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2006年1月

2006年1月30日 (月)

日本Internet映画大賞・主演男優賞

このブログを借りているサーバーの宣伝みたいで恐縮ですが、以前「ニフティ映画大賞」と言っていた、ネットで投票する映画大賞です。そこでオダギリ氏は主演男優賞を取ったようです。トラックバックで投票するので、ブログへはこちら からどうぞ。

2005年度日本インターネット映画大賞日本映画部門  

投票者数106人

【作品ベストテン】 1位 296点 「ALWAYS 三丁目の夕日」

           2位 190点 「パッチギ!」

           3位 175点 「NANA」

           4位 145点 「リンダ リンダ リンダ」

           5位 121点 「運命じゃない人」

           6位 106点 「サマータイムマシン・ブルース」

           7位 97点 「メゾン・ド・ヒミコ」

           8位 81点 「フライ、ダディ、フライ」

           9位 78点 「交渉人真下正義」

           10位 76点 「男たちの大和/YAMATO」

【監督賞】       11票 井筒和幸        (「パッチギ!」)       

             山崎貴       (「ALWAYS 三丁目の夕日」)

【主演男優賞】    18票 オダギリジョー       

           (「メゾン・ド・ヒミコ」「スクラップ・ヘブン」  「イン・ザ・プール」

            「オペレッタ狸御殿」 「忍 -SHINOBI-」)

【主演女優賞】    14票 中島美嘉       (「NANA」)

【助演男優賞】    18票 堤真一       (「ALWAYS 三丁目の夕日」)

【助演女優賞】    13票 薬師丸ひろ子       

            (「ALWAYS 三丁目の夕日」「オペレッタ狸御殿」

             「レイクサイドマーダーケース」「鉄人28号」)

【新人賞】      16票 堀北真希       

            (「ALWAYS 三丁目の夕日」「逆境ナイン」「HINOKIO」「深紅」) ---------------------------------------------------------------

2005年度日本インターネット映画大賞外国映画部門  

投票者数122人

【作品ベストテン】 1位 224点 「ミリオンダラー・ベイビー」

           2位 166点 「チャーリーとチョコレート工場」

           3位 147点 「オペラ座の怪人」

           4位 119点 「バタフライ・エフェクト」

           5位 116点 「スター・ウォーズエピソード3/シスの復讐」

           6位 104点 「キング・コング」

           7位 102点 「私の頭の中の消しゴム」

           8位 90点 「エターナル・サンシャイン」

           9位 72点 「シン・シティ」

           10位 67点 「ネバーランド」

【監督賞】       20票 クリント・イーストウッド  (「ミリオンダラー・ベイビー」)

【主演男優賞】    19票 ジョニー・デップ       

           (「チャーリーとチョコレート工場」「ネバーランド」)

【主演女優賞】    14票 ヒラリー・スワンク   (「ミリオンダラー・ベイビー」)

【助演男優賞】    14票 モーガン・フリーマン  

            (「ミリオンダラー・ベイビー」「ダニー・ザ・ドッグ」他)

【助演女優賞】     9票 ダコタ・ファニング (「宇宙戦争」「ハイド・アンド・シーク」他)

【新人賞】       8票 カタリーナ・サンディノ・モレノ  (「そして、ひと粒のひかり」)

 なお、全ランキングの正式発表は2月上旬になりますので、もうしばらくお待ちください。投票者の方々にはまたその際改めてご挨拶します

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投票者数も少なければ、都市部限定(笑)みたいな候補作の上がり方でもあるんですが、キネ旬が少々お硬くマニアックなのに対して、こちらは毎年もう少し「観客のキモチ」が反映されていて、これはこれで好きです。「サマータイムマシン・ブルース」や「バタフライ・エフェクト」が入っているあたり、さすがというか何というか。こうした形式で行う投票の、投票者が将来もっと増えてくれれば面白いのにな、と期待を込めて宣伝v

そしてオダギリ氏、ここでの主演男優賞受賞は、高崎や横浜と同じく、niftyに選ばれた映画がほんとーに好きな人達が、何も考えず好きだというキモチだけで選んだ賞ですから、ささやかではあっても、とてもとても素敵なことだと思います。副賞も何にもない賞ですが、ネットの片隅で、心の底からお祝いします。


 

おめでとう!!!!!!








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嫉妬の香り(4)

  このあたりから、4人の気持ちが本格的に疑心暗鬼になっていきます。しかしオダギリ氏の出ているドラマで、彼より先にコワれる人や、彼より先に酸素マスクをつける人を、私は初めて見ました(笑)。ちなみに(これ以外では)オダギリ氏は出たTVドラマ全部でマスク装着されてる、日本一酸素吸入が似合う男ですがvv、ここではその実力は発揮されていません。
  コワレたのは川原さんです。川原さんのキレ方は静かに恐ろしく、しかもせつなさがありました。本当は、ここでこんなに悲嘆にくれるようなか弱い人なら、未来への復讐なんて考える筈ないのに、自分で仕掛けた罠に自分でずたずたにされている感じがします。たぶんここでキャラの設定が破綻し話の筋運びと合わなくなっている・・・のは脚本家が原作を誤読しているから。辻さんもこのあたりは書き逃げ(笑)状態なので仕方ないかもしれませんが。辻さんが小説の中で川原さんにつけさせている香りは、いわゆるお嬢様っぽい物の中では珍しく自己主張の強いもの。でも甘く夢見がちなふんわりとした香りであることには変わりない・・・それをちゃんと書かないで香水の銘柄だけ書いて人物描写オワリッていうのもどーかと思いますが、でも知らない香水なら発売元のプレスぐらい読めば?と脚本家の人には言いたいです。

 それからそのちょうど逆の例・・・というかなんというか(笑)。川原さんに見境なくまつわりつき、彼女を結果的に追い詰める、その追い詰める側の精神的な脆さを出すには、ほんとうは堺さんの方が適役です。オダギリ氏はそういう意味では色気が足りないというか、どうしても女より仕事、タイプに見えるんですよね。押し倒してでも抱きたい、というより、仕事頑張る川原さんに早く戻って下さい、みたいな(笑)。脚本もそのあたり押しが足りない。でもそういう一途な仕事人間だからこそ「普通に愛する」をすっ飛ばして「ストーカーになる」というのも、もっていき様によってはアリ。余程一途に愛していれば・・・ この回に、オダギリ氏が同じく川原さんを見張る!本上さんと言葉を交わすシーンがあるのですが、その時、彼はその切なく苦しい心の内をさらけ出すような本当に哀しい表情をします。この場の脚本の不足を補って余りある、胸に迫ってくるような一途な思い。それがあるから後のキレっぷりも納得できるようになる、是非どこかで押さえておかなければならない、本当の心の内。そして、自分の力量と柄を冷静に見つめ、役に何が必要かを流れの中から掬いだして、脚本になければここぞという時に自分でそれを補って役の破綻を防ぐオダギリ氏。ここは本当にこの人ならではだったと思います。たまーにこういうのがあるから、本当にこの人は見過ごせない。いや、だいたい脚本がしっかりしていれば役者がそんな事考える必要はないんですけれどね。

というわけで、普通の人なら何とかして回避しようという気持ちがおのずと働くからでしょうか、ドロドロの人間関係は、書く側も見る側もツラいものだというのがよくわかりました。




<主な出来事>
本上さんが川原さんと堺さんの関係に気づいて疑いと敵意をあらわにします。それを受けた川原さんは動揺し、本上さんのプレゼン用データを故意に消去したり、彼女の仕事場まで出かけて問い質したりします。一方、もう誘いにのらないと心に誓った堺さんは、川原さんに誘われても出かけません。その、電話で誰かを誘っている所を偶然見た本上さんとオダギリ氏は、待ち合わせ場所まで川原さんをつけていきます。結局誰も現れず一人で帰る川原さんにオダギリ氏は先日自分の見たことを話し、「何であいつなんですか」と抱きついて取りすがりますが、脈はなし*。そこへ寺脇さんが通りかかり、川原さんは前日、誕生日をすっぽかして本上さんのデータ作りを手伝っていた寺脇さんをなじり、プレゼントのペンダントを橋の上から投げ捨てます。
 誘われても会いに行かなかった堺さんを、それでも許せない本上さん。本上さんのお父さんが上京してきているのに堺さんを会わせようとはしません。つらい気持で散歩に出た堺さんは、橋の下で、会社を休んでまで捨てたペンダントを探す(ある意味コワれかけの)川原さんを見つけます。寺脇さんと川原さんにヨリを戻してほしい堺さんはペンダント探しを手伝いjますが、「あなたと寝た事を」後悔しているときっぱり言い捨てます。ところがお父さんと別れてそこを通りかかった本上さんが、堺さんのこのせりふだけを耳にし(そう聞こえるようにとっさに会話の水を向けたのは川原さんv)、ショックで道に飛び出しトラックに轢かれて意識不明の重態です。看病するのは寺脇さん。もちろんまだまだこの2人には何もありませんが、川原さんのせいで、寺脇さんがどうにも疲れてきているのもまた事実です・・・・

*巨木にしがみつくセミのよう、と当時某掲示板で言われておりました。。。



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2006年1月29日 (日)

終わった~!

11jan_hnd今月は、いつもより単発仕事が多かったのですが、それが却って気分転換になったのか、着々と予定をこなし、仕事部屋に行く事なく、結果的にここを休むこともなくvv何とか無事終了しました~ヨカッタ。
次に大変そうなのは3月。また頑張ろうと思います。ヘンな話ですが、夜中に見たいテレビがある、というのはとても励みになりますw

と、これだけでは何なので。
最近子供とハマっているゲームがあります。"c-jump"というボードゲーム。
サイトはこちら
ゲームとしてはふつーの双六で、山の頂上からスキーヤーが滑降してくるもの。面白いのは、双六の「一回休み」や「三つ進む」という指示の代わりに、こーんな「言語」が。

int x;  int main( )  x--;  if(x==1)  
while(x>0)   switch(x){    return x;}

xはサイコロを振って出た目。
つまりこのゲームでは、駒への指示が、プログラミングのためのC言語(の初歩の初歩)で書かれているんです。だからってこれで遊んでいればプログラムが組めるようになるか、とかいうことは全然なく、逆に私のように「プログラムってパンフレットの事?」というヒトのほうが愉しく遊べます・・・対象年齢11才ですから(笑)。説明書は英語、C言語ちょっとでも知っているヒトが居れば英語出来なくても大丈夫。英語も子供向けで平易です。

これ、子供にとってはやたらと分岐の多い(笑)ただタイヘンなゲームですが、大人がやると「コンピューター的物の考え方」というのがおぼろげながらわかって、それが面白いです。以前今の「本館」よりもっとフクザツな仕掛けのサイトを持っていた時、タグやスクリプトで画面を動かしていたのですが、モチロンの事完成品を借りてきてHTMLに貼り付けながら、実際の動きと照らし合わせたその内容が、指示の始め方終わり方とか、例外の指示の仕方とか、人間に指示する時とは思考方法からして全然チガウのが、凄く面白かったのを覚えています。このゲームも、それと同じで見ていると「自分の意思をパソコンに伝える方法」が段々わかって来るようになっているんです。実際にプログラムを組むヒトにならなければ↑の記号を覚えても役には立ちませんが、一般の「論理学」や「論理的思考」と一部重なるパソコン独特の思考回路を理解するのには役立ちます。

ウチはクリスマスに間に合うようにと思って11月下旬に頼んだら、ハイシーズンで年が明けてから来ました(笑)。でも今はそんなに混んでいないと思います。もし宜しければ↑サイトで通販出来ますので是非。




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2006年1月28日 (土)

時効警察(3)

 今回は、熊谷係長が(笑)監督、脚本です。今までとはちょっと趣き変りましたが、別の点がとても面白かったです。
 まず、1.2話で出来つつあった登場人物の力関係に揺さぶりをかけてたのが面白い。麻生さんに主導権とられてにこにこしているオダギリ氏、その麻生さんに手を出し始めた(?)普通に話す十文字刑事、まったく予想だにしていなかったふせえりさんとけんかする江口嬢・・・監督交代ならではというか、キャラとして逸脱しないギリギリの範囲で全く別な顔が見られたのがとても面白かった。あと、犯人と霧山の関係も今回逆転してましたね。趣味で追っている以上、ああいう反撃はいつか来るんだろうと思ってましたが。前回までののんびり感とは打って変わって、随所に緊張感が走るのも新鮮でした。

それから、私的にはゲストのお二人のキャスティングがとてもとてもよかった。「私の差込んだ新聞紙は美しかったのよ!」ときっぱり言い切れる、それだけ自分の美意識に確信を持って語れる人は、私の中ではやはり環さんしかいません。っていうかあんな、一種荒唐無稽な(笑)せりふにずっしりと現実感を持たせられるのは、彼女だけだろうと思います。それから田中さんも、多くを語るヒマのない(笑)ドラマの中で、複雑な「人質亭主」の気持ちを全身でしっかり表していました。田中さんのおかげで話がとても見えやすかった。さすがです。

で、この2人がちゃんとドラマしているのでいつものメンバーはいつも通り遊んでましたvv。オダギリ氏だけは、今回筋書き的にきちんと(笑)仕事があり、ゆるゆるもしていられずタイヘンそうでしたが。それからメルマガで事前に見てましたが、そっか、十文字刑事は三日月さんがいいんですね~(違・・わないですよね・笑)彼女なら私も惚れてますっvvあと、「アンタッチャブル」にケビン・コスナー出てた?とか思いながら、十文字刑事の歌う「あしたのジョー」には大爆笑してました・・・今回出番が多くて新境地!の十文字刑事のブログはこちら !!!

