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2006年2月

2006年2月28日 (火)

最遊記

 一時期アニメ映画にもなったのでご存知の方多いと思います。峰倉かずやさんの描いている一大長編漫画です。どのくらい長編かというと、たぶん今年で連載足掛け7年目・・だと思います。これでも作者様の頭の中では今やっと半分来たとこ、なんだそうですが(笑)
話のあらすじは「西遊記」とだいたい似ています。今テレビでやっている「西遊記」では、収録の合間に俳優さんたちが「天竺は遠いなぁ(笑)」とぼやいているらしいですが、最遊記も西は目指しますが、そこに住んでいる「牛魔王」を退治するのが目的です。三蔵法師と同行する、悟浄、悟空、八戒が妖怪で皆イケメンです(笑)。設定として、妖怪と人間が普通に共存する「桃源郷」を旅しているので、お供の妖怪は「妖力制御装置」をつけています(中国古典の「西遊記」はこの辺から忘れ去られます・笑)。
 で、今日書きたかったのは。
 なんと連載七年目にして今号初めて、八戒が「妖力制御装置」を外して素の「妖怪」になったんですよ。クウガだって一年後にはちゃんと5種類出揃っていたというのにvv(余談ですが、クウガは主人公の変身フォームが回を追うごとに増えて行ったので、その度に買わされる親からは早々に悲鳴が上がっていました。あそこまであからさまにおもちゃメーカーと結託したヒーローはそれ以前には居なかったので、私の周りでは話の内容以前に、その商業主義に辟易して子供に見せなくなった人も多かったです。今ではそのやり方はデフォとなってますが・汗)
 しかし4人しかいないキャラの「もうひとつの姿」を見るのに7年かかるとは思ってもみませんでしたよ(^_^;) 今まで背中だけ、とか一部だけとか描かれた事はありましたが、後は殺戮後の惨状が描かれるだけなので「どんだけツヨいんだ~」と、そうでなくても怖い(笑)八戒の性格を更に更に怖くしていましたvvわからないから勝手に想像ふくらましてしてコワい、というのもありますけどね。あまりにも待ち焦がれた、もう待ちくたびれかかっていた妖怪の姿がやっと登場です。

・・・待っていてヨカッタ。
何だかページをめくりながら深い深い感慨にふけってしまいましたよ。絵の美しさもさることながら、ここまでの八戒のあらゆる場面がさあっと頭の中を駆け巡って、そちらの方で感無量でした。設定上はひとつ年取っただけなのですが(笑)連載開始の頃の「お兄ちゃん」も今や立派な青年。来月号以降も戦闘シーンは続くのですが、ここで妖怪に戻ったことで又この人は悩み苦しみ傷ついて、更に「西へ」進んでいくのでしょう。

7年かけてきた道を、更に、西へ。


公式サイトはこちら

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2006年2月27日 (月)

嫉妬の香り(8)

 時効警察は全9回で終わってしまうんですが、こちらはここからが佳境ですvお芝居の世界では、「にっぱち」と言って、二月八月はどうせ当たらないから(正月明けで懐が寒い・暑くて小屋に行かれない)出し物を控えたりするんですが、テレビも一月期っていうのは前後にイベントを控えてスケジュールが控えめなんでしょうかね。このドラマも一月期だったら良かったか(殴)
 今回も前回同様、流れのない「はめ絵」が続きますが、さらに各シーンの尻尾がなぜかぱっつりと断ち切られていて、編集してみたら時間が足りなかったの?っていうくらい不自然になってました。あと、正面切った会話劇(堺さんと川原さんの逃避行・4者会談など)が多かったので、今まで何とか頑張ってきた川原さん・本上さんの「地力」がついに露呈してます。ここまで演出の工夫で相当カバーしてたと思うのですが、前回から続くスタッフの投げやり感がここでも表面化。。。こうなると、もうドラマとして楽しむというよりは、役者の奮闘振りを場面ごとに楽しむしかなくなります。もともとオダギリ氏目当てに見てたのはむしろ私の方なんですが(笑)何かちょっと惜しい気がしました。
で、演技力の競演という事になると、寺脇さんと新撰組2人は、本当に頑張っています。特に寺脇さんは今まで少ない出番でいぶし銀だったのですが、今回堺・本上CPの気持ちの行方を左右する難しいアシストで、それがとても上手かった。ますます冴え渡る堺さんの芝居と、そこだけvがっぷり四つに組んでいて見ごたえありました。それから再び川原さんの部屋に侵入するオダギリ氏は、もう塚本監督とソッチ系の映画一本撮りましょうっていう位の別世界v 他のシーンではあの美女丸の笑みとかも見られます>うっとり(殴)。涙に濡れた顔を上げ、一転本上さんに襲いかかるところなど、この破綻した性格の人物を上手くまとめて、尚且つ凄い切れ味でした。この後撮った「あずみ」や「顔」を先に見ているので、このドラマの中では正直浮いているこの演技も「カタログ」として無駄じゃなかったというのがよくわかります。うーんオダギリジョーの出る「江戸川乱歩」が見たいっっっ・・・・

<主な出来事>
耳の聞こえなくなった堺さんを川原さんは病院からホテルに連れ出します。堺さんと引き離された本上さんは何とか居場所をつきとめますが、2人はそこから更に旅に出ようとしていました。ロビーの2階から聞こえないはずの堺さんに必死で呼びかける声に、堺さんの耳がついに聞こえるようになります。そしてその場に来た寺脇さんも交え4者会談。ここで初めて堺さんが自ら本上さんに「信じることが出来ない」と別れを告げます。そのまま姿を消した川原さん・堺さんペアを、会社も残された人たちも探し回りますが、2人は堺さんと本上さんが最初に出会った海辺の町に来ていたのでした。一方、行方の杳として知れない川原さんを思うあまり、オダギリ氏は本上さん宅を訪ね問い詰め、更に彼女の首に手をかけます。とっさにさっき別れたばかりの寺脇さんに電話をかけ何とか事なきを得ますが、助けに来てくれた寺脇さんをそれでも家に入れようとはしない本上さん。堺さんへの思いを自覚します。そして海辺の旅館では、川原さんの妊娠が・・・(誰の子?!)

*前回の「刺客を放つ」アイデアはオダギリ氏の独断だった事がこの回判明。見ている誰もが納得できちゃうところがある意味凄い(笑)


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2006年2月25日 (土)

鹿鳴館

st04 今年が初演の劇団四季のお芝居です。於:自由劇場。
公式サイトはこちら。



見てみたいと思ってはいたところへ、誘って下さる方があって、今日、急遽行ってきました。原作は三島由紀夫。劇団四季の主宰者浅利慶太氏は三島の友人でしたので、その劇団が、この華麗なる心理劇をどうやって板に載せるのか、とても興味があったのです。浅利氏渾身の意欲作、だと思います。

 四季がやるのですから、当然主眼は「鹿鳴館」の再現、現代舞台美術の最高レベルが惜しげもなく披露される・・・と思ったのですが、まずそこからして違いました。意匠も背景も人物の彩り程度に添えられ、踊りのシーンすら一切無し。舞台では滔々と会話劇が進みます。浅利氏は三島が目指した近代演劇を、こういう、いわば実力勝負の形で表したかったのでしょう。
 でも、せりふがいかにも長い。あれは長すぎです。私は元の小説のせりふがわかるので、あれとこれをこう繋げたんだ~という余計な(笑)楽しみがあったから良かったようなものの、舞台の上で、ほとんど何の動きもなく、5分も10分もしゃべり続ける人に集中するというのは、正直疲れます。それと、小説だから何行にも渡って人物描写をし各登場人物を際立たせる必要があるのですが、芝居は、実際に人間がそこに立っているわけですから、その次の段階から始めるものだと思うんですよね。例えば朝子という登場人物が、朝食卓に飛んできた小鳥のように「何をしても許される」人なら、そのように作って演じればいいので、せりふで「・・・のような人」と言われても、三島の言葉の美しさは響いてきません。その部分の描写の美しさ芳醇さが、確かに三島の素晴しさ、ではありますが、逆に言えばそれを具現化するのが役者、なわけで、言葉を味わいたいなら朗読劇にすればいい。実際、第一幕は本当に本でも読んでいるかのような単調さで、よくみなさん寝ないで起きているなと(笑)お行儀悪く感心してしまいました・・・私などは学生の時の国文学演習のゼミを思い出して、余計に眠くなりました(^_^;)
さらに登場人物にかこつけて、三島が自分自身の考えを吐露する場面もいくつかあります。これは彼のどの作品にもあるのですが、本人が書いておきたかっただけで登場人物の造詣とはおよそ無関係です。芝居として組み入れるなら別の拵えが必要な「素案」の部分ですが、それをまたそのまませりふで語る・・・何だかうどんが生のまま丼に入って出てきたような違和感です。原作は確かに論理的思考を美辞麗句で際立たせるという離れ技が醍醐味、なのですが、それを生かそうという浅利氏の熱い思いが、冗長なせりふとなるのなら、これはもう裏目に出ているといわざるを得ません。

つまりこの本を芝居にするなら、描けるところは案外少ないのです。三島の流麗な修辞の森をかき分け押しのけ、道をたどって出て来る「ドラマ」の部分は、いくらでも膨らます余地のあるごくシンプルな話なのです。その、登場人物の「外側の描写」を切り捨て「内側の描写」を書き足して初めて、「芝居」に耐えうる「人」が立ち上がってくる。影山伯爵が心の内に抱える荒涼とした闇が舞台いっぱいに広がり、背筋が寒くなるような最後のシーン。「鹿鳴館」で一番難物のこの伯爵の心情をここまであばき立てて見せた日下武史氏は本当に凄かった、と思いますが。他の人はともすれば三島の地の文そのままの重厚長大なせりふに押し流され、そこまで手が回らなかったのではないでしょうか。

この芝居を見て、昼ドラみたいだ、と喝破した人がいました。まさしくその通りだと、今は私も思います。芝居の最後に出て来る三島由紀夫の写真、あの何とも孤独なまなざしに、真正面から応えられる作品に、どうかこれから仕上げていって欲しいと、本当に、心の底から、思った芝居でした。

 

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時効警察(7)

 今回は、熊本係長v脚本、塚本監督演出の巻、でした。前回熊本作品の3話とか、こないだの6話が割と強力vvだったせいか、今回はふつーの刑事ドラマっぽく見えました・・・いや、もう感覚がこちらの世界には戻れないのか私!(笑)
 速射砲のコネタ連発が大好きvvなので、今回綺羅☆のごとくちりばめられたぎっしり感に大満足です。やかん、とか牛の鳴き声とか、割合ストレートなものが多かったですが、「物量作戦」というユルさそのものが素敵ですvv

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そしてそんな中でもやはり皆に愛される十文字刑事!今回は神々しいまでに光り輝いていましたよ~vvもう、そのまま燃え尽きて真っ白な灰になっちゃったらどうしようっていう、あの入魂のライティングには本当に涙で前が霞みました(笑)。いや、ここまでやるとはvv実はオダギリ氏の昔の雑誌掲載写真に「だからあしたのジョー」っていう有名なコラボ作品があるのですが、その大向こうを張った一幕だとしたら、もうこれは拍手喝采ですv前回の大活躍から、何だか刑事魂に火がついて微妙に仕事にいそしむ(笑)十文字刑事のブログはこの写真からどうぞ。


   この時効シリーズは毎回ゲストの女優さんがその力量を存分に発揮していて、それも楽しみなのですが、今日の葉月さんは今までで一番「意外」な使われかたでした。設定は友人の夫を寝とるので色っぽいには違いないんですが、なんていうか、連れ子も含めて三人の子の母、としての姿が、すごく現実味があり存在感がありました。私のつたないイメージだとおよそ葉月さんには似合わなさそうな役・・・だったんですが。子供との生活に疲れてはいても芯があり、そのまっすぐさから生まれる美しさ。天下の色男オダギリジョーと同じ画面に入ったら、それだけでもうタイヘンだろう、という下種な予想を蹴散らして、葉月さんは実に一部の隙もなく、リアルで、しかもどこまでも艶やかでした。巷間伝えられる「魔性の女(ほんとに失礼・すみません)」属性ってこういう事かと、何だかオヤジのようにほうとため息ついてしまいましたよ。私なら、一瞬で、恋に、落ちます・・・(だから何)。

 えーと、塚本演出の音のつけ方にも(笑)大分慣れてきましたが、今回オダギリ氏は所作ボケという、一番基本的な役回りに徹していました。私は個人的にはオダギリ氏はどんなにうまくてもコメディアンではないと思うので、これで良かったと思っています。特に百戦錬磨の兵揃いの「時効課」にあっては、ストレートに役者でしかない。だからその立ち位置を利用した今回のようなごくわかりやすい笑いの方が、却って落ち着くような気がします・・・やっぱりウケたり流したりという「間」は、人と空気で組み立てていくものですからタイヘンです。

あと2回で終わってしまう今頃になって発覚した(笑)サネイエ嬢の、恋の行方が、気になります・・・・







 

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2006年2月24日 (金)

スルツカヤの笑み

 今朝から見るたびに泣かされている、スルツカヤ選手の笑み、です。本当に、なんてこの人は強い人なんでしょうね・・・

 今回、荒川選手と村主選手がミスをしないですんだのは、私は一つにはリンクのせい、があったんではないかと思っています。トリノのスケート会場は、テレビで見ている私にもわかるくらい、制氷状態が悪いです。リンクの作り以前に、ちゃんとと掃除していないんじゃないの?レベルのガタガタの盤面。アイスダンスの時にも転倒者が続出して改善要求がなされていましたが、変わっていないようです。アメリカやロシアはスケート大国、小さい時から自分専用に磨きこまれたリンクで練習を重ねてきたスルツカヤやコーエンにとっては「滑ったことのない感触のリンク」だったでしょう。でも日本のスケート選手は、最近でこそチームを組んで効率的に強化していますが、以前はまったくの個人負担に頼りきっていて、営業の終わったあとの一般リンクを時間で借り受け、自分で全面制氷し、それからやっと練習していたのです。安藤選手あたりはもうわからないと思いますが、きっと荒川さんも村主さんも、トリノのガタガタの盤面なんて、コワくもなんとも無かったろうと思います。特に、とても苦労してスケートを続けてきた荒川さんは、あのリンクを見て感慨深いものすらあったかもしれません。あの場にいる誰よりも、彼女自身が知り尽くしていた、エッジの跡だらけのガタガタの盤面。彼女の金は、彼女自身は喜べても、このリンクでわずかなぶれも起こさず滑りきれる事の「意味」を知っている周りの人にとっては、本当に、胸がいっぱいになってしまう事だったと思います。

そしてさらに、スルツカヤ選手ですが。
放送中も紹介されていましたが、この人はここに来るまで本当にどれだけ苦労したか。そしてどれだけ本人も周囲も「金」を望んでいたか。ぶっちゃけ、メダルを取りたいだけなら30回の練習ですむところを、この人は病の体をおして50回練習しないといけない。一事が万事、そうです。でもこの人は、いつも屈託の無い笑顔をカメラに向けるんですよね。ガラス細工のように繊細だと言われるスケーターの心と体を、彼女自身の笑みが支えているような気がします。
そして今日も。あれだけ苦労してあれだけ努力してすべてをここに賭けて望んだオリンピックの最終滑走で、彼女は転びます。予定していたジャンプの半分も飛べなかったし、ステップも精彩を欠いて・・・演技中はともかく、終わったらリンクの上で泣き出すんじゃないかとすら、私は思っていました。そうしたら。下を向いていたスルツカヤは、ぱっと微笑んだんです。まるで「やっちゃった!」とでも言いたげに。
どんなにか欲しかった金メダルが、あれほど望んだ金が、目の前をすり抜けていった瞬間、それでも彼女は泣かなかった。本当に出来ることは全部やりつくし、努力の限界まで自分を追い詰めてきたからこそ、微笑む事が出来る彼女。どんな結果になってもそれが自分だと言い切れるくらい、限界まで練習に練習を重ねてきたからこそ、彼女が自分自身に贈る笑み。それを見るたびに、彼女の運を思いその無念を思って、弱い私はおもわず涙してしまいます。でも彼女は、泣かないのです。

