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2006年1月24日 (火)

クラウス・マリア・ブランダウアー

 表題は、俳優さんの名前です。夕べBS2でモーツァルトの「後宮からの逃走」というオペラをやっていて、それに出ていたので仕事しながら見てましたv
  有名どころでは「愛と悲しみの果て」のブロア役で、メリル・ストリープとやり合っていましたが。この人は、私が「好きな監督」に名前をあげているイシュトバン・サポーとずっと組んでいます。サポーの「メフィスト」とか「ハヌッセン」とか、もう、ブランダウアーあってこその映画です。「メフィスト」に至ってはビデオすらないのでパンフでいつも記憶を呼び起こしていますが、さまざまに折り重ねられた複雑な感情を細やかに掬い上げてすべて演じきる繊細さと、「居るだけでいい」という昔ながらの重厚長大さを兼ね備えた、役者さんです。

 「後宮からの逃走」でも太守の役です。歌が無い(笑)ですからここはいつも俳優さんがあてられることが多いのですが、この役は、ほんとに難しいんです。オペラは、主役の女性の役名こそ「コンスタンツェ」ですが(笑)、実際はモーツァルトが当時付き合っていたソプラノ歌手を売り出そう、という魂胆の元に書かれたので(「アマデウス」でもこのくだりは出てきてます)、あちこちでアリアばかりがやたらと続く単調なものなのです。トルコの太守に捕らえられた姫を王子様が救いに行く勧善懲悪。しかしモーツァルト特有の毒が一滴垂らされるのは、このお姫様が、太守に、心動かされてしまうんです。普段はあれほど尊大なのに、恋に関してはむちゃくちゃ繊細で、まじめで、純粋な、太守に。


 はっきり言ってオペラは歌を聴きに行くので、アリアが引き立つように、あまり複雑な人間関係はすっ飛ばす(笑)演出もあります。特にこの「後宮~」は昔から、オペラ演出家が自由にいじれる代表格みたいな扱いで、舞台装置はソファ一個、とか、逆にトルコの鞭打ちの刑をアヤしい雰囲気でリアルに再現しちゃったりとか(いえ、「打って!私を鞭で打って!」と女性歌手が恍惚と歌うアリアの場面なのでマチガイではないですが・・・sm?)何でもありです。
   そんな中で。やっぱりブランダウアーはさすがでした。昨日の演出はごくオーソドックスなものだったので、余計にその演技力が光りました。異国の白人のお姫様を相手に、彼女の歌うアリアのほんとに一小節ごとに変わる太守の心の内。体の関係はもちろんなくても、心の奥底で深く恋人を裏切ってしまったお姫様の苦悩に、深く共感する太守。それでも自分の思いに忠実であろうとすろ純粋さ、雄雄しさ。最後王子様が逃走に失敗した時にも、太守の尊厳を犠牲にして彼女達を逃がしてやります。独占欲や戯れの恋などではなく、本当に彼女を尊敬し、愛していたのだ、という証に。歌わないのに、歌手より重要な役。たった一人で、いわばカラオケボックスを演劇の舞台に変えてしまわなくてはならないのですが、私はもう、アリアの素晴しさ以上に、太守の瞳に涙していました。かつての、狂気を孕んだ熱さも重さも既に消えうせ、好々爺然として舞台に上がる姿は、だからこそ、あのまるで絵巻物のような典雅な太守の恋にぴったりでした。オペラの鑑賞の仕方としては反則(笑)ですが、この演技を見られただけでも本当に嬉しかったし、感動しました。

「メフィスト」では、メフィスト役で一時代を打ち立てた実在の俳優兼演出家グスタフ・グリュンドゲンスの一生を演じていました。熱心なコミュニストだったのに、芸術に生きる道を選んでファシズムの嵐の中に沈む俳優。そこにはサポーの故郷ハンガリーの運命すら映し出されていきます。映画の中で、演じているメフィストと自分の区別のつかなくなる主人公、を演じるブランダウアー。あの、まるで現代劇のような複雑な感情の錯綜を丸ごと飲み込んで吐き出して見せた怪演。その行き着くところの一つが、まるで老いの理想のようなこんな幸せな形で見せて貰えて、本当に良かったと思いました・・・・

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