« 有頂天ホテル(1) | トップページ | 信長(新橋演舞場) »

2006年1月25日 (水)

有頂天ホテル(2)

「有頂天ホテル(1)」という書き込みの続きです。

 私と並んで見てくれたお母様と私の感想は、正直なところ、「オダギリジョーでなくても良かったんじゃない?」でした。小堺カズキさんが演じてたと言われたら頷くぐらい、似てましたし(おい)、そうなった時点で異形にする面白味があまり感じられなくなってました。素のままの顔で出してとことん地味に作ってたほうが逆に面白かった気がする、のは欲目でしょうか。オダギリ氏なら、そういう事もできたと思うんですけれどね。
 私自身は今回オダギリ氏は書家としてvv出演したと思っています。あのネットニュースでもしっかり見られる「謹賀新年」は、オダギリ氏が右近さんをやらなければ書けない書だし、書として単体で見ても面白かったので◎です。ただ、三谷さんにはあの書は落書きにしか見えなかったらしく、映画の中での扱われようはヒドかったですが(笑)。

 ついでに最後にネタバレ含みの薀蓄を。筆耕係と書家の、最大の違いは何か。映画の中の右近さんは、その事に、あの謹賀新年書いた後、ハタ、と気づいたと思うんですよね。だから名前が書けない。いや、右近さんは絶対アレを持ってない筈・・・・アレというのは・・・落款です。赤いはんこ。書を作品として出す時、必ずどっかにポンとおしてある、アレです。
 右近さんは「きれいな字」を書きますが、それがどんなにうまくても自分の字だとわかってはいけない人、なんです。自分を表す道具は要らない。だから、落款がない。そこからわかるのは、彼の書いているものは書ではなく、単なる記号にすぎないという事。キツい現実です。そしてひょっとして右近さんがそれを一番感じるのは、書きあげた後、「はい、ごくろうさん」とさっさと持っていかれる瞬間、かもしれません。本来ならそこに、書いたものに自分でOKを出して終わらせる、という行為がある筈なんです。そこまで延々書いてきたその気持ちを収束させるためにはとても大切なことです。が、その書くものの性質ゆえにそれを印す事が許されない。その必要もなし。きれいに書けていますね。ごくろうさん。・・・書いても書いても手の中を通り過ぎていくような、この最後の〆の行為の「欠落」は、ひょっとしたら右近さんの日々を少しずつすりきれさせ、少しずつ自嘲・・・させていたかもしれません。

 だから、私としては、一世一代の(笑)アレを書いたあとには、是非何かちゃんと〆てあげたかった。ガブガブの足裏に赤絵の具がついてて印、原田美恵子さんがそこに添えて画讃、・・・でもいい、あるいは右近さんがひそかに削っていた消しゴムはんこ・・・でもいい、それでも、という落ちを実は期待していたのですけれどね。。道具立ては合ってましたが、そこにあの書に対する尊敬は感じられなかった。膝を抱える右近さん、かわいそうでしたよ・・・ええ、笑う所なんですがvv

|

« 有頂天ホテル(1) | トップページ | 信長(新橋演舞場) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 有頂天ホテル(2):

« 有頂天ホテル(1) | トップページ | 信長(新橋演舞場) »