強い人だと、思います。
人間ってここまで強くなれるのかと、畏敬の念さえ覚えます。
きっと今も、彼女はこの瞬間も、いつものようにカメラに向かって
屈託なく笑っているのでしょう。金は取れなくても。


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Big River

BigRiverPoster 試写会で見ました。公式サイトは(全編英文ですが^_^;)
←このポスターからどうぞ。
いつもは公開後しばらくたってから感想書くので好き勝手vですが、今回試写で、見ていない人のほうが多いわけですから、ネタバレ等は後ろに回します。それでも気になる方は充分ご注意下さい。


 正直に言います。記者席は1/3寝てました。後半からは途中退出もロビーでのタバコもトイレもちらほらあらわれました。お義理で来た記者さんにはツラい映画だったのかもしれません。が、監督はとても頑張ってました。とても面白い試みだったし、その意欲は、とりあえず日本人は評価してあげても良いんじゃないかと思ったんですが、ちと中途半端でしたでしょうか・・・
 「日本人は」と書いたのにはわけがあります。えー、外国で映画の手法を学んだ監督で、スタッフも英語圏、撮影もアリゾナ、ということで、どういうスタンスで見ればいいのか最初悩みましたが(笑)、とりあえず日本映画ではないだろうvvと思って見に行ったら、これがまったく予想を裏切るたいへんオーソドックスな、堅実で手堅い「日本映画」でした。精密さや構成力はともかく映画の作風・方向性として、まるでかつての成瀬巳喜男監督作品のような、「映画のよさ」がかいまみられる作品、です。
 オダギリ氏の映画評は当たっていると思います。彼は「間が多い映画」と言っていました。あれだけ映画好きで研究熱心であろう人の目にもそう映るんだとしたら、彼より若い人、それからガイジンにはさらにお手上げでしょう。あれは間でも隙間でもありません。よく引き合いに出される話ですが、ガイジンを接待しようと設けられた一席。障子を開けるとふと涼やかな風が渡ってきて、どこかで鈴虫の鳴き声がする。正面には昇りかけた満月。そこで誰かが「ああそうだ。今日は中秋の名月だ」というと場の雰囲気がとたんにがらりと変わって、皆でうっとりと月を愛でる。そこに流れるしんとした時間・・・が、お察しの通り、接待されているガイジンにはまったくわからない。まさしく「間の持たない」状態です。これが、中秋の名月という文化的知識・背景のもとに「月を見ている時間」ならガイジンにもわかる。故事来歴をたしなむココロはかの国の人にもある。しかしそれを見て現代日本のバリバリのサラリーマンがいきなり感興を覚える、というのが理解できない。知識プラス、彼らが今感じているものを言葉で説明してもらわないと理解できない、んですが。日本人はそういうのをほとんど口に出しては言いません。感じるものだから、です。

・・・で、それを、この監督はアリゾナで、ヤッているんです。名月を愛でるように、グランドキャニオンを、見渡す限りの砂漠を、閉じ込められた人の横顔を、呆けたように立つ人の姿を、撮る。監督の、その思いに相当するだけの時がその絵に与えられる。こちらにも「感じる時間」が豊かに与えられる。それは、私には、なんというか、とてもボーダレスな感じ、でした。他の似たような「静かな」絵を作る監督と比べても、「ああ」と感じさせる時間と深さが、撮っている絵とまったく関係なくどこかで確かに「日本的」で、すごく面白い撮り方だなぁと思えたんですよね。が、一方で、この映画を見た人にそれが確実に伝わっているかというと、残念ながらそれはちと疑問です。そこも日本的なんですが(^_^;)いかにも説明が少ない。見ようによってはまったく「間の抜けた」絵の連続。監督なりに、そう思わせない、観客を映画の中に引き戻す手がかりや、キッカケを、いろいろ用意してくれているんですが、それでもちょっと、足りなかったかなぁと。オダギリ氏は、自分も映画見ていてほかの事考えてしまって、でももそれが相乗効果になればいい、と言っていましたが、これも、ある意味すごく「積極的な」感想だと思います。監督を理解しようと努力する必要のまったくない、ふつーの、ごく一般の観客にとっては、そこまで開き直った(笑)スタンスでないと見続けるのが難しい映画かもしれない。。。記者さんたちのように。

監督は製作コメントとして「壁」の存在を上げていましたが、それが、オダギリ氏の挨拶の中に出てきた「ベルリンの壁」状態だった。これは脚本か、演出の段階で改善の余地があったろうと思います。映画だけ素直に見て受けるメッセージはむしろ、三人の間に、いつでも渡れそうな、でも大きな広い川が流れていて、その河岸にお互いが立ち尽くしている・・・そんな感じでした。



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BIG RIVER 試写会の模様

写真は撮りませんでした。申し訳ありませんm(_ _)mオダギリ氏の願いどおり、明日の新聞に載りますように・・・・

司:ではオダギリさんの登場です。皆様盛大な拍手でお迎えください(舞台上手側客席出入り口より登場。服装はパープル系のブレザー型革ジャケットに豹柄のイン、ブルーグレーのシルク?バンツ(光沢なし)で、白いテンガロン風の帽子を持っていました。髪型は真ん中分け)
J:こんばんは、オダギリです。
司:今日はどうぞ宜しくお願い致します。
J:宜しくお願いします。
司: 舞台挨拶は・・・
J: そうですね、ちょくちょくさせていただいてるんですけど一人というのは初めてなんですよね。だからマスコミの方がちゃんと集まってくださるのかなと(笑)。一応、ね、ちゃんと来て下さってるみたいですね。有難うございます。これ、写真ちゃんと明日の新聞で使ってくださいね(笑)ねぇ、なんか華が無くてすみません。
司: いえいえそんな事ありませんよ。すてきなお衣装で。今日も。
  で、映画をこれからご覧になる方により楽しんでいただけるよう、映画自体のお話を聞かせていただきたいんですが、まず環境がですね、全編アメリカということで、オダギリさんは単身アメリカに渡られたわけですよね。心境は如何でしたか?
J: まず、ちょうど1年前の正月だったんですよ。正月に日本を発った。で向こうへついても正月じゃないですか(あ、時差で?)そうです。で正月なんで寂しいんですよ。町がね。フェニックスっていうアリゾナの町なんですけれど、元旦ということで町全体がさびしかった。ですごいとこに来ちゃったな、と。どこへ連れて行かれるんだろうかと・・・
司: ねぇ、まるで誘拐でもされそうに・・・
J: あ、いやそれは違いますね(いきなり素早く突っ込んだので場内失笑)言いすぎです(きっぱり)
司: あ、え、違いましたか、すみません
J: あ、いや、でもそうですね、そんな感じですね~(ゆるいテンポに戻してボケてみせ、場内微妙に笑) 拉致されたとか、まあそんな感じだったかもしれないですね~(一人笑)
司: ・・・すみません。で、実際、撮影入られるとスムーズに。(ええ)スタッフは、ニューヨークから半分、アリゾナから半分ということでしたが、どんな感じだったですか?
J: 僕のイメージでは、アメリカ人ってすごい自分勝手な感じがあって、例えば照明担当だったら照明以外は興味がなくて、他の仕事してる人に対しては文句ばっかり言ってそうな感じがしたんですけれど。今回は、みんながいろんな手伝いをするっていうか、例えばメイクさんでも照明さんでもみんなで助け合うんですね。重い照明器具も関係ない人が持って運んであげたりして。日本だともっとこう職人ぽいっていうか、それ以外の人には触らせないみたいな感じですからね。ひとつのグループみたいな感じでしたね。
で、そうかと思うと携帯がね、なったりするんですよ(笑)。平気で。本番なのに。で一応みんな怒るんですけれどまた鳴ったりする。
司: マナーが守りきれないっていうか
J: あ、それは違いますね(また、いきなりの素早いツッコミ)
司: すみません、違ってましたか
J: いえ、あ、そうですよね、ホントその通りですよ~(パターンになってきたのでみんな安心して笑う。本人も最後は下向いて笑っている)すみません、そんな事はどうでもいいんですが(勝手に〆る)
し(気を取り直して)で、全編英語というのは如何でしたか?
J: えーと英語で芝居というのはですね、僕10代のころアメリカに留学してて、その頃やらされてた時にはダメダメで、もう浮きまくってて。それがトラウマになってて。ええもうトラウマ化しててですね。心配だったんですけれど。今回救われたっていうか安心したのは、哲平が日本人で旅行者と言うことで、英語が多少つたなくても芝居は成立するなと。
司: どうせわからないから?
J: いや、それは言いすぎです(3度目のつっこみ)
司: あ、すみません~
J: いやそうじゃなくて・・・って、何言おうとしたか忘れちゃったじゃないですか(場内笑)
司: あ、えーと実際の現場で・・・
J: あ、そうでしたね。そうですよ、ここからいい話になるんですよ(場内笑)
  いや、アメリカのスタッフは僕を知らないじゃないですか。英語もろくにしゃべれない若造が、みたいな感じで。それが、僕が台本プラスアルファを出すと、スタッフがそれで刺激を受けてくれてですね。面白がってくれるので楽しかったし、そういうアドリブっていうか即興的なものを混ぜるようにしていたら、役者として僕を認めてくれるようになったんですよ。で最後のほうは愛されてるなーと感じられたし、受け入れてもらえた。やっぱり芝居は言葉じゃないんだなあと思いましたよ。
司: そうですね。その辺の魔法がもう映像にも反映してると思いますけれど。じゃあ、やってよかったですねv
J: ええ、え、もちろん(苦笑)
司: で船橋監督はこの映画で長編初デビューというわけなんですが、どんな事が印象に残っていますか?
J: えーとスタッフみんな外人なので、指示は全部英語なんですよ。だから僕に対する演技指導も全部英語、でしたね。あいまいだったり、間違っていると嫌なので、そういう時は僕が日本語で聞き返したりしましたけれど。
司: 今回共演者のお2人も、イランの方がパキスタン人の役、もうお一人はアメリカ人ということで多国籍な感じなんですが、そこのところの共有というか、コミュニケーションはどうでしたか?
J: まずカービーさんはですね、あ、このポスターには写って・・・無いですね(笑)。非常に楽しい、ユーモアのセンスのある方で、場の盛り上げ役でしたね。
クロエさんは、ねぇ(司:ねぇ、とても気を遣って・・・)そうなんですよ!(ほっとしたように)とっても気を遣われる方で
司: ベルリンでもすごくね、気配りなさって・・・
J: そう、もうほんとにね、日本女性よりも日本人らしいんですよ~。で、英語のせりふの先生のような事も2人でしてくれて、そういうのもよかったんでしょうかね。コミュニケーションとして。せりふあわせなどで話す時間があって。
司: ねぇ、もう他人とは思えないような
J: いや、それは違いますね(・・・もうみんな笑わない)
司: あ、違いましたか(あっさり)で、先日ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に正式招待されたということで、行ってらっしゃったんですよね。帰ってきたばかり。
J: そうですね。そうなります。
司: ベルリンは如何でしたか
J: いや、ベルリンは初めてだったんですが、生意気ながら、僕はカンヌの赤じゅうたんを2度、踏ませていただいているわけなんですが、それと比べると、なんかこう、カワイイんですよね。じゅうたんが。そこの(客席通路を指差して)こんなもんなんですよ。で客席が近いし、上映が終わると必ず質疑応答があって、お客さんとの距離がものすごく近いんですよね。みなさん優しい。
司: でも見てすぐ質問とかって、こわいですよね。
J: そうなんですよ。でもカンヌより映画を楽しんで見よう、っていう感じでした。カンヌはもっとビジネスっていうか
司: もっとシビアで
J: ねぇ 文句つけてやろうみたいな。ま、そんな事はどうでもいいんですが(勝手に〆る・その2)
司: 街の観光とか、ご覧になりました?印象は如何でした?
J: 今回時間がなかったんですけれど、ベルリンの壁にね、行ってきました。なんかこう、歴史的にすごいものだと思うじゃないですか。それがほんとに普通のブロック塀で、高さも3mくらいしかなくて低くて、何だかあまりリアルに感じられなかったですね。
司: 観光名所のような
J: ・・・それは言い過ぎですよ。ひどいですね。
司: あ、でもこうね、壁にグラフィックがすごくて
J: 汚いですよね。あれを命をかけて越えたりトンネル掘ったりしたという歴史を考えると、なんか不思議ですね。こんな低い壁ひとつに命をかけるって、やっぱり共産圏はコワいな、ってことですかね。
(司会の方と一瞬顔を見合わせ)すみません、ここは明日の記事ではカットでお願いします(場内笑)
司:で、ベルリンではスタッフの方とも一年ぶりの再会でしたが。
J: 照れましたね。その後別の作品に入ったりすると、忘れちゃうんですよね。恥ずかしい。
司: 嬉しかったでしょう?
J: 嬉しい・・・ですけど緊張しましたね。ゼロではなく10くらいからの出発で。
司: そこでクロエさんが日本語で話しかけていらして。
J: ねぇ、もうなんか幼稚園の先生と生徒みたいな感じだったですよ。ほんとに
司: 余計に照れ臭い?
J: そうでしたね。
司: あ、今のは合ってました?
J: 合ってました(笑)
司: ではそろそろ写真撮影のほうに
   
一人で舞台の真ん中に立って、舞台下の写真班に目線を合わせる。割とにこやか
続いて座席後ろのカメラに向かって目線を合わせる。「笑顔を振りまく感じで」と司会の人に言われてましたが仏頂面でした。
写真班の人に「オダギリさん、帽子かぶって下さいよ」と言われ「いや、これは持ってるだけのものなんで」

司: それでは、これからご覧になる皆様に最後に映画全体を通して一言お願いしたいと思います。どんな感じで見ればいいでしょうか。
J: 僕は2回見せていただいたんですけれど、隙間の多い映画、だと思うんですよ。せりふがそんなにあるわけでもないですし、風景が、こう壮大な風景が広がっていくんですけれど、間が多い。で、その間(ま)で、見て頂く一人一人の方は自由に・・・なんというかトリップ、してほしいと思うんですね。僕は見ながらまったく違うこと考えたり、また映画の中の世界に入ったりしてましたから。ま、ずーっとぼーっとしてたら映画見た事にならないですけれど、余計なことを考える事も、この映画にプラスになってほしいなと。その時々の自分の感覚や感情を確認しながら見てもらえれば嬉しいなと、思います。
司: 今日はお一人では初めての舞台挨拶、本当に有難うございました。
J: (記者席に向かって)明日これ書いて下さいね(笑)


映画の感想もようやく書けますvが、また明日に。

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2006年2月22日 (水)

白バラの祈り

whiterose_banner 今日見てきました。
←公式サイトはこちら。


 今日は母の誕生日でしたので、一緒に見に行きました。昔のクリスチャンの間ではこの「白バラ」という学生グループの話は結構有名だったらしく、母は良く知っていました。今回もそういう関係の団体がpushして先月企画展など催していました。私は以前、同じ女性についてパーシー・アドロン監督が撮った「最後の五日間」という映画を別の企画で見てます。主人公と同じ房に入っていた女性の視点で描かれた映画で、本人が出てこない分その人となりが深く描かれ、静かな、人間へのあたたかな希望を感じさせる佳品でした。それで今回もとても楽しみにしていたのです。

