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2005年12月

2005年12月31日 (土)

王侯将相寧ぞ種あらんや

今年最後の日に衝撃の事実をひとつ(笑)。

 私の大学の後輩に役者になった男がいました。誘われて切符を買ううち私は彼の友達のイケメン殺陣師の方が気に入って、彼を目当てに(殴)小劇場に通っていた事があったんです。で、その頃、藤田朋子さんが出るというので話題になった「Dream of Passion」という小芝居も、だから確か2回ほど見たのです・・・が。
 オダギリジョーの初舞台として必ずこの芝居の名前が出て来るんですよ。最初は同じ題の別の芝居かと思ったのですが、先日、昔の オダギリジョーの出ている番組のDVDをママ友が貸してくれて。 そのうちの一つに見覚えが・・・「あれ、○君(後輩)と△君(殺陣師)が出てる?!」で、、、、「あ゛あ゛っ」 アノ時の鼻持ちならない嫌味なカンチガイ小男が!!! オダギリジョーだったんだと判明。
  クウガ1年間見て、そして今の今まで全っ然思い出さなかったんですから どんだけかけ離れたキャラかおわかりいただけると思いますが(笑) 私は人の顔を髪型から覚えるので、特にオダギリ氏の場合ハンデがでかいんです。ライフカードのCMも、青いペンキ塗っていたヒトが今リーマンやっているのさえわかってませんでしたから。。。只今、今まで「○君たちの仲間の話」として認識していたいくつかのシーンが 音を立てて崩れ去っている最中・・・いや、ファンの人が悲鳴を上げそうな話ばっかり(涙)。

 今にして思えば小田切氏は結局あのころ、 自分にこだわりがありすぎてその表現の仕方がわからなかったんですね(物凄く好意的な解釈・汗)。本人どう思っていたか知りませんが、ホントに上からは相手にもされていなくて、だから最初の年、劇団のしがらみでまわってきた有名な某オーディションも、ある意味彼に「押し付けられた」のだし、それを蹴った時も、これで彼は役者をやめるんだな、位の冷めた目で周りは見ていた・・・のを思い出します。 破滅と頽廃まっしぐらの脆弱さ、卑屈で卑しくて虚像にすがるだけの、陰鬱さしか表現できなかった小さな役者。それがよくこんなまっとうな正統派に育ったと思って、おばさんは(笑)まだ頭が収拾つきません。

タイトルは、中国で秦が滅びる時、陳勝・呉広の乱、という百姓一揆を起こした首謀者陳勝の言葉です(項羽と劉邦がそれに続きます)。「この乱世なら、王侯や将軍・大臣となるのは、家系や血統によるのではないから、どんな人でも努力や運によって栄達できる」という意味です。努力と運でまさしく「王侯将相」を勝ち取ったオダギリ氏。  拍手を送りたいと思います。

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2005年12月29日 (木)

冬コミで思ったこと

 今日、午後だけ「冬の祭典」行ってまいりました。知り合いに遭遇し、頼まれものの本を探しながら、新たなジャンル(組合せ?・笑)を発見して吃驚したりヨロコんだり・・・成果は、本当に狙っていた最低限のみ、だったのですが、楽しかったです。最初に来たのが2001年の夏ですから、もう5年。今回、実は思ってもみなかったのですが、自分のテンションが落ちているのをはっきりと感じてしまいました。
 原因はたぶん、映画、だと思います。私は昔から変わった(笑)映画が大好きですが、他にも、本も読むし芝居も見るし音楽も聴く、人形も可愛がる、最近では自分でいろいろ書いたりもして(笑)とりあえず趣味は映画だけではないです。でも、後者と前者には決定的な違いがあります。あくまで私にとって、なんですが、読書や音楽は明確に現実逃避なんです。字を書くことも人形を愛でる事も、広がるものは違いますが、別世界に遊ぶという点では同じです。
 でも映画は、つねに私に現実を「見せる」ものなんですね。描かれている世界や物語は決して現代に限っていないのですが、私はそこに示されたものに、必ず「切り取られた現実の一つの形」を見てしまうのです。で、その昇華された現実、あるいはその切り口に感化され、「自分の現実」に対する私の対処の仕方が多々影響を受けるのです。・・・っていうか、そういう見方をしているから変わった映画が好きになっちゃうんですが(笑)。唯一、逃避ではない娯楽。なので、自分がつらい時には、あんまり映画は見ません。
 それを、今年はずいぶん見ました。昔好きだった映画のDVDもいくつか手に入れましたから、昨年以前に比べると、年間で3倍以上になっていると思います。私にとってそれは、意識が外を向いている証拠。逃げてない。つまり他の世界で遊ぶ必要がない・・・から萌えなかったわけで。

