寺脇さんなのですが、家に戻った彼女に寺脇さんは署名捺印済の離婚届を渡します。妊娠を言い出せずシングルマザーになる決意をする川原さん。一方堺さんは置き去りにされた旅先で気持ちの整理がつけられず、本上さんを含め誰にも会おうとはしません。女社長の命を受けて本上さんが迎えに行き、いったん堺さんは彼女の元へ帰ろうとするのですが、そこへオダギリ氏が登場し「川原さんのお腹に境さんの子がいる」と2人に告げます。

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2006年3月 5日 (日)

時効スタッフは本当に凄い(涙)

 昨日は某所で時効警察の撮影があり、端っこのほうでちょっとだけ参加してきました・・・ネタは10日に見てもらえばわかりますので割愛しますが、あのぬる~い雰囲気の映像を生み出すためのスタッフの奮闘ぶりは、はっきりいってこんなに凄いものだとは思いませんでした。ある意味本編より感動的でした。凄かったです。

 時効班にこの日お手伝いにいらしていたスタッフの方が思わずつぶやいていらしたのですが、普通はこんなに手間暇かけないし、こーんな事やってたら終わらないよ~とビックリされていました。監督の頭の中には、撮る前から詳細まではっきりと「こういう絵が欲しい」というのが出来上がっていて、役者さんに実際に動いてもらって少し修正するだけなのですが、それでもテストが必ず2回はあり、本番があり、しかも各々、全くのノーミスでも時々「もう一回!」って出るんですよ。「ただせりふ言っている感じがする」「さしこみが重い」「もっとつめて」「テンポあげて」しかも、監督がそう言うと、どこが、というのではなく、でも本当に「ああ、時効警察だ~」と思えるものに変わるんです。せりふのトーンが違うと思えば監督口伝で何回も練習、走り方が違うと思えば「こんな感じ」と、いきなり役者のように見事に走って見せます(私はそれ見て初めて監督が何がしたいのかわかった、くらい真に迫っていました)。

 その監督には、役者さん以外の人も懸命で、特に今日ビックリしたのはカメラさんたちでした。監督が「こういう絵がほしい」というと(実際は無理難題らしいんですが)、こうですか、こんな感じですか、と何度も確認しながら絶対その絵を撮ろうとする。もうそうなると、机に乗り上がったり伸びたり縮んだりなんて当たり前で、一度なんて「それじゃ」とか言っていきなりセットの中にレールを!敷き始めたんですよ。またどっかからちゃんとソレが出てきて(笑)、しかもさらにアームまで出てきてその上にカメラを載せて、あれよという間に「んじゃこれでちょっとやってみましょうか」。この時はさすがにスタッフも途中で苦笑していましたが、でも最後には出来たし、絵もきっちり撮れた(らしい)ですから凄すぎです。そんなに苦労して、どのシーンを撮ったか、見てもたぶんプロの人にしか判らないんだろうと思いますし、私達が普通に画面見てたらたぶんただの繋ぎのシーンにしか見えない。でも「撮る」と言ったら「撮る」、んですよ。絶対。何としてでも。
あのすーごい熱意とこだわりの集合体が、ぬる~くしか見えない画面をずっと下から支えて来たのかと思うと、何だか見ていて鳥肌が立ってしまいました。


 それからもう1つだけ、どうしても。十文字刑事が、あるネタをやります。それは、見ようによってはとてもわかりやすいオチです。で、落とし所ははっきり決まっているからあとはそれを映すだけなんですけど、そこへ行くまでの映し方を、監督がテストの段階から何度も何度もカメラさんと話し合っていたんです。監督は、わかりやすいオチだけれども、それを頑張って隠し続けて最後の最後に落とす・・・んじゃなくていい、というんです。見ている人の30%位は途中でうすうす感づいていい、と。その、わかった人も笑えるしわからない人も最後には笑える、という、狙っている笑いの高度さ、ピンポイントさにまずビックリ。更に、わかっちゃった人、っていうのは、まず普通ほとんど無視して撮るものですよね。それを、いったいどうやって笑いをとるんだろう、と(きっとカメラさんも)思ったんですよ。

そしたら。十文字刑事の格好した豊原さんが。

「(要するに)見てるそばから馬鹿なんですねv」

と言ったのです。

監督とカメラさん大爆笑してました。豊原さんも笑っていました.聞いてたエキストラも思わず吹き出しちゃって、「らしいよね~十文字刑事らしい。」とうなずいちゃってました(納得するな・笑)。

  でも。あとから、何かこう、ジ~ンと来たんですよ。
豊原さんが、十文字刑事という人をどれだけ愛してるか、どれだけいとおしいと思っているかが、その一言でものすごく伝わってきたんです。十文字刑事だからこそピンポイントで成立させうる高度な笑い。そのキャラを、人間を、誰よりもわかっていたのが豊原さん自身だったからこそとっさに出た一言だったと思うんです。ここまで、あの突出した(笑)キャラを支えていたのは、もちろん豊原さんのキャラと演技力だと思います。でもそれ以上に、豊原さんの十文字刑事への深い愛情があって、「おまえがどんだけ馬鹿な事しても、俺だけは絶対お前を見捨てない」っていう物凄く深い愛がその根底に流れていてたんだとわかって、その途端、何だかむしろ本編のせりふ以上に感動して、じ~んとキテしまったのです。