 一言でいうと「古きよき時代」という感じでした。まず映像が本当に美しい。光の眩しさ晴れやかさ、陰影の深さ重さがきっちりと計算されつくしていて、それだけでも見ていてとても心地よいです。建物も調度品もシックで重厚な感じで、当時の文化に対する郷愁すら感じさせる・・・ただ、それが人物の描き方にまで及んでいるのが今回とても残念でした。
私の周りの「団塊の世代」のおば様おじ様たちは、上映中号泣していましたが、私からすると、戦時下のナチがこんなに牧歌的だったなんてちょっと信じられないです。ドイツ映画界にとって、ナチの美化などタブー以前の問題ですが、しかし、例えば日本で「戦艦大和」が郷愁と共に語られるように、語りたい話題であることには間違いないのでしょう。少女と査問官のやり取りもとても悠長なもので、まるで少年少女文庫のようです。官舎の外を知らない査問官は現実を知らされ激しく動揺し、あまつさえ少女の「自由」「良心」という言葉に深く感動します。手をかけることすらなく、少女のご高説を拝聴する査問官。そして戦地から帰ってきた筈の軍幹部がも、公開裁判で戦場の惨状を訴える主人公の兄の言葉に静かに下を向いてしまうのです。21世紀の現代では、民主主義自由国家アメリカの一般警察でも、容疑者にはこんな生ぬるい言い逃れや演説は許されませんし、戦時下にあるパレスチナや内戦状態のアフリカ諸国なら問題すらならない「惨状」です。「この少女の言っていることの方が正しいのではないか?」と自問自答する時代はとっくに終わり、「彼女が正しくても、殺せば自分が正義になる」とはっきり自覚し、自分の魂の救いの為に殺すのが現代なのです。

 「正義の為に死んだ」少女の目撃者達は、沈痛な思いで、自分の家族にだけはこんな目にあって欲しくないと願ったことてしょう。しかし彼らが家に帰って実際に子に伝えた事は、「思想信条などというものの為に死んでくれるな」という懇願です。「戦争はとにかく反対」「暴力さえなければいい」イデアなき世界を次世代の中に作り育てたのは、実は今日映画館で泣いていた人、なんではないかとすら思います。自分の信条に従い正当な手続きを踏んで処刑される子が親と別れる場面を見て、どうして泣くのでしょうか。そのノスタルジーの向こうに、「むかついた」だけで殺されるストリート・チルドレンが、小学校にも行かずに「カミカゼ」という言葉の意味だけを教え込まれる子供が、今や大量に発生しているというのに。

昔はよかったんだなぁ、とは思いますが、そこへ引き返そうとは思いません。今の若い人たちはこの何倍も知恵と力と心をすり減らし、真剣に生き、その分はるかに人間的に成長していると、私には思えるので。


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2006年2月21日 (火)

ベルリン新聞社読者賞

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ドイツ・第56回ベルリン国際映画祭フォーラム部門にて
園子温監督 『奇妙なサーカス』が
観客の人気投票によって選ばれる
「ベルリン新聞社読者賞」を受賞したそうです!
祝!!!  記事こちら!


園さんのサイトに行くと、上記ポスターほか現地の新聞記事(写真)見られます!

教えてくれた前出の友人によると
「ああいう耽美さやエロティシズムは確かに目新しくて、しかもこっちのヒトにはわかりやすいと思う」
・・・ドイツ人ってふところが深いんだなぁ、というのが私の正直な感想(こら)
そんな私は明日「白バラの祈り」というドイツ映画を見に行くんですが。

いや、園さん、本当におめでとう!!
オファー断ってわざわざフォーラムに出品した園さんにとっては、
ある意味金熊賞より嬉しい賞ですよねvv
狙っていなかったということより、評価してくれたヒトが
本当にただの「読者」だっていうところが、心の底から
園さんらしい!!  めでたい!!


本当に、おめでとうございます!!!!











そして、こういうのをこそ映像インタビューで
大々的にお茶の間にも是非放映して欲しいものですが
日本の取材陣はもう現地に誰も残っていないらすい・・・・

彼らはイッタイナニシニイッタンダ???


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現代創作人形作家展

本日より、下記要領で、ビスクドールの展示会が開催されています。

1 2006 プランタン銀座7階 現代創作人形作家展
●開催趣旨:作家と創作人形ファンの交流の場所にて展示即売
●開催日程:平成18年2月21日(火)~28日(火)
●開催時間:AM10:30~PM20:30最終日6時まで
●場  所:中央区銀座 プランタン銀座7階ギャラリードウプランタン
●主   催:プランタン銀座 (有)フォルクス 
●内   容:創作人形の展示販売 作家の宣伝活動
●入場 :無料


2 うちのIDEA・THEOS・紅霞を造られた、
牧子さんも出品なさっています。
宜しければ是非、ご覧になって下さい。



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2006年2月20日 (月)

アメリカ・家族のいる風景

WALL01_1024「待ちに待った映画」3本のうちの公開1本目、見てきました。
公式サイトはこちら




 話自体は、これから公開されるジャームッシュの「ブロークン・フラワー」と似てます。「息子がもうすぐ19歳になります。あなたの子です(Broken Flowerの宣伝コピー)」という類の、世の男性諸氏にとって人生最大のサスペンスドラマです(笑)。しかし登場人物は、少なくとも私からは最も遠い世界に住んでいる人ばかりです。撮影所を突然バッくれる往年の映画スターの気持ちも、突然親父が帰ってきた息子の気持ちも、「よりを戻そう」と言われるかつての恋人の気持ちも、私にわかると言ったら絶対嘘になります。この映像を前にしてそういう嘘はつけない。普通の人間があたりまえに演技していますが、どこかがすっと乾いている、っていうか、物凄く抽象的で、だからそこに出てくる人に「共感する」っていうのとは全然違うんですよね。その一方で、たとえばじっとソファに座って己が来し方行く末を考える、サム・シェパードのその指先の冷たさとか、首の後ろの落ち着かない感じとかは、もう手に取るように「感じられる」んです。まるで自分がそこに座ってるみたいに。
 大体私は西部劇なんて一本も見ない。ざらざらした丘陵、途方もなくつづくだけの退屈な道、乾いた空気、乗る為だけの車、ブルースギター、とんがったブーツ、カッコだけの勘違い兄さん・・・私にとってはどれも普段なら見向きもしないアイテムなのは間違いないんです。でも、ヴェンダースの映画ってほぼこれ「しか」出てこなくて(笑)でもそれでも目のやり場に困るどころか息も付かせずに最後まで見ちゃうんです。世にロードムービーと称されるものは数多あり、それこそヴェンダースのインスパイアだのパクリだの亜流だのは掃いて捨てるほどありますが、その、彼らの描くある種の世界がこれだけ嫌いな私を、これだけひきつけて離さないのは、「やっぱり」ヴェンダースだけ、なんです。ほんとに何なんでしょうね、この監督は!!!
 今年は私にとって映画の当たり年です。ヴェンダースとジャームッシュとルコント、3人揃って日本で映画がかかるなんて、何年ぶりでしょうか。もはやこの名を挙げると映画の「オールドファン」と言われそうに、若い監督に勢いある昨今ですが、でもやっぱり見に行ってしまいます。やっぱり、という点では、私にとってはヴェンダースが一番「やっぱり」です。


おまけ。
WALL02_1024 その赤ん坊の時別れた息子が←こちら。ガブリエル・マン氏。いかにもありがちな青年を、リアルを通り越してとても分厚く好演していました。昔のショーン・ペンの、もっと常識的な感じ(笑)。上手かったです。
で、映画の見方としてこれはイケない事なんですが、この人と、サム・シェパードが生き別れの父子の対決、ということで、途中どうしても「血と骨」を思い出してしまいました。映画の中でそれぞれのシーンが持つ重みが違うので、比較するのがそもそもナンセンスなんですが、その葛藤を描くのがどれだけ難しいことなのか、今日骨身にしみて感じました。女親にはわからない、人間性や人格を頭から無視した濁流のような血の結び付きと、力のみでしかはかりえない、互いの存在のある種原始的な根源とその価値と・・・・「血と骨」の大乱闘が世の息子達の共感を一身に集める意味が、おぼろげながら、わかった気が、します。



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2006年2月19日 (日)

ゑろ画像。

今日、実は朝から

久しぶりに高熱出してヘバッていたのですが @通常営業(泣笑)

有難い友達が

私の危機をテレパシーで察して

元気の出る画像を電送してくれました。

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        女性向(笑)   

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;060218_204101


女の子さんだそうです。
熱、吹き飛びました(笑)
感謝vv




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2006年2月18日 (土)

時効警察(6)

 今回ばかりは見た人の感想が気になっちゃって旅に出ちゃいましたよ・・・の園子温第2回目監督作品。
 これ、十文字刑事に思い入れのある人と無い人では、大分感想が違うのじゃないでしょうか。私なんて、最後泣いてましたよ。反則ですvvいや、このドラマ見てまさか泣く日が来ようとは思ってもみませんでした・・・実は時効警察シリーズが終わったあと、十文字刑事で今流行のスピンアウト物一本撮ってくれないかな~とかぼんやり思っていたのですが、今回のがまさにそんな感じ。十文字刑事、気の毒がさらにカワイソウ着て歩いているようなキャラになってましたが(笑)、しみじみ惚れ直しましたv最後画面に映ったトレンチコートはまさに「刑事の花道」!ブログへはこちら から是非どうぞ。

それと、映像的に園さんワールドが(私的には)満載でした。園さんというとスプラッタとか暗渠とかのイメージが先行しますが、力強く映像の美しさを探り引き出す人でもあるんですよね。あくまで前衛的なので?もつきますですが、映像詩人っていう言葉も今回久々に思い出しました。寝転がる霧山君のまわりに広げられたカード、高架下の殺人シーン、あと妊婦の三日月さんのシーンなんて圧巻です。ゴダールばりの、なぎ倒すような力に溢れた映像美。麻生さんでないとあれが絵空事になってしまう・・・そのぎりぎりっていうところが又スゴイ。霧山君の頬に描かれた涙(笑)も含めて、園さんのシュールで気合の入った映画的創造世界をバーンと切り取って見せてもらったような、すごく贅沢な気分でした。うっとり。

それと、時効前に捕まっちゃったら「ふつーの刑事ドラマ」なんで、これも本来反則なんですが、今回は空気読めない十文字さん(笑)に、うまく脇に、付けていたのでよかったのではないかと思います。それをせっつく霧山君は、最後の「誰にも言いませんよカード」のシーンを生かすために、今回かなり右往左往していましたが(私はあの叫ぶオダギリ氏はパスだなぁ・・・・)、それでも最後自力で見事に落としたのはさすが、だと思いました。このシーンだけは脚本によらずオダギリ氏の演技力で創りあげた感がありますが、そこまでのすべてをだまらせる、見事な「見せ場」でした。十文字さんとは対極を成す、オダギリ氏にしか出来ない正統派「主役演技」。たぶん、ここは園さんが望んで丸投げしたのではないかな。オダギリ氏を撮る以上は、本人がどんなに嫌がっても、首に縄つけてでも、その底力を画面に溢れさせる事が監督の至上命題ですから(きっぱり)。監督GJですvv


ナンシーって誰?とか、あの最後の青空はひょっとしてク・・・、とか(笑)小ネタも結構ありましたが、1回ぐらい、こういうしみじみとした回もあってもいいのではないかと思いました・・・


<ウンチクはちゃんと覚えていないとウンチクにならない好例>
① 8 1/2という映画を映画の中で紹介しさらにパロディにした映画・・・のもじりになってたのが三日月さんの行った美容室。アノドアも、座ってた椅子もそーなんだけどなぁぁぁぁぁぁ映画の名前が出てこない>アメリカ映画
② 「恋は比喩なんだよ」「日常に比喩を持ち込んだらブンガクになってしまう。それではだめ云々」の霧山君のはぐらかし(笑)は寺山修二なんですが、ですが・・・・出典が韻文だったか評論だったかもうろ覚え。いや、園さんファンはきっと知ってる(泣)
③ 「うすうす」って・・・・・「うすうす」って・・・・・それって園さん・・・・言いたいことはわかるけど確かに園さんテイストだけど(笑)・・・・・関東近辺発売、じゃなかったですか(^_^;) 発売元もうろ覚えですが、確かあの口調のCMもありました>岡本理研、ぢゃなかったような。


①。②。③。  ご存知の方いらっしゃいましたら、是非お教え下さいませ(泣)

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嫉妬の香り(7)

 この回急に演出が投げやりになったというか、白旗掲げちゃったというかvv「画像があればいい」レベルの絵が流れるようになりまして、役者によって、場面によって、トーンがバラバラです。突然破綻したように見えるのはたぶん私が連ドラに慣れていないせいで、遠因はきっと前回、前々回からあったのでしょう。まるで歌舞伎のように、見得を切ったり顔を作ったり所作を作ったりで大忙しでした。歌舞伎は、桟敷で一杯やりながら観ている人を山場に来た時振り向かせるために、そういう工夫をしているので、見せ場以外はまぁ見なくてもいいか(笑)というお約束になっている。しかし同じように、何かしながらテレビを観ている人を振り向かせようと、それをいちいち絵にして抜くと、歌舞伎と違って「見なくてもいいか」と予め決められている場面は無いので(笑)間が持たない。それに舞台、という亜空間ではなく、ロケまでして基本的にはリアリティを目指しているので、そこでは「絵」そのものがどこまでも二律背反になるわけです。日常を超えた「ドラマのある」感情のゆれや起伏を描こうとすればするほど破綻する。「水戸黄門」や「渡る世間・・・」が撮るのも簡単だし長くも続く、というのがよくわかりました。
 そんな中で、今回も新撰組2人は(笑)頑張っていました。以前ここに、「川原さんに見境なくまつわりつき、彼女を結果的に追い詰める、その追い詰める側の精神的な脆さを出すには、ほんとうは堺さんの方が適役です。」と書いたのですが、堺さんは今回その本領を発揮しています・・・本上さんに対して。この回1回だけで、寄り添いかかったお互いの気持ちが急速にこじれていくのですが、境さんは何も起きていない時の「地の部分」の演技が本当に上手いので、びっくりするようなキレ方、コワレ方をしても、それを充分支えていられるんです。時々、私でもどういう顔をしたら良いのかわからないような場面でアップを振られているので(笑)そこだけ繋がらなくなってしまっていますが。まぁ映画ならそういう時抽象的な映像に逃げちゃうんですが、テレビでそれやるとチャンネル変えられちゃうんでしょうか(笑)。テレビを面白くするのは視聴者の忍耐力?・・・なんちゃって(^_^;) 
 今回のオダギリ氏は、堺さんに比べるとストーカー度はいまいちでvv河原さんの部屋で待ってる様子は、恋する男の甘い気持ちの方がよりストレートに出てました。でもオダギリ氏、こういうの苦手なんでしょうね、それを照れて押さえている分コワくなくなっている。前回の方がフッきれてました。ちなみに伝説の「ピヨピヨ」*はこの回です(笑)細かい顔の表情は本当に上手かった。本上さんと寺脇さんの仲を裂くために今回刺客がv放たれるんですが、その刺客に業務を説明する時、その内容を具体的に口に出さずに、態度と、まなざしと、せりふのトーンで色仕掛けだとわからせる。こういうのはもう、オダギリ氏独壇場ですね。メソッド、というのはもともとがこういう腹芸に向いている演劇法なのですが、仕組みや段取りといったものを絵にしない、今の芝居や舞台や映画の大きな流れの中では、こういう芝居はこれからますます使う場面が少なくなってくる、かもしれません。惜しいですが。