それから、別に今回のを見て思ったわけではないのですが(^_^;)、「時効になるような難事件」だけど「霧山には真相がわかる」「しかも一生懸命やらないvv」という命題を三つともクリアするのは結構大変ですね。特に1番目の「難事件作り」で「なぜ捕まらなかったのか」という理由を考えるのが難しそう。今までそこに、「たまたま運が良かった」的な苦しさがありましたが、それもシリーズのテーマなのか。

そして熊谷監督(笑)のお芝居は初めて見ました。喜劇お好きなんだろうと思いますが、三木さんと逆に、私はこの人の書く本はテレビでは入りきらないと思いました。せりふの組み立てががっちりしているし、せりふと動きの間がどんなに長くてもしっかり合わせる、監督としての仕事丁寧さも凄い(食堂のシーンなんて、笑う前に唸ってしまいましたよ・・・)。会話だけで進むような、じっくりシリアスな映画の小品を、岩松了監督で是非見てみたいと思いました。



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2006年1月27日 (金)

250回目のお誕生日おめでとうv

・・・と、今日きっと世界中でお祝いされているのは、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトです。今日はお祝いで、いつも聞いているJ-waveというFMラジオで特集もしていました。通常番組の合間にスポットを設け、そこで各界のモーツァルトファンにお話を聞き、好きな曲をあげて貰うというもの。で、たまたま私が聞いた時、なんと、アノ実相寺監督が出ていらしたのです(><)何という偶然vv
 この監督、私映画監督としても大好きなのですが、オペラの演出家としてもクラシックマニアの間ではファンが多いんです。そしてご本人は自他共に認めるモーツァルトマニアv あの伝説のウルトラマン「カレースプーンの回」をお撮りになった監督は、モーツァルト同様「後の時代には王道となる"前衛"」を生み出す先駆者として、互いに響き会うものがあるのかもしれません。
 監督があげたお好きな曲は「戴冠式」でした。あの独特のライティングと陰影を多用したカメラワーク、ストイックなまでに追求された他の追随を許さない監督独特の映像美・・・からは想像もつかない、なんだか一歩も二歩も突き抜けた、明るくおおらかで清らかな、まさしく「王道」の選曲。やはり周りがどう思おうと、監督は自分の中にある王道をいつも追い続けていらっしゃるんだな、と思いましたし、そこにまるでモーツァルトの明るく愉しげな高笑いまでもが聞こえてくるようでした。さすがです。







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2006年1月26日 (木)

信長(新橋演舞場)

 歌舞伎の演目ではないのですが、海老蔵が出てるのでvこちらに。かなり以前から楽しみにしていたのですが私自身の予定が立たなくて、チケットも譲り譲られの繰り返しで、やっと行って参りました。
 今回はまず脚本が書き下ろし。演舞場なので信長の事は観客もある程度知っている、という前提で、かなり細かいところまできちんと踏み込んで描かれていたのが、良かったです。信長の精神論をかなり深く掘り下げていて、その苦悩と孤独が今までになく実に生々しく描き出され、「うつけ」と言われた人間信長が覗き込んでいた、その世界の深さ、大きさに、背筋が震えるようでした。

そして、そんなムツカシイ芝居だったにもかかわらず、舞台の作りも構成もしっかりしていて、まるで歌舞伎のようにはっきりと(笑)落としどころはきっちり抑え、メリハリが利いてたのもよかったです。「ここ、見せ場v」としっかり盛り上げられた場で、役者さんたちがもう、期待以上に「魅せる」。時代劇という、ある意味手垢のついたお芝居だからこそできた、隅々までよく計算されつくした舞台。芝居プラスその職人技の数々をも楽しめるところが大変お得(笑)だったかも。

 そして海老蔵v この人を見ていると「血はあらそえない」という言葉がいつも思い浮かびます。お茶の宣伝でも、ただ立っているだけなのに、まるで浮世絵から抜け出てきたような、時代な絵をつくる背恰好。海老蔵の祖父、名優と名高い先々代の11代目市川団十郎に、写真で見てさえ生き写し。今回の芝居の中で舞った、あの「敦盛」の美しいこと!!!お父さんの現団十郎には申し訳ないですが、この優れた遺伝子は一代すっ飛ばしてここに現れたとしか思えない。やはり団十郎役者は、顔にも姿にも華をしょって生まれてきてこそ、なんだと思います。そして、この信長は、たぶん宛書なんだろうと思いますが、とても今の海老蔵に合っていた。等身大の信長、といいますか、中のヒトと外側の役が虚実一体となって、お互いに増幅しあい、切磋琢磨するような、そんな湧き上がるような力強さを感じました。

 まさか私は見ていませんが(笑)実は11代目も「信長」を演じて大当たりを取ったんだそうです。↑とは脚本解釈からして180度違うお芝居だった由、でもそこに流れている血が同じであるからこそ変える意味があるんだと、今回つくづく思いました。。。。







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2006年1月25日 (水)

有頂天ホテル(2)

「有頂天ホテル(1)」という書き込みの続きです。

 私と並んで見てくれたお母様と私の感想は、正直なところ、「オダギリジョーでなくても良かったんじゃない?」でした。小堺カズキさんが演じてたと言われたら頷くぐらい、似てましたし(おい)、そうなった時点で異形にする面白味があまり感じられなくなってました。素のままの顔で出してとことん地味に作ってたほうが逆に面白かった気がする、のは欲目でしょうか。オダギリ氏なら、そういう事もできたと思うんですけれどね。
 私自身は今回オダギリ氏は書家としてvv出演したと思っています。あのネットニュースでもしっかり見られる「謹賀新年」は、オダギリ氏が右近さんをやらなければ書けない書だし、書として単体で見ても面白かったので◎です。ただ、三谷さんにはあの書は落書きにしか見えなかったらしく、映画の中での扱われようはヒドかったですが(笑)。

 ついでに最後にネタバレ含みの薀蓄を。筆耕係と書家の、最大の違いは何か。映画の中の右近さんは、その事に、あの謹賀新年書いた後、ハタ、と気づいたと思うんですよね。だから名前が書けない。いや、右近さんは絶対アレを持ってない筈・・・・アレというのは・・・落款です。赤いはんこ。書を作品として出す時、必ずどっかにポンとおしてある、アレです。
 右近さんは「きれいな字」を書きますが、それがどんなにうまくても自分の字だとわかってはいけない人、なんです。自分を表す道具は要らない。だから、落款がない。そこからわかるのは、彼の書いているものは書ではなく、単なる記号にすぎないという事。キツい現実です。そしてひょっとして右近さんがそれを一番感じるのは、書きあげた後、「はい、ごくろうさん」とさっさと持っていかれる瞬間、かもしれません。本来ならそこに、書いたものに自分でOKを出して終わらせる、という行為がある筈なんです。そこまで延々書いてきたその気持ちを収束させるためにはとても大切なことです。が、その書くものの性質ゆえにそれを印す事が許されない。その必要もなし。きれいに書けていますね。ごくろうさん。・・・書いても書いても手の中を通り過ぎていくような、この最後の〆の行為の「欠落」は、ひょっとしたら右近さんの日々を少しずつすりきれさせ、少しずつ自嘲・・・させていたかもしれません。

 だから、私としては、一世一代の(笑)アレを書いたあとには、是非何かちゃんと〆てあげたかった。ガブガブの足裏に赤絵の具がついてて印、原田美恵子さんがそこに添えて画讃、・・・でもいい、あるいは右近さんがひそかに削っていた消しゴムはんこ・・・でもいい、それでも、という落ちを実は期待していたのですけれどね。。道具立ては合ってましたが、そこにあの書に対する尊敬は感じられなかった。膝を抱える右近さん、かわいそうでしたよ・・・ええ、笑う所なんですがvv

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有頂天ホテル(1)

 水曜日は映画の日、ですがvv今日は、子供を朝送っていったので、その場に居合わせたお母さん友達を誘って、6名ほどで見に行きました。自発的営業(笑) ↑は、面白いと評判高いので、誘いやすかったです。 そしてそのうちのお一人は、私にオダギリ氏のDVDをどっさり貸して下さった恩人v 2人だけ鑑賞ポイントが偏りそうだったので(笑)並んで座りましたvv

 結論を言う前に、一緒に見た人について説明したほうが良いかもしれません。このご時世に、と思われるかもしれませんが、学校が私立なのでみなさん普段からホテルはあちこちで使い慣れていらっしゃる(うちを除く・笑)。夏休み・年末年始の長期滞在やちょっとしたお祝い事など、別荘を持つのが難しくなってきた昨今、以前よりも個人利用は増えています。で、そういう使い慣れた方々に言わせると、まず「何だかよくわからないホテル」でそこがあまりピンと来なかった、という事でした。私は大学生の時、一般庶民ですから泊まる側ではなくハタラク方で(笑)、フロントで業務と通訳のバイトをしていました。だから、奥様達がなぜ「ホテル・アヴァンティ」に違和感を感じられるのかは、とてもよくわかります。ただ、私はともかく、こういう「泊まる側」から見ている観客にも気づかれるようでは、ちと舞台設定として甘いんではないですか?とは言いたいです(実はネットの某所映画評でも指摘されてて、見る前はそんなヒドイ事言わなくても・・・と思ったのですが。納得)。
簡単に言うと、ホテルは使用目的と収容人数と立地条件で実にさまざまにタイプがあり、それによってお行儀も料理もホテルマンの対応も千差万別、です。で、それぞれのホテルが「うちはこういうホテル」という記号を、玄関ホールや従業員の言葉遣いや対応の中に刻んでいるので、お客の側も「そーいうホテルならこーしなくちゃね」ということを常に考えながら利用する。映画を見ている人も、全員とは言いませんがやっぱりホテル・アヴァンティに入った途端、その記号を読み取ろうとすると思うんですよね。でも最後まで見てても、ここが富士屋ホテルなのか、オークラなのか、プリンス(ここが教えた、と思わせるミスはあり)なのか、その格付けがわからない。出してくる記号がバラバラでホテルとして空中分解している。そのあたり映画は、テレビや舞台と違って、すべてを映してこそのリアリティなので残酷です。で、この荒唐無稽な愉しいお話を支える土台に力がないので、「あー"何だか"面白かった」で終わっちゃう。それはちょっともったいなかったと思います。各自に当てられたネタを披露するだけならただの宴会、人間ドラマを書きこんでこそ、の三谷さんだと思うのですが、足元が弱くて話が起き上がって来なかったんでしょうか。もっと思う存分筆を振るってほしかったです。

 ストーリー展開で言うと、松たか子さんと麻生久美子さんの絡む?話はとっても素敵で、途中お2人の演技に何回もジワッと来ました。YOUさんも、あの役は、ほんとうに彼女にしか出来ない、素晴しい役で出色の出来。最後に全部サラっていった感じです。反対に、途中まで他を寄せ付けない凄さで画面を圧倒していたのに、落ちが付かなくて台無しになってしまったのが、佐藤浩一さんの話と、西田敏行さんの話と、香取慎吾さんの話。グランドホテル形式といわれる脚本は、何が難しいって実はソコが肝心かなめ、なんですが、三勝三敗で引き分け、という事?
いや・・・役所公司さんストーリーが有りましたね・・・_| ̄|○ 

 役所さんは、一番いけないのは、「こんなのホテルマンじゃないっっ」っていう不安が思い切り顔に出ちゃってた所です。それなら、オダギリ氏が下天監督にしたように、大量のメールでも徹夜の話し合いでもして、もっと脚本を練るべきだった。客の灰皿の話も、主賓のいない祝賀会も、記者会見中止時の対応も、この映画の筋書きにそった実際のホテルマンなら絶対にしない「一番やってはいけない対応」をしている。たぶん役所さんも、そういう時実際はどうするかを見た事あるんだろうと思います。一緒に行ったお母様の何人かも不思議がっていた通り、別のよくある手で同じ落ちにたどり着けるので、そっちだったらもっと「有りそうで無い話」に大笑いできたかも。それは三谷さんの取材不足だから仕方ないでしょう。でも100歩譲ってたとえ脚本がそうであっても、役所さん自身は映画に出たら、そこは無理やりでも納得しないといけない。まさか狸御殿のオダギリ氏ほどは苦労しないと思いますし(殴)、役所さんの不安が、間違い探しなどしない観客にも「なんとなく」伝わってしまっているのは、映画全体として、果たしてよかったんでしょうか・・・・という感じ。もったいなかったです。




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1/20の記事について

えーと、昨日昼頃メールを数本頂戴しました。
昨日発売の某テレビ雑誌に載っているインタビューの一部が、 私が1/20にここに書いたものと似ているんだそうで。で、夕方こっそり買って来ました。

雑誌の引用は出来ませんが、私の書いた部分で似てる箇所というのは

「テレビは、何でも、どんなものでも微細に映し出せる代わりに、映画と違って「観客が飽きる」。つまり時間の制約があるんですね。5分かければ気持ちの流れが万華鏡のようにさまざまに現れては消えるところを、CMはあるしチャンネルは動かせるしで(笑)作り手はそれを一瞬に収めて、あるいは切り取って、魅せなければならない。そこにばっさり捨てられてしまうものがある。」

というところ、だと思います、たぶん。あと、イン・ザ・プールの項で書いていた事が少々。

まず、雑誌のほうがもっと文章がわかりやすいです。テレビについての一般論ですし、私が考える事をたまたま思いついた人もいる、と思っていただければ一番有難いです。こんな形でここに書く事すら大げさだと思います。でも私はともかく、相手のある事なので、一応事実関係だけは書いておきます。

