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2006年2月24日 (金)

Big River

BigRiverPoster 試写会で見ました。公式サイトは(全編英文ですが^_^;)
←このポスターからどうぞ。
いつもは公開後しばらくたってから感想書くので好き勝手vですが、今回試写で、見ていない人のほうが多いわけですから、ネタバレ等は後ろに回します。それでも気になる方は充分ご注意下さい。


 正直に言います。記者席は1/3寝てました。後半からは途中退出もロビーでのタバコもトイレもちらほらあらわれました。お義理で来た記者さんにはツラい映画だったのかもしれません。が、監督はとても頑張ってました。とても面白い試みだったし、その意欲は、とりあえず日本人は評価してあげても良いんじゃないかと思ったんですが、ちと中途半端でしたでしょうか・・・
 「日本人は」と書いたのにはわけがあります。えー、外国で映画の手法を学んだ監督で、スタッフも英語圏、撮影もアリゾナ、ということで、どういうスタンスで見ればいいのか最初悩みましたが(笑)、とりあえず日本映画ではないだろうvvと思って見に行ったら、これがまったく予想を裏切るたいへんオーソドックスな、堅実で手堅い「日本映画」でした。精密さや構成力はともかく映画の作風・方向性として、まるでかつての成瀬巳喜男監督作品のような、「映画のよさ」がかいまみられる作品、です。
 オダギリ氏の映画評は当たっていると思います。彼は「間が多い映画」と言っていました。あれだけ映画好きで研究熱心であろう人の目にもそう映るんだとしたら、彼より若い人、それからガイジンにはさらにお手上げでしょう。あれは間でも隙間でもありません。よく引き合いに出される話ですが、ガイジンを接待しようと設けられた一席。障子を開けるとふと涼やかな風が渡ってきて、どこかで鈴虫の鳴き声がする。正面には昇りかけた満月。そこで誰かが「ああそうだ。今日は中秋の名月だ」というと場の雰囲気がとたんにがらりと変わって、皆でうっとりと月を愛でる。そこに流れるしんとした時間・・・が、お察しの通り、接待されているガイジンにはまったくわからない。まさしく「間の持たない」状態です。これが、中秋の名月という文化的知識・背景のもとに「月を見ている時間」ならガイジンにもわかる。故事来歴をたしなむココロはかの国の人にもある。しかしそれを見て現代日本のバリバリのサラリーマンがいきなり感興を覚える、というのが理解できない。知識プラス、彼らが今感じているものを言葉で説明してもらわないと理解できない、んですが。日本人はそういうのをほとんど口に出しては言いません。感じるものだから、です。

・・・で、それを、この監督はアリゾナで、ヤッているんです。名月を愛でるように、グランドキャニオンを、見渡す限りの砂漠を、閉じ込められた人の横顔を、呆けたように立つ人の姿を、撮る。監督の、その思いに相当するだけの時がその絵に与えられる。こちらにも「感じる時間」が豊かに与えられる。それは、私には、なんというか、とてもボーダレスな感じ、でした。他の似たような「静かな」絵を作る監督と比べても、「ああ」と感じさせる時間と深さが、撮っている絵とまったく関係なくどこかで確かに「日本的」で、すごく面白い撮り方だなぁと思えたんですよね。が、一方で、この映画を見た人にそれが確実に伝わっているかというと、残念ながらそれはちと疑問です。そこも日本的なんですが(^_^;)いかにも説明が少ない。見ようによってはまったく「間の抜けた」絵の連続。監督なりに、そう思わせない、観客を映画の中に引き戻す手がかりや、キッカケを、いろいろ用意してくれているんですが、それでもちょっと、足りなかったかなぁと。オダギリ氏は、自分も映画見ていてほかの事考えてしまって、でももそれが相乗効果になればいい、と言っていましたが、これも、ある意味すごく「積極的な」感想だと思います。監督を理解しようと努力する必要のまったくない、ふつーの、ごく一般の観客にとっては、そこまで開き直った(笑)スタンスでないと見続けるのが難しい映画かもしれない。。。記者さんたちのように。

監督は製作コメントとして「壁」の存在を上げていましたが、それが、オダギリ氏の挨拶の中に出てきた「ベルリンの壁」状態だった。これは脚本か、演出の段階で改善の余地があったろうと思います。映画だけ素直に見て受けるメッセージはむしろ、三人の間に、いつでも渡れそうな、でも大きな広い川が流れていて、その河岸にお互いが立ち尽くしている・・・そんな感じでした。



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コメント

<オダギリ氏に特化したネタバレ>
はてしなく「テツ」に近いキャラです。衣装も演技も、あと髪型も(笑)。舞台挨拶で持っていた帽子は中で出てきますし、他にニット帽も、眼鏡姿も出てきます。「間が多い」(笑)のでやたらタバコ吸っていますが、これはどれも良く撮れています。最初のうち、監督が例の「ふとした表情」を撮り慣れていないのでそれが流されて、演技もちぐはぐですが、中頃から(朝チュンのベッドシーンの前後から)、オダギリ氏を意識したきれいな絵が画面に入るようになります。英語はムラがあります。あと感情表現は細部までさすがでしたが、監督が描こうとしている哲平に、日本人的「煮え切らなさ」があるので、舞台挨拶で「幼稚園の先生と子供」と言っていたその関係がにじみ出て、演技が幼く、つたなく「見え」ます。風貌が、外人の間に立っていても充分に大人なので、逆にそのギャップが理解しがたい「壁」になる、という趣向だと思いますが、最後まで(テツと違って)そこを突き抜けずに終わるので、ちょっともったいなかったかも。

投稿: contessa | 2006年2月24日 (金) 11時31分

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