2008年11月 9日 (日)

ブーリン家の姉妹

ブーリン家の姉妹、見てきました。公式サイトはこちら

英国国教会誕生のいきさつと大航海時代の幕開けを見てきました・・・じゃなくて(笑) いや歴史的に見るとそういうことなんですが。
この姉妹の話は昔Readerのtextで悪戦苦闘した思い出があります。ですから歴史叙事詩というよりは、結果はわかっていてもやはりそちらの愛憎劇の再現のほうがとても感慨深かったです。余談ですがこのあたりの時代の英語ってスペルはめちゃくちゃだし(”boleyn”でブーリンとかムリっ)修辞法は絢爛豪華で、特に知性溢れる王妃の言動は一回読んだだけじゃ何が言いたいんだか全然わからないし(涙)。せりふどうするんだろうとシンパイしていたらふつーにあっさりと現代英語で安心しました(泣笑)

上昇志向に溢れた父親に溺愛される姉とその妹、という構図が最後までぶれることなく描かれている所はスゴイと思いました。女優陣2人が自分の役所を本当にきちんと理解し演じきっていました。FLIXという映画雑誌で知ったのですが、ナタリー・ポートマンがヨハンソンを推薦したんだそうで。クイーンアミダラの慧眼恐るべしでありますw 妹の役は、見ようによっては演技以上のモノを要求される難しい役所でしたが、ただ朴訥で純粋というだけでなく、王の信頼を得るに足るだけの強さと大きさを持った女性として、スカーレット嬢は奮戦していました。だから古来各地で繰り返されているこの普遍の争いが全く陳腐に見えなかったし、姉の「野望」と「恋」の板挟みも、一個の人間のなかに矛盾なくすっぽりと包含され、確立されていました。ほんとに凄かったです、この2人は。
そして、高校生の私が読んでお馬鹿にしか見えなかったヘンリー8世は、映画で見てもやっぱりバカでしたん・・・(泣笑)なんかこう、役者さんは頑張ってはいるんでしょうけど、どうしても、王という地位以上に魅力を感じられない未熟で浅はかな男なんですよね。女優陣が必死に恋に落ちているからギリギリ成立していますが、この役にもう少し、王の魅力が感じられるようなエピソードがあればよかったのにと思います・・・ねつ造するかどうかはともかく(笑)
いや、だって、仕掛けた姉がうろたえるくらい手練手管に免疫がないとか、ローマカトリックとの決別や前王妃追放を後妻のせいにするとか、ほんとに、女帝時代の幕開けは来るべくして来た、と思わせるに十分な(笑)ダメ男ですよ。そのへん、もし実際史実には全く無かったとしても(汗)王の葛藤とか苦悩とかもう少し丁寧に描いて、映画をふくらませてほしかったなと思いました。

結末が有名で、しかも残酷で暗いオハナシなので敬遠されがちのようですが、女優陣の、美しさもさることながら演技力に心奪われる、昨今稀有な映画です。それと、あの絢爛豪華な宮廷絵巻だけは家のテレビで見ても迫力半減でしょう。お時間があれば是非どうぞ。

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おくりびと

おくりびと、見てきました。公式サイトはこちら

思ったよりもわかりやすくエンターテイメントに溢れた映画でした。もうすこし単館映画系の作風を期待していたのですが、伊丹十三監督の「お葬式」が近いかな。あちらが死を鏡として大胆に生の奔流を描ききった快作、だとすれば、こちらは棺桶の窓から世の中を覗いてみた、ぐらいの大きさで、むしろそのおさまりの良さを楽しむ佳品です。
私はお葬式何回か立ち会いましたが、納棺士のお仕事にあたる部分はたぶん葬儀屋さんがしていて、今回初めて独立した仕事として見ました。それだけでもとても面白かったです。映画として話が重いので、葬儀部分を初め随所にちりばめられた笑いが気分を救いますが、全篇に流れる静謐な空気はそのままに、上手にバランスをとっています。

惜しいなと思ったのはもっくんの芝居でした。妖艶耽美の世界では他の追随を許さない怪優、欲望に形を与えることの出来るあの端正な顔立ちが大好きなんですが、今回は残念ながら浮いてました。失礼ながらあまり期待していなかった広末凉子さんのほうがむしろ、監督の望む空気をしっかりと作りだしてしていました。この夏のオダギリジョーの「たみおのしあわせ」の時も思ったんですが、役者さんってしばらく仕事しないとカンが鈍るんでしょうかね。余貴美子さんと山崎努さんの前でもっくんは、まるでコレが映画初主演の若手俳優、のようにぎこちなく青かった。山崎さんとだけ、あるいは余さんと2人で芝居しているうちはまだよかったんですが、3人でクリスマスを祝っているところなど、1人だけチキンを「食らう」こともできず「生」を伝えることも出来ずにシーン全体がぼやけてしまっていました。日々死と隣り合い死に目を向ける人の、生そのものに対する「抗い」がまるで感じられなかった。広末さんとのシーンではカナリ頑張っていたんですけれどね。そのせいか、逆に広末さんがこだわった納棺士の「穢れ」もどこか唐突になってしまった。チェロも、素人にそれっぽく見せるためには弓を持つ右手の使い方が要なんですけど、誰か指導してあげなかったんでしょうかね。