こんな調子だと、来年も映画見ている・・・かもしれません。わかりませんけれど(笑)。

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ジキルとハイド

こんなことしてるから忙しい年末がよけいタイヘンになってしまうのですが(笑)、日生劇場の今年の千秋楽に行って参りました。鹿賀丈史さんの「ジキルとハイド」というミュージカルです。最近歌舞伎にいっていなくて、仕事で見てるDVDがカルトなストレートプレイもの続きだったので、ちょっと最初、ミュージカルという形に気持ちが慣れませんでした。あと、千秋楽というのはお客の側も打上げみたいなもので、その日の出来にかかわらずご挨拶として大拍手するので、他の日に見ておきたかったかなとも思いましたが(だからいつ?笑)

えーと、鹿賀さんは、きっと昨日は調子が最悪だったんだろうと思います。もっと上手い・・・と信じたい(笑)。全般にどなたもテンション高めで一本調子で声に色が無かったんですが、特に鹿賀さんは、ハイドの声を出してしまった後は音の高低だけで変身(!)していて、元が厚重い声の人ですから何を歌っても色は全部ハイド、結果的にジキルが全然際立たなかった。この人は役者ではあるけれど歌手ではない。歌におんぶに抱っこではなく、役者としての鹿賀さんを生かす演出上の工夫が欲しいところでした。マルシアは声は大きいんですが声質が軽くて細かい。暗さや深みとは無縁の声。2度舞台で見て2度とも娼婦の役だったのですが、もっと能天気で可愛い役のほうが向いていると思います。日本の芝居にはなかなか出てこない役ですが(笑)例えばモーツァルトのオペラの、パパゲーナとか、スザンナなんかぴったり。そんな感じでした。
反対にびっくりするほど上手かったのが鈴木蘭々。私は役者が歌うミュージカルの時は、お金を取って歌を聞かせる以上、少なくとも音痴は御免蒙りたい・・・程度の甘い点数付けで見ています。だけど昨日はエマが本当に正しく「美し」かった。この人だけが歌を最後まで微塵もぶれることなく安定して歌いこなし、さらに1人だけ声に自在に色付けをし歌で演技をしていました。そのせいで、鹿賀さんや浜畑さんは、役者としては素晴しくても基本的に歌手ではないので、一緒に歌っていて見事にかすんでいました。だれかさんは舞台の上で音を修正されてさえいました(笑)。3回もはっきり半音落として気づかずにいたら、それは音痴と呼んでもいいと思うんですが、どんなものなんでしょうかね。まぁ普段は日本のミュージカル見ていてそんな事気にしないのですが、彼女があまりにも凄かったという事で。
それから石川禅という人はこの日初めて見ましたが、テンション高い人が集まっている中、この人だけがさらっと演技をこなしていてアンカーマンの役を見事に務めていたと思います。役者としてとても頭がいい。映画や小劇場で見てみたいタイプの人でした。

鹿賀さんつながりだと思うのですが、客席に昨日は加賀まり子さんと岸朝子さんがいらっしゃいました。お2人とも本当にお綺麗でした。

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2005年12月26日 (月)

ドルパ、有難うございましたm(_ _)m

Thankyou昨日のドルパには、本当に多くの方が来て下さいました。たけさんのお洋服やよこひ師匠のタバコ、私たちのセール品など(笑)お買い上げ下さったお客様、この場を借りてお礼申し上げます。有難うございました。
それからブースが心配で(笑)見に来て下さったもっと多くの方々、差し入れの数々、本当に有難うございました。前日の夜中までバタバタしていたので今回、準備が今までで一番「やっつけ仕事」だったのですが(><)、おかげさまで事故もなく、滞りなく終了しました。感謝です。
左の写真は、カメラを忘れた私にたけさんが早速送って下さった写真(感謝~)。手にしているのが伝説の「タバコ」v 師匠、また作って下さいね~