<主な出来事>
一泊研修から帰って来た河原・寺脇夫婦は別居生活を始めます。堺・本上ペアは頑張って気持ちを寄り添わせようとするのですがお互いに限界に近い。そんな時、社長令嬢が堺さんに、寺脇さんと本上さんがキスしたことを告げます。寺脇さんにとってそれは本気の証だと河原さんに聞かされていた堺さんは、本格的にキレ、電話をかけ続けたり仕事場まで付回したり、商談の場に割って入って本上さんを連れ戻そうとさえします。一方河原さんは、1人暮らしの家に勝手に入ってお風呂沸かしてご飯作って待ってくれている(!)オダギリ氏に恐怖すら感じます。社長令嬢のいたずらでデートさせられてしまう本上さんと寺脇さんを物影から目撃した堺さんはついに精神に変調を来たし、プロジェクト発表の日に狂気に満ちた曲を持参し、そのまま耳が一時的に聞こえなくなります。本格的に「愛を取り戻す」決意をする河原さんは、本上さんをホテルの部屋に呼び出す一方で、オダギリ氏にも電話をかけます。(ここから先が、オダギリ氏の独断か河原さんの策だかまだ不明ですが)オダギリ氏は寺脇さんに思いを寄せる助手さんに、本上さんの香りをまとわせ「着替えを部屋まで届けて」と頼みます。本上さんが河原さんの言われた部屋のドアを開けると、抱き合う寺脇さんと助手さん・・・

*ピヨピヨ:「あなたには僕が必要だ」と会社で熱いまなざしを向けるオダギリ氏を邪険に押しのける河原さん。その押しのけられた手の跡にすらイッた瞳のままいとおしそうに触れるオダギリ氏のBGMが、突然のひよこの幸せそうな鳴声でした。ま、間違ってはいないと思いますが(^_^;) ちなみに、その腹部に触れる手つきで、ヘンシン!とか・・・思わないですよ、普通の視聴者は(笑)。

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2006年2月16日 (木)

CRASH

crash

クラッシュ、観てきました。公式サイトへは←写真からどうぞ。




今、世界で一番手垢にまみれたスローガンは「人種差別反対!」だと思います。みんなの前で声高に差別の撤廃を叫んではばからない人はゼッタイに胡散臭いですし、パンフなんか配っていたらもうその人には関わらない方がいいです(笑)。何故か。その、その手のものを何となく「変だ」と思う感覚の正しさ大切さを、残酷なまでにはっきりと解き明かしてくれているのがこの映画です。私は今度、子供連れて見に行くつもりです。子供にも、わかるように、出来ているからです。

映画の最初から、人種差別ってどういうことなのかが容赦なく描かれます。理屈やいいわけに逃げようとする観客を正面きって阻止する、凄い脚本であり迫真の演技です。このあたりほんとに全っ然容赦ない。その手をふりおろすことにも掲げることにも、その銃を構える事にも捨てる事にも、それぞれ重い意味があり、しかもどちらも「全然正しくない」。どちらかが片方より幾分ましなだけ、しかも選んだ結果は神のみぞ知る・・・そんな局面は、人間が普通に生きていればいつだって在ることです。それが人種差別に関しては必ず白黒はっきりと決着がつけられ、必ず信賞必罰が行われる。どうしてか。その人たちにとって人種差別は、解法が100%わかっている見なれた課題であり、昨日も今日もこなしてきたルーティンの一部であり、今や完璧なマニュアルすら存在し「いずれこの世からなくなる問題」だからです。つまりそこにいる誰もが、このことをまじめに考えていない。だから決着が付くのです。
 この映画に出てくる人は皆、人種差別が永遠に消えてなくならないことを確信しています。何故か。「自分の心の中から消えないから」です。他の誰でもない、自分が、人を差別することをやめられないのだという事実を、正面から突きつけられているからです。うめき苦しみ、首うなだれながら、ある人は自分に課せられた重荷の大きさをかみしめ、ある人はそこにすら希望を見出します。誰かを差別する事にもしない事にも、それぞれ重い意味があり、しかもどちらも「全然正しくない」。どちらかが片方より幾分ましなだけ。しかも選んだ結果は神のみぞ知る・・・それが人間の営みである以上、人種差別をしようがしまいが、結果の保証は何も無いのです。そんな事で世の中は良くならないし、自分の命も相変わらず保障されない。ただ、自分が選んだ道がより良い道だ、と信じる事に希望を見出すしかないのです。
 この映画が映画として存在意義があるのは、まさにここです。最後の最後に希望を、本当にかすかな希望を、それでもしっかりと観客の心に灯すことに成功しているのです。差別の無い国日本の観客がこの映画を見れば、差別が無知や忍耐力の無さに由来している事はすぐわかると思います。しかし、実際に人種問題に加担している人たちは、「わからない・気付いていない人」です。わからない人、わかっていない人に理屈で説明したって意味ないのです。わからない人にはその心に訴えなければ意味がない。子供にも、わかるようでなければ意味ないのです。

 この監督は「ミリオンダラー・ベイビー」を撮って一躍脚光を浴びた、テレビ業界の人です。最初の小さなエピソードの積み重ねは、あるいはテレビでも撮れた、かも知れません。でも、自分の右手が今している事が、この世の根源にかかわる重い課題に繋がっている、という突き抜けた、荒涼とした主題は、映画でなければ収まらなかったと思います。映画としての完成度の高さが、そのままこの監督の主題に対する真摯な姿勢を証しています。

是非、どなたかを誘って、御覧下さい。



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祝・お誕生日

今日、お誕生日の有名人は、私がよーく知っている人だけでも
これだけいらっしゃいました~(あいうえお順)。

相川七瀬<女優>
逸見政孝<司会>
大岡信<詩人>
オダギリジョー<俳優>
魁傑將晃 <相撲>
香椎由宇 <女優>
金正日〈キム・ジョンイル〉<首領>
ジョン・マッケンロー <テニス>
高倉健<俳優>
多岐川裕美 <女優>
中原淳一<画家>
バレンティーノ・ロッシ <バイク乗り>
安田靫彦 <画家>
吉田義人 <ラグビー>
ワレンティナ・エゴロワ<マラソン>


北の首領さまを筆頭に(笑)本当に多士済々、
星占いなんてホントに当てにならないナという感じですが、
結構尊敬してたり昔から好きだった人が多いのにびっくりです。

そして、オダギリジョーですが。
この中で、オダギリ氏を見た時だけ、私がいつも思うのは
「この人には負けたくない」という、わけのわからない闘志(笑)です。
いや、勝負どころか同じ土俵に立ってないですし、
いったい何をどう競うんだといわれると、私が1番困り果てるんですが、
なんというか、すごくこう、久しぶりに手ごたえがある人なんですよね。
やることヤッてるな、っていうのが時々見えるので、
遠くから見ていてとても楽しいし、それが見えた瞬間、
こっちもドンと揺さぶられて、どこかで「ヤラレタ」と思い、ヤラなきゃ、と思う

って、これは俗に言う、ファン心理、じゃ「ない」んですかね。
愛情の裏返し・・・と今自分で書いててチガウナ、と思いましたが(笑)



 


でも、私はたぶんこの人が物凄く好きです。 

この先も。ずっと。




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2006年2月15日 (水)

BIG RIVER 紹介記事

bigriver ベルリン国際映画祭のサイトから、紹介記事をPDFでダウンロードできます→こちら
で、英語とドイツ語でしか書いてないので訳してみました。

概要
"BIG RIVER"は、ある3人の一筋縄ではいかない友情を描いた、異文化ロードムービーである。アリは、パキスタンから来たイスラム教信者で、疎遠になった妻ナディアを捜している。彼はアメリカについてすぐ、砂漠のど真ん中で道に迷う。哲平というアメリカをヒッチハイクして渡っている日本人と、サラという地元のトレイラーパーク(注:キャンピングカーみたいな車で暮らしたり、旅する人の溜まり場)に住んでいる美しい白人女性に出会った後、アリは彼の新しい友人達と一緒に、フェニックスで別の男と暮らす妻を捜しに行く。ところが妻はアリを拒絶しアメリカでの新しい生活の方を選ぶ。恥をかかされたアリは、2日のうちにお前は俺と家に帰る事になる、と言ってしまう。
 アリはアメリカでの最後の2日間を新しい友人達と過ごす。彼の妻が悔いて電話してくるのではないかと気を揉みながら。
 この2日の間に事態は微妙に変化する。アリと妻の復縁から友情の大切さへと話が変わっていくのだ。互いに支えあいながら、3人はそれぞれ自己の確立を目指すようになっていく。

監督談
"BIG RIVER"とは、現代社会において失われてしまった、人々の想像世界、内面的世界のことです。今の時代、アメリカがイラクに爆弾を投下し、同時に食料をも投下していく現実を誰も止めることは出来ません。それをおかしい、と思う人が果たしてどれくらいいるでしょうか。私はイラクの人々が空から降ってくるPBJ(ピーナッツバターとジャムのサンドイッチ)には決して手をつけないと聞いています。イラク人はPBJなんて食べないのです。イラクからはるか遠く離れたワシントンでは当局の人々が"人道主義" "解放" "民主主義" の名の下に、世界を見下ろしています。しかしちょっと待ってください。それでは1トン爆弾のもとに晒されている人たちはどうなるんですか。彼らがそこでどんな日々を送っているのかあなたには想像できますか?「自由」などといった大義名分を持ち出す以前に、現代に生きる人々は、そのような「見えないところにいる人々」について、もう考えようとすらしなくなっているのです。危機にある人々を"想像" する事は、人類の歴史の始まりなのに。このような考えから、私の"BIG RIVER"は始まりました。
アメリカは大きく広い河のようです。世界中から来る人々が河の恩恵に浴しますが、流れに身を任せるということは自身の根っこを失うということでもあるのです。移民たちは果たして、彼らの前に聳え立つ壁を乗り越え、人と繋がることが出来るのでしょうか。
より良い生活を求めてよその国からアメリカにやってきた移民と、政府に管理されたメディアの情報に染まりきった、何事にも無関心なアメリカ郊外に住む中流クラスの人との間に聳え立つ壁は、ほとんど越えられないほど高いものになっています。彼らが顔つき合わせて席に着き、話し合いをするためには何が必要なのでしょうか。本来なら何もそれを妨げることは出来ない筈の、「人間同士の個人的な結びつき」がそこには必要です。しかし21世紀のアメリカにおいては、人々の心の中に「壁」という名の偏見があり、それが在るところでは友情すら簡単には育たないようなのです。私はこの映画でその「壁」を描き、さらに「私達の生活に失われてしまったもの」を描きました。この映画で、人類の叡智は、その繋がりは「壁を越えられる」のだ という事を示して見せたいと私は切に願っています。 Funahashi Atsushi

紹介記事
アリゾナ砂漠の真ん中で、パンクな日本のヒッチハイカー哲平は、アリという、アメリカに着いたばかりの中年のパキスタン人に出会う。アリには車があり、哲平にはタバコがある、というわけで彼らは共に旅する事になる。車が止まった時哲平は、5マイル先のスタンドまで歩いていってガソリンを買ってくると申し出るが、ガソリン代を払おうとしないアリにキレてしまう。アリを車に残したまま、哲平は仲間と離れて迷っているらしい、脚もあらわなサラに出会う。哲平はガス欠なので一緒に来て助けてくれと彼女に頼む。
イスラム教徒と思われるアリは、 サラの露出の高い服に落ちつかない様子だったが、彼女が車にとても詳しく、今男2人でお手上げ状態のこの車も、ガソリンの管が汚れているだけだと指摘され、彼女の助けを借りる事にする。彼女は彼女の家に彼らを連れて行く: 彼女はトレイラーパークで飲んだくれの父と2人で生活していた。
 サラと哲平が互いに魅かれ合っていく一方で、アリは、実は自分のもとを去ったパキスタン人の妻を連れ戻すために米国に来たのだと告白する。サラと哲平は彼を助けることにする。ぎこちない関係を反映してか、事は大げさなまでに慎重にすすめられ・・・ ラッセル・エドワード、ヴァラエティ誌ニューヨーク版、10 月31日- 11月6 日、2005年

グランドキャニオンを背景に進む、国籍の異なる2 人の男性と女性が出会い、何かを掴み取るロードムービー。テロ特別措置法は愛国的行為を煽り、それにより有色人種の2人は、旅行者を脅し疑いの目を向けるアメリカ人と不愉快な遭遇をする。このように、"BIG RIVER"は個人的な旅行すら政治に取り込まれる様子、アメリカに現存する人種間の「壁」がどのようなものであるかを描き出す。監督のコメントにあるように、アメリカは、この映画の中では人々が群れをなす大きな河である。同時に、砂漠の真ん中で迷ってしまった3人の旅が示すのは、9.11以降自分の居場所を見つけようとしている人たちのための「場所」 である。クォン・ヤン・ミン、斧山国際映画祭カタログ、2005 年

この後に監督の紹介記事が載っていましたが割愛。
ドイツ語部分をドイツに住んでる友達に読んでもらったのですが、単に英語のドイツ語訳だった由。現地での評判その他はまた明日以降書きます・・・ミミノイタイ話、なので。

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2006年2月14日 (火)

ヴァレンタインのチョコ

 オダギリ氏が、某雑誌の連載で、昔ヴァレンタインにもらったチョコを犬にあげた・・とか(笑)書いてました。そりゃファンの人からしたらタトエ昔の話だとしても激昂ものでしょう。でも私は最初読んだ時、ものすっごくオダギリ氏に同情しました。気持ち、わかる~と、その犬にやっている背中を叩いてあげたいくらいでした・・・私なんて、もっと悪逆非道なこと、しましたからね(涙)。以下、私のカワイソウな初恋の話です。

 私は中、高と女子高だったので、色恋沙汰のないvごく平凡な生活を送っていました。ただし新聞部、というカタい委員会にいたので、年功序列でv高2の時は部長になりました。そしたら、任期終わり間近の2/14、帰りに下駄箱に行ったら、なんとも大量のチョコが詰め込まれ積まれていたのです。えーと、念のため言っておきますがこれはうちの学校の伝統というか悪弊で(笑)、バスケ部やバレー部剣道部ダンス部なんかの部長は、その日紙袋を抱えて帰る後輩を指名しておかなくちゃならないほどのチョコが!来ます。しかし委員会の部長だった私は油断していて(笑)、しょうがない、頑張って一人で持って帰りました。
 物凄く、重かったです。本当に重くて重くて、駅の階段なんて上がれなくて、そのうちだんだんこれが体のいいイヤガラセに思えてきて、家に帰る頃には完全に怒ってました。そして可愛い後輩の心のこもったカードを読んでいるうちに、更に怒りは沸騰してきました。頼りにしています、とか、てきぱきしていてスゴいです、とか、カッコいいです、とか書かれても、全然嬉しくありませんでした。その時実は私は人生で初めて好きな人がいたんです。だから男っぽかったり仕事頑張っちゃう自分が大嫌いで、たぶんもっと女の子らしく見られたかったのです。しかしチョコの数が(笑)文字通り現実の重さ、でありました。
で、どうしたか。悪逆非道な私は、人様から貰ったチョコレートでずっしり重いケーキを作って、何と翌日、それを「憧れの人」にあげたんです(ヒデェ~)。
 ある意味、犬にやるよりヒドい仕打ち。。。その人は、当時既に30才で、それこそチョコなんて降るほど貰うまじめな大人でした。その日いつものように一緒に作業して、いつものようにお茶になった時、出てきたチョコレートケーキの由来を聞いて、その人は大爆笑しました。ケーキを頑張って平らげながら「来年は俺ので作ってよ」とダンボールに入ったチョコと手紙の山を見せてくれました。そうして、そんなにチョコ貰えるなんてカッコいいじゃん、と慰めてくれました。1日遅れだけど、今年もらった中で1番忘れられない、と喜んでもくれました。でもその時私には唐突に、30男の目に映る女子高生というものがどんなものであるかが、えらくはっきりと見えてしまったんですね。いかにも生半可で中途半端で扱いにくい、あらゆる意味で発展途上の厄介なカタマリ。その人が私を見る目が、今更のようにありありと思い出されました。そうして、目の前に積まれた数多の手紙の主たる「完成品」ですらこの人を繋ぎとめる事が出来ないのに、「可能性」なんて更に更に無意味だ、としか思えませんでした。
 その後半年ほどして唐突に作業は終わり、その人と会う機会は二度となくなりました。チョコレートケーキが天罰を、下したのだろうと思います。