① 私は1/20に書いたので早売りを見て書いたわけではありません。出版社に出入りすることはありますが、煌びやかな芸能部門とは無縁の会社です。印刷所が同じということもありません。インタビューがあったのはもっと前でしょうけど、日付がわかればその日のアリバイを証明します(^_^;)偶然そんなところに行き合わせるような、華麗な日常も送っていません。

②(こちらは声を大にして言いたいのですが)では誰かがここを見て書いたのか、と言われれば、それは100%ありません。これは固く否定しておきます。絶対ありえません。私が関係者の誰かに書いて渡した・・・に至っては200%有りません。そもそも、その元原稿をここにあげたら意味ありません。そこはきっぱり否定させて頂きます。

③多くのココログとここの設定は全く同じです。現段階ではほぼ非公開に近いです。濱の真砂ほどもあるプログの中から誰かがここに偶然たどり着く、という事は到底考えられません。

お問合せの内容も参考にしつつ、思いつく限りの可能性は全否定させていただいております。特に②は、固く固く否定させて頂きます。出版社への問合せなどという空恐ろしい事も絶対やめて下さい。冗談でも、関係する方々にとってはどんなご迷惑がかかるかも知れず、また、軽い気持ちでお話になっても各所に差障りの出る事ですから、どうか妄想は一刻も早く忘れて下さい。全然全く関係ない言う事の証左に、記事は消さずにおきます。よくお読みになれば偶然の一致だとわかっていただけると思います

・・・・っていうか、わかって下さい。お願いしますm(_ _)m



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2006年1月24日 (火)

クラウス・マリア・ブランダウアー

 表題は、俳優さんの名前です。夕べBS2でモーツァルトの「後宮からの逃走」というオペラをやっていて、それに出ていたので仕事しながら見てましたv
  有名どころでは「愛と悲しみの果て」のブロア役で、メリル・ストリープとやり合っていましたが。この人は、私が「好きな監督」に名前をあげているイシュトバン・サポーとずっと組んでいます。サポーの「メフィスト」とか「ハヌッセン」とか、もう、ブランダウアーあってこその映画です。「メフィスト」に至ってはビデオすらないのでパンフでいつも記憶を呼び起こしていますが、さまざまに折り重ねられた複雑な感情を細やかに掬い上げてすべて演じきる繊細さと、「居るだけでいい」という昔ながらの重厚長大さを兼ね備えた、役者さんです。

 「後宮からの逃走」でも太守の役です。歌が無い(笑)ですからここはいつも俳優さんがあてられることが多いのですが、この役は、ほんとに難しいんです。オペラは、主役の女性の役名こそ「コンスタンツェ」ですが(笑)、実際はモーツァルトが当時付き合っていたソプラノ歌手を売り出そう、という魂胆の元に書かれたので(「アマデウス」でもこのくだりは出てきてます)、あちこちでアリアばかりがやたらと続く単調なものなのです。トルコの太守に捕らえられた姫を王子様が救いに行く勧善懲悪。しかしモーツァルト特有の毒が一滴垂らされるのは、このお姫様が、太守に、心動かされてしまうんです。普段はあれほど尊大なのに、恋に関してはむちゃくちゃ繊細で、まじめで、純粋な、太守に。


 はっきり言ってオペラは歌を聴きに行くので、アリアが引き立つように、あまり複雑な人間関係はすっ飛ばす(笑)演出もあります。特にこの「後宮~」は昔から、オペラ演出家が自由にいじれる代表格みたいな扱いで、舞台装置はソファ一個、とか、逆にトルコの鞭打ちの刑をアヤしい雰囲気でリアルに再現しちゃったりとか(いえ、「打って!私を鞭で打って!」と女性歌手が恍惚と歌うアリアの場面なのでマチガイではないですが・・・sm?)何でもありです。
   そんな中で。やっぱりブランダウアーはさすがでした。昨日の演出はごくオーソドックスなものだったので、余計にその演技力が光りました。異国の白人のお姫様を相手に、彼女の歌うアリアのほんとに一小節ごとに変わる太守の心の内。体の関係はもちろんなくても、心の奥底で深く恋人を裏切ってしまったお姫様の苦悩に、深く共感する太守。それでも自分の思いに忠実であろうとすろ純粋さ、雄雄しさ。最後王子様が逃走に失敗した時にも、太守の尊厳を犠牲にして彼女達を逃がしてやります。独占欲や戯れの恋などではなく、本当に彼女を尊敬し、愛していたのだ、という証に。歌わないのに、歌手より重要な役。たった一人で、いわばカラオケボックスを演劇の舞台に変えてしまわなくてはならないのですが、私はもう、アリアの素晴しさ以上に、太守の瞳に涙していました。かつての、狂気を孕んだ熱さも重さも既に消えうせ、好々爺然として舞台に上がる姿は、だからこそ、あのまるで絵巻物のような典雅な太守の恋にぴったりでした。オペラの鑑賞の仕方としては反則(笑)ですが、この演技を見られただけでも本当に嬉しかったし、感動しました。

「メフィスト」では、メフィスト役で一時代を打ち立てた実在の俳優兼演出家グスタフ・グリュンドゲンスの一生を演じていました。熱心なコミュニストだったのに、芸術に生きる道を選んでファシズムの嵐の中に沈む俳優。そこにはサポーの故郷ハンガリーの運命すら映し出されていきます。映画の中で、演じているメフィストと自分の区別のつかなくなる主人公、を演じるブランダウアー。あの、まるで現代劇のような複雑な感情の錯綜を丸ごと飲み込んで吐き出して見せた怪演。その行き着くところの一つが、まるで老いの理想のようなこんな幸せな形で見せて貰えて、本当に良かったと思いました・・・・

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2006年1月23日 (月)

サーミ人<世界遺産>

 「世界遺産」について特集を組んでいる局はたくさんあります。まずユネスコの名前を出せば取材費が安く済んで補助も出る。DVDが図書館・学校・公共施設という固い顧客を持っている。放送中の視聴率をスポンサーに言い訳しなくていい(笑)・・・理由はさまざまでしょうが、でも世界の果てまで出かけていくわけにはいかない私には、事情はどうあれ、とにかくとても有難い番組です。むしろ、乱立大歓迎ですv

 昨晩私が見たのは、スウェーデンの山の中に住む、サーミ人という人たちについて、でした(彼らの持つ文化が世界遺産)。今度「ククーシュカ」という映画が公開されるので、その前に見ておきたかったのです。映画は・・・第二次大戦終了間際スウェーデン奥地でかくまわれたロシア兵とスウェーデン兵の話。彼らをかくまったサーミ人女性も含め、3人の言葉は事実上全く機能しません(笑)。しかしロシアとスウェーデンはWWⅡよりはるか昔から歴史的に敵対する民族。そしてそこに起きるある事件を、サーミ人の女性が救う・・・らしいんですが。予告だけだと、日本のアイヌ民族みたいな感じ?!

「ニルスの不思議な旅」という童話読んだことのある方なら「ラップランド」という地名が心に響くと思います。彼らはそのあたりに住んでいるトナカイ遊牧民なんだそうです。隣のフィンランドは日本語と、多分母体となる言語を共有するほど、民族的文化的にたいへん近しい国ですが(そしてTOGOのおかげで漠然と親日派)、彼らから異民族として長らく迫害されていたのもこのサーミ人。知らなかったんですが、この人たちが遊牧を余儀なくされるようになったのは17C後半ぐらいから。ベドウィンやモンゴルの民とは根本的に違うんですね。だからトナカイの飼育も(番組で意図的にカットしたのかもしれませんが)宗教的色彩の非常に少ない、むしろ生産性を追及した合理的な牧畜、といった感じでした。飼っているトナカイのうち、優れた体格のオスを数頭選んで、後は全部去勢。食用牛のOXと同じで、太らせた肉が出荷されます。そして選ばれたオスは7~80頭のメスを相手にお仕事。なんっかこう、究極の選択、という感じがしますが(笑)、こういう風に生殖を人工的に司る民族の文化背景は、えてして女性崇拝か蔑視かのどちらかに、極端に別れる事が多いです。八つの季節を持ち、トナカイと共に流れていく事だけはかたくなに守りつつも、生活様式は家具・食器に至るまで今や完全にフィンランド文化を踏襲。この子供達は学校行ってないかも・・・とか思いながら(^_^;)映画の中ではキーとなるのであろうサーミ人のもともと持つ文化の部分が、逆に今からとても楽しみになってきました。
 それからサーミ人の歌も聞けました。私は基本的にアフォなので、言葉で説明されるより歌ってもらったほうが何倍もよくわかるのですが、番組で出てきた歌はフォークロアなものがあんまり残ってなかったです。迫害の実態とその有様も(当然ながら)番組では出てきませんでしたが、そのスウェーデン歌謡と混ぜ合わせたような不思議な歌は、現代の両者がそれほど過去にこだわってはいない事をうかがわせるもので、ちょっとだけ安心しました。

それから蛇足ですが。
私が見たのはTBS系列で流れている「世界遺産」です。ナレーターはオダギリ氏です。いい声、好きなタイプの声ですし、カンのいい人だな、とも思います。前ナレーター寺尾聡さんの頃からの習慣で録画もしています。
でもそうやって、全部見ている、あるいは見たのに、ここには書いていないモノは、オダギリ氏関連ではこの世界遺産以外にも、ドラマなど中心に結構あります。いわゆるスルーというやつです。いや、こんな奴はファンの風上にも置けないのはわかっていますが、いつものように×××な事を書く事に、人の気分を害する以上の積極的な意味が見出せない場合は、私の場合スルーなんです。悪口になるとは思っても、書く意味があれば書いてますが(笑)。ここはいわゆる情報提供が目的ではないので、お許し頂きたいと思います。詳しいサイトさんはもう、星の数ほどたくさんありますから是非そちらへ。




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2006年1月21日 (土)

雪です。。。

<雪>都心部で5年ぶり、積雪6センチ越す 降り続く恐れ

 去年の暮れから大雪で難儀する方が増えてきている中、本当に申し訳ないような気になりますが、東京は朝から大騒ぎです(^_^;)
 昨日実は降り始め予測が「昼過ぎになる」といったん訂正されたので、そんなに心配していなかったのですが、朝起きたらしっかり積雪v 今日は折しもセンター試験なんですが、センター試験の日って何だかよく雪が降っているような気がします。

 子供は外へ遊びに行ったまま全然帰ってきません(笑)。もう少ししたら祖父母の家に雪かきに行きます。朝から10cmほど積もった由、年寄りなので、出入りの道だけは付けて来ようと思います。。。

 雪が降ると、建物や木々の輪郭だけが雪の形に際立って、何だか現代日本という感じがしません。あたり一面濃淡で描き分けられ、まるで北斎の雪景色に早変わり。屋根の角度、立ち木の大きさ、道の幅、軒の長さ、庭木の枝ぶり・・・そんな思いもかけない所に、日本の風景が残っているのに驚きます。寒いですが、好きな景色です。


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時効警察(2)

第一回終了にして既にもう伝説の(笑)

「新しいパンツは~いて~ぴょんっ!!」((ク○ガ女戦士)がついにっっ

時効警察公式サイトで見られます!(正時に鳩時計クリック)
・・・・って、ねえねえここのスタッフはホントはネラ~なの?そうなの?
「ハイ~」・・・の巻。 
↓ 以下ハイブリッドネタですのでvv反転して下さい。

2回見て思ったんですが、霧山修一郎の役って、斉藤一がやったらすごくハマり役だと思います。あの人なら、時効が過ぎても義理堅く事件を追っていそうだし、人の善意に訴える、という所もぴったり。さらに「本人は真面目なんだけど他人から見るとおおボケ」なところもvv「イギリス人じゃないんだから」とサイトーにつぶやかれたら、私はナットクします(笑)






じゃなくて(笑)。
今回、面白かったです~見てない人に説明しようとすると、放送と同じだけ時間かかりそうです(笑)。前回と同じ三木さん監督でしたが、今回は、キャラによる組み立てコントはやめて、その場にいる人には「とりあえずネタを持たせる」方式でした。それから、ネタとギャグと進行をすっきり整理してました。これで今回得をしたのがオダギリ氏。謎解きもきれいになったし、前回の倍ぐらい持たされてたネタも完璧でしたvv逆に、もともときっと「ぽつねん」に求められている、人の突っ込みをうけてボケたりかわしたりという仕事のほうが何だか大変そうで。やっぱり自分から仕掛ける人、なんですね。演技の仕様がコメディアンじゃなくて役者・・・いや、そんな事わかってますけど(笑)
 それと、テレビのコントで一番好きなのが「畳み掛けるように続くツッコミ」。小劇場のノリですが、テレビは大きな声を出したり身振りをつけたりしなくて良いので、速射感(笑)が違いますvv小声でさりげなくいつまでもツッコミ続けるのも大好きv  それが三回ぐらいあったので、とうとう夜中に声だして笑ってしまいました。
 出演者が今回は慣れて、せりふの出し入れが自由になってたし、枠組みとしての事件が、前回より事件らしくなってたし、「時効事件を追う」段取りも、設定がより丁寧になってたし、で全体に違和感も減りました。「ぼんやり見てれば特に不思議はない」程度には事件の体裁が整って来たので、安心して笑ってられます(結局そこか)。
 で、主人公は池脇千鶴さんだったのですが、ゲストに片桐はいりさんがvvいたんですよ~それも、「片桐さんだっ」と思ってこっちが身構える(笑)その期待をはるかに越えて(笑)物凄いインパクトのある役でした。どうしてだろう・・・片桐さんこそ、いつ見ても片桐さん(笑)なのに、どんな役をやっても必ず「片桐さんの顔をした別人」なんですよね~ほんとに役者の鑑だと思います。
 三日月さんはもう、ビシバシステムで使ってもらえるんじゃないかっていうくらい(笑)しっかり役どころを飲み込んでました。頭の良い女優さんなんだと思います。肝が据わってるしvそれにひきかえ我等が十文字刑事は、今回ゆるーく出落ちキャラでした・・・いや、銅鐸は頑張ってましたけどねv今日の十文字刑事はこちら!!!!