そして今日からは年末進行。
うちに正月は来るのか!
それよりなにより私はいったい
某冬の祭典に行けるのか(笑)

。。。ガンバリます。













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2005年12月21日 (水)

ジョニー・デップにない良さを

 見た映画を並べて今年を総括したつもりでしたが、年の後半を今年はすべてオダギリジョーに攫われましたので(笑)、やはりオダギリ氏について語っとこうと思います。
 その前にタイトルですが(笑)、もし私がアル・パチーノの出ている映画を観ていなかったら、私はジョニー・デップの現在を好きにはならなかったと思います。同様に、カルトでコアなデップを愛していたからこそ、オダギリ氏のある部分に強烈に魅かれているのだと、これははっきり自分で自覚しています。

 私はデップの出てる映画、監督した映画は観られる限り観ていますが、ファンの風上にも置けないというか(笑)いつもどれもが好きというわけではありません。一番好きなのは、誰も知らない「デッド・マン」という映画で(これだけはDVDも持っているv)、あと「シザー・ハンズ」とか「妹の恋人」「耳に残るは君の歌声」「ショコラ」と続きます。ホントは「ギルバート・グレイブ」とか「パイレーツ・オブ・カリビアン」「チャーリーと・・・」を挙げれば皆さん「ああ!」とわかって下さる大俳優ですけどね。いえ、後から挙げた映画も傑作だと思いますし大好きですが。
 私はこの人の、熱烈なナルシストぶりがとても信用できるのです。その跪かんばかりの自分への愛、自分という器を育て愛し作り上げていく、職人レベルの技術と熱情と根気と忍耐・・・役者としてこれほど信頼できる人はいません。どちらかというと感覚的・形而上学的な行為なので、その熱意を「形」にする過程で「わかりやすさ」を求めると、世俗の雑多なものに紛れて雲散霧消、でも彼自身を純粋に前面に押し出すと「よくわからん」映画になる(笑)。でも彼は「よくわからん」を怖れずに、自分に忠実に、コアな映画に出続けた。その蓄積によって、彼は「パイレーツ・・・」でも「ピーターパン」でも、ありきたりの「主役」にならずにすんだ、そう思っています。今日買ったテレビ雑誌のインタビューで彼は「(商業映画的大スターにもなった事について)良かったのは、僕を応援しているファンがそれを恥ずかしがらなくてすむようになった事v」と笑っていますが、できるなら、主役をはる、というのは演技者として本当に大事なことだと思います。
 話はさらに飛びますが(笑)、何故主役を張る事が大事か、それにいつジョニー・デップが気づいたか。それを私は勝手に「フェイク」という映画の中でだっただろうと思い込んでいます。この映画で、デップは潜入捜査官としてアルパチーノとわたり合うのですが、スクリーンに映っている彼らを見て、デップは自分の卑小さ、お手軽さをまざまざと見せつけられたと思います。私でもわかるくらいですから、あれだけ探究心の強いデップには、我慢ならない「対峙」であった事でしょう。そしてその差が、どこから出てくるのかも。つまり、自分に出来ることだけ、自分の可能性だけを探っていたら、結局それだけのものにしかならない、それをわかってその地位(脇役・カルトな役)に「甘んじて」いた結果が、多分デップと同じかそれ以上に自分を愛する「アルパチーノ」との厳然たる違い、なのです。上に述べたような理由で、本当はアルのような役者は、個性俳優として脇で煌めいている・・・方が楽、だった筈です。でも彼は主役級に挑む。主役は、もてるすべてをさらけ出し、何もかも真っ向から「受けて立つ」のが仕事です。自分に出来ようが出来まいが、全存在をかけて「居る」事が主役の仕事。自分が大事だったら、心の内に土足で上がりこみ、すべてを粉砕して立ち去っていく奴らの相手など御免こうむりたい筈なのです。でもアルは、出る度毎に粉砕された自己をかき集め、さらに新しい自己を創生する事をいとわない。そこまで深く自分を愛し、信頼しているのです。だからこそ培われていく風格と大きさ。まさに身を切るようにして。ほんとうに、凄い、ことですが。