教訓:チョコはなるべくたくさんの種類を混ぜ合わせたほうがおいしいv

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2006年2月13日 (月)

道明寺

023_r2_c2  私は別に歌舞伎座のマワシモノではないので、かかる前の芝居も、かかってからの芝居も中日過ぎるまでは書かない事にしています。でも今回は別です。来る3月大歌舞伎で、仁左衛門が「道明寺」やります。もしこの方が舞台に立たなくなればもう誰もかけることの出来ない芝居です。3階でも一幕見席でもいい、是非「東側」で冥土の土産に御覧下さい・・・



 「菅原伝授手習鑑」という大きな芝居の一部ですが、中に出てくる役名を取って「菅丞相(かんしょうじょう=菅原道真)」と呼ばれることが多いです。九州・大宰府へ向かう途中、伯母との対面が許され河内国土師里へ赴く丞相。養女となっている苅屋姫は実姉立田前の計らいで、秘かにこの館にかくまわれています。一方、藤原時平の意を受けた立田前の夫宿禰太郎らは、丞相出発の合図である一番鶏を早く鳴かせて偽迎えを立て、暗殺してしまおうと企んでいます。ところがまんまと連れ出したはずの丞相は実は木像。丞相は難を逃れます。いよいよ九州へ向かう時、伯母覚寿は、苅屋姫と父丞相をひと目会わせ、2人は名残を惜しみます。
 この、木像が霊験によって見事本人に成り代わり、自分で歩いて駕籠に乗り、見事討手をだまし通す・・・ところを、当然の事ながら人間がやるわけです。菅丞相と木像菅丞相の一人二役。だからまず第一に役者は「人形のように美しい」顔立ちでなくては駄目なんです。成る相手は人気絶大の天神様、ですから、神様のような品格とオーラ(笑)も絶対条件。しかも、人形が動いている、と言うことを示すために微妙にギクシャク動くお約束(「人形振り」という芝居)があるんです。むかーし「ガラスの仮面」という漫画に似た場面があったんですが、こんなの、まず漫画じゃなきゃ出来ないことです(笑)。で、菅丞相という役をここまで神格化させ難題中の難題に仕立て上げたのが先代の仁左衛門。3月はその人の十三回忌公演で、当代仁左衛門がつとめます。 

 こーんな神がかった父を持ったことを、さぞ片岡三兄弟は恨んでいると思いますが(笑)、特に名前を継いだ三男孝夫は、これをやらないわけにはいきません。で、いかにも大変な役なので、今までに孝夫の時に1回、仁左衛門になってから1回やっただけです。今回でまだ3回目。でも前2回見た者としては、これは見ずにはいられません。   
 本人談「菅丞相を勤めさせていただくときは、自分の中で魂を昇華させて、普段よく言われているんですけれども、勿論牛肉はいただかないですし、舞台に出る前には、天神様の掛け軸を床の間にかけ、お水お米を自分で入れ替え、それを拝んで…一見たわいないようなことなんですけれど、そういった事を一つ一つ大事にして、舞台に出るまでは身も心も天神様にお預けする…そういう気持ちです。ですから、お芝居をしている間も、体で演じるんじゃなくて、心というよりも魂で演じる、演じたいと努力しています。」
 芝居の域を超えたまるで大仰な心構えですが、見ればきっと納得できると思います。どんなに言葉を尽くしても言い表せない、神々しさ、気品、端整な美しさ・・・まさしく人間業ではなしえない、壮大な「絵巻物」が目の前で繰り広げられていきます。会場全体の息を呑むような視線を一身に受けて身じろぎもせず、その輝きは更にますばかり。仁左衛門でなければ、出来ないこと、なのです。



 このお芝居を見る時は、とにかく正面なんて取っては絶対駄目です。いくつかある見せ場が、花道七三に集中しているからです。「桟敷が買えないのなら3階へ」とまで言われております。また、こういう特別な狂言の時は必ずN○Kが撮りに来ますので、良ければ是非その放映をお待ち下さい(たぶん3ヵ月くらい後にきっとあります)。


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2006年2月11日 (土)

時効警察(5)

 今回の監督は、私が今長々とここで感想を書いている「嫉妬の香り」や「サトラレ」をお撮りになった塚本連平監督です。っていうか塚本監督がお撮りになった作品は他にもっとたくさんあるのですが、オダギリ氏繋がりで時効警察に出て下さっているらしい事がお昼にv判明しましたので一応。

 最初からもう、叫ばせてくださいっっ私は十文字刑事が大好きだ~~~~!!!!もう「本郷高志」という名前見て、予告見て、霧山氏からのメルマガ見てたのですが、それでもやっぱりあなたは私のはるか斜め上を行く素晴しい方でした(笑)。今回、しかも久しぶりに事件も担当させてもらって、それも霧山氏のおかげで無事解決できて(涙)。男の美学がぎっしりつまった、もう誰にも文句は言わせない(笑)十文字刑事のブログはこちら !!!

 それから、殺人事件単独として見ても、今回が1番最後まで殺害方法がワカラなくて面白かったです。私は霧山氏の謎解きが始まってもまだ、「え、じゃこの付き人はあの後パーティ会場で誰かとキスしてたの?」とか思ってましたから、あの紅い薔薇と共にボカされた映像にはホントにのけぞってしまいましたvv放映前に、そういえば東さんってサトラレの時ホントに素敵な研究者だったなぁと思い出させて下さった方が有りまして、ですからあの、ギャップには(笑)最後まで翻弄されっぱなしでした。いや、だって、そういうオチってギョーカイ的にはよくあること、なんですか?(笑)
 小さいネタもつまってました。風邪の治し方、勉強させていただきました。アレルギーがテーマだったのでみんなのくしゃみは花粉かな、と思っていたのですが、うちも明日は缶詰だ~(え)。あと、三日月さんは相変わらず冴えてますvどんなボケでもつっこみでも、本当にこの人は軽々こなしますよね、アンナに美人で可愛いのにv ・・・おにぎりが、もう、忘れられません(笑)

 塚本監督は、他にも「着信アリ2」とか「特命係長只野仁」「ドラゴン桜」「鬼嫁日記」など、今や引っ張りだこの監督さんです。放映直前に「嫉妬の香り」見たからかもしれないんですが、今日拝見して、特に思ったのは、とてもロマンチストな方なんだなぁという事でした。衝撃の(笑)三日月さんと霧山氏のキスシーンの後で、立ち去り際に言った霧山氏のせりふ「五月の朝と二月の月が出会うところ」。ベタだ、と女主人公に切って捨てられてましたが(笑)、なんだかまるで北欧童話に出てきそうなフレーズで、もじゃもじゃ頭の男が漁港で叫んでいるその景色が、その瞬間、ふわっと一変して見えました。ひょっとしてオダギリ氏にアテガキなのではないか、と思うほどに、見事に高く、明るく晴れあがった一瞬でした。あるいは冒頭で、奥vさんが亡くなったご主人の写真にキスをする場面。「唇を寄せる」とはこういう事かと、その古典的なまでに美しい映像にしみじみうっとりしました(今回唯一美しかったキスシーン・・・泣)。謎解きの場面のミツバチの話にも、その直前の「紅い薔薇」の衝撃(笑)を拭い去ってくれるに充分な、健やかな官能がありました。それから奥さんと「本郷高志」の結婚理由も、私にはとても繊細で哀しいものに思えました。そういう理由で人が惹かれあうという事を、こんなにさらっと描けるなんて、この監督は素敵だと思いました。



そして、最後になりましたが。
女には必ず、命を懸けて惚れ込む“心の師匠”ってのがいます。
もちろん、私にだってそんな存在がいないワケがありません。

十文字刑事――私はどこまでもあなたについて行きますっっ
(とりあえず会議室ではなく現場で着るコート買いましょう・・・・vv)



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2006年2月10日 (金)

嫉妬の香り(6)

 えーと、今回はものすごく偏った感想です。すみません、これ私の持っているとても偏った嗜好に問題があるんです。嫌悪感を抱く方のほうがむしろ正しい、と自分でも思いますので、出来たら読み飛ばして下さい・・・資料としてだけ何となく読んでる方はどうかこちらへ。

<主な出来事>
プロジェクトの遅延に業を煮やしたか、本社社長のお嬢様が現われて現場を仕切る事に。彼女の提案で、本上さん、河原さん、堺さん、寺脇さんと、寺脇さんの助手の女性の6人で、箱根で一泊ミーティングを。出掛けに書類を家に置いてきた事に気づいた河原さんは、自宅の鍵を助手の女の子に預けて提出を頼みます。箱根では、河原さんと本上さんだけが相部屋で、ここで初めて面と向かって火花が散りますvv お嬢様は堺さんがお気に入りで、これだけ複雑な人間関係にさらに一石を投じます。その頃東京では、鍵を女の子から強引に奪った!オダギリ氏が政野家に進入、思う存分ストーカーしてますvv その夜、数々の心労が(笑)たたった寺脇さんは電話口でも大儀そうで、心配した本上さんが寺脇さんの部屋まで行って、オイルマッサージをしてあげます。階下のロビーで堺さんが河原さんを一生懸命慰めている間、自然の流れでキスする2人・・・



オタギリ氏、綺麗でした・・・もうため息しか出てこないくらい美しかった。人の家の鍵を奪って勝手に家宅侵入している犯罪者なんですが、その狂った偏執が、この上なく純粋な思いに見えてしまうくらい美しかった。テーブルをなぞる、しっとりと艶かしい指先。脱ぎ捨てられたガウンを抱きしめるその背中。恍惚とベッドに身を横たえ、もはや何も映さないその瞳。そうやって河原さんの香りに陶然とと酔いしれる姿は、ゆがんでいるとか、偏狭だとか、破滅的だとかいう世人の声をまったく受け付けてくれません。ただ美しい。本当に綺麗。これが映画ならどんなにか良かったかと思います。乱歩とか、谷崎とか、あるいは夢二とかをもし映画に撮る事があって、そこにこのオダギリ氏が出ていたらどんなにいいだろうと、思わず夢想してしまうくらい、そのくらい耽美で、頽廃的で、淫靡な美しさ。本人的には、ここで思いっきり変人vvを演じれば番組的に盛り上がる!と思って頑張っているんでしょうから、そんな狂気を素で演じるなんて絶対嫌(笑)だと思いますが、私の頭の中では本木雅弘と双璧をなす、その種の美学の体現者です。いや、鈴木清順監督と組んだんだから、実相寺監督とも組んでくれたらいいのに、オダギリ氏。。。

えー、ストーカーは犯罪です。
どんなに美しくてもかっこよくても思いが一途でも偶然に恵まれても、人の家に勝手に入ってはいけません。念の為。

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「時効警察」の内幕に迫る!(2)

続きです↓↓↓

M:森高千里さんの曲のカヴァーですね。セイレンの「雨」。ドラマ「時効警察」の主題歌です。今週はですね、「時効警察」の内幕に迫る!ということで、「時効警察」の脚本、演出を担当されています、三木聡さんをお迎えしてお届けしています。
渡:まあ、あの、各所でですね、普通に、一般にご覧になっている皆さんの間でも、キャラクターとしてオダギリジョーさん、キャラクターの設定が大変評判になってて、更に、三木マニアの間では(笑)、シティーボーイズライブ時代のメンバーになぞらえて、「これは大竹さんのせりふだな」とか「これはきたろうさんの」「ここでいとうせいこう欲しいよね」とか、そういう会話がなされている(笑)
三:えー(笑)知らないです。
渡:知らないですか(笑)。でもそういう話ですよ。
三:いや、そうなんですか。
渡:えぇ、もうものすっごいマニアックなこう、波動を呼んでいる感じがする(笑)
・・・何か、三木聡脚本監督家としてはですね、このドラマで、何が一番やりたいんですか。
三:あ、僕の回はもう「小ネタがやりたい」っていうことだけですね(笑)
渡:あはは、そのおっきいストーリーの中にどんだけ小ネタを入れられるか。
三:ま、大きいストーリーは、まぁなんとかなるだろう、っていう感じで、とりあえずこう、ネタを積み重ねていって(笑)どうなるか、っていうところで。いや、他の監督さんちゃんとしてらっしゃるじゃないですか。だから1,2話爆走しても(笑)後は何とかなるだろうと。
渡:(みんしるさんに向かって)独特でしょ?
M:ね~面白いです。
渡:面白いんですよ~で、やっぱり「亀は意外と速く泳ぐ」の映画もそうでしたけれど、三木ワールドとしてはやっぱり「小ネタ」?
M:そう、映画もそうでしたものね。
三:やっぱり好きな事ですね(笑)。いや、好きなこと以外やらないほうがいい、ということですよ。
渡:(笑いながら)得意なものやっていこうと。
三:そうですね(笑)。ま、やれないものやったって失敗するに決まってんですから。
渡:アハハ・・ま、でも今回は、じゃ三木さんの、若干暴走も含めてね、それがでもいい形に出て、評判、聞こえてくると思うんですけれど、周りからなんか言われてる事とか、あります?「時効警察」に関して。
三:いや、どうなんですかね。あのー「ヤってますね」みたいな感じのメールは来てますよね(笑) まぁ祐(たすく)さんもそうですけど、昔から、やってることはもう、バレてる人達じゃないですか(笑)メール来る人は。出ましたね、みたいな(笑)。
渡:(爆笑)もう三木さん王道ですね、と
三:やりたいことやってますね、と(笑)
渡:でもね、今ね、もしこれさ、映画監督になりたいとか思っている専門学校の学生さんとかが聞いてたら、も、ビックリするよね(笑)。あ、そういうことでいいんだ~ぐらいの・・・
三:そうですよね、好きな事してればみたいな・・・
渡:いや、もちろん積み重ねはあるんだけど、積み重ねたものが「小ネタ」ってさ(笑)
三:しかも、あの、映画の仕事をやり始めようと思ったのがもう38とか9でしたからね。その時に、若者と一緒に何か映画教室みたいの行ったんですよ。一週間ぐらい(笑)大学生と一緒に。
渡:それでも、ドラマの監督が出来るんだと(笑)でもそういう意味では、TV朝日さんも寛容ですよね。
三:そう、寛容ですよね。まぁ「タモリ倶楽部」とかやってましたからね(笑)
渡:アハハ、そこの流れで(笑)
三:ええ、もうあきらめてるんだと思うんですよ(笑)。
渡:いや(笑)あきらめてる、あきらめさせているとしたら、それはすごい事ですよ。
M:う~ん、確かに。
渡:この後、後半に向かって「時効警察」はどうなっていくんですかね。
三:いや、まったくわかんないです(笑)
渡:(爆笑)
M:まったくわからない世界(笑)
渡:ざっくり(笑)
三:ざっくりですよ(笑)
渡:いや、という事で、この件は誰にも言いませんので(笑)。
三:はいすいません。謝っときます(笑)
渡:で、何とですね、3/1にはオリジナルサウンドトラックというですね・・・・
M:そうなんですよ。
渡:番組の中で使われている音がですね、またCDにもなるという・・・実はここにね、その音楽やっている、音楽担当している坂口さんも来ていただいて。坂口修さんって僕昔っから知り合いなんですけれど
M:みんな知り合いなんですね(笑)
渡:長いんですよ~20年ですよ(笑)。ということで気になる方は3/1是非、サウンドトラックもチェックして下さい。
M:ということで、今週のゲストはTV朝日で毎週金曜日夜11:15からオンエア中の金曜ナイトドラマ「時効警察」の脚本・演出家の三木聡さんをお迎えして、お送りしました。
渡:はい、実があったんだかなかったんだかわかんない話、有難うございました(笑)
三:有難うございました~(笑)