ネタは、絶対笑えます。もうテスト全部見ててもさらに本番で吹きそうになるくらい、笑えます。見てるそばから馬鹿なんです。本当に。

・・・涙出るほど。   




どうか最終回をお楽しみに。

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2006年3月 3日 (金)

おひな祭り

今晩はオダギリファンのみなさんは、忙しそうですね~

子供がお友達のお雛祭に呼ばれていて
そのお手伝いと送迎があるので、今日は私自身は
「嫉妬の香り」から「時効警察」までたぶん全部録画ですvv

いや、女の子のお母様ってタイヘンです。
私は嫁に来てから自分の雛はついぞ出さずじまいなのですが
(そうすると男の子が生まれると言われた)
こうやってお呼ばれするたびにため息ついてしまいますよ。
お母さんと娘の最初の共同作業、ということになるのでしょうか。
お正月その他の年中行事は、
年々現代的に簡素化されていっているような気がしますが
おひなさまはいつまでたっても古式ゆかしいままです。。。

明日の朝がむちゃくちゃ早いので、
たぶん見るのは日曜の晩かなぁ・・・皆さんの感想、楽しみにしていますvv


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2006年3月 1日 (水)

「海を飛ぶ夢」

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今日、←映画の上映会をお手伝いして来ました。
公式サイトはこちら  公開されたのは昨年でDVD出ています。


 お手伝いした場所は、とある修道会付属の施設です。そこで友達がシスターをしているので今回呼んでもらえたのです(そうでなければ俗人の見本のような私には一生縁の無いトコロです・汗)。そして映画の鑑賞ももちろんなのですが、公開当時話題になったように、この映画は「安楽死」という、特に自殺の禁じられているカトリック教徒にとっては果てしなく重い問題を扱っているので、映画の後の茶話会はいつまでも尽きる事がありませんでした。

 いきなり映画の感想からいくと、肢体の動かない、顔だけの演技を強いられる主人公を演じた俳優が、大変な名優でした(スペインでは超有名らしい)。そしてこの俳優によって描かれる「安楽死を望む人」は、今まで描かれた死を望むどんな病人よりも、哲学的で、理性的で、しかも地に足のついた現実的な考え方をする人でした(実在の人物がモデル)。安楽死について今までに交わされているさまざまな感情論・道徳論を初めから飛び越えて、「その先へ」と問題を一歩進めただけでもこの映画は見る価値があったと思います。
 安楽死を認めて欲しいという意見表明をした主人公の周りには、考えうる限りのさまざまな人物が登場します。みな、止めようとするのですが止められません。自分も死の病に冒されている写真の女性だけが「死を望む気持ち」を分かち合うことが出来たのですが、彼女自身も、計画を遂行する前に病に倒れます。会場には司祭様も何人かいらしていましたから、肢体の動かない車椅子の司祭が、まことに伝統的な教義にのっとった「自殺否定説」を展開するくだりでは、私のほうがヒヤヒヤしました。


 で、この司祭も含めて、この主人公の自殺を止めにかかる人物は皆、自分が「止めて欲しい」人ばかりです。彼を止める事によって自らも救われようとする、切なる願いがその後ろに見え隠れします。生きている時、人は様々にお互いに影響しあい、支えあいます。ですからつい、その延長で、人の死に際しても、互いに影響を与えあい、支えあうことが出来る・・・と思いがちです。いつものように彼を支える事によって自らも支えられたい。しかしそれが例え選んだ死であっても、死に向き合った人の前に人の力は及びません。止めようと思うことは自然な行為ですが、突き詰めて考えるとそれは止める人の魂の平安には役に立っても、死に向かう人にとってはただ独善的でうるさいだけの、死とはまったく次元の違う、ある意味自分の事しか考えていないあさましい行為です。特にこの映画では、主人公の死に対する姿勢が首尾一貫してブレないだけに、周りの人の身勝手さ、傲慢さは殊更に浮き彫りになります。世間的に見れば、皆まじめで真摯な「いい人」なんですが。そして彼らはこの先も「生きる」人だから、そうやって生きていけばいいのですが。
 逆に考えればすぐわかることです。では彼が気持ちを翻し、皆の言を入れて死を望むのをやめたら、その後その人たちは彼にいったい何が出来るのでしょう。「よかったね」とヨロコんでそれで終わり、でしょうか。彼自身の魂の平安はそこから先誰が保障してくれるのでしょうか。「支えてあげる」と無責任な事を言いながら、give&takeですらなく、いざ頼られれば、この壮大な問題について彼をこれっぽっちでも支えられる人は、この世に一人もいないのです。死は、他の一切の事柄と違い、どこまでもあくまでも彼自身の問題で、相談相手として有用なのは神ぐらいしかいない領域の話なのですから。

 

 生きていく事の傲慢さを自覚した人、自らも謙虚に死に向き合う人の言葉だけが、彼に寄り添うことが出来ます。裁くことも支えることもせず、お互いはお互いにそばにいるだけ。教会ではそれを「祈る」と呼んでいます。人に出来ることは、古今東西、老若を問わず、祈る事、それだけです。ただそばにいる、それだけ、ですが。









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