 ここでやっとオダギリジョーの話です(笑)。前にも書きましたが、私は彼の出る映画が全部好き、というわけではありません。そして、私が上で勝手に決めつけている「フェイク」のような作品が、オダギリジョーにもあります。「血と骨」です。オダギリ氏が凄いのは、ここで彼は北野武に全然負けてなかった、という事。「フェイク」でデップはまるでチンピラにしか見えなかったのに、たけしさんに対するオダギリ氏にはまったく卑しさ、卑屈さが無かった。本人は主役という仕事は嫌いらしいですが、デップが今大きな映画で一生懸命体得しようとしているものを、オダギリ氏はここまでの間に既に身にしみ込ませているんですね。本人は、デップ同様自分が一番大切で、どこまでも自分だけを追及し、楽な映画、面白い映画に出て、それで映画の活性化に繋げようと思っているフシがあります。しかし彼が気づかずに、おそらく何度も粉々に砕かれた自分を人知れず拾い集めた結果手に入れた「ゆるぎない核」の部分、そこから巧まずしてにじみ出る力強さ・正しさ・美しさ・・・誤解を恐れずに言えば、これがデップにはなくて、アルにはあるものであり、映画という媒体にとって無くてはならない主役という「格」なんです。「血と骨」のように、誰かがきちんとスイッチを入れればたちまち大輪の華となって怒涛のように他を圧倒する役者。それをオダギリ氏がどんな条件でも、例えばSHINOBIでも出来るようになってくれれば、と一邦画愛好家は心の底から切望するのですが。

来年の映画だと、たぶん、「ゆれる」がそれに当たるだろうと期待しています。が、やっぱり「その他」の映画にも出ないとオダギリ氏、息切れしてしまうのでしょうかね。仕事が趣味。自分が一番好き。だからそれは当然だと思いますが。できることなら自分に備わった力を120%発揮する場に、なるべく多く出て早く自分に気づいて欲しい、と、映画のために、彼自身のために、私は切に思います。














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2005年12月19日 (月)

見た映画・見たい映画

今年はKさまと映画部を立ち上げ、活動を開始した記念すべき年でありました。二重の意味でデブショウの私を外に引っ張り出してくれたKさま、本当に有難うございましたm(_ _)m
どんな映画もすぐDVDになる昨今、それでもわざわざ足を運ぶようになったのは、オンラインでカード決済で指定座席が買える、というシステムに負うところも大きかったと思います。おしゃれして、1000円で静かに楽しめるお出かけ、って貴重です。
来年以降も見たい映画が目白押し、備忘録的についでに書いときます。ご興味のある方、よければ是非ご一緒に。

今年見た映画(順不同)
・コンスタンティン
・オーシャンズ12
・トロイ
・キングダム・オブ・ヘブン
・SW3
・チャーリーとチョコレート工場
・皇帝ペンギン
・ベニスの商人
・エンパイヤ・オブ・ザ・ウルフ
・NANA
・ルパン
・SHINOBI
・イン・ザ・プール
・オペレッタ狸御殿
・メゾン・ド・ヒミコ
・SCRAPHEAVEN
    あとたぶん「あらしのよるに」「ハリポタ4」は明日と明後日に。
         この他にもオダギリDVDはいっぱい見ました(嬉)

これから見たい映画
・ロード・オブ・ウォー(「弾丸の数だけ札束が舞う」!)
・愛より強い旅(ルパンに出たロマン・デュリスlove)
・プライドと偏見(オースティンの「高慢と偏見」映画化)
・有頂天ホテル(妙なオダギリ見たさに・笑)
・三年身籠る(中島知子love)
・単騎千里を走る(麗江がダムに沈む前に見たい)
・ブラックキス(妙なオダギリ見たさに・2)
・ミュンヘン(あの表彰台の抗議、見てたので)
・シリアナ(米国人が陥る「不可抗力」)
・ジャーヘッド(某自衛隊員イチオシ)
・アメリカ、家族のいる風景(ヴィム・ヴェンダース!)
・リバティーン(ジョニー・デップ伯爵v)
・BROAKBACK MOUNTAIN(長く深いゲイの交流)
・Confidences trop Intimes(パトリス・ルコント!)
・カサノバ(ラッセ・ハルストレム!←「ショコラ」監督)
・Buongiorno Notte(伊モロ首相暗殺の全貌)
・パビリオン山椒魚(妙なオダギリ見たさに・3)
・ハチミツとクローバー(私は真山君が好き@眼鏡)
・クリムト(クリムトは静物画がたとえようもなくエロいんです)
・Three Times (候孝賢!)
・ゆれる(香川照之×オダギリ法廷ドラマ・今すぐ見たい)





