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2006年1月18日 (水)

ロード・オブ・ウォー

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   (音が鳴りまくりますのでお気をつけ下さいv)




映画の冒頭で、ニコラス=ケイジが観客にこう言っています(公式のトップでも流しています)。「今、世界には五億五千万丁の銃がある。ざっと、12人に1丁の計算だ。残る課題は・・・1人1丁の世界。」
 映画の主題はコレです。サイトに「control arm」へのリンクが張られていようが、伏字に近い形で字幕が変えられていようが、そんな事は知ったことではありません。悪の手先、武器商人を丹念に追うことで、悪の親玉を静かにあぶりだした、この映画に拍手喝采です。
 伏字、は言いすぎでしょうが(笑)字幕の大田さんは苦労なさっていると思います。私はカタカナで題を見たのでふつーに「戦争への道」だと思ってましたが、これ「Lord of War」なんですね。「戦場の救世主」。映画の真ん中あたりで、リベリアの殺戮大好き大統領(!)が、武器をすんなり持ってきてくれるケイジを讃えて「King of War」と呼ぶのに応えて、自分を「Lord of War」と呼んでいるのです。字幕は「君は戦場の王様だ」「いや、王様ではなく王だ」・・・何のことだかワケわかりませんが(笑)、つまり武器商人を救世主、と呼ぶのは×、という事なんでしょう。辞書の最初は「王」ですしね。でも、貧乏な組織にも金持ちの国にもそれなりの値段で(笑)きわめてフェアに商売として武器を持って来てくれるケイジは、まさに紛争当事者にとって「救世主」です。
 武器商人に対するアンチテーゼはしっかり出てきます。東西冷戦当時からいる、政治家の意向に沿って「平和的均衡のために」双方に武器を売る政商や、両親を密売武器で殺されたケイジの妻、不正輸出に徹底抗戦するインターポール、一緒に武器を売り歩きながら、自分が今売った銃で目の前の子供が撃ち殺されていく現実に耐えられず、麻薬に溺れこんでいく弟・・・特に、ケイジが売った銃で殺戮が行われるシーンは、何度も何度も出てきます。それでも観客は、ケイジを酷いとか憎いとか思えません。100%ビジネス、飯の種なのがしっかりわかるからです。商人自身はどちらにも加担していないし、誰も憎んでいない。「武器は売るけど、それで誰も殺さないで欲しいとさえ思う」とケイジが言うと、インターポールは詭弁だ、と鼻の先で笑いますが、私はこれが武器商人たちの偽らざる気持ちだろうと思います。あくまでもビジネス。例えば、難民キャンプをゲリラが襲う、その武器が最初刀なんですが、そこへ銃火器をしこたま持った兄弟が到着。弟は、今売るこの武器が次にする事を思って絶叫し絶望します。けれども観客がひそかに受け取るのは別のメッセージです。「今銃を売らなくても、こいつらはさっきと同じように刀で殺すだけの事」。刀がなければ、欠けた皿でもロープでも火でも、そこにあるものはすべて使われるのです。人が人を殺す気持ちは、武器の性能とは全く関係ない、という現実。
 武器を取り上げただけで平和運動をした気になれる、善良な市民の皆様への強烈な皮肉もあります。大きな会場を借り切って盛大に行われる武器見本市に、高らかに流れているのは「ワルキューレの騎行」。あれを聞いて「地獄の黙示録」を思い出さない人はいないでしょう。でも会場にいる人にとっては「購買意欲を起こさせるBGM」だから流れているんです。それからケイジは密売人ですから仕入れ元はは共産圏からの流出物、その主力商品「カラシニコフ」の性能を説明する時、映画のBGMは世にも美しい「オデット姫のテーマ」白鳥の湖、です。最初は、試射をする兵士のトリガーを引く音が、レジスターの「チーン」(笑)に聞こえていたケイジも、営業して歩くうち、その機能美に感心するまでになります。その手にしているものは、現代工学の粋を極めた完成品。今や武器は社会の根幹を支える基幹産業なんです。この世の金と技術がまず一番先に注ぎ込まれる分野。なぜか。どんな値段でも「売れる」から。・・・・じゃあ、買っているのは、誰なんだ!!! 観客の目に、だんだん「買っている人たち」それから「売りに出している人たち」の顔が見えてきます。
 もし、これをアメリカで観たら、観客は、自分の手の中にある銃と、その先にある星条旗を・・・思い出す事になるでしょう。最後、ケイジはついにインターポールに捕まるのですが、ものの見事に無罪放免になるからです。上官の「コレに懲りずに、また頼むな」という握手と共に。そこまで、この映画ではきっちり書かれているのです。

 そして、冒頭の一節です。

「今、世界には五億五千万丁の銃がある。ざっと、12人に1丁の計算だ。残る課題は・・・1人1丁の世界。」
ケイジにとっては、これはマーケットのキャパを示す数字で、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。1人1丁の世界がもし来たら、と考えたがるのは、政治家と平和運動家だけです・・・しかしそれに何の意味があるのでしょうか。映画の中で、とても印象的なシーンがあります。ケイジがインターポールの手を逃れるためアフリカの砂漠に飛行機を不時着させるのですが、それがどこからともなく現れた村人たちによってひとつ、又ひとつと丁寧にはずされはがされ、ついにはひと晩で全部(笑)きれいに持っていかれてしまうのです。要するに村人全員ドロボウvv 私には、彼らが嬉々として抱えていった武器・弾薬や機器の行く末が見えるようでした。きっとそれは彼らの明日のパンになり、子供の服になり、そしてまた何事もなかったかのように、いつもと同じ日々が続くのです。それを「使う」のは別の人達。あの、いっそすがすがしいとさえ思える魂に、正義や平和が入り込む隙はありません。1人1丁あっても、使い道がないのと同じように。

いわゆる本家の(笑)救世主は、病んだ魂を救うためにこの世にやって来ました。戦場の救世主は、ごく健康な魂の欲するところに従い、病んだ「頭」を相手に商売しているようです。その武器を取れ、と指令を出す頭が、勝手な正義が、イデオロギーが・・・・なくなるまで、このマーケットは永遠に「不滅」です。いい商売、です。

 




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