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2005年11月 5日 (土)

血と骨

この原作の本を、私は最初単行本で読んでいました。途中で実家ぐるみで知人のある人が描かれているのに気づき、それを両親に確認してからは、余計真剣に読みました。描かれている暴力については、ある程度理解がありましたが、正直、他の部分については、表に出るものではない家庭内の事なので知らなかったとはいえ、自分の甘さを痛感させられました。読みながら、私自身は高信義に惹かれていました。
ただ、この本を単純に小説として読むと、話はあちこちがぼやけていました。書き難かったんだろうと、それは物凄く作者に同情しますが、作品として見ると、ただ時系列に事件が並べられた年表のような感は否めませんでした。主人公が人間らしさを一切はねつける怪物のような男なので、誰かと感情の交流など望むべくも無く、当然ドラマが生まれる余地さえ無いんです。そのたけしさん演ずる主人公、金氏の壮絶さは伝説と共にv語られて行くんですけれど、作者本人も含めて周りが全部腫れ物にさわるように対しているので、その強さすらぼやけてしまうんですね。映画化の企画が次々頓挫していると言う話を聞きながら、それでも高信義だけはどうしても見たいな~とか思っていました。

そうしたらある日、本屋にこの本の文庫版が積まれていて「映画化決定」の帯が!私が知ったのはもう公開間近だったので(ひょっとしたら公開後?)、帯に写真もついてました。それが、この映画の紹介でたびたび出される、ずぶぬれの男が後ろから取り押さえられているの図、です。見た瞬間「あっ、新井(朴)武だ!」と思いました。ほとんど忘れかけていたキャラだったのに、オダギリ氏の顔を見て、鮮烈に思い出しました。原作では、美人で名高かった母親の息子とすぐわかる程の、美形。この土砂降りの雨の中咆哮するオダギリ氏の写真は、本当に美しかった。そしてこの武には唯一、金とやりあうシーンがあります。それだけと言えばそれだけで、はっきり言って飛ばしても前後に何も障害の無いエピソード。でもこの武を取り上げてスクリーンに描きこむなら、きっと金の強さも浮き彫りになる・・・観てみたい、と私は思いました。

映画での武の存在は、確かに原作からは考えられないほど重要な役割を持たされていました。原作では、金の横暴振りがたっぷり上巻全部と下巻の前半まで使って縷々述べられたあと、やっと武が登場します。だから読み手は、武に対してだけ金が扱いを変えていることに驚きます。しかも小説の中ではそのやたらやさしい?金の事件は金の老いの始まり、という扱いで、武はその下り坂に行き合わせただけの存在。ところが映画では、武は1人で、いわば上巻分の金の「横暴ぶり」全部を引き出すための狂言回し役なんです。だからごく早い段階で出てきますが、そのおかげで観ている人は、金の周囲の人々が何故金に巻き込まれてしまうのか、その強大さを実感し、一方で周りの人の無力感を心底感じ取りながら悲惨な続きを見続ける事が出来ます。これはまず原作を超えた脚本の勝利だったと思います。原作からこれだけ数々の人間ドラマを紡ぎだした脚本には、本当に脱帽ですし、この切り口を与えられて初めて、この映画はただの記録ではなく映画として意味を成したんだと思います。

そしてこのとんでもない重圧のかかる役を、オダギリ氏はほんとに演じきりました。登場した瞬間から、全身でたけしさんに負けていない。存在感で既に対等。さらに一歩も譲らないどころかたけしさんを画面から一瞬忘れさせてしまう程の存在。たけしさんが後にインタビューで言っていましたが、対立する組織に命を狙われるヒットマン(原作設定)というより、「年上すら一目置く若い組頭」といった風情です。そして北野武に負けないだけでも本当に凄いと思うのですが、映画の中でそれが必要だと思えば、めったにやらない120%の芝居をも平気でやってのける。そのオダギリ氏のプロ根性が逆にこのシーンのたけしさんを支えていた、とも思います。たけしさんの本気が、ここで最大限引き出されているわけですから、助演男優賞も、もっともな事。まぁ、15分くらいしか出てないのですけどね(笑)。

原作では武は、きれいな標準語を話しています。韓国で両親の元に生まれながら、母親の姓を名乗らされ、この時代にこれだけ流暢な日本語を話させられている、それだけで武の生きてきた社会での「たらいまわし」生活が目に見えるようで、胸が締め付けられます。映画ではさらに、それが流暢な広島弁となり、さらにその中にとってつけたように、吐き捨てるような「アボジ(父)」という呼称が混じります(原作では「おやじ」)。生まれて初めて使うであろうその呼称からにじみ出る、長く重い生活。恨みや憎しみだけでは到底語り尽くせない万感の思い。さらに、別れ際、異母弟となる作者を「正雄!」と呼ぶ、その時だけマサオのサ、にアクセントを置く韓国式なんです。正雄をま「さ」お、と呼ぶ家族の中に、どんなにか武は入りたかっただろうと思うと、そのアクセントに涙が出ます。たぶん崔監督の指示、でしょうが、その意を汲んだオダギリ氏にも、拍手、でした。

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