« イン・ザ・プール | トップページ | 血と骨 »

2005年11月 5日 (土)

海峡を渡るバイオリン

「メゾン・ド・ヒミコ」を見るまで、私が一番「オダギリ氏らしい」と思っていたテレビ単発ドラマ。DVDが出るのを楽しみにしていました。「血と骨」とは真逆の登場人物ですが、映像の中でのその存在意義は同じ、とても抽象的なものを具現化する役割です。

私の感覚で言うと、オダギリ氏の顔っていわゆる2枚目、じゃないんですよね。「ヒミコ」で「エロジジイ」が春彦の事を「若くて美しい男」というんですが、見ていて「へぇ、そういう設定だったのか」と思ったくらい(!)「違う」と思う。、私的には例えば「天体観測」というテレビドラマに出て来た伊藤英明とか坂口憲二みたいのが2枚目。文句なし美しい顔。居るだけで主役vv だけど、ファンの人には殴られそうなんですが、正直、時々見分けつかなくなるんですよ・・・まぁ、そこまで馬鹿じゃなくても(笑)、例えば今あのドラマを撮り直すとしたら、伊藤・坂口の代わりに速水もこみちや玉山鉄二が来ても全然大丈夫。小雪さんや田端智子さんは絶っっっ対にはずせないと思うのに。そして逆に、オダギリ氏でなければ、あれはもっとあっさり見やすいドラマになったと思うのですが、それでもやはりアノ役は次もオダギリ氏で見てみたい・・・そんな感じです。
で、そういう「存在感」のある役者さんだったら、私の好きな人だと小倉久寛さんとかここに何度も書いてる中村獅童さんとか、別にほかにもいっぱいいると思うのですが、オダギリ氏は時々、更に突っ込んで「目に見えないものを形にする」んです。この「海峡・・・」のドラマの中でも、少年の目から見た、いわばフィルターかかりまくりの(笑)「先生」の役なんですが、そのフィルターをものともせず、先生の存在をリアルなものとし、さらに同時に、憧れというものをそのまま形にしたような「絵」を作ってました・・・美男子じゃないのに。

生身の人間が動いて映像に残すのに「ドキュメンタリー」ではなく「映画」になるのは、ひとえにこの「役者の力」だと思います。感性や感情や感覚といった、絵や文字や音でしか表せないものに、人という「形」を与えて再構築し、昇華し搬化して見せるから撮る意味がある。その意味ではオダギリ氏は時々本当に「役者」だと思います。時々、っていうのがいかにも何とも・・・なんですが、これと、「アカルイミライ」と「血と骨」、あとたぶん「ヒミコ」はは本当に出色の出来だと、思いました。

|

« イン・ザ・プール | トップページ | 血と骨 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 海峡を渡るバイオリン:

« イン・ザ・プール | トップページ | 血と骨 »