余談ですが、この原作者の方とは、直接の面識はないのですがお話はよく聞いています。その聞いたエピソードのいくつかがこの映画にも出てきています。実生活から原作、脚本、俳優、映像といくつものフィルターを通り、場面も設定も全く違うモノになっているにもかかわらず、ああこんな風に考え感じていたのかと、その芯の所で確実にこちらに伝わってくるモノがあり、それをとても不思議に思いつつも面白く思ったのでした。

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誰がために

神奈川テレビで放映されて久しぶりに見ました。公式サイトはこちら

公開当時、イメージフォーラムに別の何かを見に行って、時間が合わず、こちらを見た記憶があります。矢野顕子さんと浅野忠信さんという、願ってもない組合せを思わぬ形で堪能させてもらった事を、テレビ画面を見ながら思い出しました。

この映画を見ながら当時の私が何と比べていたかというと、前年公開の「誰も知らない」と、ひと月ぐらい前後して公開された「スクラップヘブン」です。少年犯罪、喪失というテーマが続いたので連想したんだと思いますが、今見ると、前半部分についてだけ感想書いて止めています。

前半はまさしく浅野さんと矢野さんの美しい映像コラボでした。結婚することになる彼女も、幼なじみの女の子も、見事に影を消した非現実的な存在。パレスチナで浅野さんが見たものが現実だとすれば、この、町の小さな写真館は浅野さんにとって安逸という「幻想」だったのかもしれません。現実からの逃避の末にたどり着いた桃源郷。この、どこにでもあるごく日常の風景を浅野さんの心象風景であるかのように撮る監督の手腕は本当に素晴らしかった。矢野さんの音楽世界もそこにぴたりと沿うていて心地よくさえありました。
ところがそれが理不尽な少年犯罪によって崩壊する。しかも時は、浅野さんの思いと心に頓着なく、非情なまでにドンドン過ぎていく。幼なじみとまわりの人の「善意」により無理やり押し流されようとさえする。そのどうしようもない「置き去り感」が「絶望」に変わり「少年」にぶつけられていく様が、浅野さんの口から、仕草から、重くこちらの心に響いてきます。

ここで私が感想を書くのを止めてしまった理由が、今ならわかります。それが、浅野さんの「妄想」を打ち砕く現実として浅野さんの前に立ちはだかった犯人役の少年の「存在」でした。映画の中ではこの少年は、人を殺せる手と小鳥を可愛がる可憐な指先と、折れそうに頼りなげな首すじと人を寄せ付けない閉じた瞳を、まるで同時に抱いてしまう、青年期特有の「まだバラバラな状態」を見事に表しています。が、それ以上に、この小池徹平という少年は、前年是枝監督が作りだした柳楽君の「崩壊してもなお在る生身の憂鬱」でもなく、スクラップヘブンでオダギリジョーが見せた「具現化した鬱屈」でもない、もっと底知れず「得体の知れない闇」を抱えていました。ふと見かけた赤いかわいい風船の中に、静かにひたひたと、しかしぎっしりとコールタールがつめこまれていたかのような、強烈な破壊力。悪意とすら呼べない、もっと無邪気なほど直裁的に抱え込まされているこの人の「闇」は、本人ももてあまし気味に、「とりあえず赤い風船でくるんでみました」的な幼い放擲と共に差し出されてくるだけに、余計にどう見てあげたらいいのかわからないのでした。それは見なかったことにすれよかったのか、気づかなかったことにすればよかったのか。弱冠19才の少年を浅野忠信を呑み込むほどの「現実」として存在たらしめた、この少年の持つ「闇」が、本人ももてあますような深い「闇」が、本人のモノとなって開花するのは、きっとまだこれからのことなのでしょう。3年経った今も、まだ兆しも見えませんし、その後、ドラマやテレビで見せる「笑顔」にも闇など微塵もありません。見てしまった者からすれば痛々しいことこの上ない「笑顔」ですが、あれはまだ見なかったことにしといてほしい、とでもいいたげです。きっと役者と違い、アイドルやタレントの世界で生き残っていくのは大変なことなんでしょう。もしこの人が8年後、30才過ぎてもまだこういう仕事をしていたら、その時こそ是非また映画でお目にかかりたいものです・・・

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