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「時効警察」の内幕に迫る!(1)

J-WAVEで今日お昼ごろ「時効警察の内幕に迫る!」というコーナーがオンエアされまして、関東限定だったので、書き起こしてみました。渡、は渡辺祐(たすく)さん、Mはみんしるさん(お2人が番組の司会進行)三はゲストの三木聡監督です。細かい相槌等は省略しています。公式サイトはこちら

渡:今年の冬ドラマの中で、まぁ視聴者の皆さんはもちろんですね、業界関係者の間でもかなり評判になっております、テレビ朝日の金曜ナイトドラマ、「タモリ倶楽部」の前にやっております、「時効警察」
M:ね~なかなか面白い・・・・ユニークな
渡:ほんとにね~三日月さんになりたい!
M:なりたいんですか
渡:なりたい、俺は。
M:アハハ・・・
渡:えー、と言うことでですね、今回は何と、今日はですね、「亀は意外と早く泳ぐ」のDVDもプレゼントさせていただいておりますがエンディングのほうで、
M:はい
渡:監督、そして脚本も担当しております、三木聡さんをお迎えいたしまして、その内幕に迫ってみたいと思います!
             <CM・曲紹介その他>
M:今週のゲストは、放送作家、脚本家、演出家、映画監督とあらゆる顔をお持ちの鬼才、三木聡さんです!
渡:こんにちは
三:こんにちは。宜しくお願いします。お久しぶりでございます。
渡:とんでもない、お久しぶりでございます。
M:宜しくお願いします~
渡:えー「お湯」と「亀」の試写会の時に久しぶりにお会いしまして
M:ええ、そうですよね
渡:昔っから知ってるんですけれど
三:そう、20年前くらい?
渡:あはは、そう20年くらい知ってるんですけれど、まぁ三木さん、最初はね、僕はまぁ放送作家として認識してたんですけれど、あのー、ちょっとここで、一部お仕事をみんしるさんのほうからご紹介願えればと思いまして。
M:はい、まずですね、放送作家として担当された番組が「夕焼けニャンニャン」「タモリ倶楽部」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「笑う犬シリーズ」「明石家マンション物語」そして「トリビアの泉」などなど。映画監督としては「ダメジン」「インザプール」そして「亀は意外と速く泳ぐ」また、脚本・演出作品では「シティーボーイズライブ」「You gotta Cinema」「お湯は意外とすぐに沸く」そして「時効警察」と、本当に数多くの番組を・・・・
三:ダメダメですよね
渡:(笑)ダメダメじゃないですよ。
M:全然ダメダメじゃないです~(笑)
渡:三木さん自身は、今は、自分の職業を一言で言うと何なんですか。
三:コント作家です。
渡:M:(爆笑) コント作家!!広くね!
三:NHKのなんか番組で、その番組で僕はあの~、いろいろ、なんか時事的な事をやってて、で、僕んとこの紹介だけ、テロップが出てきてですね、「コント作家」と
渡:M:アハハハハハハハハハ 
渡:まぁ人に笑いを届けてるって意味では間違っては居ないですよね(笑)
三:ま、ダメだってことですよね(笑)
渡:えー(笑)今日はですね、とにかく今話題になっていますドラマ、TV朝日「時効警察」についていろいろお伺いしていくんですけれども、そもそもですね、ま、今ね,オダギリジョーさん麻生久美子さん、えーと霧山修一郎と三日月・・・しずか。もう非常にかわいらしく、愛嬌があって評判になってますけれども、これもともとどういう発想で、どういういきさつで始まったドラマなんですか。
三:えーっとね、オダギリさんと「インザプール」でご一緒させていただいて、で、まあ、なんかその辺の話でまたご一緒できればみたいな事もあって、で、TV朝日さんのプロデューサーとか、あのー「インザプール」とかの試写を見に来てくれていて、それで、まあどっか何かで「あきらめた」んだと思うんですけれど(笑)
渡:アハハ、どっかであきらめた!!
三:あきらめなきゃこういうのやんないですよね(笑)。そう、「あー、こういうの、やってみよっか」ってあきらめた、んですよ(笑)
渡:あきらめた!もう(笑)・・・で「時効警察」っていうそのもののコンセプトというか、案はどっかで・・・
三:あのね、えーと、それでまあ、なんか、何かやろう、っていう事だったと思うんですが、それでまあドラマの、何をやろうか、っていう話で、で、プロデューサーと話をして、えー、最初ろくでもない企画を俺がいろいろ出してたんですけれど、
渡:さらに、ろくでもなかったと(笑)
三:さらにろくでもなかったんですけれど(笑)いやこれもう、昼時に言えないような感じのやつで、
M:聞きたい~(笑)
三:いや、で、ろくでもない企画だったんで、プロデューサーもさすがにそれはマズいと(笑)
渡:そこまでは、あきらめられないと(笑)
三:ええ、そこまでは、あきらめられない(笑)。ねぇ、会社もあきらめにくいし(笑)
渡:で、まぁ話しているうちに。
三:で、まあ事件ものにしましょうかみたいな話になって、でもただ事件モノって・・・やったことないし、事件モノって、そういう意味では。で、なんかの話、何かの話で「時効」の話になった、んですね。その~、いいかげんな会議で、なーんかお茶飲んでひっくり返ってやってるような会議だったんですけど、で時効になって、そいで時効直前の事件を調べたりとか、時効になるからやっぱり一所懸命調べるみたいなのはあるけど、時効になった後
渡:終わったあと(笑)
三:調べるやつはいないみたいな話になって。
渡:いい思い付きでしたね~それね~
三:(笑)で、それはコントにむいてるな、と思ったんですよね。要するに、もう意味ないじゃないですか。ま、実は意味はあるんだけど、現にある、って言う人もいるけど、
渡:ま、現実の世界では意味の無い、事に近いですよね。
三:そう、ですよね。
渡:だからこそ、笑いのほうに持っていける何か、
三:が、あるんじゃないかと、いうものがあったんですけれど、それが・・・スタートですね。
渡:で今回、三木さん、まず、しょっぱなの回とかもちろんお書きになって、ま、演出もされてらっしゃるんですけど、あと岩松了さんとか、ケラリーノ・サンドロビッチさんとか、みんなこう、クレジットがはいってますが、まあ、岩松さんの作品とか(放映が)ありましたけれども、この、なんか、このまとまり、このカタマリは何!っていうふうに思ってる、わりとこうちょっとマニアックなね(笑)、演劇好きの人とか、実験的な映画の好きな人とか、いると思うんですけれど、どういうことでこんな・・・(笑)
三:アハハ、これは俺が与り知らぬ所なんですけど。
渡:え、本人の与り知らぬ所で(笑)
三:ええ(笑)たぶんオダギリさんが、こういう人とやりたい、っていう事で、決まったんではないかと。
渡:あ、園子温さんとかオダギリさんと一緒にお仕事なさってますもんね。
三:そうですそうです。彼は詩人、でもありますけれど・・・
渡:なるほどね。じゃ、ま、三木さんの原案も最後はあるんだけれども、ちょっといろんな方が参加して、という。
三:はい。で、他の監督に申し訳ない、って感じなんですね(笑)またお前最初か、みたいな。
渡:ま、でもまぁそれは、キャラクターを決定するのは三木さんのアイディアなわけじゃないですか。
三:いや、でも他の監督に「どーすんのよこれ!」みたいに言われて(笑)
渡:(笑)でも、キャラの設定は大評判、じゃないですか。各キャラクター。
三:ま、役者さんと本人と込みで作っていく、っていう感じの事が多いんで、僕が、プロデューサーが、っていう事も含めて、役者さんと一緒にまあ作っていけた、っていうのは大きかったですね。わりとリハーサルとかもやりましたし。
M:さ、それではですね、ドラマ「時効警察」の主題歌をここで聞いていただきたいと思います.セイレンで「雨」。
                 <曲紹介>

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2006年2月 9日 (木)

春の雪

 学生の時、第一外国語の英語の先生が学習院の高等科でも教えていて、話のついでにふと「三島由紀夫の息子が昔、クラスにいた。綺麗な子で、いったい将来どうなっちゃうんだろう、と思うような浮世離れした美男子だった」と話してくれました。後年、ある展覧会で、教えてくれた人がいて、遠目でその「息子さん」を拝見しました。長い睫を伏せがちに、すっと切り取られたような顎を心持ち引いて「45度うつむき加減に」展示をじっと見つめる怜悧な瞳はvv確かに「見ているこちらが己が卑しさを恥じ入らずにはいられないような」美しさ、でした。先生方の心配をよそに(笑)ちゃんとまじめな勤め人になっておられましたが、会社タイヘンだろうなぁと凡人の私は本気で心配しましたよ・・・(姓は三島ではありません・念のため)
 「春の雪」の中でその父上が書いた主人公、清顕も、まさにそういう「美少年」です。加えて、戦前の公爵家のお坊ちゃまですから、自分の美しさを知っている。自分の存在そのものが、まるで他をあざ笑うかのように圧倒的な、悪魔的な美しさだという事を知っていて、それを当たり前と思い誇りに思っている。少年とはいいながら、そこに素朴さや純粋さはかけらもなく、ただ生き方も含めた、美しい男のあるべき「スタイル」を追求する事にのみ、「若者らしい」情熱を傾ける。それを例えば普通の人がやったら「時空警察」の十文字刑事のように「気の毒が服着て歩いて」しまいますがvv美男子は別です。つまりそれだけの完璧な美男子に生まれついたからこその、清顕の性格であり、矜持であり、女に対する態度であり、幼さ、であるのです。

 何を長々書いているかというと、原作を読んでいる時には正直すっ飛ばして読んでいた(笑)清顕の容姿に重ねられる絢爛豪華な美辞麗句が、映画見終わったあと、突然堰を切ったように思い出されたのです。それがこの作品にとって、どれだけ重要なファクターであったかという事が、視覚で見せられて初めてわかったというか。2才年上の幼馴染が少女から女へと窯変し少しも怖じるところがないのも、友人が友情の度を過ぎた献身を見せるのも、彼を育てるべき養育係が彼の前に出る度、卑屈な惨めな気持ちになるのも、それぞれの内面が要因の半分だとしたら、外的要因はすべて「清顕の美」。それも、決して清廉潔白などではなく、たとえ毒を懐に抱いても尚曇ることのない、突き抜けた美しさです。そのありえないものを「在る」とする虚構から,この話のすべては始まり、最後もそこへ収束していく。。。。

 行定監督は、地に足のついたごくまじめな監督ですから、目の前にいる人間から虚構の存在を引き出すということ自体、難しかったのかもしれません。日本文化や日本の自然の表す美しさ、女性の持つ美しさなら、虚実折り混ぜ実に巧みに映像を重ねて、何倍も美しい「絵」に仕立て上げる事が出来ても、今までに男を美しいとは思ったことのない人には、目の前に男がいてもその美しさを描き出すことが出来ない、という事なんでしょう。妻夫木さんは悪魔のような、というより天使のような美少年ですので、この壮大な話を引っ張る毒もなければアクもない方ですが、例えばそこで、宮様役をやっていたミッチーを引っ張ってきたとしても(私は最初この人が清様だろうと思っていました)、行定監督はたぶん、妻夫木さんとまったく同じカメラワークでまったく同じ絵を撮り、同じ映画にしてしまっただだろうと思います。行定監督的映画の美学は、その「先」にある、わけですから。

別に原作に忠実に映画を起こす必要なんて全然ないですし、今回は細部にわたる映像美にただただ圧倒されwましたが。
感想は・・・映画を見て、原作のよさがわかった、という事でここはひとつm(_ _)m



 

追記:篠山紀信さんが撮ったオダギリジョーは、誤解を恐れずに言えば、この清さま的唯我独尊に満ち溢れた、まさしく「慇懃無礼な美しさ」でした。あの写真を見て真っ先に思い浮かべたのは、「聡子とキスしている自分」の美しさに酔いしれる清顕の姿。でもさすがにこれをスクリーンでやり通すほどのヤラしさは、オダギリ氏にはないんだろうなぁ・・・

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2006年2月 8日 (水)

ミュンヘン

m

「これをスピルバーグ監督が撮るのは何故だろう」去年からずっと公開を待ちわびていた映画に、今日やっと行ってきました。以下映画の内容が手に取るように分かるほどスゴイネタバレです。
公式サイトはこちら


 公開前から、アラブ側からもイスラエル側からも「実際はもっと相手は酷かった」と猛烈な突き上げが来て話題になっていました。スピルバーグはシリアスを撮る時でもエンターテイメントとしての映画を忘れない人です。なので、いやこれはひょっとして政治背景は一切避けて、ど派手な銃撃戦メイン?と私は実のところちょっと構えて見に行ったのです。
 そしたら。まず派遣される暗殺者達がびっくりするほど素人、でした。写真の5人が暗殺チームなんですが、「何で僕が選ばれたんですか」「チャールズ・ブロンソンみたいな、いかにもな奴じゃないからだよ」という会話があるように、そして本当にそれが理由だろうと思えるほどに(笑)ふつーのお兄ちゃんであり窓際の親父さんたちでした。違う分量の火薬を売られても気づきもしないで大爆発させてしまうし、殺人現場の後処理にいっても薬莢だけ拾って帰ってきちゃうし、2体1で狙いながらご丁寧にターゲットの正面から構えて「何故狙われているかわかるか!」と震え声で叫ぶ。それはもうアタシが代わりに撃ってあげたくなるほどの苦しみよう、軍務経験者とはおよそ思えないし、こんなヤワな魂の持ち主にこの仕事は無理がありすぎる・・・
 そこでハタと気づいたんですね。実際のヒットマンたちがこんなに牧歌的であるはずが無い。これはスピルバーグの取った手、だったのでした。世界には血の中に憎しみが刷り込まれている民族もいればそうでない民もいる。そうでない民族に、この血で血を争ってきたアラブとイスラエルの話をわかってもらうためには、観客と一緒になって問題の根の深さ・複雑さをだんだん理解していく主人公が必要だったのです。途中、ありえないくらい人道的でお間抜けで心優しきヒットマン達は、プロならしないような余計な苦労をしながら、そしてプロなら流さないような「涙」を流しながら、1人、また1人とターゲットを倒していきます。そうしてただアラブのヒットマンを倒せばよかったはずが、モサドを、KGBを、CIAを相手にしなければならなくなるにつれて、観客にも、民族の戦いの重層構造が見えてきます。

 アラブ人ターゲットを護衛するアラブ人ボディガード達と主人公達が、偶然か故意か(笑)同じ部屋に泊まります。主人公はそこで初めてアラブの民の心の内を聞きます。当時はそれこそN.Y.Timesを筆頭にネガティブキャンペーンの嵐でしたので、文化も生活も低俗なアラブの民はイスラエルに国を追われて当然だ!というのが主人公の意識です。でも誇り高いボディガードは、それでも、と言います。「俺が死んでも、孫の代にはきっと家に帰る。」あんな不毛の地のどこがいいのだ、と問われれば、目に涙をにじませながら「そこがおれの家だ」という。殺人指令の合間に、ショーウィンドウのキッチンディスプレイを眺めて「家」を思う主人公は、その時初めて彼に共感するのです。金で情報を渡してくれるイタリアの田舎農夫(=国家から独立した情報屋の親玉)も、金や国家のためでなく、「妻子のため」働いている主人公に温かく共感し、見守ってくれます。
 一方、任務を終えた主人公は、もう軍には戻ろうとはしません。いろいろと「知っている」彼を上層部はしきりに囲い込もうとしますが、彼は首を縦には振らない。「君の居場所はこっちなんだよ。さあ、家に帰っておいで」と言われて主人公はこういいます。「では遠来の客として、あなたをもてなさせて下さい。我々ユダヤ人としては当然のことです。」しかし上官は、ゆっくりと首を振る。彼の言う「家」は、ユダヤの「家」ではない、とこの時やっと主人公も悟るのです。全世界のイスラエル民族に帰るよう呼びかけられた「家」は、もはや家ではなく、「国家」という狂気に満ちた化け物になってしまっているのだと。そこで誓われる忠誠心は、ユダヤの高潔とも、民族の誇りとも、まったく無縁のものなのだと。
 そしてその、彼らの背景には、マンハッタンと、あの「ツインタワー」が。。。。