最後、ネタバレになりますがどうしても言いたいっ    
本筋とはまったく関係ないので許して下さい・・・霧山流ナンパテク(笑) 

「1度会うのは偶然でも・・・」でわざわざ先回りして
ここで瞳を見つめて必殺の(笑)
「2度目は、必然ですよね」
うっとりと甘くささやく低い声っっ! 
しかしあんな髪型で(笑)アンナぼんやりした服着たまま(笑)
たった一言で女性を骨抜きにできるのは、いかに日本全国広しといえども
オダギリジョーしかいませんって(大爆笑)。
いや、何とも素敵な史上最強の最終兵器vv
これさえあればオダギリ氏、片桐さんにも負けないぞっっっ>・・・違うって(笑)

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2006年1月20日 (金)

嫉妬の香り(3)

 このブログの他のカテゴリのお客様から「↑面白そうだけど見られないヨ」とメールを頂戴しました。調べたらDVDビデオも出て無いんですね、これ。そのうちオダギリ人気に乗じて発売される・・・・とは絶っっっっ対思えないので(笑)、このドラマが放映されていた時大変賑わっていたと伝説の(笑)2ちゃん某所スレ過去ログを進呈しました~(おい)。

で、ご存知の方には申し訳ないのですが、ここで簡単に構成を。各回に起きた「主な出来事」も書きました。それから私は、見てない人でも絵が浮かぶよう、また間接的なネタバレ防止の為に、役名は書かないんですが、事情が特殊ですので、今回だけ、書きます。
本上まなみさん(ミノリ)と堺雅人さん(テツシ)が結婚間際。ただし本上さんは過去に破談の経験があり、そのせいで仲は良いのに距離があります。
それから川原亜矢子さん(政野早希)と寺脇康文さん(政野英二)が夫婦。仕事上もパートナーで、典型的なDINKSですが、そのこと自体に2人とも倦んでいます。
で、寺脇さんの会社のプロジェクトに本上さんが抜擢され、河原さんの仕事・夫婦ダブル「嫉妬」の始まり。あてつけに、河原さんは堺さんを誘惑しますが、堺さんは逆に罪悪感を募らせます。
オダギリジョーさん(浅井誠)は、河原さんを慕う部下です。四人が自ら泥沼にのめり込んでいくのを見て、引止めにかかる(ふつー誰でもそうすると思います・笑)。ただしそれは自分が「蚊帳の外」に置かれているから、嫉妬からです。 

話としては、ここから四人がお互いに疑心暗鬼になり先を争うようにどんどん深みにはまっていく・・・ところが面白いので、はっきり言ってオダギリ氏はいらない(笑)筈なんですが、テレビって、そんな簡単じゃない、というのが、ちとわかってきたように思います。テレビは、何でも、どんなものでも微細に映し出せる代わりに、映画と違って「観客が飽きる」。つまり時間の制約があるんですね。5分かければ気持ちの流れが万華鏡のようにさまざまに現れては消えるところを、CMはあるしチャンネルは動かせるしで(笑)作り手はそれを一瞬に収めて、あるいは切り取って、魅せなければならない。そこにばっさり捨てられてしまうものがある。そして捨てた分は、どこかで別の形でくっつけないといけないわけです。省略と増幅のループ。うーん・・・これって少年漫画、に似た構成だと思うんですが、どうなんでしょうかね。

原作でとても好きだったのは、香りで浮気を「知らしめる」という手口。今までも使っていたのですが、この回で川原さんが仕掛けたものにいよいよ本上さんが気づきます。これ、無言電話やかみそり手紙(!)よりずっと素敵だし、しかも「相手は私」と堂々と宣戦布告するあたりがカッコイイッ(こら)。画像で見ると、小説よりもっとさりげなくてあざとさが消えて良かったです。そこに、深いもの、熱いものがどくどくと脈打つように感じられるのも、香りならでは。それがとても説得力がありました。原作には無いシーンですが、第1話でオダギリ氏が憧れの川原さんのハンカチの香りをそっと嗅ぐ所も、絵としてとても美しかった・・・尊敬と憧れの入り混じったきれいな気持ちが形になったようで、素敵でした。素に戻って考えると、この時点でこの部下は既にアブナいんですけどね(笑)


 

<主な出来事>
寺脇さんが、香りの研究をしている大学教授にレクチャーを依頼。軽井沢在住の教授の元へ、社員と本上さんとで一泊出張。ところが事情で社員は同行できず、さらにホテルも取れていなくて寺脇さんと本上さんは寺脇のアトリエに泊まる事にします。この2人はこうなってもまだどうということは無いのですが(笑)、東京に残された川原さんと堺さんはそれを知って平然としていられよう筈も無く、2度目のアヤマチ・・・しかも会社でイタスものだからオダギリジョーがそれをしっかり目撃して、声にならない絶叫・・・ 川原さんは堺さんに自分の香りを殊更に付け、それに本上さんが気づきます。

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2006年1月19日 (木)

役者稼業は・・・

 映画関係の雑誌で「CUT」という大判写真月刊誌があります。今日発売で、さっき本屋さんが持ってきてくれた・・・と思ったら、早速映画大好きな友達が職場から電話(^_^;)

 友:「CUT買った?ジャームッシュとヴェンダース、ちゃんと載ってたよ。すごいよvv」

・・・そうなんです、友人と私の間では、この号は先月からスゴク楽しみだったんです。この2人の監督は基本的にアチラの人ですから、アメリカで出ているNYフィルム系の映画雑誌にコメントが出てないことは無いのですが、そしてネットでも見られたりするんですが、やっぱり日本語で読めるならそのほうがイイ(笑)。しかも2人いっぺんにインタビュー掲載されてて大きな写真つきvv囲み記事でも文句言いません、な私たちにとっては破格の扱い~だったんです。友達の言う「ちゃんと」というのはつまりソウイウ意味で(笑)

  私:「ごめん、まだそこまで辿りつけてないヨ。」
  友:「あ、わかった、『サラリーマン』で手が止まってるな(笑)」
  私:「当たり~」

表紙と中で特集されているのが「サラリーマン、オダギリジョーの日常」。そりゃあ手も止まりますって(笑)。っていうか目が釘付け。


  友:「そこのインタビュー、読んだよ。面白い人だね。」
  私:「どのあたりが?」
  友:「現役中学生の間でキワモノ扱いされてると知ってがっかりしてるトコ」
  私:「アハハ。」
  友:「でも日本で真面目に役者をやろうとすると、そうなっちゃうよね。」
  私:「記事にある、役と関係ない部分を知りたがる人たちから
     身を守るので大変そうな感じは、わかる気もする。」
  友:「そう、だからその生垣の向こうにいる人達は見えてなくて、
           今更ながらびっくりしたんだろうね。
          (注:ほんとに生きた垣根だよ、と私も思いました・笑)」
  私:「でも本人は気にしているけど、そんなの聞いてどうするのかな。
           役を見た人がどう思ったって、結局出来る様にしか出来ないんだし。」
    友:「いっそ誰にもウケなくても気にしない、ぐらいでないと
          ジャームッシュの映画なんて出られないよね。」
    私:「いや、出たいなんて誰も言ってない(笑) 好きらしいけど。」
   友:「そりゃ男はああいう映画は大好きだよ。ヴェンダースもね。
         でも、今いる監督だったら、例えばルコントに出ている
         オダギリジョーは見てみたいかな。」
    私:「きっと嫌だっていうと思う(笑)。」


以下、マニアな監督談義が続いたので割愛しますが(笑)
途中私が言っている「聞いてどうする?」は偽らざる気持ちです。内野はもちろん(笑)外野の声も気になるのはわかりますけど、オダギリ氏の場合、人気商売・・・にはない良さもあるので(だからキワモノなのか?・笑)、気にしてもはじまらない気がします。基本的に、一緒に製作に当たっている監督・スタッフの方たちがOK出してくれたなら、それでいいのではないのかと。CUTはいつもインタビューにとても力入れていて、寡黙なオダギリ氏にもたいてい上手に「語らせて」いるんですが、今回はちょっと阿っていたか(「情熱大陸」のクダリなんか特に)。
本人、役者としての限界を感じられたら役者がやめられる、と書いてましたが、もっと能動的に、やりたいオファーが来なくなったらやめる、という選択肢もあるんじゃないですか、という事でひとつvv



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2006年1月18日 (水)

ロード・オブ・ウォー

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  公式サイトはこちら

   (音が鳴りまくりますのでお気をつけ下さいv)




映画の冒頭で、ニコラス=ケイジが観客にこう言っています(公式のトップでも流しています)。「今、世界には五億五千万丁の銃がある。ざっと、12人に1丁の計算だ。残る課題は・・・1人1丁の世界。」
 映画の主題はコレです。サイトに「control arm」へのリンクが張られていようが、伏字に近い形で字幕が変えられていようが、そんな事は知ったことではありません。悪の手先、武器商人を丹念に追うことで、悪の親玉を静かにあぶりだした、この映画に拍手喝采です。
 伏字、は言いすぎでしょうが(笑)字幕の大田さんは苦労なさっていると思います。私はカタカナで題を見たのでふつーに「戦争への道」だと思ってましたが、これ「Lord of War」なんですね。「戦場の救世主」。映画の真ん中あたりで、リベリアの殺戮大好き大統領(!)が、武器をすんなり持ってきてくれるケイジを讃えて「King of War」と呼ぶのに応えて、自分を「Lord of War」と呼んでいるのです。字幕は「君は戦場の王様だ」「いや、王様ではなく王だ」・・・何のことだかワケわかりませんが(笑)、つまり武器商人を救世主、と呼ぶのは×、という事なんでしょう。辞書の最初は「王」ですしね。でも、貧乏な組織にも金持ちの国にもそれなりの値段で(笑)きわめてフェアに商売として武器を持って来てくれるケイジは、まさに紛争当事者にとって「救世主」です。
 武器商人に対するアンチテーゼはしっかり出てきます。東西冷戦当時からいる、政治家の意向に沿って「平和的均衡のために」双方に武器を売る政商や、両親を密売武器で殺されたケイジの妻、不正輸出に徹底抗戦するインターポール、一緒に武器を売り歩きながら、自分が今売った銃で目の前の子供が撃ち殺されていく現実に耐えられず、麻薬に溺れこんでいく弟・・・特に、ケイジが売った銃で殺戮が行われるシーンは、何度も何度も出てきます。それでも観客は、ケイジを酷いとか憎いとか思えません。100%ビジネス、飯の種なのがしっかりわかるからです。商人自身はどちらにも加担していないし、誰も憎んでいない。「武器は売るけど、それで誰も殺さないで欲しいとさえ思う」とケイジが言うと、インターポールは詭弁だ、と鼻の先で笑いますが、私はこれが武器商人たちの偽らざる気持ちだろうと思います。あくまでもビジネス。例えば、難民キャンプをゲリラが襲う、その武器が最初刀なんですが、そこへ銃火器をしこたま持った兄弟が到着。弟は、今売るこの武器が次にする事を思って絶叫し絶望します。けれども観客がひそかに受け取るのは別のメッセージです。「今銃を売らなくても、こいつらはさっきと同じように刀で殺すだけの事」。刀がなければ、欠けた皿でもロープでも火でも、そこにあるものはすべて使われるのです。人が人を殺す気持ちは、武器の性能とは全く関係ない、という現実。
 武器を取り上げただけで平和運動をした気になれる、善良な市民の皆様への強烈な皮肉もあります。大きな会場を借り切って盛大に行われる武器見本市に、高らかに流れているのは「ワルキューレの騎行」。あれを聞いて「地獄の黙示録」を思い出さない人はいないでしょう。でも会場にいる人にとっては「購買意欲を起こさせるBGM」だから流れているんです。それからケイジは密売人ですから仕入れ元はは共産圏からの流出物、その主力商品「カラシニコフ」の性能を説明する時、映画のBGMは世にも美しい「オデット姫のテーマ」白鳥の湖、です。最初は、試射をする兵士のトリガーを引く音が、レジスターの「チーン」(笑)に聞こえていたケイジも、営業して歩くうち、その機能美に感心するまでになります。その手にしているものは、現代工学の粋を極めた完成品。今や武器は社会の根幹を支える基幹産業なんです。この世の金と技術がまず一番先に注ぎ込まれる分野。なぜか。どんな値段でも「売れる」から。・・・・じゃあ、買っているのは、誰なんだ!!! 観客の目に、だんだん「買っている人たち」それから「売りに出している人たち」の顔が見えてきます。
 もし、これをアメリカで観たら、観客は、自分の手の中にある銃と、その先にある星条旗を・・・思い出す事になるでしょう。最後、ケイジはついにインターポールに捕まるのですが、ものの見事に無罪放免になるからです。上官の「コレに懲りずに、また頼むな」という握手と共に。そこまで、この映画ではきっちり書かれているのです。

 そして、冒頭の一節です。

「今、世界には五億五千万丁の銃がある。ざっと、12人に1丁の計算だ。残る課題は・・・1人1丁の世界。」
ケイジにとっては、これはマーケットのキャパを示す数字で、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。1人1丁の世界がもし来たら、と考えたがるのは、政治家と平和運動家だけです・・・しかしそれに何の意味があるのでしょうか。映画の中で、とても印象的なシーンがあります。ケイジがインターポールの手を逃れるためアフリカの砂漠に飛行機を不時着させるのですが、それがどこからともなく現れた村人たちによってひとつ、又ひとつと丁寧にはずされはがされ、ついにはひと晩で全部(笑)きれいに持っていかれてしまうのです。要するに村人全員ドロボウvv 私には、彼らが嬉々として抱えていった武器・弾薬や機器の行く末が見えるようでした。きっとそれは彼らの明日のパンになり、子供の服になり、そしてまた何事もなかったかのように、いつもと同じ日々が続くのです。それを「使う」のは別の人達。あの、いっそすがすがしいとさえ思える魂に、正義や平和が入り込む隙はありません。1人1丁あっても、使い道がないのと同じように。