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2005年12月12日 (月)

どこまでもアニメーション

the_sky_crawlers最近、「純文学ってこういう感じですか?」という難解な(笑)コメントと共に、私にこの本を紹介してくれた人がいました。全五部作らしく、今はこれに続く「Not but air」「Down to Heaven」まで出ています。装丁に(私的に見て)贅を凝らしてある本は、私は必ず買っています。そういう装丁を許した字書きさんとは、たぶんセンスが合う、からです。逆に、本自体の美しさに鈍な作家は、それだけですべてに鈍な感じがして、特に長々つき合わされるのはご免蒙りたいんですよね。で、この3冊は借りてすぐ自前で買いました。とても面白くて、あっというまに読了しました。愉しかったです。

で、ここで答えるのもどうか、と思うのですが(笑)これが純文学かと言われれば、それは全然違う、と断言できます。でも、別に純文学がエラいと思っているのは(今も存在しているなら)文壇の人たちと出版社の人たちだけなんですから、そんなに気にしなくてもいいと思うんですがね。面白ければ読者は買うし、それに、いつもいつも読書によって自分を切磋琢磨しなくてもイイんではないかと思うので。

タイトルの意味ですか?アニメーション的描法というのはいわゆる「ブンガク」とは本当にまったく対極にあるから書いたのです。簡単に言うと、書きたい物事を外堀から攻めていって本丸は書かないのが「ブンガク」、天守閣だけをポコリと切り取ってあっさり提示するのが「アニメ」です。この本を読んでいると、戦闘機独特の飛行の描写が、かなりマニアックに(ワクワク・笑)何度も出て来ますが、この単語の羅列の意味が本当に追える人には、飛行の軌跡は思い浮かべられても、飛行機本体は実感できません。当然です。その部分は作者が「外堀」と考えて切り捨てているからです。だから例えば同じく荒唐無稽な飛行機映画でも(こら)、この本を読んで思い浮かぶのは「トップガン」ではなく「紅の豚」の方なのです。

アニメーションは、たった一度具体的な絵を提示するだけで、すべてを「そこだけにあるリアル」に変えてしまいます。その切り取られた空想世界のリアルさの前には、それ以外の世界は無意味です。これを文章に置き換えると、登場人物の描写、心象風景はすべて一言の元に鮮やかに切り取られているので、こちらは出されたものを鵜呑みにし、そのレールに乗って遊ぶだけでいい、という事になります。自分で咀嚼する必要も勘案する必要も全然無いわけです。頭使わなくていい(笑)。

でもそれは、エンターティメントとしてはとても評価されてしかるべき特質です。純文学なんていうものにこだわらなくても、作家さんはとにかく自分の書ける範囲のものを書けばいいのです。それで読者の思考パターンが単純化・短絡化しようが、そのうちに表現手段を失った自己が崩壊し形骸化しようが、それは、はっきりいって作家の知ったことではない。ゲーム然り、ノベルズ然り、もともとこういう「愉しい」系の本だけを読んでそれで事足れり、とする人には、それ以上の人生はないわけですから。

子供を持ってわかったのは、この刹那的読書という弊害の萌芽は、実は小学校の読書指導にある、という事でした。読んだ冊数を競う!何と野蛮で似非文化的な指導なんでしょうか(笑)。子供にやたら本を読ませようとする人は、絶対自分が本を読んでいない人だと思います。英語の苦手な親が子供に英会話を叩き込むのと同じこと。たくさん本を読んだ人は、その後どうなるのか(笑)身を以って知っているから、読めばいいってもんじゃない事もよくわかってるんですよ。本に逃げるくらいなら読まないほうがいい。相手はいつも現実です。




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2005年12月 8日 (木)

「IDEA」更新

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「今日のうちの子」のカテゴリは、ドルパまで、そのページだけ見に来る方がいらしてトップを差し替えられませんので、今日は「お知らせ」から。

久々に、紅霞の写真、その他撮りだめられていたモノをUPしました。詳しくはあちらのページへどうぞ。

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