 わかりあえる道を模索しよう、などという軽々しい口を封じるだけでも、この映画は世の人々に物凄く貢献していると思います。わかりあえない、と認識することが、他者の尊厳を認める第一歩、だからです。そして「分かりあえる」などとは思ってもいない、その現実を一番骨身にしみて感じている、スピルバーグが監督するからこそ、その「痛み」が粛々とこちらに感じられるのだということも。
 映画の中には、断続的に、あの年ミュンヘンで起きた事件の一部始終が出てきます。人質全員の射殺が報じられた日、私の父母は、食後に祈ろうとして言葉が出てきませんでした。母は泣き崩れていました。でも私と妹は、手を組み、目を閉じながら、見たいテレビの時間が迫っているのにひたすらハラハラしていました。何が起きたかは分かっていましたが、自分も将来その人たちのために泣くような事があるのだろうか、とただぼんやり考えていただけでした。そして今日、飛行場で、手足を縛られ無抵抗のままマシンガンで蜂の巣にされる選手達を見て、自分が泣いているのに気が付きました。もう大人ですから、泣いている場合ではないという事は、イタいほど分かってましたけれど。泣くよりほかにすることがあると、それはもう充分すぎるくらい充分、分かってはいた、んですけれどね。



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2006年2月 7日 (火)

「キネマ旬報」主演男優賞の記事

 表紙から、オダギリ氏の紅いシルクシャンタンのコートジャケットに感心しきりです。帽子かぶったらそのまま「ジョニーデップ」と言われそうな服を持って来たスタイリストさんも勇気あると思いますが、それに違和感なくなじんでむしろしっかり着倒しているオダギリ氏には男気を感じます。その秘めた気合がカッコいいし、女性にとってはさらに艶っぽいし。

 コメントも、面白かったです。日刊スポーツの映画大賞でゲストの北野武さんが「役者だったら一度は主演で賞を取るべき」と語って、それを今回オダギリ氏は思い出したんだそうで。うーん、それは北野氏はひょっとしたら一般論として語ったのかもしれないけれど、私もそれは誰よりもオダギリジョーに向けて発信された言葉だと思いたい。っていうか映画好きなら、オダギリ氏のファンでなくても、今絶対その胸倉をつかんでガンガン叫んでやりたい言葉です。主役に関しては「責任重大、二の足を踏む」んだそうで、本人が嫌なものを無理強いは出来ませんが、それなら誰の言うことなら聞いてくれるんだろう、とさえ思います。北野監督を脅した方がハヤいのか?(殴)
 その嫌だ、という気持ちは、たぶん裏返せば「もっと自分で納得できる演技をしたい」という積極的な気持ちのあらわれだろうと思います。でも、キネ旬担当者よりも早くオダギリ氏に受賞を知らせてくれたという(笑)同時受賞の堤真一さんが、続くページに「年をとって、いつも同じ場所で酒飲みながら演劇論戦わすだけの人間にはなりたくなかった」という趣旨のコメントを載せていて正直びっくりしたのです。あの堤さんがそんな事を考えさせられていたなんて、そんな闘志をうちにかきたてられていたなんて、とこれが役者と呼ばれる人たちの、正直な本音なんだろうと改めて思わされました。オダギリ氏と堤氏の年の差は10才。10年経ったら、オダギリ氏もなりふりかまわず主役を張ってくれるようになるんだろうかと、期待を込めつつこれからも、その活躍を遠くから見ていたいと思います。

あと、他の号では見られない、テレビドラマを一年分まとめて「映画的に観る」という「2005年テレビドラマ総括」という企画があります。私の見た中でなるほど、と思ったのは「不思議なジーン」でした。「不思議なジーン」はオダギリ好きのお母さん友達の間でも誰もDVD買っていない、っていうくらい不評だったんですが(^_^;)記事によると向田邦子賞取ってる由。最初レンタルで、オダギリ氏の出ているとこだけ見た私(殴)は、なんか「不思議」な作風につい全部借りちゃったのですが、その「不思議」感の正体が、これでやっとわかりました。なるほど、目指していたのは向田邦子ワールドだったんですね~あの人気最優先キャスティングでしかもラブコメじゃない、って、私的には全然想定外でした。うーん、見る人が見ればわかったのか。オダギリ氏が出ている向田邦子的「情況」芝居、っていうのは実は私が切に見たいモノの1つだったんですが、そうか、あーなるんだ・・・と今改めてちょっとびっくり。もう一度借りてくる気になりましたです。。。

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キネマ旬報決算特別号

060202main 2004年の映画界のすべてと各賞の発表、そして2005年上半期映画をあらかた紹介するこの2月下旬号は、毎年値段が倍!なんですが、年間通してこれだけ買う、という方もいる位、好評です。映画って大体、好きな人同士で好きなものばかり好きなように観て「終わり」になるので、こういう本でイロイロと自分の勘違いを正されて初めて「観た」事になるのかな、と私もいつもとても楽しみにしています。
 表紙の人について熱く語るのはひとまず置いておいて(笑)、思わず考えさせられちゃったのはP328の「日本映画時評」。「製作と上映のサイクルが狂っている」という題です。去年「運命じゃない人」という新人監督の撮った映画が、出てきていきなり各賞を総なめにする質の高さで、映画好きをヨロコバせましたが、そういう新進気鋭の映画人が多数輩出しているにも拘らず、現在「公開待ち」の映画が年間100本近く新たに生まれているんだそうです。嬉しい悲鳴、といえば聞こえは良いですが、私の好きなシネ・アミューズの例を挙げるまでもなく「採算の取れない映画を掛ける」というのは、本当にタイヘンな事なんですよね・・・だったら私が水曜だけじゃなくちゃんと1800円の日も観に行きなさい、という事なんですが(^_^;)、3年待ってやっと公開されたという「カミュなんて知らない」とか、やかまし系音楽ファン(笑)の間で絶賛されている「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ」とか、俳優や監督の名前だけである程度お客さんが見込めるものですら、待たされているという現実。私も「HAZARD」の公開を待ちわびていますが、9.11から相当経ってしまった今見ても、あのピリピリ感は半減してるんではないか、とだんだん心配になってきています。
 最近はいわゆる「単館」映画館以外でも、シネコン系の映画館ではそういう「賭け」に近い上映をしてくれるようになりましたが、それが昔からの映画館を廃業に追い込んでもいるわけで。数字に弱い私には策すら思いつきませんが、本当に、どうしたら、いいんでしょうね・・・

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2006年2月 6日 (月)

ラヂオの時間

 先日、地上波で放映していたのを録画して、今日やっと見る事が出来ました。映画館にかかっていた頃、友人どころか親と妹にまで薦めて「あなたの薦めてくれた映画の中で、初めて面白かったvv」と皆さんに大激賞された映画です。元々は三谷幸喜さんが「東京サンシャインボーイズ」という劇団を主宰していた時かけていた芝居で、当時から傑作の呼び声高かった。ただしいかにも「小劇場の観客」が好みそうな内容なので、「笑いの大学」同様、映画化を危ぶむ声はありました。
 改めて見て、やっぱり大笑いして、ジーンと来て、所々泣けました。今一生懸命見ている(笑)時効警察とは違う、シリアスな笑いです。これは、小劇場の役者さんたちが三谷さんと練りに練った脚本を、映画の画面に合う大きな役者さんたちが見事に演じきったからこその、映画としての完成度の高さ、だろうと思います。この後に続いた「みんなのいえ」「新撰組!」「有頂天ホテル」を見る限り、この「ラヂオの時間」は絶対に三谷さん単独で書き得たものではありません。この映画に出てくる脚本家が、俳優やスポンサーや私情や事情によってさまざまに脚本を弄られていったように、三谷さんもサンシャインボーイズの劇団員に、この脚本について、相当あれこれ言われ突っ込まれけなされ叩かれたんだろうと思います。でもそのおかげで、一部の隙もない、完璧なせりふとストーリー展開になっている。各人物の心象風景も実にクリアに立ち上げられ「画面に映っていない人」が今何を考えているかまで、手に取るようにわかる。そして何より、登場人物全員に対し、三谷さんが心の底から敬意を表しているのが痛いほどわかる。三谷さんの無骨な、でも一途な、現場で働く人たちへの熱い熱い思いが、見ている間中、観客の胸をガンガン打ちまくるんです。

 それが、そこまで書き込めたのは、劇団員達のおかげです。DVDの脚本の所には、三谷さんの名前と「劇団東京サンシャインボーイズ」という名前が併記されています。本当に、これは劇団で作り上げた脚本だと思います。そして三谷さんは、そういう形で書くことで一番力を発揮できる作家さんなのではないかと思います。

 「12人の優しい日本人」が劇場公開された頃、三谷さんは自分達の劇団がどうして人気が出ないのか、本当に真剣に悩んでいました。それを隠そうともしない人でした。あれだけ心血注いでいい芝居を作り上げているのですから、大勢の人に見てもらいたいと思う、大ヒットさせたいと思う気持ちは当然、だと思います。そして当時、「どんな手を使ってでも!」って三谷さんがあの温厚なお顔で拳を握り締めても冗談にしか見えませんでしたが(笑)、あの時、本当に真剣に三谷さんは、ロードショー上映で大ヒットを飛ばすような作家を夢見ていたんだなぁと、最近とみに思い知らされています。

 「有頂天ホテル」の大ヒットで、宿願は果たせたと思います。今、三谷さんはどんなお気持ちなんでしょうか。いまさら「むなしい」なんていわないでほしい。その頂点のむなしさを知っているからこそ自分の道を突き進んでいるのが、三谷さんが有頂天に呼んだ、個性あふれる役者さんたちなのですから、今は彼らに背を向けてでも、目指したもののために頑張ってほしい。そしていつか、誰のためでもない三谷さん自身のために、この「ラヂオの時間」を越える脚本を独りで書き上げてほしい。それが「東京サンシャインボーイズ」主宰に最後に残された責任だろうと思います。



 

 

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2006年2月 5日 (日)

横浜映画祭

 今日は急遽友人のピンチヒッターとして、こっそり上記映画祭のお手伝いに行ってきました。さっき帰ってきたところです・・・ヨコハマは遠い(笑)。でもこの時間もまだ片付け・撤収に追われている方々いらっしゃると思います。こんな所から言うのもナンですが、本当に皆様お疲れ様でしたm(_ _)m 仕事内容の大変さから考えると、スタッフとは名ばかり、どなたもほぼ手弁当持ち出しボランティアに近いんですが、熱心で、そして何より楽しそうで、まるで学祭のようなノリがとてもうらやましく思えたことでした。これが終わると自分の仕事に戻ってしまわれる由、きっと今晩はくたくたになりながらも打ち上げなんでしょう。映画祭で出会ったいろんなジャンルの人同士から輪が広がって、また新しい企画など立ち上がればいいと思います。裏にいたからかもしれませんが、むしろここで働く若い人たちの熱意を明日の映画に繋げる場として、「映画祭」には意義がある、とさえ感じました。

 裏方ですので、映画は時々見られたのですが舞台に上がった監督俳優さんたちは、見ることはおろか、何をしゃべったかも全然聞こえませんでした。明日のテレビが皆さんと同じくとても楽しみです(泣笑)。一応、華麗なるお歴々のお姿が廊下を通り過ぎていくのだけはしっかり拝見しました。女性陣は、田中さんも沢尻さんも、本当にどこにいらしても遠くからすぐわかる美しさ、まるで「はきだめに鶴」状態でしたが、男性陣は、「撮られる側」というより「撮る側」の受賞者が多いので、ぶっちゃけ上位スタッフとすごく雰囲気が馴染んでたりしてたんですよね・・・いや、すみません(笑)。オダギリ氏は黒のスーツに紅いネクタイをして、紅い大きな帽子を手に持っていました。かぶったのかな。髪がきれいに普通に(笑)ふわっとしていたので、かぶると惜しい感じ。井筒さんに「映画の時みたいやな(スウェーデン後のオダギリ氏の事?)」と言われて嬉しそうに下を向いてクツクツ笑っていました・・・あとで他の方が教えて下さったんですが本人によると「賞をもらって舞い上がっている田舎者のカンジ」な服なんだそうです。そうなのか?!

 そして前を通り過ぎ「られ」ただけなのに何を偉そうに、と自分でも思いますが(大汗)、7年前の遠い記憶の中の人物に比べると、いろんな意味で、より「撮る側」の人になって来ていた気がしました。単純に監督スタッフと仲がいい(笑)という事以上に、たぶん役者としてここまでいろいろ考える所があったんだろうと思いますし、ひょっとしたらその中で、「メソッド」という特異な演劇理論にも、オダギリ氏なりにどこかで折り合いをつけた・・・のかもしれません。これから公開される映画はもう撮り終わっているものばかりですが、今日の映画祭のスタッフ達の意気込みが、この先の「作る」オダギリ氏に、映像の中のオダギリ氏に、何か響いてくれたら、とこれは真剣に、思いました。





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2006年2月 4日 (土)

時効警察(4)

 「脚本・監督はソノ・シォ~ンですが、このドラマはフィクションです」
と最後にテロップ出てました(笑)。今回は、停滞する斯界にあって他ジャンルと独自の関係性を模索しつつ、一方では緻密なパーツの積重ねによって空洞化する虚無を表現する独特の詩世界を編み出した、現代詩人の稀有なる先鋭、園子温さんが監督です・・・って、いや、もう、「ソノ・シォ~ン」の前では自分で書いた文がどこまでも限りなくムナシイですが(笑)。

園さんは映画監督ですし、「夢の中へ」も拝見しましたし、いや今や詩人としてより監督としてのお仕事のほうにより力を入れているのはよくよく存じています。でも!でも!園さんが第4話を監督なさると聞いて、はっきり言って私は先週から物凄く物凄く不安でしたーーーーーー園さんゴメンナサイ。そしてさらにさらに、本当に本当に、今回物凄く面白かったですーーーーーー重ねてゴメンナサイ!!!凡人には園さんの天賦の才の片鱗もわかっていませんでしたーーーーーーってそんなの当然ですっ(泣)。

 園さんが凄いのは、今回、設定も話の運びも実にオーソドックスにきちんと隙無く組み立てて、そこでは遊ばなかった所。時効警察は脚本の段階でユルユル(笑)なのが今までに無い持ち味だと思っていましたが、園さんはそこでは無理をしないで、自分の得意分野で徹底的に勝負vvしてきたんですね~  「言葉」で。

 あのギョーカイ用語の陳列!!には、もう息が苦しくなるほど笑い転げましたが、現場で奇妙な言葉たちそのものに不思議そうに興味を示して来たであろう園さんの顔が、その向こうに見えるようでした。アテガキと言ってしまえばそれまでですが、役者と役の間に2重に意味を持たせて言葉を自在に行き来させたり、他の誰でもない「この人が言うから意味がある(笑)」的なせりふを会話の中にきれいに閉じ込めたり、本当に見ている方は笑ったり感心したり大忙しですvv ことばの色味を見事に各役者が出してくる「役」に合わせていて、それが一箇所たりとも破綻していなかったのにも唸っちゃいましたし、そこで尚且つ園さん自身が「他者にしゃべらせる自分のことば」をここぞとばかり、最大限に楽しんでいて、その哲学的ですらある行程の結果の、「大爆笑」を本当に凄いと思いました。
 笑いを取る、というと、過剰や過大や過激の度合いを競うのが楽だし早いのはわかるんですが、この時効警察のように、たまには持てる力のあらん限りを詰め込めるだけ詰め込んで「技で笑わせる」番組もあっていいと思います。そういう意味では今回の園さんは、まさに本職を生かした職人技、だったと思います。いや、これをどんな顔して園子温さんが書いていたのか、それ考えるだけで大爆笑ですがvvv

われらが十文字刑事は、今回園監督に大変気に入っていただけたようで(笑)、オイシイ所を一人で全部かっさらって行きました。私も次に道に迷ったら、まよわず十文字刑事に聞こうと思いますvv放送中は実は半分もわかんなかった「用例集」ですが、今から見直して勉強します。ええ、何度でも!! というわけで、十文字刑事のお言葉がすべて理解できるようになったアナタにだけ送る「刑事の花道」はこちら (実は今はまだ更新されていない・・・放送終了後はサイト激重です)。

今回もうひとつ嬉しかったのは、オダギリ氏を普通に綺麗に撮っていた事。全編お笑いなのでその空気にあわせていちいち丁寧に「崩し」ていますが、今回みたいに美しいオダギリ氏(笑)もふつーにネタとして使えば良いのではないかと。2度目に永作さんと待ち合わせて海を見つめる時のオダギリ氏の横顔は、どこの映画大スターかと見まごうばかりに古典的にカッコつけてましたが、それがまたありえないくらい本当に美しい。他の人なら気恥ずかしくて出落ちになる所が、当然のような顔して映っていて、しかも観客にもそれが当然に「見える」(ここ重要)。だからそのあと「えええぇぇぇぇーーーー」って笑えるわけで、こーんな天下御免の(笑)美形俳優はオダギリジョーを置いてほかにいませんvv本人もその後ギャグになるとわかっているからこそ出たシーンだろうと思いますし、そのハラの据わった美しさを、もっとドラマの中で生かして欲しいと思いました。


ではでは、今日は節分でしたので最後に景気づけにひとつ

            鬼はフレームアウト、福はフレームインだ!