いわゆる本家の(笑)救世主は、病んだ魂を救うためにこの世にやって来ました。戦場の救世主は、ごく健康な魂の欲するところに従い、病んだ「頭」を相手に商売しているようです。その武器を取れ、と指令を出す頭が、勝手な正義が、イデオロギーが・・・・なくなるまで、このマーケットは永遠に「不滅」です。いい商売、です。

 




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2006年1月16日 (月)

シネ・アミューズ10thとアカルイミライ(2)

 日本映画堪能オールナイト、行ってまいりました。子供が小さい時は徹夜なんてよくある事だったので軽く考えていたのですが、昨日午後私は、まるで使えない人間になってました(笑)。それでも見てよかった。トークショーも面白かったです。
 そっちの方から先に話をしますと、私はメモも取らずに赤い部屋で、(笑)ただボーっと聞いていて、しかも会話そのものはあとで記事に起こされるそうなので、ここであやふやな記憶のまま内容を詳述するのは避けます(^_^;)。何だか夜中にふさわしい、ゆるゆると進む会話でした。聞き始めてから気がついたのですが、お2人ともどちらかというと聞き役に回るタイプの方なんですねw 撮影秘話など時々笑いも混ぜながら、どこかのバーのカウンターで交わされるような、ポツリ、ポツリと楽しむような間に味があって、良かったです。
 それから、私はものすごい勘違いをしていた事が途中で判明。今、浅野さんは髪を結構伸ばしていてしかも部分的に白髪が目立ってて(^_^;)、一方加瀬さんは生で見ても、この日上映された「ロックンロールミシン」の中の加瀬さんと寸分違わぬ若さと可愛らしさ(^_^;)、今でもあの伝説の「69」学生服姿が余裕でOK、な感じなんです。並んでいると10才は軽く年が離れているように見える。一方、初めて加瀬さんと共演したスクラップヘブンの時のオダギリ氏もリアル29才、っていうか見た目今日の浅野さんよりひとつ年下ぐらい?(え)・・・そうです、実は加瀬さんってオダギリ氏よりひとつ先輩だったんです○| ̄|_ もっと言うとこの3人、実年齢は3才しか離れていないんですよwいや~オダギリ氏、も少し加瀬さんを見習おうよ(笑)
 そう思いながら、トークの後映画を見、「アカルイミライ」の加瀬さんを見て、公開当時はちゃんとオダギリ氏より年上の方として見ていた事を思い出しました・・・加瀬さんごめんなさい、あなたはきっとみんなの憧れ、永遠の若者です(爆)。

 では、今の私が見た、3作品の感想を。
「風花」 
現在の浅野さんを目の前にして言いにくいのですが(笑)、この映画の時の浅野さんは、ほんとうにむちゃくちゃかっこよかったです。そして爆笑キャラ。私は当時、キムタクより浅野さんのほうが全然凄い、とさえ思っていました。今見ても、やっぱりそう思いました。そして小泉今日子さんの美しさも。この人は映画の中でも映画の外でも変わらず美しいんだろうなぁと思います。そしてそれを極力変わらないように撮る相米監督の、観客への優しさと役者さんへの厳しさと。このころ、あくまで私見ですが、日本映画の若い監督で一人気を吐いていたのが阪本監督で、その熱さと重さの対極にある相米監督の出現は、対等に対極にあるからこそとても貴重な存在でした。崔監督や井筒監督が商業ベースでも評価される、よい時代になった今こそ、相米さんの映画がもっと見てみたい、とつくづく思います。合掌。

「ロックンロールミシン」
会場では、加瀬さんファンの若いお嬢さんたちと隣合せたのですが、彼女達の間でもこれは評価の別れる作品である由。私も失礼ながら、寝るならここかも、と思っていました。が、・・・面白かったです。っていうか、すっかり眼が覚めました(笑)。夏にヒミコを見てからこっち、オダギリ氏のDVDその他は一生懸命見ているおかげで、「夢の中へ」とか「バナナの皮」「HAZARD」「ブラックキス」(以上三つは断片)なんていう、むしろ拒んでいた世界にもいつのまにかすっかり慣れていてですね(笑)。自分の事は棚に上げて、若い人にはこういう映画を是非もっと見てほしい、などと真剣に思ってしまいました。私の世代にはウケないかもしれないけど、でもそんな事を気にしていたらオジサンオバサン向けの映画だけになってしまう。正直、今の若い人を映画館に呼ぶには、こういう、今の若い人と波長と時代を共有する監督でないと、だめなんだと思います。映画、というフィルターを通してみれば、その波が、大きさが、多少はおばさん達にも伝わってくるわけですし・・・いや、全部わかったとは口が裂けても言えませんし、そもそもおばさんはそんな事わかんなくていいんですが(笑)。そしてクドいようですが、加瀬さんは若い・・・・

「アカルイミライ」
えーと、やっぱり泣きました(笑)。この時間帯になると寝てる人もいたので助かりました。最初にこれで泣いたのは、実は「曖昧な未来」が公開された時、場所もココでした。いわゆるメイキングフィルムで、浅野さんの部屋にオダギリ氏が行くシーン。OK出る前のオダギリ氏が何度も撮りを重ねているのですが、それが、「アカルイミライ」の中のオダギリ氏と、本当にもう、全然、違ったんです。曖昧な、の中のオダギリ氏は、もうどんなに努力してもこの人はどうにもならないだろう、っていうくらい衝撃的に下手。このオダギリ氏にあきらめずに何かを見出したというだけでも、私は黒澤監督を心の底から尊敬しています。ほんとに。そして曖昧な、を見ながら「アカルイミライ」を思い出せば、ココのシーン、結局オダギリ氏はやり遂げて、画面の中にちゃんと納まっているわけで。そのあまりにもかけ離れた演技。コレがアアなるまで、いったいこの人はどれだけ自分を追い詰めて追い込んで呻吟したんだろう、と思ったら、映画館で泣いてました。はたから見たら黒澤監督の信奉者みたいだったでしょうか(笑)。
この年は、実は私的不朽の名作「ドッペルゲンガー」が、あと「蛇イチゴ」が公開された年で、年の初めに見た「アカルイミライ」は正直、記憶の中の存在になってしまっていました。それでも、最初見た時一瞬にして心を奪われたオダギリ氏のあるシーンが、その後もずっと頭を離れませんでした・・・雨に降り込められ、雨宿りした倉庫の床下を覗いているので、藤達也さんが後ろから声をかけます。すると、振り返ってオダギリ氏がこう、宣言するんです。「いました。」何の演技もしていない、ただそのままの声で。それなのに一点の曇りも無い自信に満ち溢れた顔で。すがすがしく、明るく、強く、正しく、何の迷いも無くすっくと立っているオダギリ氏。それはまるで、気がついたら目の前に滑走路が広がっていて、そこにいきなり見た事もないような美しい飛行機が降り立った、かのようでした。今までどこにいたのかと思うほどに美しく大きな飛行機。そしてあらわれたかと思ったら、次の瞬間からもうこの飛行機は、離陸準備を始めます。着々と工程を積み重ね、エンジンをふかし、滑走をはじめ。最後藤達也さんを抱えて遠くを見つめながら、「未来」を具現化したような抽象的な存在にすらなって飛行機は見事離陸し、飛んで行って、しまうのです。
 その、この世界に降り立った瞬間のオタギリ氏が、この人の基礎であり核でありすべてであると私は今でも思っています。そしてこの時生まれた水晶の珠は、その後映すものによって、暑苦しくも仰々しくもなってしまって、私は正直それを惜しいと思っていましたが、今はそれが、落としたぐらいでは割れない、象が踏んでもこわれないvv頑丈なものだとわかりましたから、もうそこに何が映っていようが知ったことではありません(笑)。楽しみに拝見しようと思います。







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嫉妬の香り(2)

 「トップランナー」という番組にオダギリ氏が出た時、司会の本上まなみさんが以前共演したドラマとしてこれを挙げ、「とってもマニアなドラマだったんですよね~(にっこり)」という紹介をしていましたが(その場にいる人の顔はなぜか映っていない・笑)、最初は、確かに女性陣お2人が別の意味で「話題」になっていたんでした。今残っているネット上の辞書だと、すごいあからさまな書き方(大根・・・)をされていますが、今まじめに見ると、そうでもないのにな、と何だか気の毒な感じがします。いや、あとでウルトラド級の破戒キャラが登場するのを知っている(笑)・・・のを差し引いても、です。
 舞台の俳優さんとテレビの俳優さんをそんなに分けて考えなくてもいい、とは思うのですが、こういう心理描写ばかりが続く話は、(昼ドラとはいいませんが)やはりテレビ、に向いていると思います。テレビは要所要所で、顔の表情なり、つぶやくようなせりふなりを、残らず掬っていけるからです。舞台はそれが「見えない」ので、補佐動作が入る。堺さんは、ここではそれをしてしまってますね。結果、一緒にいる時最大級の悪女である筈の川原さんが、その芝居を受け止めきれずにあんまり大きく見えない。堺さんはプロ、だからこそ、もう少し演技の出し入れを周りで言ってあげるほうが親切ではなかったかと。
 それから脚本に謎を感じるのは私が若くないから?!かも知れませんが。若いタレントに失態をなじられ水をぶっ掛けられる川原さんを、通りすがりの本上さんが見つけるシーン。川原さんが言う、「アナタにだけは見られたくなかった」・・・って逆じゃないですかね。私なら仕事で苦労してる姿は、天然タイプのライバルにはむしろ見ておいて欲しい、と思いますけどね。そしてさらに、「見られたくなかった」と言われてもそれを見つめてしまう本上さん。いや、私だってこんな場面で「見つめる」と言う指示が出ても、どんな顔したらいいのかわかりませんよ(笑)。かわいいキャラなんだから、とりあえずハンカチ出して拭いてあげるとか、ねぎらいの言葉をかけてあげて地雷を踏むとか(笑)、もっと自然な反応がいろいろあると思うんですが。「この表情から何かを読み取って!」と肝心のところをポーンと放り出すような脚本で、役者さんが大ry)と呼ばれてしまうのは、ちょっとあまりにも何だかな、と思います。

 いや、ポンと片隅に捨て置かれても「僕はこの後ストーカーになるんです!」という固い決意を、見事に眼だけで訴えていた見返り美人(笑)も、約一名いましたがvvv



<主な出来事>
会社のお客さんと打ち合わせの為、オダギリ氏ともう一人を連れて、ホテルの客の個室に向かう河原さん。ところが偶然、同じフロアの部屋に打ち合わせで入っていく寺脇さんと本上さん。自分と同じく、そこに「男女関係」は全く感じられなくても、「いずれそうなる」という確信に川原さんは縛られます。で「未来への復讐」「いずれつけられる傷のための薬」として、川原さんは堺さんを誘惑。わかりにくい理屈ですし(笑)堺さんも最初は取り合わないのですが・・・エレベーターが事故で故障して寺脇・本上ペアだけが大遅刻、さらに川原さんが仕掛けた「寺脇さんの香り」を、堺さんは見事に「残り香」と思い込み、ついに誘いにノッてしまいます。

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2006年1月15日 (日)

最初で最後の宴会(笑)

もう足掛け3年もv誘っていただいていた「工房一番合戦」様との宴会に、やっとご一緒させていただくことができました。お店のご理解があって、うちの子達を連れて行って写真を撮ってもOK(開店前)という夢のような宴会(笑)。結局呑まなかったのですが、「酔ってるのか!」っていうぐらいハイテンションに盛り上がりました。めちゃめちゃ愉しかったです。お仲間に混ぜて下さった皆様、本当に有難うございました。写真は、宴会前の、お子様達だけの宴ですvv 

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実はこの後、彼らを連れてオールナイト上映に行ったんです。徹夜。しかもそのまま日曜礼拝(笑)。濃い一日でした~vv



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2006年1月14日 (土)

時効警察(1)

以前に書いた「イン・ザ・プール」より、更にハゲシク「シティボーイズ」でした。でもテレビだから間尺にあっててこれは良いですv 小ネタコントが静々と(笑)展開されていって、冷めた感じが面白い。あの頃は、3人の強烈なキャラがいて、でてくるせりふが不自然なほどのんびり、というギャップが面白かったのですが、今回はキャラそのものも全員不自然なほどのんびりしていて(笑)ギャップもなにも、ずっとのんびりです・・・ヘン(笑)。でも、耳を疑うようなあの「シティボーイズ級の小ネタ」(笑)が、謎を解く(っていうか話を動かす?)鍵になっているのが面白かったです。いや、ギャグで謎解き・・・カンベンして下さい(笑)
 もう一つ、帰ったらまた録画見ますが、この番組はスタッフがイロイロしこんでいるようです。私が気がついたのは、三日月さんが、鏡の前で嬉しげにク○ガの某女戦士のカッコしてた事。「やりすぎか・・・」って、それはそもそもアリなのか(笑)。考えたら、ここは他にも「サトラレ」とか製作しているんですよね。頑張ってウォーリーを探しますvv

<付け足し>
オダギリ氏目当てで見たのは100%間違いないのですが、第一回にして既に心を、っていうか目を(笑)奪われたのは、十文字刑事!!好きだコノ人~~~vv 携帯の着信が西○警察なんてワルノリすぎwあの息詰るようなタメがものすっごい好きです。それに、熊本さんがシティの斉木さんなら、十文字刑事はマンマ大竹まこと!もう、この2人は三木さんの意図がカンペキわかってましたねv脱帽vv
というわけでこのブログ始まって以来、初のトラックバック(?!)は
こちら!!!!!

