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2005年8月12日 (金)

オペラ座の怪人

劇団四季のお芝居で見たので、音楽というカテゴリはちょっとずれてるんですが、でも音楽談義なので(^_^;)。
この春映画を見てから、もう一度舞台が見たくなって、行かれなくなったお友達からチケットを買って先日、四季通のオルコさんとご一緒に行って来ました。当然ながら配役が前回と違っているのですが、オルコさんの詳しい説明のおかげで何の問題もなく・・・というか彼女のおかげで何だか悲しい現実にぶち当たってしまいまして。

オペラ座に棲むこの怪人は、ご存知の通りクリスティーヌに歌唱指導をします。それが役者によっては恋心のほうがより前面に出たり、純粋に音楽の天使たる所に比重が置かれたりするので面白いのですが(という見方は歌舞伎的でややいぢわるでしょうか?)、今回見た高井さんという方はオルコさんによれば元々オペラのプロ歌手だったそうで、なんというかもう、あらゆる意味で「段違い」の怪人、でした。声量も質も艶もたっぷりで、日本人離れしたパワフルさと、ガイジンが羨望してやまない日本人特有のリリカルな表現力を完璧に兼ね備えた、素晴しい歌手でした。ほんとうに凄い。簡単に言うと、ジークフリートも出来ればドイツリートもOKというような(実際両方とも是非歌って欲しいと思います~)、声質とその技量の豊かさがなにしろ圧巻でした。クリスティーヌが音楽をあきらめ(実際その方がよさそうな役者さんで説得力があり・爆)白馬の王子様と共に歩み悪魔(=怪人)とは敢然と戦う事を硬く心に決め・・・た後、劇中劇にまぎれて背後から響き渡る怪人の声。これがもう、どんな決意も善意も努力もしがらみもすべて吹き飛ぶような、まさに「抗いがたく引きずり込まれる」声。声の魅力だけで人ひとりを奈落の底へ攫ってしまうほどの怪人の歌唱力。もともとの話の設定がそうなっているといえばそうなのですが、映画でも、前回見た四季の舞台でも、怪人はそのキャラクターでクリスティーヌを惹きつけていただけで、まぁそんな歌手は現実にはイナイよ、というのがこの世の中だった筈。それがもう・・・およそ怪人に誘われもしない私までが「魂売り飛ばしてもついて行きたいっ」(殴)と思うような声。サントラ出たら、買うかも~(感涙)。

悲しい現実、というのは、つまりそんな素晴しい歌手ですら「役者」にならざるを得ない今の日本のオペラ界、歌劇団の趨勢ということなのですが。私は「オペラ座の怪人」で一番好きなシーンは、実は話の筋とはあんまり関係ない、カルロッタという、クリスティーヌに追い落とされる旧態依然としたプリマドンナの歌う6重唱のシーンです。怪人の影、クリスティーヌを思う青年の思い、裏方や経営側の思惑が他の5人によってさまざまに歌い上げられる中、カルロッタは「それでも私は歌う!歌うのよ!私はプリマだから!」とおのが思いを声を限りに歌い上げます。その「歌いたいのよ!」という、この世のすべての歌手が抱く熱い思いが、うなりをあげてこちらに迫ってきて本当に、ここは何度聞いても胸が熱くなります・・・でもまぁ、逆に言うとつまりそれは「歌えない」現実がそこにあるから、なので。こんなにも熱い情熱を傾けているなら、まして高井さんのように技量も才能も申し分ないなら、日本の片隅で教授などしていないで、ザルツブルグでもスターツオパーでもミラノでも行って、世界のヒノキ舞台で暴れまわればいいのに・・・と思うのですが、そうはいかない。以前、ピアニストにはユダヤ人とゲイしかいない、とかのホロヴィッツ大先生が言ったと紹介しましたが、いったい男性がその実力に見合った「オペラ歌手」になるには、歌唱力のほかに、顔と財産とバックボーンと輝かしい来歴と強力なコネとさまざまな師とのつながりと駆け引きと・・・あといったい何が必要なのでしょうか。ましてその人が日本人なら、民族や宗教や外見的嗜好を乗り越えるために、さらに尽くさなければならない手が山のようにあるに違いありません(ため息)。

でももそれでも私はあの日、
あの声を聞いて、確かに魂を奪われた・・・のですけれどね。

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