・・・幸せな春が来そうな気が・・・します!!

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2006年2月 3日 (金)

嫉妬の香り(5)

 私が本放送の時にちゃんと見たのはこの回です。当時と今とでは全然感想が違うのを、今日は面白く思って見てました。
 まず私は当時、今よりもっとちゃんと真面目な(笑)ニンゲンだったので、仕事の進行を滞らせている本上さんには???がいっぱいでした。だからオダギリ氏の怒りを至極当然の事と思い、むしろ加担していたのよく覚えています。上司に対する過度な憧れは置いといても(笑)組織で働く人としてはオダギリ氏の対応はごく普通の事だし、この会社では彼だけが仕事の遂行を真剣に考えている唯一まともな人なんじゃないか?とか思っていました>絶対違うvv
それから、これは今日見て思い出したのですが、私は自ら身を引くようなタイプの男性がどちらかというと苦手なのですが、この回の堺さんはとてもとても好きでした。自分の気持ちを抑えるのにいっぱいいっぱい・・・でもなく、ちゃんと相手を気遣う余裕もあり、しかも切ない気持ちは隠そうともしない。そのあたりの、引いているようで実は火の出るような思いで懸命に戦っている、その姿が、堺さんが演じると邪心のかけらも感じられなくて、とても真摯で誠実で、素敵でした。

 今見ると、というかちゃんと第4回を見てこの回を見ると、前の回で私がヤラれたオダギリ氏のあの哀しみが、加速度的に変容していっているのがよくわかります。あの横顔と、怪文書を作成しようと思いついた時の「壊れた笑顔」は見事に繋がってましたし、河原さんを庇おうとするその瞳がもう普通でなくなっているのも、ものすごく納得です。そこから「あなたのためなら死ねます」とか言いながら体鍛えてるあたり、もうネラッてるのかというくらい一途でむちゃくちゃでイタイタしいんですが、なんかこう、笑えなかった。差し出されてくる感情はテレビ的にデフォルメされていても、その向こうに、別の意味でのリアルさというか生々しさが透けて見えて、どうにも切ないんですよね。。。いや、その瞬間をさらりと流してしまうのがTVのよい所で、見る側が、こんなに考え込みながら見ている時点で大いに勘違い、なんですが(笑)。




<主な出来事>
入院中の本上さんは堺さんに対して気持ちが離れていくばかり。そんな時、(回想シーンで出てきた)伊藤英明さんがお見舞いに来てくれて、河原さんも居合わせ、そこで初めて本上さんは、河原さんの嫉妬の端緒を知ります。一方オダギリ氏は「汚い仕事は僕がやります」とばかり、本上さんのストーカーの過去を暴いた怪文書を作りFAXで流します。取引相手からは早速「降りて欲しい」コールですが、寺脇さんが、何と伊藤さんを会議の席に呼んで事情を説明してもらい、事なきを得ます。でも事ここに至って経緯をすべて知ってしまった寺脇さんと河原さんの仲は決定的に冷え切ります。行く当てもなくなった河原さんは、入院中で本上さんのいない、堺さんの家へ転がり込みます。堺さんはもう、絶対本上さんを裏切らない自信があるからこそ彼女を泊めるのですが、朝、2人でオムレツ作っているところへ、本上さんが1日早く退院してきます。。。。

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2006年2月 2日 (木)

ホテル・ルワンダ

rewanda公式サイトはこちら
この映画が日本で公開されるようになった経緯についてはこちら
そしてこの後彼らが何をしたか、現在まで続く「コンゴ内戦」についてはこちら からどうぞ。



 

この映画を見て初めて、10年前にこんな大虐殺が起こっていた事を知った若い人たちにとっては、これは「あってはならない事」でしょう。しかし同時代を生きた人たちにとっては、「起こってしまった」忘れることの出来ない事件です。決して映画のキャッチコピーにあるように、世界は彼らを見捨てた、のではない。それどころか、世界は今もその行く末を禿鷹のように見守り続けています。上に挙げた3つ目のサイトを御覧いただければわかるように、旧ザイールは、植民地時代から続く長い抗争と複雑な「利権」の絡み合う、「常に掻き起こされるべき火種」です。目を離すはずがありません。そしてこの年、南アフリカではやっと「人種差別政策をとらない」という決定が下されたばかり。「遠い夜明け」という映画にに描かれた世界はまだ現実で、同じアフリカには、ルワンダ以外にもいくつも悲惨な紛争がまきおこっていました。全世界の、利権などとはおよそ縁のない「善良な部外者」だけが、忸怩たる思いでそれを見ていました。特に、植民地支配に明け暮れた国家の末裔達は、自分達の蒔いた種の成長した姿を、むしろ茫然と眺めるよりほかなかったのです。「何故人は人を差別するのか」といった机上の自問自答、そのループすらがむなしく消し飛んでしまうほどに。

 いわゆる「先進国」と呼ばれる国の人々の中には、この映画を見てひどく自虐の念に取り付かれる人もいるかと思います。映画の中に出てくる「白人」「外国人」は皆、一様に哀しい瞳に無力感をいっぱいに湛えてアフリカを去っていく。自分達の蒔いた種でアフリカの民が殺しあうのです。寝覚めのいいはずがありません。覇権主義、大国主義、自由貿易、利権の吸収と荒廃・・・これだけ見てたら、まるで体のいい泥棒です。
しかし。
彼らが世界に振りまいて来たのは、たとえば富と権力という圧倒的な「数字」だけなのでしょうか。欧米各国の存在価値は本当に、アフリカの地に降り立った「コンピューター付ブルドーザ」でしかないのでしょうか。

私がこの映画でとても感動したのは、この半年後殺戮者へと変貌する難民達の命でもなければ、規定に反して銃をぶっぱなす国連軍でもありません。命にかえて忠実にhospitalityを遂行する、現地採用のマネージャー(主人公)です。この実在の人物は「アフリカのシンドラー」と呼ばれているそうですが、シンドラーと大きく違うのは、彼を突き動かしたのが職務ではなく、職務を支える「精神」だということ。それは世界のどこへ行っても、ホテルマンと呼ばれる人ならどんな人でも、皆一様に持っている誇り高い精神です。いまさら、もう一本の「ホテル」の映画の話はしたくもありませんが、日本のホテルマン達だって、夜中に玄関の屋根に「何かが」「上から」「飛び降りて」来たら、ある人は警察を呼び、ある人はホースとデッキブラシを持ち、そしてある人は「袋と割り箸を持って」現場に集まるのです。そして朝になれば何食わぬ顔で「いってらっしゃいませ」と微笑み、営業担当は商談相手の前で淡々と割り箸を使って塩辛を食べるのです。それが「今やるべき事」obligationだからです。この主人公も、世界のホテルマンと同じように、危機に際して、機知と話術とあらゆる手練手管を使って目的を遂行します。その張り裂けんばかりの胸の内も、映画では突き刺さるようにこちらに伝わってきますが、一方で、その毅然とした態度には、人間の尊厳の核となるものすら垣間見えます。

 では、それを彼に教えたのは。彼がその「精神」に触れたのは。
 それは、それをここにもたらした「文化」があったから。するべきことのためにはひたすらに自分を律する、高邁な精神が、そこにあったから。彼が見事Hospitality と Obligationを習得したから。だから彼は、「するべきことをなしたまで」と美しい白い歯を見せて微笑む事が出来る・・・たとえ今も夜毎に悪夢にうなされていようとも。
 欧米とひと括りにされるかの国の人たちは、本当は、コンピューター付ブルドーザーの代わりに、こんな素敵なものを持っているのです。それがあれば、本当は、彼らの頭を悩ますアラブの民や武士道の民とも誇り高く心を通わせあうことが出来るのです。本当は、その怯えきった手を銃から引き剥がすのに苦労しなくていい。量や破壊力も競わなくていいんです。それがあれば。金や権力や武器でなく、彼ら自身が自らを誇りに思える「精神」があれば。
 富を求めて今や世界中をさまよい歩く孤独な彼らの魂が、かつて彼ら自身の持っていた精神性の高さによって、いつか救われることを願ってやみません。・・・この、主人公のように。


そして、やはり最後にどうしても言いたい。
「恋に落ちたシェークスピア」というコメディ映画と、「リチャードを探して」というアル・バチーノが撮った映画は、同時期に同じシェークスピアを題材にとった物ですが、はっきりと前者に軍配があがりました。アル・パチーノが大好きな私が見てもそう思います。コメディというものの持つ力、人に訴える力の大きさは、しっかりと作っていれば他の映画の比ではないからです。笑ってもらうためには、シリアスに状況を描くより何倍も準備が必要だし、わずかな瑕疵も許されないし、何より、笑う対象に対する、作る側の深い深い尊敬の念、がないと笑いは起きないからです。今回の「ホテル」に関しては、三谷氏は遣り残した事がたくさんあったと思います。何千回ホテルに泊まっても、見えない人には何も見えない。そんな事なら是非この映画を観て欲しいと、私は切に願います。






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2006年2月 1日 (水)

プライドと偏見

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行って参りました~"Pride and Prejudice"

公式サイトはこちら





以前にも映画化され、最近ではBBCのTVシリーズにもなり、あちらでは高い人気を誇る原作・・・に、ひょっとして英文学演習でブチ当たってしまった貴女!無情な教授に初級英語のテキストとしてコレを選ばれてしまったアナタ!!そして心ひそかに今もかすかなトラウマを抱えこんでしまっている皆様!!・・・これはそんな方にこそ、是非是非見ていただきたいと思う映画ですvv いや、だって、見てて、声出して笑えるシーンがあるんですよ!登場人物を「可愛いv」と思うシーンなんて満載なんですよ!そして何より、最後にジーンとして胸がいっぱいになってしまうんですよ!信じられますか?!(こらこらっ)

映画としての撮り方の手法に今回は拍手喝采です。会話劇だからこそ、惜しみなく労を尽くした背景・設定の優美さ繊細さ。映る景色は全然違いますが、その映像の美しさに私は「眺めのいい部屋」を思い出したくらいです。さらに、一部映画的に冗長と思われるせりふは思い切ってすっぱりカット。かわりに非常に象徴的な情景をそこに差し込んで語らせる。映画ならではの手だと思いますが、その映像の残す印象の見事さゆえに、ある意味言葉よりも深くこちらに訴えかけてきます。そして最後に人物描写の見事さ。御覧になった英文学の教授陣はひょっとしたら「原作の品格が・・・」ぐらいの事はおっしゃるかもしれません。でもその英国式寡黙と沈鬱が今までこの作品の「錘」となってきたのも又事実。そこを割り切って、まるで「若草物語」のように描き出される、明るく華やいだ女性達の姿。それによって、ステロタイプになりがちな主人公達が、彼女達一人一人の心の襞が、より鮮明に浮き上がってきます。こんなに魅力的なジェーンは他では見た事が有りませんでしたし、エリザベスのプライドにここまで手放しで快哉を叫んだ事もなかったです。ある種オーバーなほど生き生きと描かれた、そのはじけるような「若さ」が、あのイギリスを覆う「厚い灰色の雲」を見事吹き飛ばした、そんな感じです。

 ご一緒して下さったKさんも、とても楽しんでいらした様子vv ひょっとしたらもう一度行くかもしれません。偏屈な私が見ても(笑)これだけどなたにでもお薦めできる映画は久々です。今期は話題の映画がこの後続々登場しますが、もし何を観ようか迷う日があったら、これは御覧になって損はないと思います。。。



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今日から新作・LifecardCM

TVCM タレント好感度ランキング

というニュースが出てました。今号のCutで、オダギリ氏がハゲシクうらやましがっていた(笑)KAT-TUNが、やはりダントツの1位。詳しくは↑記事詳細をごらん下さい。
で、実はオダギリ氏もある層に対してはダントツ1位。

---F1層での1位は、ライフ『ライフカード』のオダギリジョー。「ライフカードのコミカルな演技が、普段のイメージとは違って印象に残る」(千葉県・28 歳)、「オダギリジョーの演技もナレーションもおもしろい」(東京都・22歳)など、"どうすんの、オレ"のその演技が、かなり高い好感度を得ているようだ。そのほか気になるのが、幅広い世代で高い好感度を得ているオリエンタルラジオが、F1編のみランクインしていないのだ。また、女子高校生とF2における 1~2位がまったく同じであるのに対して、F1ではそれ以外のタレントがランクインしている。この層の注目ポイントが気になるところだ。---

ちなみにF1(20~34才女性)300人、F2(35~49才女性)300人、計600人は2005年12月22日~26日、1都6県の高校生の男女各300人、計600人は2006年1月5日~6日にそれぞれインターネット調査したもの、なんだそうで。詳細はこちら


いや~女子高生とF2が嗜好が一緒、って、何なんでしょうね(笑)。おかーさんたちはお子さんに流行を教えてもらって事足れり、なんでしょか。そしたらF2を釣るには女子高生を狙え、という事になりますが、私の周りのF2は、とりあえずそんなに素直ではなさそうです(笑)。それとも、ただ単にF1の嗜好が突出していると読むべきなのか。どっちにしても面白い数字です。そして、前出のCutの中で中学生に対し自分の事を「おっちゃん」と呼んでいたオダギリ氏。冗談半分だったんだろうと思いますが、これを見る限り見事に自爆玉砕ですね。轟沈。。。。


というわけで、新作CMはこちら からどうぞ。私はこういう時とりあえず「罵倒」以外ありえないタイプなんですが(笑)見るとこれが1番オモシロかったりしますvvいや、今の社会人の人ってエラいですね・・・心からオダギリクンなる人物を尊敬しました。つづくっ!



 


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