<さらに付け足し>
というわけで、三木さん監督の回はオダギリ氏にきたろうさんの役回りが振られているわけなんですが、その件に関しては正直ちと中途半端だったかも。あの「落ち着いたしみじみとしたボケ」が(ク○ガのときもそうでしたが)間、のコントを受けるには必須なんですけど・・・善意の自白を迫る(笑)時だけでも、番組的にはヤマなわけなので、(お笑い方面ではなく)シリアス方向でひとつ何か道具が欲しいところです。ま、次回は監督違うので、きっとまた別の妙案が(おいおい)。あと、殺陣と一緒で受ける側(突っ込む側?)の手練ぶりにはほんとうに感動すら覚えましたwwオダギリ氏がゲラ(ホントに良く笑う人)なのもよーくわかりましたし。「自分が笑っちゃってNG出す」と記者会見で言ってましたが、熊本さんのノックの音で振り返る、そーんなお約束なベタな場面で「アナタが」笑ってどーするんですかwそこが実は一番オモシロかったよvv

それと、オダギリ氏のこの髪型は実は「山椒魚」という夏公開映画のキャラのスタイルなので、撮りが終わった今、ひょっとすると5話以降、もっとスゴイ髪型になる・・・・か?(笑)


 


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シネ・アミューズ10thとアカルイミライ

 東京に住んでる人でも「何処にあるの?」と聞くような、ホントにちいさな映画館、「シネ・アミューズ」が今年10周年を迎えました。一応場所は(笑)渋谷東急本店のヨコ。私が見たいと思って探す映画は、ここか、道を渡って反対側の文化村ル・シネマのどちらかに、何故かきっちり掛かっていて、私にとってはほんとに貴重な映画発信基地でした。
 誤解のないように言うと、ここはちゃんと(笑)大手の映画会社が配給する映画も掛かります。今手元に10th記念のパンフがあって、「ウォレスとグルミット」とか「テニスの王子様」「NARUTO」なんかも掛かってたらしい。でも、私の行く時間のせいだと思うのですが、ついぞ大入り満員・立ち見で行列・・・なんてのにはお目にかかりませんでした(笑)
 開館したのが1995年冬。私は生後5ヶ月の子を主人に頼んで、もう2度と見られないであろう「南京の基督」を見に行きました。それがなれ初め。以下パンフに従って、見た映画を書き出してみます(上映作品はこの3倍くらいあります)。

■1996 僕は勉強が出来ない・KIDS・ビリケン・カップルズ ■1997 リチャード三世・シャイン・女盗賊プーラン・キッチン・ブラス!■1998 緑の街・ソルジャードックス・革命の子供たち・アサシンズ・BLUES HAPP・ヴィゴ・勝手にしやがれ・スライディング ドア・イノセントワールド・アンナ マデリーナ・ラスト ゲーム■1999 地球に落ちてきた男・パフォーマンス・1001nights・突然炎のごとく・インディアナポリスの夏・ジム ジャームッシュ映画祭・ゴースト ドッグ・地雷を踏んだらサヨウナラ■2000 ラストタンゴ イン パリ・戦争のはらわた・BULLET BALLET・コフィー・CUT・さよならS・ヘヴンズ バーニング■2001 風花・リトルダンサー・ビートニク・ザ コンヴェント・天上の恋歌・キシュ島の物語・シャドウ オブ ヴァンパイア・VERSUS・ショコラ!・青い夢の女■2002 トマ@トマ・バスを待ちながら・JAZZ SEEN・Laundry・KT・ノー マンズ ランド・パッション・ゴダールのマリア・ストーリーテリング・夜を賭けて■2003 アカルイミライ・曖昧な未来・赤い部屋の恋人・六月の蛇・蛇イチゴ・ドッペルゲンガー・■2004 アンテナ・殺人の記憶・箪笥・誰も知らない・お父さんのバックドロップ・透光の樹・恋文日和■2005 ラマン・パッチギ!・ウィスキー・フィメール・樹の海・インディアンサマー・深紅・カナリア・甘い人生・電車男・サマータイムマシン ブルース・真夜中のピアニスト・親切なクムジャさん・スクラップ ヘブン

この劇場は、中が赤いEASTと、青い内装のWESTに分かれていて、正直、EASTで観たものは鮮烈に(笑)覚えていますが、WESTのものは他の単館映画館と勘違いしているかもしれません。その時はハズレと思っていたもの、逆に今なら見ないかな、というもの、さまざまですが、とにかく掛けてくれなければハジマラナイわけで、この十年に本当に心から感謝しています。

今日は10thを記念して「日本映画堪能オールナイト」というイベントがあります。シネ・アミューズが選んだ「日本映画に新しい風を送り込んでくれた三本」
「風花」「アカルイミライ」「ロックンロールミシン」(チケット完売)
また、2/4に開催される「人気投票オールナイト」では、上位三作品
「スキャンダル」「VERSUS」「サマータイムマシン・ブルース」
が上映されます(当日券のみ)。
2/4の映画も面白いものばかりなのですが、今日は浅野忠信×加瀬亮 というトークショーもあるのでコッチにしました。

さて、監督・役者9人から、パンフにお祝いのメッセージが届けられています。黒澤清・是枝裕和・塚本晋也・矢口史靖・行定勲・浅野忠信・伊勢谷友介・加瀬亮・西島秀俊・・・というソウソウたる顔ぶれの方々が、心からの祝福を込めたメッセージを寄せている中で。

「だいたい人生において、めでたい事は10年に1回起きるもんだ。
10才の時にリトルリーグで優勝し、20才の時にナイフのようにとがっていた。
そして30才になる今、シネ・アミューズが10周年を迎える。
これで僕はまた10年、めでたい事から離れていく  --オダギリジョー」

今日は本人のデビュー作とも言うべき映画が選ばれて上映されるのですからヒョットシテ・・・とも思っていたのですが、こーゆーお行儀の悪い人は主催者はまず呼ばないんでしょうかね~(笑)

特にこの半年、私の方はオダギリ氏の見方がさまざまにゆすぶられました。
今「アカルイミライ」見たら、何だか泣いてしまいそうな気がしてしょうがない・・・です(カッコワルイ)






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2006年1月13日 (金)

狼たちの午後

 またまたふるーい映画で申し訳ないw これは、アル・パチーノの映画です。是枝監督の「誰も知らない」を見ていたら、急にこれが見たくなって借りてきました。
 銀行強盗2人組みの映画です。このころはまだ、普通の映画にはCGもないし手法もワンカットワンシーンが多くて、舞台演劇の色が色濃く残っていました。そう思うと「ゴッドファーザー」はほんとにつくづく革新的な映画だったと思うのですがv それとは逆により舞台に近い分、こっちのアルの方が彼の本領発揮してたと私は思っています。
 私にとってアル・パチーノは舞台俳優です。先年「リチャードを探して」という映画を彼が撮りましたからご存知の方も多いと思いますが、映画に出ていない何回かのブランクの間も、彼はずっと舞台には立ち続けていました。で、一番の当たり役と言われているのが「リチャード3世」なんですが、幸運な事にこの舞台を撮ったスライドを家で見せてもらったのが、初めて見たアルでした(いや、スライドって・笑)。一枚一枚、真っ暗の部屋で食い入るように見てました。お馬鹿な中学生だったので「リチャード3世」が何した人かも知らず(おい)、シェークスピアは喜劇しか読んだことなく(殴)、したがってその舞台話法も何もかも全然わからなかったのですが、順番に見ていくと、このリチャードという若者が、何を考え何を感じているかだけは、胸に突き刺さるように強烈に伝わってきました。せりふが無いのに何が言いたいのか強く伝わってくる、というのは、当時の私には物凄い衝撃でした。リチャード3世の元の戯曲を借りて読んでも結局修辞が多くて半分しかわからず(泣)だからどうせ見に行ったってせりふなし状態には変わらないんですが(爆)、それでも見てみたいと、動くこの人を見るためだけにアメリカに行きたいと、その時痛烈に思いました。

 その、強烈な表現力が、見事に出ているシーンが、この映画の中にあります。銀行強盗やって、逃げる前に通報されて警察に囲まれてしまった若者2人。そのうちの1人、アルが警察との交渉に当たります。銀行内部に詳しいので強盗をやってみたものの、強盗には慣れていない、ふつーのお兄ちゃんたち。アルもありえないほど美しいけど普通の人(笑)です。ところが、囲む警察のさらに外側を市井の群集が囲んでいるんですね。公開が1976年ですから、市民運動が盛り上がっていたという時代背景はあるんですが、この人たちは、ムツカシイ事は考えないただの野次馬です(笑)。わりとのんびりした風景。警察も、このまま何も盗らずに人質を解放すれば罪が軽くなるよ~と説得しています。
 ところがアルは、後で書きますがいろんな事情でこのままでは引き下がれない所まで追い詰められていたんですね。で、どうするか。警察の後ろの群集に「アティカだ!!」と叫ぶんです。当時あまりに劣悪な環境に囚人が暴動を起こした監獄の名。これはただの強盗なんかじゃない、みんなこの警察の横暴ぶり(強盗2人にパトカー50台+SWAT・笑)見ただろ!俺達を虫けらとも思っていないんだ!公権力に抗議しよう!という「アティカ!」。銀行出口から出て来た時、絵は大きく引いています。広い画面の中心にぽつんとアルがいるだけ。ところが彼が「アティカ!」と叫んだ途端、はっきりと画面の雰囲気が変わるのです。雰囲気なんていうものじゃなく、もう画像のイロが変わったようにさえ思う。そしてアルが、「アティカ!アティカ!」と叫ぶ度に、周囲の色がまるで強いコントラストをかけたような、はっきりとした力強い画像に次々と変わっていくように「見える」んです。その波が群集に届き、彼らも「アティカ!」と叫びだす、その時はもう彼らすらも別人です。
 こういうのをカリスマ、と呼ぶのは簡単です。そういうものを生まれながらに持った人は実際に政治家などにもよく居るでしょう。アルが凄いのは、それを「演じている」という所。ある意味、カリスマを持っている人達よりもカリスマを熟知し、計算し、「表現」しているのに、同時にアルにしか出せないもの、つまり「アルそのもの」もしっかり内側から見えてるんです。アル・パチーノ自身は扇動者にはなれない。でも扇動者の役なら完璧以上にこなして映画の世界に現実を叩き込む事ができる。そのパワーと深い知性と存在のゆるぎない確かさ。
見る度に本当に凄い人だと思います。

映画の中でアルには、子供から経済的にも精神的にも自立できない母親と、気合の入った奥さんと子供と、それから性転換手術が必要なのに精神病院に入れられている(ゲイの)恋人がいます。それをすべて満たすために強盗したんです。そこで最初に挙げた映画、「誰も知らない」の話ですが。主人公の男の子に、小さい弟と小さい妹がまっすぐな目を向けて全身で見つめているシーン。そばの押入れには上の妹が引きこもりっぱなし。俺だって外で遊びたいのに・・・というところで突然、この強盗アルの目を、思い出しました。うらみも悲しみもせず、ただ淡々と現実を見つめるしかない目・・・を、この男の子もしていました。それはアルと違って演技ではありません。が、それをフィルムに残すべく監督が「仕組んだ」のですから、映画として「表現」しているものは結果的に同じです。そして、こうやって人は、足りないものを補完する術を次々編み出していくんだな、とも思いました。アルを強烈に思い出しながら。







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2006年1月12日 (木)

「オーラの泉」

 昨晩、「オーラの泉」という霊視番組にオダギリが出る、というのでワザワザ録画して(笑)見ていました。そもそも霊の存在を肯定した上で成立するテレビ番組、というのを見たのは初めてでしたが、何だかヘンな手品みたいで面白かったです。実はオダギリ氏ももちろんですが、「後ろに何かが見えます!」(笑)系の事を言う人について私は以前からスゴク興味が在ってvv ここ半年ほどヨク見て記事も読んでるオダギリ氏が題材(失礼)ならわかりやすいだろう、という邪念が九割で見ていました。
 で、はっきり言って霊視以前に、吃驚するほど誤解が多かったです。その、多分見た目のイメージから来た誤解は、一般に売られている雑誌や本人の発言読めば誰でもわかる程度の甚だしいカン違い。このお2人は霊視以前にネタの仕込みの段階で調査が足りてないらしいのはよくわかりましたが(いや、だからこの人達は手品師じゃないから・・・笑)。100歩譲って考えても、限られた時間内で知らない誰かと何らかの関係を持とうとするなら、もう少し事前の知識があったほうが会話がスムーズだったと思うんですけれどね。インタビュアーとしてもちと失格です。(いや、だから対談番組じゃないから・・・笑)
 それで、私のようなニワカファンはともかく、もっとちゃんとずっとオダギリ氏のファンの方々はもう、笑いを通り越して怒り心頭だろう・・・と思ってこっそり徘徊して見たら。皆さんが「感激・納得」しているのに2度吃驚。いや、やっぱりファンというのはそうでなくてはいけないんですね~己が邪念を深く恥じました・・・全然信じてませんけど(笑)。

