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2006年1月13日 (金)

狼たちの午後

 またまたふるーい映画で申し訳ないw これは、アル・パチーノの映画です。是枝監督の「誰も知らない」を見ていたら、急にこれが見たくなって借りてきました。
 銀行強盗2人組みの映画です。このころはまだ、普通の映画にはCGもないし手法もワンカットワンシーンが多くて、舞台演劇の色が色濃く残っていました。そう思うと「ゴッドファーザー」はほんとにつくづく革新的な映画だったと思うのですがv それとは逆により舞台に近い分、こっちのアルの方が彼の本領発揮してたと私は思っています。
 私にとってアル・パチーノは舞台俳優です。先年「リチャードを探して」という映画を彼が撮りましたからご存知の方も多いと思いますが、映画に出ていない何回かのブランクの間も、彼はずっと舞台には立ち続けていました。で、一番の当たり役と言われているのが「リチャード3世」なんですが、幸運な事にこの舞台を撮ったスライドを家で見せてもらったのが、初めて見たアルでした(いや、スライドって・笑)。一枚一枚、真っ暗の部屋で食い入るように見てました。お馬鹿な中学生だったので「リチャード3世」が何した人かも知らず(おい)、シェークスピアは喜劇しか読んだことなく(殴)、したがってその舞台話法も何もかも全然わからなかったのですが、順番に見ていくと、このリチャードという若者が、何を考え何を感じているかだけは、胸に突き刺さるように強烈に伝わってきました。せりふが無いのに何が言いたいのか強く伝わってくる、というのは、当時の私には物凄い衝撃でした。リチャード3世の元の戯曲を借りて読んでも結局修辞が多くて半分しかわからず(泣)だからどうせ見に行ったってせりふなし状態には変わらないんですが(爆)、それでも見てみたいと、動くこの人を見るためだけにアメリカに行きたいと、その時痛烈に思いました。

 その、強烈な表現力が、見事に出ているシーンが、この映画の中にあります。銀行強盗やって、逃げる前に通報されて警察に囲まれてしまった若者2人。そのうちの1人、アルが警察との交渉に当たります。銀行内部に詳しいので強盗をやってみたものの、強盗には慣れていない、ふつーのお兄ちゃんたち。アルもありえないほど美しいけど普通の人(笑)です。ところが、囲む警察のさらに外側を市井の群集が囲んでいるんですね。公開が1976年ですから、市民運動が盛り上がっていたという時代背景はあるんですが、この人たちは、ムツカシイ事は考えないただの野次馬です(笑)。わりとのんびりした風景。警察も、このまま何も盗らずに人質を解放すれば罪が軽くなるよ~と説得しています。
 ところがアルは、後で書きますがいろんな事情でこのままでは引き下がれない所まで追い詰められていたんですね。で、どうするか。警察の後ろの群集に「アティカだ!!」と叫ぶんです。当時あまりに劣悪な環境に囚人が暴動を起こした監獄の名。これはただの強盗なんかじゃない、みんなこの警察の横暴ぶり(強盗2人にパトカー50台+SWAT・笑)見ただろ!俺達を虫けらとも思っていないんだ!公権力に抗議しよう!という「アティカ!」。銀行出口から出て来た時、絵は大きく引いています。広い画面の中心にぽつんとアルがいるだけ。ところが彼が「アティカ!」と叫んだ途端、はっきりと画面の雰囲気が変わるのです。雰囲気なんていうものじゃなく、もう画像のイロが変わったようにさえ思う。そしてアルが、「アティカ!アティカ!」と叫ぶ度に、周囲の色がまるで強いコントラストをかけたような、はっきりとした力強い画像に次々と変わっていくように「見える」んです。その波が群集に届き、彼らも「アティカ!」と叫びだす、その時はもう彼らすらも別人です。
 こういうのをカリスマ、と呼ぶのは簡単です。そういうものを生まれながらに持った人は実際に政治家などにもよく居るでしょう。アルが凄いのは、それを「演じている」という所。ある意味、カリスマを持っている人達よりもカリスマを熟知し、計算し、「表現」しているのに、同時にアルにしか出せないもの、つまり「アルそのもの」もしっかり内側から見えてるんです。アル・パチーノ自身は扇動者にはなれない。でも扇動者の役なら完璧以上にこなして映画の世界に現実を叩き込む事ができる。そのパワーと深い知性と存在のゆるぎない確かさ。
見る度に本当に凄い人だと思います。

映画の中でアルには、子供から経済的にも精神的にも自立できない母親と、気合の入った奥さんと子供と、それから性転換手術が必要なのに精神病院に入れられている(ゲイの)恋人がいます。それをすべて満たすために強盗したんです。そこで最初に挙げた映画、「誰も知らない」の話ですが。主人公の男の子に、小さい弟と小さい妹がまっすぐな目を向けて全身で見つめているシーン。そばの押入れには上の妹が引きこもりっぱなし。俺だって外で遊びたいのに・・・というところで突然、この強盗アルの目を、思い出しました。うらみも悲しみもせず、ただ淡々と現実を見つめるしかない目・・・を、この男の子もしていました。それはアルと違って演技ではありません。が、それをフィルムに残すべく監督が「仕組んだ」のですから、映画として「表現」しているものは結果的に同じです。そして、こうやって人は、足りないものを補完する術を次々編み出していくんだな、とも思いました。アルを強烈に思い出しながら。







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