 私はクリスチャンで、普段から目に見えないものを当たり前のような顔して信じていますから、何かを「信じている」人をとても尊敬しています。とりあえずその人の話を全面的に受け容れる・・・だけの素地は自分にあると思います(そーゆーのを番組で「憑依体質」と言ってました・笑)。どうしてかというと、何かを「信じる」というのは物凄く・・・人知を超えた知恵と力と勇気が必要なことだ、というのを経験から知っているからです。心身ボロボロになるまで本人の全精力を傾けてもまだダメだった、というような経験が、例えお坊様でもイスラムの方でも「信じている」と言い切る方には一度ならずあるわけですから、だから「信じる」に至ったというその事だけでもとても尊敬に値すると私は思うんです。ですので、どんな話、誰の話でも私はとりあえず全部真剣に聞きます。今回の番組も、オダギリ氏が「何だよそれ~」と言いたげに必死で笑いをこらえているのにつられないように苦労しながら(昨日のオダギリ氏は昨今まれに見るお行儀のよさ、オトナな対応で感心しましたw)、最後まで真剣に見ました。もちろん。
 でも信じている、と言っている人の話を本当にまじめに聞いていると、宗教の勧誘も含め、本人自身がまずそれを全然「信じていない」とわかる事がほとんどです。昨日の番組でも、ある事で、オダギリ氏にも途中から(っていうか、最初から?・笑)それがわかったと思います。自分が信じていないものを人に押し付けるなんて、いかがわしい以前に失礼ですよね~マナー違反。「小さな女の子がついてる」のくだりではオダギリ氏がぶち切れるのではないかと本当にハラハラしてました・・・・。ワタシナラ殴っていますヨ、絶対。お遊びで人を傷付けてはいけません。

片方の霊視の人は知らない人だったんですが、もう1人は、三輪アキヒロさんでした。三島文学をかじったことのある人、彼の作劇を愛する人なら、総体ご存知だと思います。夜中のテレビに容赦なく晒される姿を見ながら、老いというのは誰にも等しく残酷なものなんだなぁ、と、途中からまるで谷崎潤一郎のような事を(おい)しみじみ思ってしまいました。そしてさらに、三島が塗炭の苦しみの末に打ち立てた近代演劇を、根底から全否定するような三輪さんの「役者は憑依されて演じるもの」と言う、涙が出そうな安直な発言を聞いて、正直三島は先に死んで正解だったのだと、改めてため息ついてしまいました。と、同時に、その発言を聞いて即座に三輪さんから気持ちを離したオダギリ氏に、ほっと安堵し、とても頼もしく、救われたような気持ちにもなりました。この人は本当にまともで正しく明るく強い人なんですね・・・改めて彼のお母様を心の底から尊敬した事でした。


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2006年1月11日 (水)

愛より強い旅

見て来ました~っていうより「聴いて来ました~」って言う方がぴったりな映画。原題「EXILE」の方がわかりやすいですよね。
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いきなり大音量でサウンドトラック炸裂しますから
要注意です(笑)

えーと、この映画は、最初にノリ後れると、最後まで全然つまらないかもしれません。走ってるトラックの荷台に、いち早く飛び乗った人だけが、アルジェリアに行きつけますv だから、最初から全員総立ち・超人気ミュージシャンのコンサートにでも行くつもりでおいで下さい(おかーさんはもうそんなの10年くらい行ってマセンが)。

どうしてかというと、これ、音楽担当者が監督をしている映画なんですよ。決してコッポラがよくやっていたような、監督が音楽をつけた映画、ではない。優先順位が逆転してます。映画の場面に合わせた音楽が流れる、のではなく、映画そのものを音楽がグイグイ引っ張って、ついには「ここは地の果てアルジェリア」まで連れて行っちゃう(・・・古いっ!)、そんな感じです。カンヌで監督賞取った由、確かにフツーの監督とは映画の創造方法が違います(笑)。いや、笑ってはいけないんですが。



top_img_r6_c2・・・つまり笑い事じゃないのは、これだけパワフルな音の洪水にもみくちゃにされながらも、それでもこれが映画としてちゃんと成立している、という所。それはひとえに、この←ルブナ・アザバルさんという女優さんの存在に負う所大、なんです。物凄く切れ味鋭いキレっぷり。しかも魂の揺さぶられるようなトランス・ダンスシーンの後では、本当に憑き物が落ちたように(それが目的のダンスだった)、落ち着いた、可愛く穏やかな顔を見せます。その先に妻の顔、母の顔さえ見え隠れするような顔・・・私的に、この見事な豹変振りは、女オダギリと言っても過言ではないっ(エッ)。

・・・そういえば当初目的は、「ルパン」に出ていたロマン・デュリスを観にいったのでしたが(笑)、ファンの人にはたまらない、彼のまた別の美しさが、これでもかというくらい氾濫していて、そちらでもクラクラしますvv そして映画のノリにちゃんと乗っかっていれば、なんですが、アルジェリアに着いてから、ロマンと一緒に思わず涙してしまうシーンがあります。私も、そこで自分が泣くと思わなかったんですが、不意打ちを食らって完敗。彼の演技力の凄さに、むしろ諸手を挙げて降参しました・・・いい、シーンです。

私より若い人の方が何倍も愉しめる映画かもしれません。サイトに行って、コノ強烈なサウンドトラックに魅せられた方は是非本番の、壮大な「コンサート」へどうぞ(笑)


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2006年1月10日 (火)

祝!主演男優賞

キネマ旬報という小難しい(笑)映画評論雑誌があるんですが、そこで、オダギリジョー氏が今年の主演男優賞に選ばれたそうです。

速報記事

「狸御殿」と「忍」と「メゾン・ド・ヒミコ」で受賞したらしいんですが、うーん、主演女優賞の田中裕子に比べると、何だか出た作品の質が違いすぎて「合わせ技で一本!」みたいな気がしなくもありません(笑)。たくさん仕事したから御褒美、なのかな? 
でもキネ旬は、↑で挙げられている他作品を見ればわかるとおり、商業映画もコアな映画も同じまな板の上に上げて、映画の水準だけを評価してトップ10を出す、見ようによってはとんでもなくマニアな会社です(私はスゴク好きですがv)。だからどんな形であっても、ここで2年連続受賞(去年は助演男優賞)したのは、ミーハーに、手放しにヨロコンデいいかな、と私は思います。ほんとは去年オダギリ氏は日本アカデミー賞(助演男優賞)というのも取ってて、世間的にはそっちのほうが全然エラいんですけどね。

 

たぶんオダギリ氏としては、作品としても、自分の出方としても、まあよかったと思えるのは「ヒミコ」だけで、本人的に満足しているのは、去年公開されたものでも、もっと別の映画だったであろうことは、容易に想像がつきます。でも本人の好むと好まざるとにかかわらず、それが「出来る」役者、スイッチが入れば主役が張れる「大きさ」を秘めた役者さんが、今は本当に少ないんですから、どうか、頑張って欲しいものです。主演で、キネ旬が賞を出した意味はその辺にあるのじゃないかとすら、私は思います。ま、今日は、とにもかくにもその受賞を、ココロからお祝いしましょう!本当に本当にヨク頑張ったんですから。



おめでとう!!!! 



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2006年1月 9日 (月)

嫉妬の香り(1)

 ほぼ、PC回線を繋ぐ為だけに加入したCATVで、1月からオダギリジョー特集をやることになり、初めてテレビとして見てみました(笑)。だいたい同じ番組を週4回流すので、見逃しがちな私でも大丈夫(おい)。タイトルのドラマの他に、「アカルイミライ」とそのメイキングを放送します。

 で、これは辻仁成の原作が結構好きだったので見てた・・・記憶があります。オダギリ氏の役が原作には出てこない人で、それが原因か、途中からかなり原作からかけ離れた(おい)ドラマになっていってたのですが。
もともと嫉妬を題材としているので、下手をうつと「昼のメロドラマ」になるのは間違いありません。それをそういうドロドロに落とさず、悲鳴を上げそうな緊張感を皮肉たっぷりあくまで爽やかに(!)描いたのが原作の凄さ、でした。でも考えてみればそれは読んでいる人がそう思うだけで、実際の登場人物の動きだけを見れば、それはふつーのメロドラマと全然カワラナイんですね。私はこのドラマを見た人が「辻仁成」という人をゴカイするんじゃないだろうか(笑)と、そっちばかり心配でした。

 今見ると、これ、新撰組!の山南さんとクウガのゴダイ君の競演、という感じがします。組!の座談会で堺さんが「オダギリ君が呑み会に来てくれたのが嬉しかった」と言ってましたが、堺さんにしてみれば、あのゴダイ君がサイトーになってるだけで凄いオドロキだったんでしょう(笑)。堺さんは「嫉妬の香り」の後、「壬生義士伝」で不世出の沖田総司を演じ、そしてさらに組!で壮絶な山南さんを創生するのですが、もうこのドラマの時点ですでに、山南さんの片鱗が窺えます。一方オダギリ氏はまだ何をやってもゴダイ君で、でもこのドラマでのキレキャラが話題になって(笑)「顔」という刑事ドラマでキレる刑事役が回ってきます。ちなみにその、「顔」でも原作には居ない刑事の役なんですけれどね。

このドラマと、「顔」の時は、ひげをきちんとあたってヘアスタイルもごく常識的な(笑)ものなので、オダギリ氏、凄くかっこよく見えます・・・黙って立っていればv品のある正統派二枚目、という感じ。
当時は、「プラトニック・ラブ」という映画も含め、媚びる様な甘ったれた台詞回しがひどく鼻につく役者さんでした。本人曰く「がんばり過ぎていた」らしいんですが、私は出身劇団の指導法の、根本的な過ちを指摘したいと思います。。。


<主な出来事>
寺脇さんの起こした香りの会社で、川原さんは企画一切を任されている片腕でしかも妻。ところがある日、次の新しい企画の担当者として寺脇さんが連れてきたのが、誰も知らない無名の新人、本上さん。川原さんは高校の時、伊藤英明さん(回想シーンで登場)が好きだったのに、伊藤さんが本上さんを選んだ、という苦い記憶があります。更に本上さんは、その伊藤さんと結婚直前に破談しているので、今付き合っている堺さんとも、なかなか結婚に踏み切れずにいる。そんな時4人で食事に出かけ、堺さんが、今河原さんの抱いている「疑い」の内容を教えられます。

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2006年1月 8日 (日)

ブエノスアイレス(18禁)

「花様年華」について書いたら、この映画をほっておくわけにはいきません・・・の「ブエノスアイレス」。出来たのはこちらが先で、今見たら1997年公開。あ~もう10年近く経つのですね。。。

 この映画は題材をゲイに限定した恋愛ものです。「メゾン・ド・ヒミコ」」が男性観客にも受け容れられている今とは比べ物にならないほど、当時はゲイを扱っているというそれだけのことで、エラい拒否反応でした。主役のトニー・レオンなんて、アルゼンチンに着くまで映画の内容知らされず「騙して」連れて行かれたんだし、あの大作「覇王別姫」でお姫様を演じたレスリー・チャンがここでも受で出てるんですが、彼なんて撮影途中で帰っちゃったくらいw  でも、この監督が例えば男女について語るとすると、前述の「花様年華」になっちゃうんで、だからもっと火のつくような激しい感情むき出しの、切った張ったのやり取りを描こうとしたら、題材をゲイにせざるを得なかった・・・そんな感じ。王監督としては大いに必然性のある設定なんです。
 さらに言うと、2人は別れるためにアルゼンチンくんだりまで出かけているわけなので、既にお互いに相手の事を知り尽くし、言うこと成す事まったく遠慮がない。男女だったら絶対にこうはならないというような、本当に男同士の火のつくような言葉で相手をののしり、モノを投げつけ鏡をぶち割り、ベットを蹴り上げ相手をたたきつける・・・でも同時にそのすべてに於いて、その体が、彼ら自身の肉体が、声にならない声で「お前を愛している」と叫び続けているのが、手に取るようにわかるんです。ダンスをすればそのまま言葉を退け情をからませ睦みあう事もできる二人。でも職場にかけた電話に同僚が出ただけで浮気を疑い猛烈に嫉妬し昼も夜も問い詰め続けるレスリー・チャン。自分と再会するまで夜毎ウリをして糊口を凌いでいた事が許せず、相手がタバコを買いに外へ出ることさえ許さないトニー・レオン。トニーは最後にはレスリーのパスポートを握りしめたまま、居所を隠し、ひとりブエノスアイレスを離れる決意をします。

 「花様年華」のラストシーンを見た時、ああ、この映画は「ブエノスアイレス」と対なのだ、とはっきり思わされたのは、この映画でもトニーが、やはり思いの丈をレコーダーに吹き込もうとするシーンがラスト近くにあるからです。仲を疑われた(笑)職場の同僚が、悲しい思い出がすべて捨てられるという南の果ての灯台に観光で行く、といい、「何か捨てたい話があればこれに吹き込んで。」と勧めてくれます(公開当時、私はこの、声の色を感じ取るという繊細な青年が好きで好きでたまりませんでした)。メイキングによると、ここはせりふが無くトニーの感情の赴くままに任されていたそうで、本人も事前に色々せりふを考えていたらしいんですが。   本番になって、いざレコーダーを口に当てたら、トニーは、感極まって泣いてしまうんです。言葉にならない。涙しか出てこない。今、自分が別れよう、忘れようとしているその相手の事を思うだけで、涙があふれてきてどうしようもない・・・その頃レスリーも、あれほど縛り付けられるのを嫌がったそのベットの上で、トニーの帰りを待ちながら身を捩って泣き続ける・・・最後の最後まで、己が激情になすすべもなく弄ばれる2人。本当に美しいシーンです。

 もうひとつ、私が忘れられないシーンがあります。2人とも全編とおして喧嘩ばかりなのですが、ベッドの上で心を通わせあうひと時もあるんです。普段はけんか腰に言葉を投げつけるレスリーが、字幕では出ませんでしたが(^_^;)文字通りお姐言葉の猫なで語尾で甘くささやきます。で、さらにかたくななトニーの心を溶かそうと、彼の1番すきな体勢をとる・・・それが「後ろから抱きすくめる」というものでした。トニーは攻める方の筈なんですが、その時の表情がなんとも言えず柔らかで艶っぽい。。。彼の1番の魅力は、と聞かれれば、私にとってはこの時の、この満ちたりた色香でした。

 で、実は監督にとってもそうであったらしく。 「2046」の公開後に、雑誌で何とオダギリジョーと天下の王家衛対談企画、というのがあり。もちろんオダギリ氏はまったく歯が立たず逆に遠慮なく質問攻めにされてたのですが、そのやりとりのなかで。「後ろから抱きしめられるようなのが好き」と答えたオダギリ氏に、監督はあからさまに興味を示し始めます。結果、オダギリジョーのヰタ・セクスアリスは実にあっけなく日の本に晒されてしまいましたが(笑)。オダギリ氏は「花様年華、見ました」と言っていましたから、たぶん、↑こっちは見ていないのでしょう。見ていたら、監督がこのやりとりの中で、オダギリ氏のうちにかつてのトニー・レオンの色香を強烈に感じ取ったのがわかったと思います。鋼のように真直ぐでありながらどこかで庇護される事を求めてやまない魂・・・から、発せられる、同じ、匂い。  その象徴が、監督にとっては、あの、シーンだったというわけで。 監督は、2人目のトニーを、今も探し続けて居るのでしょうかね・・・・

 

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お知らせ

先の話ですが、下記要綱で「創作人形展」が行われます。

2006 プランタン銀座7階 現代創作人形作家展
●開催趣旨:作家と創作人形ファンの交流の場所にて展示即売
● 開催日程:平成18年2月21日(火)~28日(火)
● 開催時間:AM10:30~PM20:30最終日6時まで
● 場  所:中央区銀座 プランタン銀座7階ギャラリードウプランタン
●主   催:プランタン銀座 (有)フォルクス 
●内   容:創作人形の展示販売 作家の宣伝活動
●入場 :無料

うちのIDEA達を作って下さった牧子さんも出品なさいます。
詳細は こちら ↓ ↓ ↓
         http://orderhouse.or.tv/b-11.htm


どうぞ今からご予定に入れて頂けますよう。





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2006年1月 7日 (土)

花様年華

映画館でも見たのですが、DVDでレンタルが出来たのでもう一度見ました。最近、ネットのDVDレンタルにも、私の好きな作品が徐々に増えてきて嬉しい限りです。で、カテゴリ増やしましたvv
こよなく愛する王家衛監督の作品ですが、これは中でも一番オトナの世界、今のほうがより身に染みる(笑)映画です。私がいつもつまらなくて途中で挫折する、小津安二郎監督の作品に、たぶん作調が酷似しています。でもこれは最後まであっという間に見てしまいました。
 おそらく、この映画に出てくる2人のように「一線を越えない」ことに矜持と意義を感じ取り、そこにいくばくかの共感を覚えるのは、私ぐらいの世代が最後なんだと思います。でも、危うい場面のBGMに清順監督の「夢二」のメインテーマを使って、現代の倫理観で見るとなんという事のない場面に艶を持たせたのは良かったと思いますが、さすがの私も、同じ意図で別の場面に挿入されたタンゴのナンバーには、失礼ながら大爆笑してしまいました。映画館で見た時にも確か笑ったんですが、忘れていたので(^_^;)不意打ちを食らって文字通りの大爆笑。オダギリ氏が、狸御殿を見て、3か所ほど声出して笑っちゃいました、と言っていたソノ気持ちが、初めてわかった気がしました。もう、その大仰さをまともに受け止めるだけの素地がこちらにない。タンゴって、私の今の平坦な日常感覚に溶け込むにはあまりにも劇的過ぎるんですよね。それでも、私辺りが、映画の世界をギリギリ体感できる最後の年代なんでしょう。

 トニー・レオンがとにかくオトナで渋いvvマギー・チャンも、もう女性が見ても放心するくらい美しい。そして何より、2人ともごく当たり前の市井の人なので、自分達のパートナーが偶然相手のパートナーと浮気しているとわかった、というその結びつきの不自然さゆえに、互いの気持ちが打ち明けられないんです。そこで。男は、女に自分の書いている小説の相談をしながら次第に打ち解け、やがて小説に出てくる場面のロールプレイングをしてもらいます。男が別に女を作ったなら?男がこのまま仕事で海外に行ってしまったら?考えただけでもつらくなる女は、その役を演じさせられただけで感極まって泣いてしまう・・・こんな形で、男は女に I love You を言わせてあげるのです。私は、一生懸命策を弄する男ってほんとに大好きなんですが、これはもう極め付けv 男の優しさと女へのsympathyが苦しいくらいに溢れ出てきて、こちらまで泣きそうになります。私的には、ここで映画が終わってもよかったくらい・・・(この後タンゴでオドロかされるので・泣)

何度かすれ違いを繰り返し、最後に男はあきらめきれない思いを柱の穴に封じ込めます。こちらには何を言っているかはわからないのですが、その、穴に口をつけて切々と語る時の、レオンの顎と咽喉の動き。ほんとうに官能的で、ぞくぞくします。男がどれだけ女を欲しかったか、その心の奥底に秘めていた熱情がどれほどのものであったか・・・語る喉元の艶かしさに、見ているこちらが熱くなるほどに。 圧巻です。

最後に。せつない、という心持をこれほど丁寧に重層的に描く事が出来るのは、王監督がここまで、「表」の、陽の当たる部分の感情を、文字通り描ききってきたから、だと思います。裏暗い所ばかり見つめていては、闇の重さはわからない、ということで。




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2006年1月 4日 (水)

阿修羅城の瞳

 今年の初春は坂田藤十郎襲名だそうで、おめでたいんですが観るものがなく(^_^;)、前から見たかった「阿修羅城・・・」を家で見ました。この映画、一般受けは良かったんでしょうか。Yahoo!のレビューに誰も一言も書いてない、っていうのがモノ凄く気になるのですが(笑)、ブログをあたると「わけわからん」「何だかなぁ」あたりが若い方たちの率直なご意見といったご様子。時代劇を見慣れた壮年以降の方たちの感想も、是非聞きたいですね。
 今、映画じゃなくて歌舞伎のカテゴリで書いてますが、これは映画・・・っていうか映画の素養しかない人にとってはやっぱり反則技だと思うんですよね。で、歌舞伎に入れました。私は単純に染五郎の天竺徳兵衛や四谷怪談が見られて嬉しかったです。まだまだ器が小さいけれど、とりあえずその時だけは染五郎が「生きて」ましたしね。お岩のかわりに宮沢りえがすっぽんから上がってくる掛け合いのところなんか、ぞくぞくするくらい笑ってしまいましたし、この人たちはまったく、今や天下の染五郎の目の前で、よくもこれだけおちゃらけた見得が切れるもんだと、こっちのほうが恥ずかしくなりましたが(笑)それもご愛嬌。あと、染五郎は殺陣は正直、体が硬いんですが、街中や野原でなく、舞台の上でなら物凄く映える太刀筋、っていうのも新発見でした。美しかった。
 でも何より歌舞伎だと思ったのは、ストーリー展開の荒唐無稽さ。こういうのって、芝居見慣れている人は「耐えられる」(笑)んですが、映画的にはダメダメです。だいたい、映画として観た時に、一番勘所となるシーンに限って歌舞伎からの借り物ってのがお安い。「首が飛んでも動いてみせらぁ」なんて手垢にまみれたせりふで型通りにらまれても、落ちにも何にもなりゃしない。そんなんだったらもっとちゃんとしたのが小屋に行けば観られるんだし、逆にそこの所を換骨奪胎してこそ「映画」だと思うのに。これじゃ歌舞伎をちょっと汚してみました~で終わりです。そもそも映画は小屋と違って時間にも空間も何の制約も無いんですから、こんな馬鹿なことやってちゃいけませんヨ・・・・なんて途中まで思っていたのですが。

ひょっとして、こういう時代物に対して製作者側は、いまだに歌舞伎の呪縛から抜け出せていないんだろうか、歌舞伎を超える仕掛けも筋書きも、いまだに編み出せていないんだろうか・・・・と思ったら、ちょっと背筋が寒くなりました。確かに歌舞伎は凄いけど、だからって現役の歌舞伎俳優連れてきて、歌舞伎をさせて、ハイ映画です、っていうのはいったい何の冗談なんでしょうか・・・。

宮沢りえさんはきっちり映画的話法で芝居していたんですが、その時は染五郎がど素人(笑)、染五郎が仕事している時にはりえちゃんは置いてきぼり、という実にちぐはぐな所も、ちょっとカワイソウでした。私的にはこの収拾のつかない映画をまとめようと一番頑張っていたのはりえちゃんだと思うんですけれどね(笑)。




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承知。

 昨日は古畑任三郎SPがあって、里見八犬伝があって、土方最期の日があって・・・初めて番組表とにらめっこする子供を見ました(笑)。うちは録画機器はは1台しかないので、3つのうち新撰組を見たがるであろう母の事をシンパイしてくれいたんですね。しかし母は「最初の30分で斉藤の出番は終わり」と察知済~(鬼)。古畑が始まるまでの間だけ土方見せて貰えばいい、という事になり一気に親の株をあげましたv ・・・その後古畑開始27分で「真犯人は石坂浩二だね」と口に出してしまい、また顰蹙をかいましたが>だってこれってYの悲劇・・・(1時間しかもたなかった親の威厳・笑)。

 久しぶりに見たサイトーは、やっぱりとってもかっこよかったです。史実とはチガウとわかっていても(笑)やはりカッコイイ役者さんにやってもらえれば斉藤一ファンが増えると思うので嬉しいです>それもどうかと思う(笑)  もうひとつよかったのは、会津に恩を感じて「残る」と言ったのが最初斉藤ではなく土方だったという設定。恩義を感じていたのは何も斉藤だけではなかった筈だし、巷間言われているような「斉藤だけが会津への恩を捨てきれず・・・」より、ここに誰かを残しあとは北へ行く事を組として決定した、という話の方が、ずっと納得できます。そしてその時手を挙げるのは絶対に斉藤だろうということも。あの「承知」は今までのどれより、命知らずで無謀で、でも重くて熱い「承知。」でした・・・

 以前、私が斉藤一が好きだと言うと「変わり者」呼ばわりされたと書きましたが(笑)、その話を大学の頃唯一笑わずに聞いてくれたのが、ひとつ上の先輩で会津所縁の方でした。かの地では、斉藤一は(部外者なのに)自ら死地に臨んだ義に熱い志士として、とにかくお覚え目出度いんだそうで。私も当時、もう既に斉藤一の謎にハマっていて、学生という身分を利用して、非公開の公文書や内部文書などずいぶん見せてもらいましたが、その時も藤田家(斉藤一の子孫)関連より、時尾さん(斉藤一の奥様・会津出身)筋からお願いしたほうが扉が開かれる事が多かったです。史学科の学部生レベルなら見当が付くであろうある特殊な事情で、斉藤一関連の資料は公開がかなわないものが多いのですが、でも巷に本や漫画で出回っているものの中には「それを見た」と思われるものがいくつか紛れていますから、手柄顔に2級資料の中から「独自の証拠」をあげつらう市井の歴史愛好家の手をすり抜け、こういう「わかる人にはわかる」という形で伝わっていく斉藤一というのも、会津らしくて、彼らしくて、いいなぁと今では思っています。

今回の斉藤一役は、オダギリジョー本人もありがたい事にとても気に入っているそうで「新撰組!!!」がやりたい(笑)と言っているらしく。会津編をやるなら是非、虚実の取り合わせが絶妙な「明治無頼伝」を下敷きにして欲しい、と〆にここでつぶやいておきますv

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2006年1月 1日 (日)

謹賀信念!

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

 今年は1月1日が日曜日だったので、いつもの年は行かない(こら)元旦礼拝に行ってきました。家族揃って初詣っていうのはこんな感じなのかなぁ・・・という、不思議な感慨がありました。キリスト教って究極は個人と神の関わり合いなので、例えば主人と私で同じ説教聴いていても受け止めることは180度違って当然、っていうか普段はあまりそういう事意識すらしないんですけれどね。今日は子供を挟んで3人で座っている、ただそれだけの事が、すごく大層な事に思えて感動しました。

 そしてそんな神妙な心持は午前中でふっとんで(笑)午後からは天皇杯を観てきました。。。イヤ、寒いっっっっっっっっ!! 仕事だったら絶対投げ出していたんですが、アノ浦和レッズが決勝まで来た、っていうだけでも次いつ見られるか(笑)という試合なので、頑張ってずっと立ってました(座ってられない・泣)。子の友達でサッカー上手なお子さんはみなさん、レッズの下部組織に入って練習してるので、連続無「得点」記録がどんなに伸びようとも、日本代表に主力を根こそぎ取られようとも、彼らはいつも変わらぬ熱意でvv応援してきていましたしね。
 で、何と浦和優勝~~!スタンドでもみくちゃにされながら、浦和のサポの方には失礼ながら、こんなの奇跡に近い、とか思ってしまいましたよ。ここのファンの熱さは、かの虎キチをも凌駕するもの凄い勝利への執念が原点!爆発する雄たけびを聞きながらしみじみ思いました。プレイヤーよりなにより、そのお客さんたちに感動してしまいました。

今年はいい年になるかもしれません!(笑)



PS:タイトルは、もうすぐ公開されるある映画のネタばれです・・・




 
 

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